★チチカカ湖でまぐろを釣る★ En JAPON

ペルー・ボリビアから帰国しました。旅の模様を写真と一緒にアップしてます。
●◆最新更新日→2009年4月22日◆●

ウユニ塩湖に行ってきた!③最終日

2007年04月30日 | こんなとこ旅しました日記
朝5時に起床。
標高4000メートル近くの朝は体の芯から冷える。

なかなかジープのエンジンがかからなくて、ガイドのおっちゃんは一人外で何度もエンジンをかけ続けている。顔色が曇っていた。
そんな彼にアコは、「まだ?」「あと何分後?」とか聞きまくっていたのだけれど、それを親友のペルー人のハビエルは、「あんまり急かすような質問はしちゃダメだよ」とアコを笑顔で諭した。
このハビエルは、アコのボリビア人以上の毎度の遅刻(平均30分。遅くて一時間)にも怒ったり嫌な顔をしたことがない。更に、彼が他人の悪口を言っているところや、愚痴をこぼしているようなところも見たことがない。彼ほど、心が寛大な人間を、アコは今まで見たことがないといった感じ。
そんな彼を、今回の旅の同行者に選んで本当に良かった。


↑プーマのような形をした岩の前でプーマの真似をするハビエル。
29歳。好物はリャマと羊。

道なき道を暗闇のなか進む中、アコは爆睡。
起こされて気づいたころには、車の窓の外には、火山の墳口のようなボコボコと音をたてて沸き立っている地形が見えた。


↑本当に熱そう。

「100度以上あるからあんまり近づいちゃダメだよ」
という超シンプル且つ重大なアドバイスを残し、ガイドのおっちゃんはさっさと奥さんとそこらへんをブラブラ散歩していた。日本だったら考えられないようなアバウトなガイド。

次に向かったのは、「緑の湖」と呼ばれる大きな湖。そこには富士山のような美しい山が聳え立っていた。
日本語の出来るハビエルは即、「あれはまるで、モンターニャ(山)・フヒですね!!」と言った。「まるで富士山のようですね!」と言いたかったらしい。スペイン語では「J」の発音はハ行になるので、「フジ」も「フヒ」になる。とっても気が抜ける。


↑ふひ山。

その後ジープに乗って走り出し30分後くらいに、ガイドのおっちゃんが、「今、標高5000メートルにいるぞ!」と言った。もう、普段およそ4000メートルで暮らしているアコたちにとってはなんてことない。
ボリビアに来る前に、まさか自分が富士山よりも1000メートル以上高い場所で笑顔でいるなんて考えたことはなかった。


↑道中の景色とアコ。日本帰ったら、二段飛ばしで富士山の頂上まで行ってやろうと思う。

その次に着いたのは、なんと天然の温泉!水着を持ってきてなかったから足しか入れなかったけれど、適度な温度と、最高の眺めで、毎日通いたいくらいだった。唯一ハビエルだけがパンツ一丁で泳ぎだし、彼が我々の中で一番心地よい思いをしていたに違いない。


↑バスクリンでも入れたいような心地よさ。

午後からは、もう一直線で帰宅路線となった。ひたすら走り続ける。

途中、昼ごはんの休憩で寄った小さな村では、お年寄りたちがケチュア語を話していた。全く分からない。村の小さな小川では、飼われているのだろうリャマたちが水を飲み、草を食んでいる。ものすごく平和な光景だった。


↑桃源郷のような景色だった。

何度もリャマに接触すべく接近するのだが、彼らは実にゆっくりと、そして確実に我々と距離を置く。5秒以上目も合わせてくれない。


↑なかなか心を開いてくれないリャマ殿。

そのままジープは走り続け、終着点の町に着いたのは夕方6時。

アコたち4人はその町のホテルで少し休憩してから、深夜2時発の電車に乗って、さらにバスに乗り継ぎ、翌日の昼過ぎにラパスの我が家へと無事着いたのでした。

終わってみるとあっという間だった二泊三日の旅(往復も含めると四泊五日)。
普段、都会のラパスで生活している自分にとっては、改めてボリビアの壮大さと自然の偉大さを知る最高の機会だった。

