日本にある「世界遺産」がいくつあるか知っていますか?
正解は13ヶ所。
北から、①知床 ②白神山地 ③日光の社寺 ④白川郷・五箇山の合掌造り集落 ⑤古都京都の文化財 ⑥古都奈良の文化財 ⑦法隆寺地域の仏教建造物 ⑧紀伊山地の霊場と参詣道 ⑨姫路城 ⑩広島の平和記念碑(原爆ドーム) ⑪厳島神社 ⑫屋久島 ⑬琉球王国のグスク及び関連遺跡群。
暫定リストが武家の古都・鎌倉(神奈川県) 彦根城(滋賀県) 石見銀山遺跡(島根県) 平泉の文化遺産(岩手県)の4ヶ所。
2005年7月現在で世界では812物件。
日本の3大古典芸能の「歌舞伎」「能」「人形浄瑠璃」は世界無形文化遺産に登録されております。
合計90登録だそうです。
僕が行ったことがあるのは8ヵ所。
先日東北新幹線に乗っていたら、トランヴェールという雑誌がありました。
そこで日光が特集されていましたが、とっても面白い記事だったので、ここで紹介します。
~トランヴェール 第19巻第2号 通巻215号 2006年2月号~
日光には「2社1寺」があります。
「東照宮」「輪王(りんのう)寺」「二荒山(ふたらさん)神社」です。
「東照宮」はみなさんご存知のように「徳川家康」を東照大権現として、また後述しますが「輪王寺」には3代将軍「家光」公およびその慈眼院には「天海僧正」が祀られております。
東照宮造営前、現在より1200年も前の奈良時代から日光は関東最大の山岳宗教の聖地でした。
「二荒山神社」は、日光山岳信仰の礎(いしずえ)となる神社で、中禅寺湖の奥にそびえ立つ2484mの「男体山(なんたいさん)」を御神体として祭っております。
「二荒山」というのは観音菩薩の浄土にそびえる「補陀洛山(ふだらくざん)」にちなみ、「男体山」を「二荒山」としたものだそうです。
つまり、「ふだらくざん」→「ふたらさん」です。 その「二荒」を漢読みして「にっこう」としたのが、真言密教のあの空海だと伝えられております。
え、「にっこう」ってオヤジギャグ?なんて言わないでくださいね。
日本最古のホテル、日光金谷ホテルのたもとの大谷(だいや)川にかかる、朱塗りの「神橋(しんきょう)」 は神域と俗界を隔てる境界です。
「神橋」を越えると東照宮、輪王寺、二荒山神社のある聖域に入ります。
この神橋は橋脚のない「はね橋」形式としては国内唯一の古橋で、錦帯橋(きんたいきょう)、猿橋とともに日本三大奇矯に数えられるそうです。
ちなみにその大谷川のほとりで「神橋」からやや下流に、井上誠一設計で有名な「日光カンツリークラブ」があります。
金谷ホテルは中禅寺湖にもロッジ風のものがありますが、この日光金谷ホテルとともに料理とパンが有名です。
箱根の「富士やホテル」、軽井沢の「万平ホテル」とともに、古きよきホテルの代表ですね。
さて目玉の「東照宮」ですが、これだけで見るのに1日はかかります。
どうして徳川家康のお墓に日光が選ばれたのか?
