ステンドグラスに使用されるガラスは、透明か乳白色かという透明度の違いのほかに、製法・テクスチャー・メーカーなどによって、いろいろな種類があります。
乳白色のオパールセントガラス、キャセドラルガラス(透明)、アンティークガラスなど数千種類にも及ぶガラスがあるそうです。
アンティークガラスとは主にヨーロッパ製で、いわゆる吹きガラスを指し、厚さも色も少々ムラがありますが、グリザイユやエナメルなどの色粉を溶いて絵付けすることができ、独特の知的な感性があるといわれます。
オパールセントは、白色ガラスの一種で半透明のオパールのような色調をみせ、調合によっては光線の加減で薄い青や黄の色味がかかってみえるため、アール・デコのフランスの「ルネ・ラリック」もこのオパールセントを使い、光をあてるとブルーっぽい虹色に輝くような作品も残しました。
http://www.antiques-fontaine.com/catalog/lalique/l023.html
http://www.lalique-museum.com/index.html
美しいですね。
本日の写真はルイス・Cティファニーのものです。
ルイス・ティファニーに影響を与えた『ものいうガラス』のエミール・ガレや、同じくフランスはロレーヌの『ナンシー』出身、有名な「ドーム(Daum)兄弟」はラリックよりも一時代前のアール・ヌーヴォーの芸術家です。
ガレの模倣から始まった「ドーム兄弟」は、装飾の表現を豊かにするために「ヴィトリフィカシオン」と呼ばれる色ガラスの粉末を素地に付着させる技法や、透明ガラス層の間に色ガラスを挟み込み彫刻を施す「アンテルカレール技法」を開発しました。
http://www.daiichi-museum.co.jp/collection/daum.html
そして1900年、パリ万国博覧会に出品し、ガラス部門でガレと並んでグランプリを獲得、「ドームクリスタル社」は現代に至ってるわけです。
以前も書いたと思いますが、いわゆるガレの「ナンシー派」は、ロレーヌのナンシー、そのナンシーには、ルイ15世の義父でロレーヌ公国の王であったスタニスラス王が建設した広場、「スタニスラス広場」があり、ここも死ぬまでに一度は行ってみたい場所のひとつ。
随所にアール・ヌーヴォーとナンシー派、そしてロココな風景にあふれた街らしいのです。
http://plaza.harmonix.ne.jp/~onizuka/DiaryFeb2001/Diary02-21.html
残念なことですが、日本はまだまだ芸術が市民に浸透して、その街に独特の個性を与えているとは言えず、そういう意味では国民が未熟だといわざるを得ません・・・。
ナンシーがある、いわゆるフランスのアルサス・ロレーヌ地域圏(独:ロートリンゲン)は以前、ストラスブールで書いたようにブルボンに仕えるドイツ人の地域、つまり文化はドイツで政治がフランス。
難しい問題も抱え、「Viva La France!」(フランス万歳!)で有名な、小説「最後の授業」の舞台となったわけです。
ナンシーに行って、ストラスブールのノートルダム大聖堂を見て、コルマールに立ち寄りケルンへ、足を伸ばしてノイシュヴァンシュタイン城・・・なんて妄想を楽しんでます。
乳白色のオパールセントガラス、キャセドラルガラス(透明)、アンティークガラスなど数千種類にも及ぶガラスがあるそうです。
アンティークガラスとは主にヨーロッパ製で、いわゆる吹きガラスを指し、厚さも色も少々ムラがありますが、グリザイユやエナメルなどの色粉を溶いて絵付けすることができ、独特の知的な感性があるといわれます。
オパールセントは、白色ガラスの一種で半透明のオパールのような色調をみせ、調合によっては光線の加減で薄い青や黄の色味がかかってみえるため、アール・デコのフランスの「ルネ・ラリック」もこのオパールセントを使い、光をあてるとブルーっぽい虹色に輝くような作品も残しました。
http://www.antiques-fontaine.com/catalog/lalique/l023.html
http://www.lalique-museum.com/index.html
美しいですね。
本日の写真はルイス・Cティファニーのものです。
ルイス・ティファニーに影響を与えた『ものいうガラス』のエミール・ガレや、同じくフランスはロレーヌの『ナンシー』出身、有名な「ドーム(Daum)兄弟」はラリックよりも一時代前のアール・ヌーヴォーの芸術家です。
ガレの模倣から始まった「ドーム兄弟」は、装飾の表現を豊かにするために「ヴィトリフィカシオン」と呼ばれる色ガラスの粉末を素地に付着させる技法や、透明ガラス層の間に色ガラスを挟み込み彫刻を施す「アンテルカレール技法」を開発しました。
http://www.daiichi-museum.co.jp/collection/daum.html
そして1900年、パリ万国博覧会に出品し、ガラス部門でガレと並んでグランプリを獲得、「ドームクリスタル社」は現代に至ってるわけです。
以前も書いたと思いますが、いわゆるガレの「ナンシー派」は、ロレーヌのナンシー、そのナンシーには、ルイ15世の義父でロレーヌ公国の王であったスタニスラス王が建設した広場、「スタニスラス広場」があり、ここも死ぬまでに一度は行ってみたい場所のひとつ。
随所にアール・ヌーヴォーとナンシー派、そしてロココな風景にあふれた街らしいのです。
http://plaza.harmonix.ne.jp/~onizuka/DiaryFeb2001/Diary02-21.html
残念なことですが、日本はまだまだ芸術が市民に浸透して、その街に独特の個性を与えているとは言えず、そういう意味では国民が未熟だといわざるを得ません・・・。
ナンシーがある、いわゆるフランスのアルサス・ロレーヌ地域圏(独:ロートリンゲン)は以前、ストラスブールで書いたようにブルボンに仕えるドイツ人の地域、つまり文化はドイツで政治がフランス。
難しい問題も抱え、「Viva La France!」(フランス万歳!)で有名な、小説「最後の授業」の舞台となったわけです。
ナンシーに行って、ストラスブールのノートルダム大聖堂を見て、コルマールに立ち寄りケルンへ、足を伸ばしてノイシュヴァンシュタイン城・・・なんて妄想を楽しんでます。