ウユニ塩湖は雨季と乾季で景色も違うというので、また行ってみようと思う。

その日までに、フラミンゴと仲良くなる方法と、リャマと10秒以上目を合わせるコツをつかみたい。


↑塩で出来たリャマ。これで練習しようと思う。



ウユニ塩湖に行ってきた!②

2007年04月29日 | こんなとこ旅しました日記
昨晩は塩のホテルに皆で泊まった。
塩で出来たベッドで眠り、塩で出来た家の中で、塩で出来たイスに座り、塩で出来たテーブルの上で、塩を食べる・・・。
最後のは嘘として、でも実際にテーブル舐めてみたらしょっぱかった。当たり前か。


↑塩のホテルとはこんな感じなり。マジで塩。

それにしても、今回のツアーには、アコたち4人(アコ、同期のヒサとノン、ペルー人のハビエル)以外に、スペイン語を解さないアイルランド人が二人ツアー客として同行しているのだけれど、彼らとの会話が全くはずまない。

アコたち日本人三名は、以前英語を使って世界各地を旅したこともあって英語には慣れっこ・・と言いたいところなのだけれど、所詮第二言語、スペイン語生活ですっかり英語は脳みそから抜け落ちていた。
英語を話そうにも、すぐにスペイン語が混じる。
例えば・・・
「I am voluntaria de JICA. I came to Bolivia en enero. Hace 4 meces.」
(私はジャイカボランティアです。ボリビアには一月に来ました。もう四ヶ月になります)

今の自分にとっては、スペイン語を話すのに、20%くらいの脳みそを使うとしたら、英語には100%脳みそフル稼働させないと話せない。去年の今頃、メキシコでスペイン語を話せず英語ばかり話してた自分が信じられない。

こんな調子だから、だんだんと英語を話す気力も失せた。

早朝6時にアコたちのジープは出発。
めちゃくちゃ寒いので、毛布も一緒に。


↑気持ちも安らぐような朝焼け


↑このジープが旅のお供。

まずは、見渡す限り、不毛の地であり、様々な形の岩石が並ぶ標高4000メートル近くの場所へ。男のヒサとハビエルは、10メートル近くもある岩石に登ったりしていた。
ボリビアに、こんなに広大な岩石が並ぶ地があるとは。遠くに見える山々も美しかった。


↑ハビエルはいとも簡単にするすると岩石に登る。
遠くに見える山がきれい☆

次に行ったのは、「ラグーナ・コロラダ」という、真っ赤な湖。なぜ真っ赤なのかというと、微生物のせいらしい。


↑マジで赤い。



そしてそこに群がるピンク色の野生のフラミンゴ。まさかボリビアの、しかもこんな高地で野生フラミンゴが生息してるとは思わなかった。
我々は、フラミンゴに接触すべく何度もフラミンゴの真似をして(片足&泣き声)接近を試みるも、全て失敗。


↑彼らと戯れることの出来る日は来るのだろうか。

今回の旅では、ほぼ全行程が道なき道を行く、といった感じの広大な地をひたすらジープで進むといった感じで、観光スポットで車から降りる以外がずっとジープの中だった。何せ、東京から仙台間をぶっ飛ばしてる距離なので、必然的に移動時間が多い。



しかし、車窓からは野生のリャマ、ビクーニャがたくさん見ることができ、そして壮大なボリビアの自然の美しさとで、全く飽きることはなかった。


↑こういう風景が続く。接触したい野望は膨らむばかり。


↑旅の途中で遭遇したビクーニャの赤ちゃん。群れから離れてしまったらしい。大きな目がめちゃくちゃ可愛い!

この日の夜は、何にもない広大な僻地にポツンと立つ平屋のホテルに泊まった。

何にもない場所なので、ホテルの売店でコーラとラムを買って皆で飲みつつトランプをしたり。夕食は、ガイドの奥さんが作ってくれたスパゲティ。美味しい。

この日もまた満天の星空だった。


ウユニ塩湖に行ってきた!①

2007年04月28日 | こんなとこ旅しました日記
ラパス夜7時発の夜行バスに乗り、同期のヒサ、ノン、ペルー人の親友ハビエルと計4人で、ボリビアの数ある観光名所でも有名な『ウユニ塩湖』に行って来た!

