医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

美しき穂の国-13

2006年10月16日 10時56分50秒 | Weblog
 そしてそれら古事記の中で、やはりなんと言っても一番惹かれるのは「ヤマトタケル」ノミコト=「倭健命」、「日本武尊」でしょう。

 第12代、景行(けいこう)天皇の息子です。

 映画やアニメにもなっておりますし、みなさまの中にはすでにお詳しい方もいらっしゃると思います。

 しかし残念なことに研究者の間では、架空の人物とされる説が強いようです。

 いつも言っておりますが、ひたすら強いのだけれども心は繊細で脆い(もろい)、悲しみや宿命を背負った悲劇的要素の強い英雄ほど美しいものです。


 ヤマトタケルの伝説はたくさんありますが、要約すると

① 西征・東征での戦い

② 天叢雲(あめのむらくも)と草薙の剣

③ オトタチバナヒメとあづま

④ 白鳥伝説

⑤ 国偲びの歌

だと思われますので、これらを抜粋します。



① 西征・東征での戦い

 幼少名をヲウス(小碓)というヤマトタケルは、父の景行(けいこう)天皇から、ヲウスの兄を「ねんごろに教え諭す」ようことづかります。

 彼なりに彼にとってのねんごろ、なんと兄の手足をもぎとって薦(こも=むしろ)に包んで投げ捨ててしまいます。

 当時は継承のため子が親を殺したり、あるいはその逆であったり、あったことでしょう・・・天皇である父はヲウスの気性の荒さを恐れて、自分から遠ざけるために、ヲウスに西征・東征を命じるのです。

 まだまだあどけないヤマトタケルは、まず九州は熊本の熊襲(くまそ)兄弟を祝宴に女装して潜入し殺害、絶命寸前のクマソタケル弟から「ヤマトタケル」の称号を贈られます。

 その手口はさながら映画のようです。

 その帰路、出雲ではイズモタケルに対し、友好を装いながら偽刀を交換して、剣の鍛錬を挑む、というあざとい作戦で討ってしまいます。

 そうしてヤマトタケルは九州ばかりか出雲まで平定して大和に凱旋するのです。