医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

美しき音の色 13

2008年11月14日 09時02分49秒 | Weblog
 で、ハ長調ではⅠⅣⅤの法則だと、有名ですがC→F→C→G7、イ短調は、Am→Dm→Am→E7。

 ダイアトニックコード、例えばキーがCだったら基本に使うのはC、F、G、Am、Dm、Em、Eの7つでしたね。

 で、移調するときには、それぞれのコードを動かせばいい話・・・かな。

 僕はコンポーザーでもアレンジャーでもないので、楽器や音楽は素人ですから、こんな理解しかありません。

 ジャズピアニストは、このコードの音符が頭に入っていて、このコードではここを叩いて、迂回してまた戻って、この音はちょっとはずしてブルージーに、みたいなことを瞬時に頭に展開して、アドリブを弾いているのでしょうか?





 難しいこともありましたが、しかしまぁ、ひとつに聞こえる楽器の音が、実はたくさんの倍音を含んでいる、ってことが分かるだけでも、なんか得した気持ちになりませんか?

 僕の場合はギターですが、TABではなく、楽譜を見るだけでスラスラ弾けて、アドリブもこなせるようになりたい、って願いだけはいっちょまえなんですがね・・・。

 弾ける弾けないは、こうした音の理解以外に、技術的なこともあるからタイヘンだぁ~・・・。

 逆に技術だけあっても片手落ちだし。

 音楽もまた、手術やスポーツに相通ずるな・・・。





 しかもこれ、ミュージシャンの場合、うまくて知識があって、演奏技術も楽曲作りだってどんなに優れていても、そればかりでは優秀なスタジオミュージシャンにはなれても、スターにはなれない。

 それが基礎にあって(欲しいのですが和製の場合、その基礎すらない)、さらにカリスマ性だとか、革新性、独自性、カッコよさ、知性、発言、生き方、趣味、センス・・・・そして何より運。

 さらには、それらが抜きん出過ぎると、大衆には広く理解されず、一部のマニアにしかウケなくなってしまう。

 大衆のレベルに合わないと売れないが、才能がある者が大衆に合わせると迎合といわれる。





 ヴォーカルの個性としては日本でも双璧な2人・・・

 一方は、分かりやすく歌っているが、“アクセントや母音・子音の使い分け、韻の踏み方、3連譜的な単語の使用などにより日本語特有の間延びを感じさせないような作詞法(ウィキ)”により、個性的に日本語をリズムに乗せ、詩の理解にも一定の思弁や能動的・自発的追及が必要で、放送禁止な、とんがりすぎちゃってアブナイ拒否型のキヨシローより・・・

 他方、逆に一体何を世に主張したいのか、失恋の歌なのか、恋愛中の歌なのか、いや何を言っているのかさえもまったく分からないが、だから分かりやすく簡便で、思考や追及の必要もなく、聴き手が受動的でもいろんなソースから入ってくる、ワッショイでエモーショナルで演歌チックな、受け入れ型のサザンのほうが日本の土壌には合うわけ。