翌朝に着いたウユニという小さな町は、塩の生産と観光だけがメインの町。
ここで、塩湖出発までに食べ物の調達、ツアーの申し込み、そして腹ごしらえをした。


↑旅前に腹ごしらえで食べたリャマ肉を使った『フリカセ』というボリビア料理。リャマ達よゴメンヨ・・・。

今回のツアーは、二泊三日の旅。宿泊、全食事、飲み物、全行程のジープ含めて60ドル。アコたちにとってはまあまあな値段だけれど、月収入が一万円の地元ボリビア人が、ウユニ塩湖に行ったことない人が多いのも分かる気がする。

トヨタ製のジープには、ツアーガイドのおっちゃんと、料理支度をしてくれるその奥さんと、アコたち4人以外に、二人のアイルランド人がいた。
彼らはスペイン語が出来ず、よって、ツアーガイドのおっちゃんが言っていることも理解していない。ここ南米では、本当に英語の存在が小さく見える。

まずアコたちが向かったのは、↓こんな所。


↑チリに買収されてしまったボリビアの鉄道。今は残骸だけが残る。ツアーのおっちゃんも、「ここは鉄道の墓場だ」と言ってた。ちょっと切ない。

それからまたジープで走ること30分ほど。
だんだんと目の前に迫ってくる真っ白な世界。
それがウユニ塩湖だった!



↑ついに来たウユニ塩湖!みんなでジャーンプ!!


↑塩湖にたたずむリャマ。アンデス!って感じ。


ここは標高約3,700m。ウユニ塩湖とは、南北約100km、東西約250km、面積約12,000km²の広大な塩の固まり。塩湖の中央付近で回りを見渡すと視界の限り真っ白の平地であり、寒冷な気候もあって、雪原の直中にいるような錯覚をおこす。
これはもう絶対に人生に一度は来るべきとこだと思った!


↑塩で出来たテーブルとイスの上で、塩をなめてみる。超しょっぱい。


↑これまた塩で出来たアルマジロと、その剥製。


↑これが有名な『塩のホテル』。ベットかた柱から何から何まで塩で出来てる。

ウユニ塩湖をそのままジープで走ると、次に魚の形をした島に到着。
真っ白な塩湖に浮かぶ、サボテンだらけの島のコントラストは、とっても不思議だった。


↑塩湖に浮かぶ『魚の島』といわれる島。本当に魚の形をしている。島にはサボテンがたっくさん!


↑ウユニ塩湖は日光が超強いので、こんな感じで完全防備。サングラスは欠かせません。


↑ハビエルを食べるノン。


↑塩湖に寝転ぶハビエル。気持ちよさそう。


↑見渡す限り360度真っ白な世界。

この日の夜は、他のツアー旅行者も一緒に、塩のホテルに泊まった。
トイレもシャワーも簡素で、何にもない僻地なんだけれど、夜には満天の星空で、世界の端っこに来たような感覚は本当に不思議で初めての感覚だった。

まぐろがクラスに来た!

2007年04月26日 | 協力隊としてのお仕事日記
今日は午前の仕事の後、同じラパス隊員の、ヒサとノンと一緒に韓国料理でお昼ご飯を食べた。

アコが事前になんの連絡も無しに、まぐろを抱いて店に入ると、それを目にしたヒサは突然に恍惚とした表情をし、まぐろを溺愛してくれた。動物好きの人は見ていて楽しい。


↑同じラパス隊員のヒサ。コンピューター隊員。毎日パソコンとおしゃべりしている。


↑ノンと一緒に。ここ韓国料理レストランは我らの憩いの場でもある。

ボリビアでは、犬連れてレストランに入っても、何も言われないばかりか、店員さんも可愛がってくれるから嬉しい。

アコは牛肉の入った美味しいスープとご飯のセットを注文したものの、お腹の減っていたまぐろを見過ごすわけにもいかず、気づいたら全部のお肉をあげていた。結果、アコの今日のお昼ご飯は、牛肉の入っていた(←過去形)スープとご飯、となった。親心とはきっとこういうものなのだろう。