僕も疑問に思っておりました。
それは驚くことに「風水」だそうです。
そこには家康の「宇宙観」があったということです。
江戸城はそもそも京都の平安京にならい、東西南北の四神が城を守護するという中国の陰陽(おんよう)思想が導入されているそうです。
北の「玄武」(山)には日光、東には「青龍」(川)江戸川、南の「朱雀」(沢畔(たくはん))には江戸浦(品川)、そして西の「白虎」(大道)には甲州街道と、四神を宿る場所として決定されたそうです。
うしとら(北東)の鬼門には「神田明神」と「浅草寺」に上野の「寛永寺」、ひつじざる(南西)の裏鬼門には「日枝(ひえ)神社」が造られております。
そしてその江戸城と徳川家の菩提寺(ぼだいじ)である芝の「増上寺」の真北にあたるのが日光。
さらに東照宮本殿は江戸城のある真南に向けられております。
したがって東照宮のシンボルにあたる、国宝の「陽明門」も当然北極星を背にして南を向いております。
江戸と北極星を結ぶ不動の宇宙の中心軸上に位置する「日光」から、自らが鎮守の神となり家康は江戸を見守り徳川家の未来永劫の繁栄を願っているのだというのです。
あらゆる星を従えて夜空で不動の北極星を、大宇宙の中心とする信仰が平安時代からあったそうです。
また北は生命をコントロールする宇宙的な方角だそうです。
ですから陽明門はおのずと南の太陽に照らされて、装飾された彫刻がさん然と輝く演出がなされているそうです。
深いなあ・・・。
最初に1年だけ家康公の遺体が埋葬された、静岡の久能山の拝殿は当時、不死の山とされた霊峰富士山越しに日光を向いていて、久能山で拝礼すると「不死山」とともに、日光を拝むことになる、そういうラインもあると言われております。
さらにさらに家康の宇宙観は続きます。
東照宮自身も四神相応が見られるのです。
玄武が女峰山、青龍が稲荷川、朱雀に大谷川と稲荷川の合流点、白虎には中禅寺へ向かう道、鬼門に日光山を開山した勝道上人(しょうどうじょうにん)の開山堂、裏鬼門に黒衣の宰相と呼ばれて徳川家に仕え、日光を再興し東照宮を造り上げた天海僧正(てんかいそうじょう)が自らの墓「慈眼(じげん)堂」を設けたというのです。
天海僧正は死して尚、家康に尽くしているというわけだそうです。
陽明門は別名「日暮しの門」といわれます。
思わず見とれて日が暮れてしまう意味です。
その門の彫刻、ざっと508体だそうです!!
東照宮を全面的に建て替え、造営したのは家康を心から崇拝した3代将軍の家光。
総工費は現代の価値で2000億円から7兆円とも言われる徳川家の威信を賭けた一大事業だったそうです。
絵画部門だって責任者は狩野探幽(かのうたんゆう)ですから。
その陽明門を支える12本の柱のうち、1本だけ逆さのものがあります。
それは満月が欠け行く運命であるように、形あるものは完成した瞬間から崩壊が始まるために、わざと不完全にして完成させない配慮だそうです。
なんて哲学的なんでしょう。深すぎる・・。
そして次々に現れる彫刻、彫刻、彫刻・・・その数5000体以上に上るそうです。
そして極彩色(ごくさいしき)の色、色、色・・・。
豪華絢爛、絢爛豪華。
それらの彫刻には意味がこめられているそうです。
表門をくぐってすぐ左手の神厩舎(しんきゅうしゃ)には有名な「見ざる、聞かざる、言わざる」があります。
これはよく言われる処世術ではなく、幼児期に悪いものを、見ない、話さない、聞かないという教育の重要性を説いているそうです。
武器を食べるとされる獏(ばく)は軍縮の象徴で、戦いのない平和を祈願してとのこと。
また子供の遊ぶ彫刻も多く、家光公は子供が安心して遊べる世の中こそ、天下泰平と考えていたからだと。
また有名な「眠り猫」は家康公の眠る奥社の入り口で番をしており、猫が眠るほど平和であるというメッセージだそうです。
さらにこの裏面にはすずめの彫刻があり、弱肉強食を否定して共存共栄の平和の象徴がここにも刻まれております。
