医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

日本の宗教美

2006年02月11日 10時29分44秒 | Weblog
 今日は建国記念日

 キリスト教文化圏において、神父さまや牧師さまの果たす社会的道義の役割を耳にします。 

 例えば、夏休みに海に行けない子供たちのために、教会でチャリティやパーティーを開いて、市民が集い資金を用立てして、牧師様が連れて行ってあげる美談などを。 

 日本の宗教の代表格であるお寺の和尚さんや神社の神主さんでは、そのような奉仕や美談が聞こえてこないのは何でなのかな? 

 もちろん以前書いたように、そもそも仏教は個人の解脱や哲学に重きを置きますので、キリスト教とは違うといえばそれまでですが、日本では大乗仏教の流れを汲みますから、大きい乗り物、つまり小乗よりももっと衆生救済が強いはずなんですけれど。 

 例えばこの冬の雪をはじめ、いろんな被災地で困っている人たちに力を貸すべく派遣された○○宗派の若手僧侶たちの話を聞くでもないし 

 本当の社会的弱者への福祉に積極的な宗教家の話も聞きません。 

 こんにち一般市民である僕たちには、とっても失礼な話、お寺はお葬式だけ、結婚式や七五三、厄払いや初詣や夏祭りに神社、くらいしか馴染みがなくなってしまいましたよね? 

 また、昔は町のお坊さんが町を代表する偉い人であり知識人であり、よく町のみんなに説法をするお話とか、勉強を教えたり、町の悪ガキを木につるしてふんじばって教育したり、達筆の和尚さんに書を一筆したためてもらったり、保証人になってもらったり、進路の相談に行ったとか聞くじゃないですか?

 今そんな話聞きますか? 

 仏教は別に死者を弔う供養だけのものじゃないでしょ?

 でもほとんどの若者はそれだけだと思っていますよ、間違いなく。

 そんなんでいいのかなあ? 

 さらには、日本人には今やキリスト文化のイベント、例えばクリスマスや中にはハロウィンやらバレンタインまで、日本古来のイベントより完全に溶け込んでいますよね? 

 「エイメン」と神に誓ったことがない一般仏教徒が、結婚式ではバージンロードを歩いて、神に愛を誓っていますよね? 

 賛美歌を歌わされる僕は、いくら聖マリア幼稚園を出ていても、大変違和感をおぼえるのですが、そうでもない方も多いらしい。 

 最近ではクリスチャンではないお母様方でも子供の幼稚園を選ぶ際、クリスマス会があるからわざわざクリスチャン系を選ぶといいます。

 布教、広報という点では完全にキリスト教に軍配が上がりますな。なんで??

 日本で宗教というとなにやら怪しげな集団から、つぼを買わされたり、閉鎖的だが立派過ぎる建造物を各地に建立したり、あげく国家テロを行う武装集団まで。

 なんで?? 

 本当に困っている方への救済、宗教を必要としている方への真の宗教的支援がないからつけこまれてしまうし、自浄作用がないことが最大の原因ではないのでしょうか。 

 日本で宗教というとどうして色眼鏡で見なきゃいけないの?

 同じ仏教国タイでは、よく街なかをオレンジ色の袈裟を着た、修行中のお坊さんを見かけるじゃないですか?

 日常や一般市民に溶け込んでいると思うのですけど。

 日本だとまっとうな宗教も多いのに、宗教やってますと聞くと少し身構えてしまいますよね。

 そのような文化はとても正常とは思えませんよね。 

 僧侶や神官個々ではなく、統一機関とか集団の協会みたいなものの運営に何か問題はないのでしょうか?

 日本の住職の中でトップはどなたなのでしょうか?合点がいかぬのですよ。



 美術品にしても、西洋の宗教画や彫刻は世界的に有名です。

 日本の仏教美術品もいいものがたくさんあるし、曼荼羅などICチップのように美しいし、

 どうして目に触れる機会が国内にいても少ないのでしょうか?

 神社や寺院が市民の憩いの場になってはいけないのでしょうか?

 どうして子供たちが集まらないのでしょうか?

 日本にもとっても素晴しい神社仏閣の文化があるのに、さらにそれにちなんだイベントの日もあるのに、どういうわけか広報が下手で、うまく市民の生活に溶け込んでいませんよね?

 僕はこの間もお伊勢参りに行きましたが、今やとても国民が一生に一度は・・・というようなイベントになってはいないでしょ? 

 豊葦原も瑞穂の国も「どこそれ?」って感じだし、やたの鏡も広く知られているとは思いません。

 「神の国」発言が物議をかもしましたが、日本はなにも選ばれた国でもなんでもなく、ただ僕たち日本人は古代から深い信仰心が各人に根ざしているだけの話です。 

 外国人から「世界でもまれに見るholly place(聖地)だ」と称賛されるこの地は訪ねてみれば理解できます。 

 僕たち日本人が正しい知識を身につけなければ、隣国の誤解を解くこともできません。 

 せっかくの世界遺産の熊野古道や、霊峰月山もとても若者や女性に人気があるとは思えません。 

 大学時代出雲市に住んでいましたので、出雲大社にはよく出向きました。

 参道や神殿の奥の森の静けさと荘厳さは実際に訪れれば心に語りかけてくるものがあります。 

 しかし10月の神無月が出雲大社では神有月となるので見学に行きましたが、なんだかぱっとしなかったし、日本全国あるいは海外から旅行者が訪れているとも思えませんでした。 

 時代が変わったから、といってしまえばそれまでですが、日本文化の衰退を指をくわえてみていてもいいのでしょうか? 

 そこらへん、お偉い方たちはどう考えているのでしょうか?

 流派が多すぎ、内紛でそれどころではないのですか?

 それとも階級のため総本山への資金調達が大変なのでしょうか? 

 まさかお布施や戒名の相場の談合が忙しくて・・・まさかね。 

 でも自分の首を絞めていることにそろそろ若い僧侶や神主さんは気がついて、勇気を持って行動しないとやばいですよねえ。 

 いかがなのでしょうか?

 文化が埋もれて行ってもいいのでしょうか?

 神道側の理由はなんとなく理解しますが、でも日本の文化なのですからぜひとも自信を持って日本にアジアにそして世界に広報して欲しいと思います。 

 では和尚さんはどうなんですか?

 なんでなの??

 これって触れちゃいけない話題なのでしょうか?

 それとも僕のピントはずれな主張なの?? 

 でもね、日本人で4月8日が何の日か知っている人が一体どれだけいるでしょうか?

 頑張れ和尚さん、神主さん