午後の仕事には、ノンが仕事見学に同行した。ノンは普段、チチカカ湖近くで、鱒の養殖や販売促進という、何とも美味しい仕事をしている。実際、彼女が以前くれた鱒の燻製やイクラは絶品だった。そんな彼女は、やはり仕事柄か、アコの生徒たちに会って数分後には「どのくらいの頻度でお魚食べてる?」とマーケティング・リサーチを欠かさなかった。

まぐろを仕事先に連れて行ったのは今日が初めて。会う人会う人、皆がまぐろを「可愛い!」と撫で撫でしてくれる。

午後クラスには、子どもたちが4人いた。はっきり言って少ないが、ここの施設はあまり子どもが来ないらしいので気にしない。

今日の子どもたちも初めてのクラスだったので、アコとノンがまず自己紹介し、それから日本文化グッズを出しながら日本の紹介。
途中、何かを聞きつけて、隣のクラスから先生が飛び込んできて、着物の試着をせがまれ、さらには記念写真も。ボリビアの授業とはこんなものだ。緊張感とはかけ離れている。


↑こんな調子。


↑授業中もまぐろがうろうろ。

新聞紙を使った折り紙で、犬の顔(動くやつ)を皆で作り、それから色鉛筆で顔を書き、今日のクラスはとても満足に終わった。


↑まぐろを抱く子どもたち。

帰りのバスの中でまぐろは疲労困憊と言った様子で寝てた。子どもたちに半ばおもちゃのように可愛がられて疲れたのだろう。

その後、まぐろを初めてアコの部屋に連れてきた。



アコのお気に入り人形のキリンとアヒルに食いついたまぐろだが、もう何やっても可愛いくて仕方ない。廊下でおしっこもしてやってくれたが、うんちを部屋の中でしなかったので、褒めてあげた。





そんな感じで今日はまぐろとほぼ一日中ずっと一緒にいられて、本当に幸せだった。





翌朝、ベットの下に、まぐろのウ○コが転がっていた。

第一号報告書

2007年04月25日 | ボリビア日記
今日は仕事が午前で終了したので、お昼から、普段使わない脳みそをフル起動させて、JICAに提出する『一号報告書』を作成した。

全協力隊員は、二年間の派遣期間中に、全5回の報告書をJICAに提出しなければならない。この報告書は、JICAの全職員スタッフ、在ボ日本大使館、日本のJICA関係者にも広く公開されることになっていて、いつものテキトー主義は発揮できない。

珍しく、アコの集中力は3時間も持続し、何とか終わらせることが出来た。そのまま家の近くのJICA事務所に出向き、担当調整員から「提出日まだなのに早くて良いわねえ」のお褒めの言葉を頂戴し、気分をよくしながらバスでまぐろの待つペルー人宅へ向かう。

しかし、夕方の帰宅ラッシュに巻き込まれ、いつもなら10分で行ける距離を30分以上かかった。しかも、あまりにもバスが動かないから途中下車して歩いたし!

なかなか辿り着かない中、アコの頭の中はまぐろで一杯だった。
今はもう夕方の5時・・・。
ペルー人兄弟も朝から仕事だし、まぐろは一人でどうしているのだろうか、お水はちゃんと不足なく用意されているだろうか、お肉の骨を喉につまらせてないだろうか・・・。

ようやくペルー人兄弟宅に着き、もらった合鍵でドアを開けると、そこには小さくて可愛いまぐろが精一杯しっぽを振ってアコを待っていた。
そして、様々な箇所にやってのけてくれたウ○コも、アコを待っていた。

まぐろを撫で撫でしながらも、至るところに転がったウ○コを拾い、その後まぐろと一緒にチキンを買って二人で食べた。まぐろのお尻にまだウ○コが付いていようが、もう何でも可愛いので、食欲は落ちることは無い。

