医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

「菜の花の沖」の美学8

2006年06月20日 12時29分43秒 | Weblog
 現在日露間には北方領土問題があります。

 「菜の花の沖」を読むまでは、その問題はなんとなく自覚しておりましたが、街宣車が訴える問題であって、僕の生活とは直接的には関係ないな、北海道の人は大変だな、くらいのことでした。

 それと僕は別段、偏狭的・排他的・強硬的な国粋主義者でもありません。

 普通に日本を愛する一般的な国民です。

 日本という国は保守派vs市民派のヘゲモニー争いもあるために、微妙な問題にはふたをして、子供たちにもきちんと教育をしないで、うやむやにごまかし、問題を先送りにする、という傾向があります。

 敗戦という事実がそれをさらに捻じ曲げております。

 もちろん事の善悪は政治が判断するものではなく、歴史が判断するものです。

 しかし史実というものはそもそも相対的なものであり、常に絶対的正義があるとはかぎりません。

 意見が対立する場合、どちらにも言い分はあるものです。

 また、時代背景によって、英雄が一夜にして敵役(かたきやく)になったり、その逆もありえるものです。

 ただ、何が問題になっているのか、事実はどういうことなのかは、国やマスコミが国民にきちんと知らせて、また僕たち国民はしっかりと理解するということが必要なのではないでしょうか?

 子供たちから
「なんで北海道の上の小さい島と左側の大きい島の下半分だけは色が白いの?なんていう国なの?」
「天気予報で出てくる北海道の上の島の名前は何?日本じゃないのになんでそこだけテレビに出てくるの?」
と聞かれたときに、大人が答えられるようにしてあげたいものです。

 そのことを学校でも逃げずに子供たちに正当に教育し、日本側の主張、相手国の主張をも事実として伝えるべきではないでしょうか?

 「日本人には背骨がない」と海外諸国からよく言われます。

 微妙な問題にはっきりとした意見を持つことが、異端児扱いされやすい社会だからです。

 現実を事実として把握し、感情的にならずに、冷静に考えましょう。

 相手をののしったり、さげすんだり、おとしめたりすることなく、相手の気持ちも思いやって、例え日本にとって都合が悪いことでも、事実を事実としてとらえ、自分で考える、ということは大切なことではないでしょうか。

 自分が住んでいるこの国のことはひいては自分のことなのですから、面倒がらずに自分の意見を持っても良いのではないでしょうか。

 面倒がるということは、義務を放棄することですから、権利を主張することもできません。

 それが大人のマナーだと思います。

 また政治家はその国の民衆や民度の鏡です。

 政治家の能力をのろうことは、選んだ自分たちをさげすむことです。

 それにテレビを見ていると、例えどんな国も若者でも、それが発展途上国でも、政治に関しては熱く、信念を持って語ります。

 それが国民として、その国の大人として当たり前の作法だと僕は思います。

 日本でもし街頭インタビューがあって、「この領土問題をどう考えるか?」と質問したとして、一体何人の方が自分の意見を持っておりますでしょうか?

 日本では政治を語ることが、タブー視されることがあります。政治的意見を持たないことが善、思想的傾向が就職にも問われる・・・そんな虚像の殻は打ち破りましょう。

 ご覧になられてまだこの問題をご存知でない方がいらしたら、これを機会に下記をご参照されて、ぜひとも歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)、国後(くなしり)、択捉(えとろふ)の名は、覚えることにしてみてはいかがでしょうか・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%96%B9%E9%A0%98%E5%9C%9F

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