(12月1日の日記)
前回の日記の続き。
常夏サンタクルスにある、アンボロ国立公園という名のジャングルへ、同期隊員の女3人で行って参りました。
↑
この木の中には空洞があって、、、
↑
中から覗くとこんな感じ。秘密基地みたい。
↑
蛇のたまごも発見。温かかった。
もともと自然や動物・昆虫が大好きな自分。
エコ・レンジャーや、インタープリターも、将来やりたい仕事のひとつ。
なのに
狂暴な蟻に噛まれ、巨大ゲジゲジに怯え、鬱蒼と生い茂るジャングルの森を歩くことに心地よさなんて感じられなかった自分。
自然には危険も満ちてていろんな面があるからこそ探検のしがいがあるってもんなのに。
「あれ、自然が大好きじゃなかったんだっけ?」と自問自答。
個人的にとても衝撃的だったこと。
それは、こんなジャングルに、なんと高地に住んでる先住民インディヘナの格好をした人が住んでいたということ。自分の住んでる高地ラパスで毎日のように目にする先住民アイマラ系の民族スカートや、アワヨといった布をこんなジャングルで目にするなんて。
しかも、確実に電気も水道もなければ、こんなジャングルの中で蚊や猛獣もいるというのに、どうやって暮らしているんだろう。
ここサンタクルス県は、国内最大の農業県であるというのは聞いていたから、たくさんの出稼ぎが来るだろうことは想像出来るし、耳にもしていた。
でも、聞くのと実際見るのとでは、衝撃が違うんだな。
なんでも、毎年、何万という人が、アンデス高地(自分の住んでるラパス、その他ポトシやオルロなど)から出稼ぎ労働者として来るみたい。
そしてさらにその多くの人々が、労働契約者の偽りの言葉に騙され、労働現場である農地での安全な水や、トイレ、教育や医療などへのアクセス環境がない環境で暮らさざるおえない状況を強いられるという。さらには、低地サンタクルスの人々から高地先住民系の人々に向けられる蔑視や差別・・。
お金を払って、ガイドを雇い、帽子かぶってちゃんとした靴を履き、そんな重装備な格好しながら、蟻やゲジゲジに怯えて、嗚呼、なんて自分は小さいんだろう。。
普段いつも食べているバナナが、どんな人々の手で、どんな道を辿り、どれだけの汗と共に、どんな複雑な思いを込められて運ばれてくるのか。
きれいに飾られたパフェに付いてるバナナにも、一体どんな道のりが、どんなドラマがあったのか。
世界の裏には知らなきゃいけないことがまだまだたくさんある。
前回の日記の続き。
常夏サンタクルスにある、アンボロ国立公園という名のジャングルへ、同期隊員の女3人で行って参りました。
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この木の中には空洞があって、、、
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中から覗くとこんな感じ。秘密基地みたい。
↑
蛇のたまごも発見。温かかった。
もともと自然や動物・昆虫が大好きな自分。
エコ・レンジャーや、インタープリターも、将来やりたい仕事のひとつ。
なのに
狂暴な蟻に噛まれ、巨大ゲジゲジに怯え、鬱蒼と生い茂るジャングルの森を歩くことに心地よさなんて感じられなかった自分。
自然には危険も満ちてていろんな面があるからこそ探検のしがいがあるってもんなのに。
「あれ、自然が大好きじゃなかったんだっけ?」と自問自答。
個人的にとても衝撃的だったこと。
それは、こんなジャングルに、なんと高地に住んでる先住民インディヘナの格好をした人が住んでいたということ。自分の住んでる高地ラパスで毎日のように目にする先住民アイマラ系の民族スカートや、アワヨといった布をこんなジャングルで目にするなんて。
しかも、確実に電気も水道もなければ、こんなジャングルの中で蚊や猛獣もいるというのに、どうやって暮らしているんだろう。
ここサンタクルス県は、国内最大の農業県であるというのは聞いていたから、たくさんの出稼ぎが来るだろうことは想像出来るし、耳にもしていた。
でも、聞くのと実際見るのとでは、衝撃が違うんだな。
なんでも、毎年、何万という人が、アンデス高地(自分の住んでるラパス、その他ポトシやオルロなど)から出稼ぎ労働者として来るみたい。
そしてさらにその多くの人々が、労働契約者の偽りの言葉に騙され、労働現場である農地での安全な水や、トイレ、教育や医療などへのアクセス環境がない環境で暮らさざるおえない状況を強いられるという。さらには、低地サンタクルスの人々から高地先住民系の人々に向けられる蔑視や差別・・。
お金を払って、ガイドを雇い、帽子かぶってちゃんとした靴を履き、そんな重装備な格好しながら、蟻やゲジゲジに怯えて、嗚呼、なんて自分は小さいんだろう。。
普段いつも食べているバナナが、どんな人々の手で、どんな道を辿り、どれだけの汗と共に、どんな複雑な思いを込められて運ばれてくるのか。
きれいに飾られたパフェに付いてるバナナにも、一体どんな道のりが、どんなドラマがあったのか。
世界の裏には知らなきゃいけないことがまだまだたくさんある。
(11月30日の日記)
前回の日記に引き続き、ボリビア常夏サンタクルス地方にあるブエナ・ビスタ(素晴らしい眺めという意味)を訪れたときの様子を写真付きで。
↑
「ブエナ・ビスタ=素晴らしい眺め」という名前の町だけあって、眼前には青々としたジャングルの樹海が美しい。
同じ樹海でも日本の青木ヶ原樹海のような鬱蒼としたイメージは皆無。
↑
今回友人らと泊まったロッジの中庭。
虫の死骸が浮かびまくるプール
↑
部屋はきれい。クーラーもある。
でもカエルもいる。
↑
この町を散策。ブエナ・ビスタの町は美しい。
↑
教会も美しい。
↑
教会内に侵入
↑
すごい歴史がありそうな銀の宝の数々も展示。
↑
道を歩けば無数に落ちまくってるマンゴーが。
↑
それを撮影する日本人女子
↑
たくさん。こんな光景、日本人としてはうらやましい。
てかこの写真撮った直後に蟻に刺された。
↑
ジャングルに沈む夕日を眺めながら飲むために買ったスプライトは、なんと『水』だった。店の女主人に騙された。ボリビアを心底嫌いになった瞬間だった。
左は、満たされなかった喉の渇きを癒すために買ったコーラ。くやしすぎる。
↑
なんかカビみたいのが浮いた水の入ったスプライトを前に、「てか飲んじゃったし!」「あの店のババア!まじムカつく!」とかギャーギャー女3人でわめいていたら、肝心の夕日は既に暮れかけていた。
汚水の入ったスプライトを公然と売るような人間がいる国。
それがボリビアです。
前回の日記に引き続き、ボリビア常夏サンタクルス地方にあるブエナ・ビスタ(素晴らしい眺めという意味)を訪れたときの様子を写真付きで。
↑
「ブエナ・ビスタ=素晴らしい眺め」という名前の町だけあって、眼前には青々としたジャングルの樹海が美しい。
同じ樹海でも日本の青木ヶ原樹海のような鬱蒼としたイメージは皆無。
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今回友人らと泊まったロッジの中庭。
虫の死骸が浮かびまくるプール
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部屋はきれい。クーラーもある。
でもカエルもいる。
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この町を散策。ブエナ・ビスタの町は美しい。
↑
教会も美しい。
↑
教会内に侵入
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すごい歴史がありそうな銀の宝の数々も展示。
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道を歩けば無数に落ちまくってるマンゴーが。
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それを撮影する日本人女子
↑
たくさん。こんな光景、日本人としてはうらやましい。
てかこの写真撮った直後に蟻に刺された。
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ジャングルに沈む夕日を眺めながら飲むために買ったスプライトは、なんと『水』だった。店の女主人に騙された。ボリビアを心底嫌いになった瞬間だった。
左は、満たされなかった喉の渇きを癒すために買ったコーラ。くやしすぎる。
↑
なんかカビみたいのが浮いた水の入ったスプライトを前に、「てか飲んじゃったし!」「あの店のババア!まじムカつく!」とかギャーギャー女3人でわめいていたら、肝心の夕日は既に暮れかけていた。
汚水の入ったスプライトを公然と売るような人間がいる国。
それがボリビアです。
(11月30日の日記)
DELE(スペイン語試験)を受けに行ったついでに、ボリビアの常夏サンタクルスを隊員友達と旅行してきました。
サンタクルスからほど近い、BUENA VISTA(ブエナ・ビスタ)という小さな町へ。
BUENA VISTA=素晴らしい眺め、とはよく言ったもので、町も眺めも本当に綺麗だった。
(そんな町を一瞬にして大嫌いになったその詳細はこの次のブログ日記にて)
この町はコーヒーの産地。
てことで、女4人、コーヒー工場見学へ。
ボリビアは、年間生産量10万袋前後で、世界で生産される量の0.1%にも満たないほど、希少なコーヒーの産地なんだそう。
個人的にコーヒーはそんなに好きでもないし、一生飲まなくてもやっていけるほどなんだけど、そんなコーヒー味おんちの自分でも、市場や安い一般的な食堂で出てくるボリビアのコーヒーのまずさは「如何なものか」と思っていたので、この工場見学には興味津々だった。
ボリビア・コーヒーに自分が抱くイメージ
●味わいゼロ
●香りゼロ
●満足感ゼロ。むしろ喪失感満杯。
(もちろん外人が通うようなカフェは例外)
↑
ガイドのお兄さんが丁寧に説明。
・・・が、スペイン語能力が日々低下している自分に理解できたのは6割弱。。。。
以下、写真を見ながらテキトーにコーヒーができるまでの過程を「推測」してみてください
↑
にゃんたらかんたら
↑
コーヒー豆の木の葉っぱはこんなにも瑞々しい。
観葉植物に一個欲しい。
↑
くろい
↑
しろい
↑
スタバのマークを発見!