こんな感じで、アコとまぐろの日々は和やかに過ぎていっている。

まぐろとの二年間という限られた期間を考えると、ウ○コ拾いも何かとても輝いた時間に思える。


↑リャマと格闘するまぐろ

おばあちゃんの達筆文字が目に染みた日。

2007年04月20日 | 想うことあれこれ・・・日記
今日は初めての施設へ。しかし、やる気とは反面に午前には子ども達は二人しか来なかった。

ここの施設は、先々月に教師たちが全員入れ替わったらしい(人間関係が原因と聞く)けれども、それが影響してなのか、子どもたちの人数が圧倒的に減ったらしい。ここの施設に来ない間子どもたちは何をしているかというと、学校が無い時間は(ボリビアは午前か午後しか学校がない)家の手伝いをしたり宿題をしたり子守りをしたりしているという。

日本の小学生の全授業時間数と、ここの子どもたちのそれとを比べると、圧倒的に差があり、延いてはそれがボリビアの抱える『貧困問題』をいつまでも助長させる一因となっていることは想像に難くない。

生徒が二人とはいえ、せっかく来てくれたのだし、先生も一緒に、日本の文化紹介のクラスをすることにした。
みんなでこじんまりだけれどもおしゃべりしながら、日本の習慣、食文化、日本の文字、宗教などなどを、ボリビアと比較しながら紹介。持ってきていた提灯、着物、お箸、ミニ雛人形、ミニ大仏、下駄は、いつもの通りすごく好評☆

新聞紙を使って折り紙の『ツル』を教えていたところ、先日クラスで教えた子ども達が10人くらい、わああああああ~~~っとやってきた。皆口々に、「アコアコアコーーー!」と抱きついてくる。こういう瞬間、「青少年活動」という職種で来たことを嬉しく思う。

今日の仕事は午前で終了。帰り道の途中でメルカド(市場)に寄り、古着で可愛いのを見つけたから購入。その後歩いていると、気分がだんだんと悪くなり、吐き気もしてきて、もう歩くことが出来なくなった。急いで帰ろうと思い、バスに乗るも、すぐにもう倒れそうになってバスに乗り続けることが出来ず、タクシーへ。

家に帰って熱を測ると、なんと38℃。
ボリビアに来てから、月一くらいで、こういった突然の発熱がある。一体何が原因なんだろう??

今日は、お昼からずっと夜まで寝た。

日本から届いたおばあちゃん直筆の手紙と、お箸の袋に折ったお雛様が、こういう体が弱った今、とても目に染みる。

おばあちゃんの字があまりにも達筆すぎて、アコのこっち来て低下した日本語能力と今の高熱状態では、時たま読めない箇所がいくつもあったのだけれど、これはおばあちゃんには内緒にしておこうと思う。


↑日本語勉強中のペルー人の友達もお手上げのおばあちゃんの文字。


↑お箸の袋に付けた折り紙で折った雛人形。
あこよりか、おばあちゃんの方がよっぱど協力隊で活躍出来る気がする。

【玉】疑惑

2007年04月19日 | ボリビア日記
最近気になることがある。

アコと友達のペルー人兄弟は、『オス』のまぐろを買ったはずで、売っていたオヤジも「こいつはマッチョ(オス)だ!」と言っていたのだけれど、どう見ても,
どう探してみても、まぐろに【玉】がない。

アコがペルー人の親友に「どうしてまぐろはオスなのに【玉】がないの?」と聞くと、
「心配しなくていいよ。そのうち出てくるから」と言う。

そういうものなのか?

確かチャムは生後3ヶ月の時点で既に【玉】はあったはずなのだが、ここボリビアの犬の【玉】は、こうものんびり成長するものなのだろうか??

