医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

カラマーゾフ的美意識8

2007年01月23日 11時00分48秒 | Weblog
 『入場券』の続きです。

 イワンはアリョーシャに続けます。

 「ありとあらゆる手で両親から痛めつけられ、全身を痣だらけにした5歳の女の子が、天使のように健やかな眠りに沈んでいる女の子が、夜中にうんちを知らせなかったというだけの理由で、顔中に洩らしたうんちをなすりつけて、食べさせ、真冬の寒い日に女の子を一晩中便所に閉じ込めた」母親。

 「自分がどんな目に遭わされているのか、まだ意味さえ理解できぬ小さな子供が、悲しみに張り裂けそうな胸をちっぽけな拳でたたき、血をしぼるような涙を恨みもなしにおとなしく流しながら、「神さま」に守ってくださいと泣いて頼んでいるというのに、母親はぬくぬくと寝ていられるんだ。」

 自分の犬に怪我をさせた8歳の少年を裸にさせて、母親の目の前で自分の犬にかみ殺させた将軍・・・

 「どうだアリョーシャ、そんな大人たちは銃殺か?」と迫るイワン。

 耐え切れずに神に仕える身でありながら「銃殺です!」と答えてしまう純粋なアリョーシャ。

 つまりアリョーシャの心にも悪魔が、カラマーゾフが潜むわけです。

 キリスト教では、善悪を認識するために悪が必要だから、それでも悪を赦せ、としても「そんな認識を全部ひっくるめたとしても、「神さま」に流した子供の涙ほどの値打ちなんぞありゃしない。」と力をこめるイワン。

 「たとえ苦しみによって永遠の調和を買うために、すべての人が苦しまなければならぬとしても、その場合、子供にいったい何の関係があるんだい?そんな調和は、小さなこぶしで自分の胸をたたきながら、臭い便所の中で償われぬ涙を流して「神さま」に祈った、あの痛めつけられた子供一人の涙にさえ値しないよ!」

 そして「なぜ迫害者のための地獄なんぞが俺に必要なんだ。子供たちがすでにさんざ苦しめられたあとで、地獄がいったい何を強制しうるというんだ?」

 もし目の前でわが子を犬にかみ殺された母親が、迫害者を赦したからといったって、それは「自分の分だけ赦せばいい」、子供の分までは到底赦せはしません。

 「だから俺は自分の入場券は急いで返すことにするよ。」

 「神を認めないわけじゃないんだ、ただ謹んで切符をお返しするだけなんだ。」

 これがイワンの述べる『入場券』です。

 矛盾をつまびらかにするイワン。


 しかし、それでもわが身を犠牲にしてまで、すべてを赦すのがキリストだ、と主張するアリョーシャ。

 矛盾をも超越する力と愛を信じるアリョーシャ。

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