もとスタバ嬢のノン姐さんの鼓動が早まる!
↑
なんの機械なんだろう。
↑
コーヒーが出来るまでの過程を知りたくて居ても立ってもいられない方は、この写真を拡大にしてスペイン語を訳してみてください。
↑
コーヒー豆を入れるかわいい袋。
↑
ボリビアの廉価でまずいコーヒーは、砂糖や殻やクズと一緒に煎っているという事実をガイドによって教えられる。
どこまでもダメな国なのかもしれないと悟った瞬間。
↑
コーヒーの美味しい淹れ方から歴史までもレクチャー。
まー自分としてはコーヒーよりチャイの作り方を知りたいとこですけども。
↑
・・・こうやってコーヒーは出来るのでした。
いかがでしたか。
コーヒーって、いろんな過程を経て我々の食卓へ運ばれるのですね。
ちなみに、ここ、ブエナ・ビスタで生産されるコーヒーは、どんなに頑張っても味も質も二流以下で、「最高レベル」には登りつめることが一生ない運命なんだそう。
嗚呼、これがボリビア。
コーヒーにまで、ボリビアの哀愁漂う人生観が漂っていました。
DELE(スペイン語試験)を受けに行ったついでに、ボリビアの常夏サンタクルスを隊員友達と旅行してきました。
サンタクルスからほど近い、BUENA VISTA(ブエナ・ビスタ)という小さな町へ。
BUENA VISTA=素晴らしい眺め、とはよく言ったもので、町も眺めも本当に綺麗だった。
(そんな町を一瞬にして大嫌いになったその詳細はこの次のブログ日記にて)
この町はコーヒーの産地。
てことで、女4人、コーヒー工場見学へ。
ボリビアは、年間生産量10万袋前後で、世界で生産される量の0.1%にも満たないほど、希少なコーヒーの産地なんだそう。
個人的にコーヒーはそんなに好きでもないし、一生飲まなくてもやっていけるほどなんだけど、そんなコーヒー味おんちの自分でも、市場や安い一般的な食堂で出てくるボリビアのコーヒーのまずさは「如何なものか」と思っていたので、この工場見学には興味津々だった。
ボリビア・コーヒーに自分が抱くイメージ
●味わいゼロ
●香りゼロ
●満足感ゼロ。むしろ喪失感満杯。
(もちろん外人が通うようなカフェは例外)
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ガイドのお兄さんが丁寧に説明。
・・・が、スペイン語能力が日々低下している自分に理解できたのは6割弱。。。。
以下、写真を見ながらテキトーにコーヒーができるまでの過程を「推測」してみてください
↑
にゃんたらかんたら
↑
コーヒー豆の木の葉っぱはこんなにも瑞々しい。
観葉植物に一個欲しい。
↑
くろい
↑
しろい
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スタバのマークを発見!
もとスタバ嬢のノン姐さんの鼓動が早まる!
↑
なんの機械なんだろう。
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コーヒーが出来るまでの過程を知りたくて居ても立ってもいられない方は、この写真を拡大にしてスペイン語を訳してみてください。
↑
コーヒー豆を入れるかわいい袋。
↑
ボリビアの廉価でまずいコーヒーは、砂糖や殻やクズと一緒に煎っているという事実をガイドによって教えられる。
どこまでもダメな国なのかもしれないと悟った瞬間。
↑
コーヒーの美味しい淹れ方から歴史までもレクチャー。
まー自分としてはコーヒーよりチャイの作り方を知りたいとこですけども。
↑
・・・こうやってコーヒーは出来るのでした。
いかがでしたか。
コーヒーって、いろんな過程を経て我々の食卓へ運ばれるのですね。
ちなみに、ここ、ブエナ・ビスタで生産されるコーヒーは、どんなに頑張っても味も質も二流以下で、「最高レベル」には登りつめることが一生ない運命なんだそう。
嗚呼、これがボリビア。
コーヒーにまで、ボリビアの哀愁漂う人生観が漂っていました。
(10月28日の日記)
ボリビアの常夏サンタクルスの旅も最終日・・・ということで、動物園に行ってきました。
ちなみに入場料10ボリビアーノス。
約150円。
↑
まずは常夏サンタらしい鳥がお出迎え。
自分が、来世になりたいものベスト3に入る鳥です。
名前忘れた。「トゥ」がつく。
↑
どうしても目を合わせたくないらしい
↑
鳥のくせに人懐っこいヤツ。頭なでても怒らない。
でも特にそんな可愛いとかいうわけではない。
↑
「ぐえー!!」といった奇怪な声で子どもを威嚇するやたらデカイ鳥。
可愛いくない。
↑
ボリビアの動物園では、動物たちにぺディグリーチャムを与えているようです
↑
アルマジロの寝姿。
頭隠して尻隠さず、とはまさに。
それにしても彼らの野生的危機感はゼロに近い。
↑
ミミズが付いてたから、小石投げてやったらピクッて動いた。
↑
ゴミまで投げられている始末。
彼らには、「動物園の主役」としてのプライドは無いのか。
↑
リャマ、アルパカ、牛、鳩のコーナー。
このテキトーごちゃまぜ具合がボリビアらしくて良い。
牛が終始ダルそうだった。
↑
あっちんだよバーロー
↑
あっ、なんか来た
↑
歯、出てますね。
口もさっきからずーっと開きっぱです。
↑
推定98歳、独身。
趣味、将棋、ときどき陶芸。
↑
そこらへんの雑草やったら食べた
↑
亀の像に群がる亀
↑
動物園に来たら、ボクと握手!
↑
やたら広いブタのコーナー。
動物園でブタ見てもねー
特に感動は無いんだよなー
以上、ボリビアの動物園でした。
ボリビアの常夏サンタクルスの旅も最終日・・・ということで、動物園に行ってきました。
ちなみに入場料10ボリビアーノス。
約150円。
↑
まずは常夏サンタらしい鳥がお出迎え。
自分が、来世になりたいものベスト3に入る鳥です。
名前忘れた。「トゥ」がつく。
↑
どうしても目を合わせたくないらしい
↑
鳥のくせに人懐っこいヤツ。頭なでても怒らない。
でも特にそんな可愛いとかいうわけではない。
↑
「ぐえー!!」といった奇怪な声で子どもを威嚇するやたらデカイ鳥。
可愛いくない。
↑
ボリビアの動物園では、動物たちにぺディグリーチャムを与えているようです
↑
アルマジロの寝姿。
頭隠して尻隠さず、とはまさに。
それにしても彼らの野生的危機感はゼロに近い。
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ミミズが付いてたから、小石投げてやったらピクッて動いた。
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ゴミまで投げられている始末。
彼らには、「動物園の主役」としてのプライドは無いのか。
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リャマ、アルパカ、牛、鳩のコーナー。
このテキトーごちゃまぜ具合がボリビアらしくて良い。
牛が終始ダルそうだった。
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あっちんだよバーロー
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あっ、なんか来た
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歯、出てますね。
口もさっきからずーっと開きっぱです。
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推定98歳、独身。
趣味、将棋、ときどき陶芸。
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そこらへんの雑草やったら食べた
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亀の像に群がる亀
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動物園に来たら、ボクと握手!