まぐろが実は「オカマ」なんじゃないかと、親心的にちょっと心配している。


こんなに一日中【玉】について考えたのは今日が人生で初めてだった。


↑証拠写真

まぐろを洗った

2007年04月18日 | ボリビア日記
まぐろの人生初となるであろう、シャワーを試みた。


↑何もしらずにシャワー室の前でくつろぐまぐろ。

小さな桶に、生ぬるいお湯を溜めて、まぐろをシャンプーで洗う。
この時点ではまだ「くーん、くーん」と鳴いているだけだったのだけれど、シャワーですすぎ始めると、それが「キャンキャンキャンキャン!!!!!!」となり、聞いているこっちが申し訳なくなるような有様。


↑「よくも・・・」とでも言いたそうなまぐろ。

早めに終えて、大きなバスタオルでまぐろを包む。

ベットの上でブルブル震えながら、まぐろは疲れきったのか、寝てしまっていた。
そしてそれを横になりながら見ていたアコも気がついたら爆睡。


↑熟睡。でもずっと震えていた。ごめんよ、まぐろ。


1時間ほどしてから、まぐろを連れて近くのサンフランシスコ寺院にお散歩。
すぐさま、小さな子どもが寄ってきて、「なんてかわいい!!」って可愛がり始めた。

「名前はなに?」と聞くから、
「日本語で、まぐろっていうの。スペイン語で、Atun(鮪)って意味だよ」と答えると、
「へんなのー!」と言っていた。

それからまた他の青年もまぐろに近づいてきた。
また名前を聞かれたから「まぐろだよ。スペイン語で鮪って意味」と答えると、
「可愛そうに・・・」と。

どうやらボリビア人には、犬に魚の名前を付けるセンスは伝わらないらしい。


今日はこの後も、一日中ずっとまぐろといた。
まぐろと道を歩くと、たくさんの人が「なんて可愛い!」と声をかけてくる。

まぐろのお尻にずっとう○ちが付いてたけど、そんなの気にならないほど、アコは今まぐろを溺愛している。


つけた名前は・・・・・

2007年04月16日 | ボリビア日記
名前をつける、というのは、とても時間がかかり気を張る仕事だと思っていた。

でもそれは違った。
一瞬だった。
「コレしかない!」と即決。

こんなに白くて可愛い愛すべき存在に付けた名。


『鮪』

「まぐろ」と読む。

まだ命名して初日なので、「まぐろ!」と呼んでもちっとも振り向いてくれないけれど、たぶん気に入ってくれると思う。

今夜は何回も「まぐりーと!」(←スペイン語での名前を可愛い愛称で呼ぶとこうなる)って呼んであげた。
すっかり親バカ気分爆発気味。
可愛くってしょうがない。

見ていて美味しい、醤油味の似合う、そんな脂ののった大和魂を感じさせるような子(犬)に育って欲しい。


↑命名の儀式。


↑食事中はテーブルの下でこんな風に待ってる。


↑まぐろとぬいぐるみ。仲良し。


↑親バカ

ついにペロりました!!

2007年04月15日 | ボリビア日記
今日は、待ちに待った、PERRO(ペロ・・犬という意味)を、親友のハビエルとその妹のシェイラ(二人ともペルー人)と一緒に買う日だった。

朝8時には犬市場に着いていなくてはいけないと言われていたから、朝7時に彼らの家に着いたら、シェイラは爆睡中。

結局、お兄さんが朝食を作ってくれたりしたから、家を出たのは9時。

10時に犬市場に着くと、前回よりもたくさんのペロ達(犬)がいた。






↑こんな感じ。

可愛い子犬たちがいる中、目を合わせても絶対その視線を反らす子犬がいた。
切なそうなそうなその目は、本当に切ないのかお腹がただ減ってるだけなのか見分けるのは難しかった。
鼻は中途半端に黒とピンクが混じっている。

彼の「値段」は90ボリビアーノス。約1500円。
「持ってってよ!可愛いでしょ!」と、叩き売り状態だった。

しばらく他の子犬たちを物色した我らは、またその切ない目をした子犬売り場へ行った。また視線を反らされた。しかも彼の値段は80ボリビアーノスに値下げされていた。

あんまりにも視線を反らす、その切ない顔に、もうたまらなくなり、「この子にしよう!」とアコの一言。
ハビエルとシェイラも、なんだかんだ言って気に入ってたみたいだった。


