医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

カラマーゾフ的美意識9

2007年01月24日 11時22分05秒 | Weblog
②【大審問官】

 この部分こそが、この小説の、いや全人類文学史上のハイライトと世界中の賢者から賞賛され、イワンがアリョーシャに聞かせる、自作の叙事詩(神話・伝説・英雄の功業などを物語る長大な韻文-goo辞書より)です。

 イワンが作った叙事詩ですから、劇中劇ではないですが、物語中の登場人物がつくった物語です。

 ・・・であるにもかかわらず、神の存在、役割、人間とは、自由とは、ローマカトリック教会の意義は・・・

 真実をとことん突き詰め、知性的に空想し、合理的に想像し、ものすごい迫力と鋭すぎる切れ味を、そして反論の余地など許さないかのごとくの理性をもって展開されるので、腰を抜かしてしまいます。

 この部分だけで一つの映画になると思います。



~時代は暗黒の中世16世紀。魔女狩りやら異端狩りがはびこる日常・・・。

舞台はスペインのセヴィリヤ。

キリストが登場しますが、詩の中では何一つしゃべらず、ただ姿を現して通り過ぎるだけ。

百人にも及ぶ異端者が、枢機卿である大審問官によって一度に焼き殺されたばかり。

キリストは気づかれないようにそっと姿を現したのだが、ふしぎなことに、だれもが正体を見破ってしまい、キリストは人々に奇跡を授けるのです。

奇跡を再現するキリストを目の当たりにした、90歳近くの大審問官はキリストを迷わず捕らえ、即刻牢に入れてしまいます。 ~



 キリスト教がキリスト教として確立した現在、今更になってキリストが再び現れれば、教会側から自由を奪うことになるからでしょう。

 つまりは大審問官の立場も危うくなるわけです。



~「今さら何をしに来た?お前はもはや邪魔者なのだ!」~

と、あの主なるイエス・キリストに向かい問い詰める大審問官、ひとことも言葉を発しないキリスト・・・。



 これを想像するだけでも、ドキドキしちゃいますよね。



 ここで、キリストが生前、荒野で体験した有名な「悪魔の三つの問い」があります。

具体的には、

1. 石ころをパンに変えよ。→「奇跡」の象徴

2. 神の子なら(エルサレム神殿の屋根から)飛び降りてみよ。→「神秘」の象徴

3. (世界中が見渡せる高みから悪魔に)ひれ伏せばこれらを与えよう。→「権威」の象徴


 イワンは、この三つの問いには「人間の未来の歴史全体が一つに要約され、予言され、この地上における人間の本性の、解決し得ない歴史的な矛盾がすべて集中しそうな三つの形態が現れている」とします。

 「もはや何一つ付け加えることも、差し引くこともできない」と。

 キリストは『人間の自由』のために、三つの誘いをすべて拒絶します。

 つまり、キリストが人間の自由のために悪魔の問いを拒絶したからこそ、人間には自由が与えられたのに、人間がその自由を拒絶してしまったとイワンは主張しますが、その理由は・・・・。

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