↑
やたら広いブタのコーナー。
動物園でブタ見てもねー
特に感動は無いんだよなー
以上、ボリビアの動物園でした。
(10月27日の日記)
ボリビアの常夏サンタクルスには、日本から戦後に移住されたきた日系人の人々が住む移住地がある。
今回はそのうちのひとつ、「サンファン移住地」へ行ってきました。
↑
移住地入り口にある看板。
いきなり目に入ってきた日本語にびっくり。
↑
今回、いろいろお世話になったT子さん(右から2番目)
お宅に泊めて頂いた上に、毎回美味しい日本食をご馳走になったり、当時の貴重なお話を聞かせてくれたり・・・。
本当にどうもありがとうございました☆
↑
同じく日系人のMさんという方のお宅訪問もしてきた。
Mさんに案内されて(彼の庭?!だと言う)原生林を歩く。
↑
たぶん樹齢500年くらいの木を見上げる。
すごい。ここはパワースポット☆
↑
銃も撃たせてもらいました。
↑
きら~ん☆
↑
Mさんの家にいるツルツル肌のわんこ。
見た目びっくりだけど、可愛い!
↑
当時3歳(?)くらいでボリビアに来たMさんは、スペイン語もポルトガル語も堪能な、ここでは有能な方。
まさに自給自足な生活を送ってらっしゃる。
酒も醤油も豆腐も味噌も手作り。
↑
サンファン移住地にある資料館の敷地内にある記念樹。
実はこれ・・・
↑
サーヤ様がここれ来られた際に記念樹として植えていったものらしい。
ほえ~~~☆
↑
ここには入植50年内(2005年に入植50年を迎えた)に亡くなった人たちの名前が記されている。
↑
よく見ると、0歳や1歳で亡くなる子もいたみたい。
同期の友人曰く、近い血縁関係内で子どもが出来る場合もあったためにこういうケースが起きたのでは、とのこと。
↑
そして資料館の中へ。
当時、日本を出る際に贈られたであろうたくさんの寄せ書き入りの日の丸。
その他、当時の入植したばかりのころのアマゾン密林状態の開墾の様子、当時の結婚式の様子、子どもたちの生活の様子、などなど、すごく貴重な写真もたくさん。
↑
当時使われていたお釜やアイロン
↑
桶やランプなんかも。
↑
蓄音機と電話機。
時代を感じる・・・。
↑
五月人形と兜。
これもきっと日本から50年前に持ってこられたものなんだろうなあ・・・。
当時日本を出る際にどんな気持ちでこの南米まで来たのかと思うと、もう想像も尽かない。
・・・とまあ、本当にいろいろ見て聞いて味わってと、五感でもって「日系移住地」を肌で感じられた旅だった。
カメラが壊れてたから、ここには載せられてない写真もまだいっぱいある。
自分はまだまだ移住の歴史について勉強不足だから、ここではどうのこうの細かくは言えないけど、とにかく本当に貴重な経験だったことだけは言える。
あ、ちなみにこの日記の題名は、この移住地を訪問するにあたって隊員の友達から
・化粧は薄く
・服は地味めに。露出は厳禁。
・サンダルは控えるように。
とアドバイスをもらったのでした。
11月は、パラグアイにあるという日系移住地を訪問予定!
しかもそこは、自分の生まれ故郷岩手県出身者による移住地ということで、興味深々。
世界はまだまだ自分が知らないことばかり。
今回会った日系人のおばあちゃんが、
「あたしゃ井の中の蛙ですよ」
とおしゃってたけど、
それを言ったら自分は
「井の中の蚤」みたいなモンです。
サンファン移住地の皆さん、どうぞこれからもお元気で!
ボリビアの常夏サンタクルスには、日本から戦後に移住されたきた日系人の人々が住む移住地がある。
今回はそのうちのひとつ、「サンファン移住地」へ行ってきました。
↑
移住地入り口にある看板。
いきなり目に入ってきた日本語にびっくり。
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今回、いろいろお世話になったT子さん(右から2番目)
お宅に泊めて頂いた上に、毎回美味しい日本食をご馳走になったり、当時の貴重なお話を聞かせてくれたり・・・。
本当にどうもありがとうございました☆
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同じく日系人のMさんという方のお宅訪問もしてきた。
Mさんに案内されて(彼の庭?!だと言う)原生林を歩く。
↑
たぶん樹齢500年くらいの木を見上げる。
すごい。ここはパワースポット☆
↑
銃も撃たせてもらいました。
↑
きら~ん☆
↑
Mさんの家にいるツルツル肌のわんこ。
見た目びっくりだけど、可愛い!
↑
当時3歳(?)くらいでボリビアに来たMさんは、スペイン語もポルトガル語も堪能な、ここでは有能な方。
まさに自給自足な生活を送ってらっしゃる。
酒も醤油も豆腐も味噌も手作り。
↑
サンファン移住地にある資料館の敷地内にある記念樹。
実はこれ・・・
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サーヤ様がここれ来られた際に記念樹として植えていったものらしい。
ほえ~~~☆
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ここには入植50年内(2005年に入植50年を迎えた)に亡くなった人たちの名前が記されている。
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よく見ると、0歳や1歳で亡くなる子もいたみたい。
同期の友人曰く、近い血縁関係内で子どもが出来る場合もあったためにこういうケースが起きたのでは、とのこと。
↑
そして資料館の中へ。
当時、日本を出る際に贈られたであろうたくさんの寄せ書き入りの日の丸。
その他、当時の入植したばかりのころのアマゾン密林状態の開墾の様子、当時の結婚式の様子、子どもたちの生活の様子、などなど、すごく貴重な写真もたくさん。
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当時使われていたお釜やアイロン
↑
桶やランプなんかも。
↑
蓄音機と電話機。
時代を感じる・・・。
↑
五月人形と兜。
これもきっと日本から50年前に持ってこられたものなんだろうなあ・・・。
当時日本を出る際にどんな気持ちでこの南米まで来たのかと思うと、もう想像も尽かない。
・・・とまあ、本当にいろいろ見て聞いて味わってと、五感でもって「日系移住地」を肌で感じられた旅だった。
カメラが壊れてたから、ここには載せられてない写真もまだいっぱいある。
自分はまだまだ移住の歴史について勉強不足だから、ここではどうのこうの細かくは言えないけど、とにかく本当に貴重な経験だったことだけは言える。
あ、ちなみにこの日記の題名は、この移住地を訪問するにあたって隊員の友達から
・化粧は薄く
・服は地味めに。露出は厳禁。
・サンダルは控えるように。
とアドバイスをもらったのでした。
11月は、パラグアイにあるという日系移住地を訪問予定!
しかもそこは、自分の生まれ故郷岩手県出身者による移住地ということで、興味深々。
世界はまだまだ自分が知らないことばかり。
今回会った日系人のおばあちゃんが、
「あたしゃ井の中の蛙ですよ」
とおしゃってたけど、
それを言ったら自分は
「井の中の蚤」みたいなモンです。
サンファン移住地の皆さん、どうぞこれからもお元気で!