帰り道に寄ったレストランで、彼(子犬)にお肉をちょっとあげたら、目をかっぴらいてむさぼりついた。お腹減ってたのね・・・・。


↑シェイラと。

夕方からアコは仕事先の「La fiesta de dia del niño」という子どもの日のお祭りのために途中で彼らに子犬を託して一人抜けた。

夜、また彼らの家に行ったら、子犬がオムツをしてて、その姿があまりにも可愛くてマヌケすぎて、一気に愛情が湧いてきた。

親心とはこういうのを言うのだろう。


↑帰りのバスで爆睡。寝顔が可愛い☆


こんな土曜日も有り。

2007年04月14日 | ボリビア日記
目が覚めたら午後の12時半だった。

ママと軽くお昼ごはんを食べて、ちょっとまた眠くなってきたから横になってたら、次に目が覚めたら夜の7時だった。

この時点で、「今日」という日をまだ2時間しか生かしていない。


夜にハビエルと一緒に夕ご飯を食べて、大統領のエボ・モラレスが住んでる家が向かいにある公園で明日の「犬購入計画」をたてた。


↑ここに住んでる。


↑エボ宅の隣にある教会。ライトアップがきれい。

ここラパスは、大統領も副大統領もみな近くに住んでるので、なんかあまり有り難味が無い。

その後ハビエルの家に行って、妹のシェイラとお兄さんのエドガーも一緒に、皆で「母を訪ねて三千里」を見て皆で泣いた。

こういう土曜日の過ごし方もいいと思う。

貧富の差とは

2007年04月13日 | 想うことあれこれ・・・日記
今日は、ラパスよりもさらに標高の低いお金持ちエリアにあるインターナショナル・スクールの「子どもの日フェスティバル」のお手伝いに同僚と行ってきた。
日本大使館の人から直々に頼まれての仕事だった。

着いたそこには、普段見ないような青々と茂った芝生と、キレイな花々と噴水があり、ボリビアの雰囲気は全く感じられなかった。
スペイン語以上に、英語が飛び交う。
白人系の顔ばかり。



ここのスクールは、ボリビア一授業料が高く、月900ドル(10万円以上)だという。
ちなみにアコが普段働いている施設の子たちは、月20ボリビアーノス(300円)。

ここの子たちの親はほとんどが各国大使館や援助機関で働いており、故に子どもたちはボリビア人でない子がほとんど。
ヨーロッパ、アジア、アメリカ系など・・・・。

だからボリビア人らしいインディヘナの顔を見かけない。
たまに見つけても、それは連れてこられたお手伝いさんか運転手だったりする。



今日は子どもたちが自分らの国の伝統的な服を着て踊り、そして親たちが用意した各国の紹介ブースを周る、というフィエスタだった。

アコと同僚は、日本ブースの折り紙コーナーを担当。
予想以上に好評で、ひっきりなしに子どもたちが来た。
「折り紙隊員」の名も身に染み付いたもんだ。


↑日本ブースにあった日本食。


↑アメリカブース。アメリカの子たちは、伝統衣装が無いから普通の服着てておもしろかった(笑)


↑ペルーブース。黄色の「インカ・コーラ」が試飲できる。

同僚は、このフィエスタをとても楽しんでいたようだけれど、アコは一人この青空の下、気分は暗かった。

なんか、まざまざと、『貧富の差』を見たようで。

いつもの仕事場の子どもたちはボロボロの服着て食べ物にも困ってて海外にも援助をもらってるけど、ここの子たちはそういう現実を知ってるのだろうか?
ここのお金持ち地区から出たことはあるのだろうか?