拝殿の麒麟(きりん)と白沢(はくたく)は探幽の作とされ、善政のシンボルだそうです。
また彩色はぼかしをつかい、金箔を張って盛り上げて立体感を出しています。
原色の絵の具を混ぜ合わせないので、色の鮮度と明度が高くなるのは、西洋のルノワールなどの印象派が用いた技法と一緒ですね。
色は混ぜ合わせればあわせるほど、にごっていきますから、遠くから見たときにそれぞれの色が混じるように、混ぜ合わせない色で点状に描写したのが印象派です。
陽明門をくぐる手前の左手には「鳴き龍」でおなじみの本地堂があります。
そしてその家光は死後も家康公にお仕えすると遺言を残し、輪王寺に東照宮の方向に面して祀られております。
他にも日光には、中禅寺湖、いろは坂、華厳の滝、戦場ヶ原・・・と、とても日帰りでは回りきれません。
さすがに世界遺産に恥じない日本の宝だと思います。
まさしく「日光を見ずして、結構というなかれ」(これもオヤジギャグっぽいなあ)
正解は13ヶ所。
北から、①知床 ②白神山地 ③日光の社寺 ④白川郷・五箇山の合掌造り集落 ⑤古都京都の文化財 ⑥古都奈良の文化財 ⑦法隆寺地域の仏教建造物 ⑧紀伊山地の霊場と参詣道 ⑨姫路城 ⑩広島の平和記念碑(原爆ドーム) ⑪厳島神社 ⑫屋久島 ⑬琉球王国のグスク及び関連遺跡群。
暫定リストが武家の古都・鎌倉(神奈川県) 彦根城(滋賀県) 石見銀山遺跡(島根県) 平泉の文化遺産(岩手県)の4ヶ所。
2005年7月現在で世界では812物件。
日本の3大古典芸能の「歌舞伎」「能」「人形浄瑠璃」は世界無形文化遺産に登録されております。
合計90登録だそうです。
僕が行ったことがあるのは8ヵ所。
先日東北新幹線に乗っていたら、トランヴェールという雑誌がありました。
そこで日光が特集されていましたが、とっても面白い記事だったので、ここで紹介します。
~トランヴェール 第19巻第2号 通巻215号 2006年2月号~
日光には「2社1寺」があります。
「東照宮」「輪王(りんのう)寺」「二荒山(ふたらさん)神社」です。
「東照宮」はみなさんご存知のように「徳川家康」を東照大権現として、また後述しますが「輪王寺」には3代将軍「家光」公およびその慈眼院には「天海僧正」が祀られております。
東照宮造営前、現在より1200年も前の奈良時代から日光は関東最大の山岳宗教の聖地でした。
「二荒山神社」は、日光山岳信仰の礎(いしずえ)となる神社で、中禅寺湖の奥にそびえ立つ2484mの「男体山(なんたいさん)」を御神体として祭っております。
「二荒山」というのは観音菩薩の浄土にそびえる「補陀洛山(ふだらくざん)」にちなみ、「男体山」を「二荒山」としたものだそうです。
つまり、「ふだらくざん」→「ふたらさん」です。 その「二荒」を漢読みして「にっこう」としたのが、真言密教のあの空海だと伝えられております。
え、「にっこう」ってオヤジギャグ?なんて言わないでくださいね。
日本最古のホテル、日光金谷ホテルのたもとの大谷(だいや)川にかかる、朱塗りの「神橋(しんきょう)」 は神域と俗界を隔てる境界です。
「神橋」を越えると東照宮、輪王寺、二荒山神社のある聖域に入ります。
この神橋は橋脚のない「はね橋」形式としては国内唯一の古橋で、錦帯橋(きんたいきょう)、猿橋とともに日本三大奇矯に数えられるそうです。
ちなみにその大谷川のほとりで「神橋」からやや下流に、井上誠一設計で有名な「日光カンツリークラブ」があります。
金谷ホテルは中禅寺湖にもロッジ風のものがありますが、この日光金谷ホテルとともに料理とパンが有名です。
箱根の「富士やホテル」、軽井沢の「万平ホテル」とともに、古きよきホテルの代表ですね。
さて目玉の「東照宮」ですが、これだけで見るのに1日はかかります。
どうして徳川家康のお墓に日光が選ばれたのか?