(10月25日の日記)
ボリビアの常夏サンタクルスで、総会後にみんなと一緒に「Lomas de arena」という、砂丘に行ってきた。
こんな南米ボリビアに砂丘(つーか砂丘と砂漠の違いってナンだ)があること自体へんてこだし、でもまーボリビア自体よくわからん国なので、砂丘でも砂漠でもあってもおかしくは無い。
↑
これでラクダが闊歩してたら完璧なんだけどねー。
リャマでもいいけどさ。
↑
風が織り成す砂のアート。
↑
しかし、超ド強風のため、感慨に耽っている感じではない。
目、耳、口、鼻、全ての穴という穴に被害を被ること必須。
この砂丘に来るためにチャーターした車の費用が安くもなかったためか、皆、この強風にも負けず、1時間くらい砂にまみれながら体育すわりしつつ遠くを眺めた。
お陰で、体中の穴という穴に砂が入ったのはもちろん、髪の毛も砂だらけ(夜にシャンプー2回しても落ち切らないほど)、服も砂だらけ、最悪なのは、9人中自分を含め3人のカメラが砂にやられた。カメラ機能せず・・・。嗚呼・・。
そんなこんなで、ステキな思い出いっぱいの砂丘巡り。
砂にまみれたい欲望は確実に満たせます。
自分はもー行かないけど。
ボリビアの常夏サンタクルスで、総会後にみんなと一緒に「Lomas de arena」という、砂丘に行ってきた。
こんな南米ボリビアに砂丘(つーか砂丘と砂漠の違いってナンだ)があること自体へんてこだし、でもまーボリビア自体よくわからん国なので、砂丘でも砂漠でもあってもおかしくは無い。
↑
これでラクダが闊歩してたら完璧なんだけどねー。
リャマでもいいけどさ。
↑
風が織り成す砂のアート。
↑
しかし、超ド強風のため、感慨に耽っている感じではない。
目、耳、口、鼻、全ての穴という穴に被害を被ること必須。
この砂丘に来るためにチャーターした車の費用が安くもなかったためか、皆、この強風にも負けず、1時間くらい砂にまみれながら体育すわりしつつ遠くを眺めた。
お陰で、体中の穴という穴に砂が入ったのはもちろん、髪の毛も砂だらけ(夜にシャンプー2回しても落ち切らないほど)、服も砂だらけ、最悪なのは、9人中自分を含め3人のカメラが砂にやられた。カメラ機能せず・・・。嗚呼・・。
そんなこんなで、ステキな思い出いっぱいの砂丘巡り。
砂にまみれたい欲望は確実に満たせます。
自分はもー行かないけど。
(10月24日の日記)
協力隊人生最後の「総会(年に2回ある)」に参加するべく、ボリビア第二の都市サンタクルスという標高わずか400mくらいのとこへ行って参りました。
↑
いざ出発!
飛行機代もJICA負担と思うと足取りも軽い。
もー遠足気分です。
↑
サンタクルスに着いて笑いが止まらないらしい同期のヒサくん。
何気に自分も人生初サンタクルスだったので、テンションあがりっぱなしだった。
↑
みどりがいっぱい。
酸素がいっぱい。
自分が住んでる標高3600mの地は、一体なんだったんだろう。
↑
ホテルに荷物を置いて、さっそくみんなで腹ごしらえに。
ここサンタクルスは、日系人が多く住む街でもあるので、日本食が手軽に食べれる。
写真はお漬物と麦茶。
やっぱ日本人に生まれてよかった。
↑
今回注文したソーキそば。
心なしか、麺が「ふつーのパスタ」に思えたけど、そんな思いは即払拭して、感動しながら食べました。
↑
日本のマフィアも、どうやら麦茶をたしなむようです。
↑
総会はこんな感じでホテルの会議室を借り切って行われました。
ディスカッションあり、日系人の講話あり、なんか内容もいろいろで面白かった☆
↑
助産師なおちゃんによる安産体操も。
まるで新興宗教にかかったように、みんなで体操する姿は感動もの。
↑
帰国あいさつは、自分の18年度2次隊と、3次隊による内容。
感極まって泣く人もいれば、自分のようにまだ実感ゼロでほわあああ~んとしてる人もいてみんなそれぞれ。
↑
総会当日のお昼は、なんと日系人の方による手作りお弁当☆
これを南米ボリビアで食べてる姿を、果たして2年前の自分は想像していたかって言ったら、そんなワケあるはずもなく。
お醤油入れが、あのプラスチックのお魚なんだよ~。
↑
そいでもって、夜の懇親会では相方ケイくんとチャカレラを皆様の前で披露させて頂きました。
事実上、たぶんこれがボリビアで最後のお披露目となるから、拍手ももらえて本当に満足!
次は北関東(栃木と茨木)で踊りまくりだぁ~~~!たぶん!
チャカレラ大好き。
日本帰ったらどうやって続けていこうか模索中。。。
そんなこんなで、ボリビア協力隊人生最後の総会は幕を閉じました。
あっという間だったけど、久々の同期のみんなとも時間を過ごせたし、美味しいものもいっぱい食べたし、満足なり~☆
それにしても、サンタクルス初日はめちゃくちゃテンション高かった自分も、二日目以降は一気にテンションがた落ち・・・。
この湿気と30度くらいありそうな高温が、自分の生気を吸い取っているよう。
二日目にして既にもうあの空気薄いアンデスの大地が恋しくなってる自分は、もう立派にラパス(自分の任地)を第二の故郷として捉えてるのかもです。
協力隊人生最後の「総会(年に2回ある)」に参加するべく、ボリビア第二の都市サンタクルスという標高わずか400mくらいのとこへ行って参りました。
↑
いざ出発!
飛行機代もJICA負担と思うと足取りも軽い。
もー遠足気分です。
↑
サンタクルスに着いて笑いが止まらないらしい同期のヒサくん。
何気に自分も人生初サンタクルスだったので、テンションあがりっぱなしだった。
↑
みどりがいっぱい。
酸素がいっぱい。
自分が住んでる標高3600mの地は、一体なんだったんだろう。
↑
ホテルに荷物を置いて、さっそくみんなで腹ごしらえに。
ここサンタクルスは、日系人が多く住む街でもあるので、日本食が手軽に食べれる。
写真はお漬物と麦茶。
やっぱ日本人に生まれてよかった。
↑
今回注文したソーキそば。
心なしか、麺が「ふつーのパスタ」に思えたけど、そんな思いは即払拭して、感動しながら食べました。
↑
日本のマフィアも、どうやら麦茶をたしなむようです。
↑
総会はこんな感じでホテルの会議室を借り切って行われました。
ディスカッションあり、日系人の講話あり、なんか内容もいろいろで面白かった☆
↑
助産師なおちゃんによる安産体操も。
まるで新興宗教にかかったように、みんなで体操する姿は感動もの。
↑
帰国あいさつは、自分の18年度2次隊と、3次隊による内容。
感極まって泣く人もいれば、自分のようにまだ実感ゼロでほわあああ~んとしてる人もいてみんなそれぞれ。
↑
総会当日のお昼は、なんと日系人の方による手作りお弁当☆
これを南米ボリビアで食べてる姿を、果たして2年前の自分は想像していたかって言ったら、そんなワケあるはずもなく。
お醤油入れが、あのプラスチックのお魚なんだよ~。
↑
そいでもって、夜の懇親会では相方ケイくんとチャカレラを皆様の前で披露させて頂きました。
事実上、たぶんこれがボリビアで最後のお披露目となるから、拍手ももらえて本当に満足!
次は北関東(栃木と茨木)で踊りまくりだぁ~~~!たぶん!
