【松尾貴史のちょっと違和感】:桂ざこばさん逝く 「兄弟船」を3回聞いた夜
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【松尾貴史のちょっと違和感】:桂ざこばさん逝く 「兄弟船」を3回聞いた夜
大好きな桂ざこばさんが亡くなった。
暴れん坊のような印象がありながら、彼ほど愛嬌(あいきょう)があって親しみやすい大先輩はなかなかいない。頻繁にお目にかかるわけではなかったけれども、私の中ではずっとそばにいたい人だった。
私が最初に所属した大阪の芸能事務所は、社長1人と社員1人という小さなところ。放っておいても仕事の発注が来るような事務所ではなく、頻繁に社長とあいさつ回りをしていた、というよりもさせられていた。ある時関西テレビへ行ったところ、ロビーで「大滝ちゃん(当時の社長の名)、何してんねんな」と声をかけてきたのが、ざこば(当時の桂朝丸)さんだった。旧知の仲らしい。「今こんなん売り込んでますねん」「へえ、ちょっと座ろ(お茶を飲もう)か」と、向かいの雑居ビルにある喫茶店に3人で入った。
「自分(君)、何がしたいねん」と、いきなり面接のような状態になった。「何でもやりたいです」「そんなんあかんで。ひとつに決めんと。言うといたるわ、自分、絶対売れへんわ」と、右も左もわからない私には途方に暮れるような宣告が下りてきた。「頑張ります……」と言うのが精いっぱいだった。
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元稿:毎日新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【松尾貴史のちょっと違和感】 2024年06月23日 02:10:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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