僕も疑問に思っておりました。
それは驚くことに「風水」だそうです。
そこには家康の「宇宙観」があったということです。
江戸城はそもそも京都の平安京にならい、東西南北の四神が城を守護するという中国の陰陽(おんよう)思想が導入されているそうです。
北の「玄武」(山)には日光、東には「青龍」(川)江戸川、南の「朱雀」(沢畔(たくはん))には江戸浦(品川)、そして西の「白虎」(大道)には甲州街道と、四神を宿る場所として決定されたそうです。
うしとら(北東)の鬼門には「神田明神」と「浅草寺」に上野の「寛永寺」、ひつじざる(南西)の裏鬼門には「日枝(ひえ)神社」が造られております。
そしてその江戸城と徳川家の菩提寺(ぼだいじ)である芝の「増上寺」の真北にあたるのが日光。
さらに東照宮本殿は江戸城のある真南に向けられております。
したがって東照宮のシンボルにあたる、国宝の「陽明門」も当然北極星を背にして南を向いております。
江戸と北極星を結ぶ不動の宇宙の中心軸上に位置する「日光」から、自らが鎮守の神となり家康は江戸を見守り徳川家の未来永劫の繁栄を願っているのだというのです。
あらゆる星を従えて夜空で不動の北極星を、大宇宙の中心とする信仰が平安時代からあったそうです。
また北は生命をコントロールする宇宙的な方角だそうです。
ですから陽明門はおのずと南の太陽に照らされて、装飾された彫刻がさん然と輝く演出がなされているそうです。
深いなあ・・・。
最初に1年だけ家康公の遺体が埋葬された、静岡の久能山の拝殿は当時、不死の山とされた霊峰富士山越しに日光を向いていて、久能山で拝礼すると「不死山」とともに、日光を拝むことになる、そういうラインもあると言われております。
さらにさらに家康の宇宙観は続きます。
東照宮自身も四神相応が見られるのです。
玄武が女峰山、青龍が稲荷川、朱雀に大谷川と稲荷川の合流点、白虎には中禅寺へ向かう道、鬼門に日光山を開山した勝道上人(しょうどうじょうにん)の開山堂、裏鬼門に黒衣の宰相と呼ばれて徳川家に仕え、日光を再興し東照宮を造り上げた天海僧正(てんかいそうじょう)が自らの墓「慈眼(じげん)堂」を設けたというのです。
天海僧正は死して尚、家康に尽くしているというわけだそうです。
陽明門は別名「日暮しの門」といわれます。
思わず見とれて日が暮れてしまう意味です。
その門の彫刻、ざっと508体だそうです!!
東照宮を全面的に建て替え、造営したのは家康を心から崇拝した3代将軍の家光。
総工費は現代の価値で2000億円から7兆円とも言われる徳川家の威信を賭けた一大事業だったそうです。
絵画部門だって責任者は狩野探幽(かのうたんゆう)ですから。
その陽明門を支える12本の柱のうち、1本だけ逆さのものがあります。
それは満月が欠け行く運命であるように、形あるものは完成した瞬間から崩壊が始まるために、わざと不完全にして完成させない配慮だそうです。
なんて哲学的なんでしょう。深すぎる・・。
そして次々に現れる彫刻、彫刻、彫刻・・・その数5000体以上に上るそうです。
そして極彩色(ごくさいしき)の色、色、色・・・。
豪華絢爛、絢爛豪華。
それらの彫刻には意味がこめられているそうです。
表門をくぐってすぐ左手の神厩舎(しんきゅうしゃ)には有名な「見ざる、聞かざる、言わざる」があります。
これはよく言われる処世術ではなく、幼児期に悪いものを、見ない、話さない、聞かないという教育の重要性を説いているそうです。
武器を食べるとされる獏(ばく)は軍縮の象徴で、戦いのない平和を祈願してとのこと。
また子供の遊ぶ彫刻も多く、家光公は子供が安心して遊べる世の中こそ、天下泰平と考えていたからだと。
また有名な「眠り猫」は家康公の眠る奥社の入り口で番をしており、猫が眠るほど平和であるというメッセージだそうです。
さらにこの裏面にはすずめの彫刻があり、弱肉強食を否定して共存共栄の平和の象徴がここにも刻まれております。
拝殿の麒麟(きりん)と白沢(はくたく)は探幽の作とされ、善政のシンボルだそうです。
また彩色はぼかしをつかい、金箔を張って盛り上げて立体感を出しています。
原色の絵の具を混ぜ合わせないので、色の鮮度と明度が高くなるのは、西洋のルノワールなどの印象派が用いた技法と一緒ですね。
色は混ぜ合わせればあわせるほど、にごっていきますから、遠くから見たときにそれぞれの色が混じるように、混ぜ合わせない色で点状に描写したのが印象派です。
陽明門をくぐる手前の左手には「鳴き龍」でおなじみの本地堂があります。
そしてその家光は死後も家康公にお仕えすると遺言を残し、輪王寺に東照宮の方向に面して祀られております。
他にも日光には、中禅寺湖、いろは坂、華厳の滝、戦場ヶ原・・・と、とても日帰りでは回りきれません。
さすがに世界遺産に恥じない日本の宝だと思います。
まさしく「日光を見ずして、結構というなかれ」(これもオヤジギャグっぽいなあ)