チャカレラ大好き。
日本帰ったらどうやって続けていこうか模索中。。。
そんなこんなで、ボリビア協力隊人生最後の総会は幕を閉じました。
あっという間だったけど、久々の同期のみんなとも時間を過ごせたし、美味しいものもいっぱい食べたし、満足なり~☆
それにしても、サンタクルス初日はめちゃくちゃテンション高かった自分も、二日目以降は一気にテンションがた落ち・・・。
この湿気と30度くらいありそうな高温が、自分の生気を吸い取っているよう。
二日目にして既にもうあの空気薄いアンデスの大地が恋しくなってる自分は、もう立派にラパス(自分の任地)を第二の故郷として捉えてるのかもです。
ボリビアのいろんな各地を旅してきて早1年半。
そんないろんな各地方面を見てきた中で、個人的にちょっとお気に入りなのが「グアキ・Guaqui」というところ。
ラパスからバスで2時間くらい。
ペルーとの国境の町(村?)であり、チチカカ湖やペルー側のアンデス山脈が美しいその村には、協力隊のシローくん(職種・陶芸)が住んでいる。
今回は、そんなシローくんのステキな笑顔を見に、ケイくん(同じく陶芸家)と行ってきた☆
(本当は、来月あるイベントでケイくんと焼き物売って稼ぐために、シローくんのロクロと釜を利用するため)
↑
着いて早々、陶芸家ケイくんがロクロをまわして目にも鮮やかにコップ、お皿、おちょこ、とっくり、などをつくっていく。まるで魔法みたい!感動☆
自分もトライしたけどすぐぐちゃぐちゃに・・。ロクロって見た目簡単そうに見えて実は相当奥が深いみたい。
彼ら二人は、日本でも「陶芸」という道で修行してきていて、いつもはチャランポンなおバカなのに、こういう場ではそれなりのプロに見えるから不思議(当たり前か)
20代から、こういった『自分の生きる道』というのを見つけ出して、その道を信じ貫き、日々自己研磨している姿は、まだ未来が見えてない自分にとっては憧れであり、うらやましい限り。きっとそんなに定収入があるわけでもお金持ちにもなれる保障もない「陶芸」という道なんだろうけど(推測ですが)、お金には代えられない陶芸という魅力を知っているから、そしてその道で生きていく覚悟があるから、突き進んでいけるのかなぁ。
何はともあれ、個人的にこの二人には一目置いているのです☆
変人でおもしろいし。
↑
その日の夜はシロー邸へお泊り。といっても一室だけど。
「整理整頓」といった小さな考え方など微塵も気にしない、その宇宙のようなスケールの大きいシローの価値観には、ただただ感服するばかり。
てゆーか掃除しろ。
↑
日本から持ってきた「カニ雑炊の素」を使って夕食を作ろうにも、水がない・・(断水状態)、鍋は汚い・・・・、箸もなんかこびりついてる・・・・。
でもシロー曰くこの生活に不満はないのだとか。すごい。
やっと作り終わっても、皿はない、スプーンもない、目の前が汚すぎて食欲もない、の、ないない尽くしであった。
↑
シローの机の上には、ひからびたチーズ、汚れがこびりついたコップ、いつ使ったのか分からない割り箸、など。
良い捉え方で言えば、
・小さいことには気にしない懐のでかさ
・どんなとこでも生きていける根性
ふつーに言えば
・生活能力あるのか疑問
・日本のホームレスの方がきれいな環境もってるんじゃないか
・この人なんなんだろう
・・・・って感じ。
↑
シローの手作り料理を振舞ってもらいました!
彼曰く最高のご馳走であるらしいパパ・フリータス(フライドポテト)です。
サクサクでとっても美味しかった!ありがとう☆
↑
翌朝。シローが生徒たちと仕事をする傍らで、せっせとケイくんがロクロをまわす。
シローの生徒たちは、変人シローにもすっかり慣れているようで、シローの何語か分からないスペイン語にもちゃんと付き合っていた。なんて出来た生徒だろう。
↑
シローの生徒たちの作品。いずれグアキの観光土産として販売予定するらしい。
これでグアキの観光促進、経済効果があれば、シローの陶芸家冥利に尽きるというもの。
↑
お昼ごはんのあとは3人でお散歩。
これはグアキの駅。電車が走っているらしい。
↑
線路は続くよどこまでも
↑
シローの家から徒歩10分くらいでチチカカ湖に着く。
湖水は淡水と言われるみたいだけど、わずかに塩分も含んでいるらしい。
海無し国ボリビアの「海軍」基地がここにある。
↑
湖の周りには、「葦」がたくさん。
これがトトラという伝統的な舟の原料。
↑
仲良く3人で足こぎボートに乗ってきました☆
アコはケイくんに足こぎ操縦を任せ、チチカカ湖の眺めを満喫。
↑
ボートの上からお昼ご飯の残りで魚を釣ろうと試みるシロー。
もちろん収穫なし。
この日はあこがお昼寝を満喫している間ケイくんの真面目な働きぶりによって、計100個近くのコップやおちょこが完成!)次回の訪問で絵付けして焼く予定です。
今回のグアキ訪問では、いつも一緒にいる身近な変人ケイくんが実はリッパな陶芸家としての腕前をもっていることに感嘆し、さらには、こんな水もない、家は汚い、いつもフライドポテトばっか食べてる田舎生活を「最高に快適で幸せ」と言い切るシローにも感嘆したのでした。
たぶん、彼は『幸せ沸点』が低いのかも?
でもそれって実は生き上手だし幸せ上手!
小さなことに幸せ見つけられる能力があるってことだし。
そんな穏やかでいつもにこにこしててちょっと変人だけどちゃんとした「自分の道」を生きてる2人にこうして協力隊で出会えて幸せ☆
・・・って思う自分も、もしかしたら幸せ沸点低いかも・・?!
↑
さらばグアキ!
また来週行きま~~~す!
そんないろんな各地方面を見てきた中で、個人的にちょっとお気に入りなのが「グアキ・Guaqui」というところ。
ラパスからバスで2時間くらい。
ペルーとの国境の町(村?)であり、チチカカ湖やペルー側のアンデス山脈が美しいその村には、協力隊のシローくん(職種・陶芸)が住んでいる。
今回は、そんなシローくんのステキな笑顔を見に、ケイくん(同じく陶芸家)と行ってきた☆
(本当は、来月あるイベントでケイくんと焼き物売って稼ぐために、シローくんのロクロと釜を利用するため)
↑
着いて早々、陶芸家ケイくんがロクロをまわして目にも鮮やかにコップ、お皿、おちょこ、とっくり、などをつくっていく。まるで魔法みたい!感動☆
自分もトライしたけどすぐぐちゃぐちゃに・・。ロクロって見た目簡単そうに見えて実は相当奥が深いみたい。
彼ら二人は、日本でも「陶芸」という道で修行してきていて、いつもはチャランポンなおバカなのに、こういう場ではそれなりのプロに見えるから不思議(当たり前か)
20代から、こういった『自分の生きる道』というのを見つけ出して、その道を信じ貫き、日々自己研磨している姿は、まだ未来が見えてない自分にとっては憧れであり、うらやましい限り。きっとそんなに定収入があるわけでもお金持ちにもなれる保障もない「陶芸」という道なんだろうけど(推測ですが)、お金には代えられない陶芸という魅力を知っているから、そしてその道で生きていく覚悟があるから、突き進んでいけるのかなぁ。
何はともあれ、個人的にこの二人には一目置いているのです☆
変人でおもしろいし。
↑
その日の夜はシロー邸へお泊り。といっても一室だけど。
「整理整頓」といった小さな考え方など微塵も気にしない、その宇宙のようなスケールの大きいシローの価値観には、ただただ感服するばかり。
てゆーか掃除しろ。
↑
日本から持ってきた「カニ雑炊の素」を使って夕食を作ろうにも、水がない・・(断水状態)、鍋は汚い・・・・、箸もなんかこびりついてる・・・・。
でもシロー曰くこの生活に不満はないのだとか。すごい。
やっと作り終わっても、皿はない、スプーンもない、目の前が汚すぎて食欲もない、の、ないない尽くしであった。
↑
シローの机の上には、ひからびたチーズ、汚れがこびりついたコップ、いつ使ったのか分からない割り箸、など。
良い捉え方で言えば、
・小さいことには気にしない懐のでかさ
・どんなとこでも生きていける根性
ふつーに言えば
・生活能力あるのか疑問
・日本のホームレスの方がきれいな環境もってるんじゃないか
・この人なんなんだろう
・・・・って感じ。
↑
シローの手作り料理を振舞ってもらいました!