彼らに罪は全くないけれど、現実にあるこの『貧富の差』というのは、すごくやるせない気分になる・・・。


↑最後のダンス。この衣装に一体どれだけの費用が?とか、つい考えてしまう・・。


夜は、先々週に来ボした後輩たちの歓迎会。
アコたちの隊次だってまだ3ヶ月しか経ってないのに、もう「先輩」としての身分をしょうのかと思うと、まだ心の準備が出来てなくてちょっと焦ってしまう。


↑後輩のみんな。とっても元気☆

その後は後輩たちを引き連れて、皆で近くのBAR行ってビール飲んで踊った。

上下の関係なんか無視して、楽しく付き合っていきたい。


↑日本での訓練時代のスペイン語先生が一緒だった後輩たちと。


それにしても今日は精神的に疲れた・・・・。

こういう「貧富の差」を見慣れてしまいたくはないけれど、もっと強い心と思考力を持たないと、ここボリビアではやってけないかも。。。

ボリビア流 子どもの日

2007年04月12日 | ボリビアの文化・食べ物・伝統など
ボリビアにはいくつもの「~の日」があるのだけど、今日は「子どもの日」であった。

朝から道には仮装した子どもが目につく。

アコにも、仕事先からのパーティーのお誘いが来たので、同僚とボリビア人の友達を誘って3人で向かった。

ちなみにこのパーティー開始時間は夕方6時。


いつもはちょっとダルそうな顔した子も、今日はすごく嬉しそうに踊り、いつも超元気な子は、今日はマックス最高潮にはしゃいでいた。

パーティーと言っても、相手が子どもだけにもちろんお酒はない。

ひたすらいろんなゲームで遊んで、途中ケーキを食べたり、踊ったり。

でも、個人的にアコはこの子どもパーティーがすごく気にいった!
純粋に皆楽しんでるし、お酒ないから酔っ払いもいないし!


↑途中で同僚が「パネルシアター」という劇をやった。


↑それを真剣な眼差しで見る子どもたち

面白いと思ったのは、あるゲームでスプーンの上に乗せたものを落とさずに、誰が一番早く走って戻ってこれるか、というのがあったのだけど、以前アコが日本で見たのは卵を乗せていた。けど、さすがここアンデスのボリビアでは、じゃがいもであった。



それと、子どもの日名物の「ピニャータ」というものがある。
これは、紙で出来た動物やなんかの形をした箱の中に、おもちゃやお菓子が入っていて、それを天井からぶら下げて、子どもたちに割らせて取らせるというもの。

しかし今日のピニャータを割ってみると・・・





↑中は小麦粉だった!!


子どもパーティーだというのに、結局、終わったのは夜11時過ぎ。
でも、ボリビアの文化をちょっとでも垣間見れた気分で、とっても楽しい時間であった。



↑疲れてしまって棚の隙間で休憩をとる子ども。

お気に入りを紹介!

2007年04月11日 | ボリビア日記
最近見つけたお気に入り。



↑路上のフルーツジュース屋さん。
3ボリ(45円)で新鮮で美味しいフルーツジュースがたくさん飲める!
JICAは「路上で食うな」と言うけれど、以外に本当に美味しいものってこういう日常生活の何気ないとこにあるもんだ。



↑近所にある丘のプラサ(公園)。古く歴史があり、入り口にあるこの門は幻想的に美しい。



↑その公園内にある噴水。これまたライトアップが最高。

そして最後は、



↑通称「シェイラ飯」!!

最近はやたらとペルー人の親友宅でまったりすることが多く、ここのハビエル(29歳)、妹シェイラ(22歳)、お兄さんのエドガー(35歳)と夕食を週に何度か一緒にとっている。ていうか、ご馳走になっている。

今日はチチカカ湖でとれた「トゥルーチャ」という鱒を使って、シェイラが夕食を作ってくれた。

いつも夕食は一人だから、こうしてみんなで囲めるご飯はすごく美味しい!

それに、こうしてご飯を一緒に出来る家族みたいな親友が出来て、アコは本当に幸せだ!

今日の子どもとの会話

2007年04月09日 | ボリビア日記
あ 「こないだここに連れてきたネズミは元気?」

子 「あ~、あれ、もういないよ」

あ 「逃げちゃった?」

子 「食べちゃった!!」

あ 「え!」

子 「すごいおいしかった!」


あんなに「可愛い可愛い」って言ってたのに、やっぱり人の食欲とは残酷なものなんだな。

先週このブログに載せた彼(ネズミ)の写真は、遺影となったんでした。