彼曰く最高のご馳走であるらしいパパ・フリータス(フライドポテト)です。
サクサクでとっても美味しかった!ありがとう☆
↑
翌朝。シローが生徒たちと仕事をする傍らで、せっせとケイくんがロクロをまわす。
シローの生徒たちは、変人シローにもすっかり慣れているようで、シローの何語か分からないスペイン語にもちゃんと付き合っていた。なんて出来た生徒だろう。
↑
シローの生徒たちの作品。いずれグアキの観光土産として販売予定するらしい。
これでグアキの観光促進、経済効果があれば、シローの陶芸家冥利に尽きるというもの。
↑
お昼ごはんのあとは3人でお散歩。
これはグアキの駅。電車が走っているらしい。
↑
線路は続くよどこまでも
↑
シローの家から徒歩10分くらいでチチカカ湖に着く。
湖水は淡水と言われるみたいだけど、わずかに塩分も含んでいるらしい。
海無し国ボリビアの「海軍」基地がここにある。
↑
湖の周りには、「葦」がたくさん。
これがトトラという伝統的な舟の原料。
↑
仲良く3人で足こぎボートに乗ってきました☆
アコはケイくんに足こぎ操縦を任せ、チチカカ湖の眺めを満喫。
↑
ボートの上からお昼ご飯の残りで魚を釣ろうと試みるシロー。
もちろん収穫なし。
この日はあこがお昼寝を満喫している間ケイくんの真面目な働きぶりによって、計100個近くのコップやおちょこが完成!)次回の訪問で絵付けして焼く予定です。
今回のグアキ訪問では、いつも一緒にいる身近な変人ケイくんが実はリッパな陶芸家としての腕前をもっていることに感嘆し、さらには、こんな水もない、家は汚い、いつもフライドポテトばっか食べてる田舎生活を「最高に快適で幸せ」と言い切るシローにも感嘆したのでした。
たぶん、彼は『幸せ沸点』が低いのかも?
でもそれって実は生き上手だし幸せ上手!
小さなことに幸せ見つけられる能力があるってことだし。
そんな穏やかでいつもにこにこしててちょっと変人だけどちゃんとした「自分の道」を生きてる2人にこうして協力隊で出会えて幸せ☆
・・・って思う自分も、もしかしたら幸せ沸点低いかも・・?!
↑
さらばグアキ!
また来週行きま~~~す!
8月15~17日まで、ボリビアのオルロという町へ「ジャジャグア」と「チャヤパタ」という村を訪ねに行ってきましたレポート☆
どちらも特にガイドブックには派手に載っていないし、大きな観光名所でもない、のんびりした村なのですが、アンデスの村らしい、素朴でのんびりしたステキな村でした。
そんな今回の旅の模様を写真で紹介していきま~す
★LLALLAGUA・ジャジャグアとは・・・★
オルロから約100キロにある村。
実は世界で最も大きいスズ鉱山(シグロ・ベインテという)のある町で、ボリビア近代史、インディヘナ開放の歴史に大きな意味のある町。
鉱山労働者の居住地区がある。1985年に廃鉱。
↑
ラパスからオルロまで一緒に来たケイくん。
お店のスナックも洗濯ばさみで吊るしてるとこがボリビアっぽい。
↑
村に入るとさっそくもうお祭りの雰囲気満々!
これはチョリータのディブラーダ。
↑
ディアブロ(悪魔)
↑
子どもも踊ります!かわい~!
↑
お祭りといえば・・射的?!ボリビアにもあるのねー。
↑
リンゴ飴だってバナナチョコだってある!世界共通だったんですね。
↑
村の女の子。アンデスの人たちって、とりわけ横顔がきれいだと思いません?
↑
こんな小さな女の子も☆
↑
鉱山の村だけあって、村には鉱夫がヘルメット付きで闊歩してる。
彼らの顔に刻まれた深いしわは、これまでの悠々と流れてきた歴史を刻んでいるよう。
↑
てことで二日目は鉱山ツアーへ!
緑のない乾いた山々は、アンデスの自然の厳しさを物語っているよう。
↑
鉱山の入り口近く。
↑
昔トロッコが活躍していたことを示す線路。
下の水の色は、ミネラルかな?
↑
いざ出発!
つねおさんのヘルメットが違和感がないほど似あっています!
↑
ガイドをしてくれたおっちゃんに説明をうける。
でもスペイン語がもごもごしてて聞きづらかった~・・・。
自分のスペイン語の未熟さを痛感。
彼曰く、
●この鉱山で儲けたお金で、これまでに何人もの若者が他県の大学へ行っている
●しかし稼げるお金は運次第みたいなもの
●アスベストなどで鉱山の中の環境は悪く、健康への悪影響はひどい
・・・だそうです。
昔行ったポトシでもこんなこと聞いたっけ。
なんだかとっても感慨深い体験でした。
そしてその日はジャジャグアからオルロ市内へみんなで帰って、夜は同期のチカちゃんちへお泊り。夜中遅くまでベッドで二人して語りまくって、知らない間に寝付いていたみたい。
↑
チカちゃんち朝ごはん☆
ナッツのたくさん入ったヨーグルトとチカちゃんお気に入りのパイも。
↑
チカちゃん、ハビエル、あこ。
チカちゃん、本当にいつも良くしてくれてどうもありがとう!!!
朝、オルロ市内を出て、昨夜オルロに来たハビエルと共に、チャヤパタという村へケイコちゃんに会いに出発!
★Challapata・チャヤパタとは・・・★
オルロから1時間半くらいのところにある村。
実はオルロ内でも比較的大きい村らしい。
ポーポー湖も地図上では近くにあり(実際は遠い)、線路も延びている。
↑
チャヤパタの犬。
「犬の日」というのが最近あったみたくて、見事に飾られている。
申し訳なさそうな表情がいい☆
↑
市場まで迎えに来てくれたケイコちゃん。
市場では歩く先々でケイコちゃんに声をかけてくる村人多数!
ケイコちゃんの人柄ならではです☆
↑
ケイコちゃんの家。
小さいことは気にしない、あっけらかんとして明るい性格がまさにこの部屋にも影響・・・・してる?!
↑
ネコも住んでる。人懐っこい。
でもケイコちゃんはよく外に投げてた(笑)
↑
ケイコちゃんが美味しいシチューを作ってくれました。
ありがとう☆
↑
チャヤパタは石畳とアドベの家々が情緒があって美しい村。
ぜひオルロに来たからには訪れたいところ。
↑
丘の上の教会からは、チャヤパタの村を一望できる。
村の向こうには大きな湖も。
↑
教会の横にあるイエスの像(しかし薄い)とケイコ嬢。
↑
教会の中に日本語のダンボールの切れ端を発見!
こんなところで日本を感じるとは!
↑
さらにはイエス様に託すお願い事を連ねた手紙なんかも・・・。
家族の悩みや学校での悩みが書かれていた。
「神頼み」ってのも、世界共通なのです。
↑
帰り道で3人で食べたチャルケカン・デ・リャマ
(リャマ肉を干した肉、卵、お芋、モテという名のとうもろこし、チーズ)
とっても美味しい!
↑
それを狙って近寄ってきた犬も・・!
こんなに飾られてる・・(笑)
↑
メルカド(市場)で買ったかわいい布。
20ボリビアーノス(約300円)
↑
その日の夕方にチャヤパタを出てラパスへ。
バスの中から見たきれいな夕日・・☆
アンデスの村々の魅力を満喫した3日間でした。
チカちゃん、ケイコちゃん、つねお兄さん、ケイくん、どうもありがとう!
ガイドブックにはあんまり載ってない旅。
まさにプライスレスな旅でした★
どちらも特にガイドブックには派手に載っていないし、大きな観光名所でもない、のんびりした村なのですが、アンデスの村らしい、素朴でのんびりしたステキな村でした。
そんな今回の旅の模様を写真で紹介していきま~す
★LLALLAGUA・ジャジャグアとは・・・★
オルロから約100キロにある村。
実は世界で最も大きいスズ鉱山(シグロ・ベインテという)のある町で、ボリビア近代史、インディヘナ開放の歴史に大きな意味のある町。
鉱山労働者の居住地区がある。1985年に廃鉱。
↑
ラパスからオルロまで一緒に来たケイくん。
お店のスナックも洗濯ばさみで吊るしてるとこがボリビアっぽい。
↑
村に入るとさっそくもうお祭りの雰囲気満々!
これはチョリータのディブラーダ。
↑
ディアブロ(悪魔)
↑
子どもも踊ります!かわい~!
↑
お祭りといえば・・射的?!ボリビアにもあるのねー。
↑
リンゴ飴だってバナナチョコだってある!世界共通だったんですね。
↑
村の女の子。アンデスの人たちって、とりわけ横顔がきれいだと思いません?
↑
こんな小さな女の子も☆
↑
鉱山の村だけあって、村には鉱夫がヘルメット付きで闊歩してる。
彼らの顔に刻まれた深いしわは、これまでの悠々と流れてきた歴史を刻んでいるよう。
↑
てことで二日目は鉱山ツアーへ!
緑のない乾いた山々は、アンデスの自然の厳しさを物語っているよう。
↑
鉱山の入り口近く。
↑
昔トロッコが活躍していたことを示す線路。
下の水の色は、ミネラルかな?
↑
いざ出発!
つねおさんのヘルメットが違和感がないほど似あっています!
↑
ガイドをしてくれたおっちゃんに説明をうける。
でもスペイン語がもごもごしてて聞きづらかった~・・・。
自分のスペイン語の未熟さを痛感。
彼曰く、
●この鉱山で儲けたお金で、これまでに何人もの若者が他県の大学へ行っている
●しかし稼げるお金は運次第みたいなもの
●アスベストなどで鉱山の中の環境は悪く、健康への悪影響はひどい
・・・だそうです。
昔行ったポトシでもこんなこと聞いたっけ。
なんだかとっても感慨深い体験でした。
そしてその日はジャジャグアからオルロ市内へみんなで帰って、夜は同期のチカちゃんちへお泊り。夜中遅くまでベッドで二人して語りまくって、知らない間に寝付いていたみたい。
↑
チカちゃんち朝ごはん☆
ナッツのたくさん入ったヨーグルトとチカちゃんお気に入りのパイも。
↑
チカちゃん、ハビエル、あこ。
チカちゃん、本当にいつも良くしてくれてどうもありがとう!!!
朝、オルロ市内を出て、昨夜オルロに来たハビエルと共に、チャヤパタという村へケイコちゃんに会いに出発!
★Challapata・チャヤパタとは・・・★
オルロから1時間半くらいのところにある村。
実はオルロ内でも比較的大きい村らしい。
ポーポー湖も地図上では近くにあり(実際は遠い)、線路も延びている。
↑
チャヤパタの犬。
「犬の日」というのが最近あったみたくて、見事に飾られている。
申し訳なさそうな表情がいい☆
↑
市場まで迎えに来てくれたケイコちゃん。
市場では歩く先々でケイコちゃんに声をかけてくる村人多数!
ケイコちゃんの人柄ならではです☆
↑
ケイコちゃんの家。
小さいことは気にしない、あっけらかんとして明るい性格がまさにこの部屋にも影響・・・・してる?!
↑
ネコも住んでる。人懐っこい。
でもケイコちゃんはよく外に投げてた(笑)
↑
ケイコちゃんが美味しいシチューを作ってくれました。
ありがとう☆
↑
チャヤパタは石畳とアドベの家々が情緒があって美しい村。
ぜひオルロに来たからには訪れたいところ。
↑
丘の上の教会からは、チャヤパタの村を一望できる。
村の向こうには大きな湖も。
↑
教会の横にあるイエスの像(しかし薄い)とケイコ嬢。
↑
教会の中に日本語のダンボールの切れ端を発見!
こんなところで日本を感じるとは!
↑
さらにはイエス様に託すお願い事を連ねた手紙なんかも・・・。
家族の悩みや学校での悩みが書かれていた。
「神頼み」ってのも、世界共通なのです。
↑
帰り道で3人で食べたチャルケカン・デ・リャマ
(リャマ肉を干した肉、卵、お芋、モテという名のとうもろこし、チーズ)
とっても美味しい!
↑
それを狙って近寄ってきた犬も・・!
こんなに飾られてる・・(笑)
↑
メルカド(市場)で買ったかわいい布。
20ボリビアーノス(約300円)
↑
その日の夕方にチャヤパタを出てラパスへ。
バスの中から見たきれいな夕日・・☆
アンデスの村々の魅力を満喫した3日間でした。
チカちゃん、ケイコちゃん、つねお兄さん、ケイくん、どうもありがとう!
ガイドブックにはあんまり載ってない旅。
まさにプライスレスな旅でした★
旅が大好きな自分。
とりわけボリビアは日本の3倍もあるだけあって、旅行のしがいがありまくりな国。そんなわけで、前回に引き続き、アマゾンに行ってきました~☆
8月2日から6日まで、ボリビアのベニ県にある「ルレナバケ」というアマゾン地帯へ、協力隊友達のヒサくん、のんぴょん、ジョーくんと4人での旅行。
今回も写真をメインにいろいろ紹介していきます。
↑
ラパスにあるEL ALTO(エル・アルト)空港。
エル・アルトとはまさに「高いところ」の意味。まんまです。まー標高4000mもあれば、そりゃーそんな名前付けたくなります。
澄み切った青空がきれい。でもメリットはそれだけ。ボリビアに来る多くの外国人が高山病に苦しむスタート地点。
↑
1時間のフライト後、飛行機を降りるとそこはもう緑!緑!緑!
空気がおいしい~!酸素があるってすごい。
↑
さっそくお昼ごはんではアマゾンの風に吹かれてビール!
↑
ラパスではめったに食べられないお魚。でもここルレナバケでは川魚が豊富!ってこともあり、注文しました。にんにく風味のホイル焼き。おいし~~~☆
↑
その日はルレナバケにある民宿へ。4人部屋に泊まるものの、外でやってた爆音カラオケが夜中3時まで続き、さらにはジョーの殺意を呼び起こすようないびきで自分ひとり眠れなかった。結局眠れたのは朝方4時・・・・。
写真は、酔っ払って雄叫びを発するジョー(深夜2時半)
マジ終わってる・・・。
↑
そんな自分が抱え込んでいた苦しみも何も知らずに安らかにお眠りになるお二人。
↑
翌朝、人の睡眠不足も知らずに颯爽と歩くジョー(乾かなかったジーパン付き)
↑
申し込んであったツアーの車に乗って、アマゾン・ツアー出発地点まで行く途中休憩で見た豚の親子。子豚いっぱい☆
↑
この川岸からツアーはスタート!ここからカヌーに乗りました。
↑
さっそくカピバラがお出迎え!このやる気のない目線が最高に可愛い。
↑
そして次第に空は怪しい曇り空・・・
↑
この写真撮影の数分後に豪雨が!
でも気持ちよいくらいの激しさでよかった!
↑
夕方にロッジに着き、その夜は懐中電灯を持ってナイトツアー。そこで出会ったクロコダイルの赤ちゃん。意外におとなしい。
↑
翌朝。カヌーの上でたそがれるジョー、33歳、料理人。
↑
でもこんなんだから嫌になる
↑
アナコンダを見つけに、朝からパンパ(大草原)を探検!
↑
途中、こんなに大きな卵を発見!ダチョウの卵らしい。
↑
歩きまくってやっと発見したアナコンダ・・・・でも小さい?!
それにしても、身がぎっしり詰まっているのか、こんなでもすごく重かった。
↑
カヌーでちいちゃいおサルにバナナを餌付け。食欲超旺盛。
↑
午後はピンクイルカのいるエリアへ行き、みんなで泳いでみたものの・・・、イルカたちはくるくる泳いで近寄ってはくるものの、触ることはできなかった。
写真はヒサの飛び込みダイブ!
↑
河童みたい
↑
そして翌日の早朝。
みんなで朝日を拝みにいきました。嗚呼青春也。
↑
ジョーの野郎、勝手に手をまわしてんじゃね~!(怒)
↑
そして午後はピラニアがよく釣れるというポイントへ
↑
今回のツアーガイドの「ネグロ」。気さくで優しいおっちゃん☆
↑
「こんなに釣れました!」・・・と言いたいとこなんだけど、なんと一匹も釣れなかった自分・・!何故?!他の外国人みんな釣りまくってたのに。
↑
ツアー最終日。最後にみんなでネグロと一緒にパチリ☆
写真にはないけど、今回のツアーではカピバラの他にもクロコダイルとカイマン(どっちもワニ)、いろーんな種類の見たこともないような鳥、黒サル、赤サルなんかも見れた。
今回のアマゾンの旅は、気の合う友人らと行ったこともあって、終始爆笑してるような感じで本当に楽しかったんだけれど、やたら白人ばっかりいて(ツアーだからしょうがないけど)、ボリビアにいるのに英語ばっかり聞こえてすんごく耳障りだった。あとイスラエル人の行儀の悪さ・・・(これは個人差があるのでここでは特に書かないけど)。
次回は、観光化されてない、田舎のアマゾンを見にいきたい!!!
小さくて細いアナコンダと写真を撮りたいがために、とっかえひっかえ手から手へ、引き回されているアナコンダの姿なんか、もう見たくない。
か細いアナコンダに群がる、先進国のアホども(自分もその一人)
自然を満喫できて最高の思い出になったと同時に、そんな印象が拭いきれない今回のアマゾン・ツアーであった。
<補足>
この場を借りて、今回一緒に行ったヒサくんに御礼申し上げたい。
彼には、
●崖を登ろうとして落っこちかけた自分を体ごとキャッチしてくれた
(彼がいなかったら頭部骨折又は顔面損傷)
●自分の不注意で公園のベンチに置いてきてしまったカメラを猛ダッシュで取り返しに行ってくれた
(もしそのまま無くなってたら、思い出もクソもない感じで泣いてた)
本当にありがとう。
そんな彼の勇士 ↓
↑
ヒサ1
↑
ヒサ2
↑
ヒサ3
コワい
とりわけボリビアは日本の3倍もあるだけあって、旅行のしがいがありまくりな国。そんなわけで、前回に引き続き、アマゾンに行ってきました~☆
8月2日から6日まで、ボリビアのベニ県にある「ルレナバケ」というアマゾン地帯へ、協力隊友達のヒサくん、のんぴょん、ジョーくんと4人での旅行。
今回も写真をメインにいろいろ紹介していきます。
↑
ラパスにあるEL ALTO(エル・アルト)空港。
エル・アルトとはまさに「高いところ」の意味。まんまです。まー標高4000mもあれば、そりゃーそんな名前付けたくなります。
澄み切った青空がきれい。でもメリットはそれだけ。ボリビアに来る多くの外国人が高山病に苦しむスタート地点。
↑
1時間のフライト後、飛行機を降りるとそこはもう緑!緑!緑!
空気がおいしい~!酸素があるってすごい。
↑
さっそくお昼ごはんではアマゾンの風に吹かれてビール!
↑
ラパスではめったに食べられないお魚。でもここルレナバケでは川魚が豊富!ってこともあり、注文しました。にんにく風味のホイル焼き。おいし~~~☆
↑
その日はルレナバケにある民宿へ。4人部屋に泊まるものの、外でやってた爆音カラオケが夜中3時まで続き、さらにはジョーの殺意を呼び起こすようないびきで自分ひとり眠れなかった。結局眠れたのは朝方4時・・・・。
写真は、酔っ払って雄叫びを発するジョー(深夜2時半)
マジ終わってる・・・。
↑
そんな自分が抱え込んでいた苦しみも何も知らずに安らかにお眠りになるお二人。
↑
翌朝、人の睡眠不足も知らずに颯爽と歩くジョー(乾かなかったジーパン付き)
↑
申し込んであったツアーの車に乗って、アマゾン・ツアー出発地点まで行く途中休憩で見た豚の親子。子豚いっぱい☆
↑
この川岸からツアーはスタート!ここからカヌーに乗りました。
↑
さっそくカピバラがお出迎え!このやる気のない目線が最高に可愛い。
↑
そして次第に空は怪しい曇り空・・・
↑
この写真撮影の数分後に豪雨が!
でも気持ちよいくらいの激しさでよかった!
↑
夕方にロッジに着き、その夜は懐中電灯を持ってナイトツアー。そこで出会ったクロコダイルの赤ちゃん。意外におとなしい。
↑
翌朝。カヌーの上でたそがれるジョー、33歳、料理人。
↑
でもこんなんだから嫌になる
↑
アナコンダを見つけに、朝からパンパ(大草原)を探検!
↑
途中、こんなに大きな卵を発見!ダチョウの卵らしい。
↑
歩きまくってやっと発見したアナコンダ・・・・でも小さい?!
それにしても、身がぎっしり詰まっているのか、こんなでもすごく重かった。
↑
カヌーでちいちゃいおサルにバナナを餌付け。食欲超旺盛。
↑
午後はピンクイルカのいるエリアへ行き、みんなで泳いでみたものの・・・、イルカたちはくるくる泳いで近寄ってはくるものの、触ることはできなかった。
写真はヒサの飛び込みダイブ!
↑
河童みたい
↑
そして翌日の早朝。
みんなで朝日を拝みにいきました。嗚呼青春也。
↑
ジョーの野郎、勝手に手をまわしてんじゃね~!(怒)
↑
そして午後はピラニアがよく釣れるというポイントへ
↑
今回のツアーガイドの「ネグロ」。気さくで優しいおっちゃん☆
↑
「こんなに釣れました!」・・・と言いたいとこなんだけど、なんと一匹も釣れなかった自分・・!何故?!他の外国人みんな釣りまくってたのに。
↑
ツアー最終日。最後にみんなでネグロと一緒にパチリ☆
写真にはないけど、今回のツアーではカピバラの他にもクロコダイルとカイマン(どっちもワニ)、いろーんな種類の見たこともないような鳥、黒サル、赤サルなんかも見れた。
今回のアマゾンの旅は、気の合う友人らと行ったこともあって、終始爆笑してるような感じで本当に楽しかったんだけれど、やたら白人ばっかりいて(ツアーだからしょうがないけど)、ボリビアにいるのに英語ばっかり聞こえてすんごく耳障りだった。あとイスラエル人の行儀の悪さ・・・(これは個人差があるのでここでは特に書かないけど)。
次回は、観光化されてない、田舎のアマゾンを見にいきたい!!!
小さくて細いアナコンダと写真を撮りたいがために、とっかえひっかえ手から手へ、引き回されているアナコンダの姿なんか、もう見たくない。
か細いアナコンダに群がる、先進国のアホども(自分もその一人)
自然を満喫できて最高の思い出になったと同時に、そんな印象が拭いきれない今回のアマゾン・ツアーであった。
<補足>
この場を借りて、今回一緒に行ったヒサくんに御礼申し上げたい。
彼には、
●崖を登ろうとして落っこちかけた自分を体ごとキャッチしてくれた
(彼がいなかったら頭部骨折又は顔面損傷)
●自分の不注意で公園のベンチに置いてきてしまったカメラを猛ダッシュで取り返しに行ってくれた
(もしそのまま無くなってたら、思い出もクソもない感じで泣いてた)
本当にありがとう。
そんな彼の勇士 ↓
↑
ヒサ1
↑
ヒサ2
↑
ヒサ3
コワい
■7月4日■
サン・ラモンも今日でお別れ。
↑
出勤に出るなおちゃんと最後に3人でパチリ☆
なおちゃん、本当にいろいろお世話になりました。GRACIAS!!!!
↑
サン・ラモンからトリニダへ帰途はカミオネタ(バン)を利用。
↑
サン・ラモンの川ともお別れ。時折イルカが顔を出してくれた!
↑
ピラニア釣りをしてる村人
↑
あっちゃん。この舟で車ごと川を渡るシステム。
↑
窓から見える景色はまるでアマゾンツアーだった!ワニはしょっちゅう、珍しい鳥や植物、カピバラの親子にも遭遇。
↑
4時間後に無事トリニダ市内に到着!
お昼ごはんに食べた肉。ベニ牛は旨い!
↑
その後市内の大学内にある「お魚博物館」へ。
昔協力隊やってたおじちゃんが親切にもいろいろ中を案内してくれました。
↑
お魚博物館のある大学の門
↑
トリニダは夕暮れが綺麗☆
↑
ここにも日本が!
↑
ここでは交差点で馬が止まる
↑
最後の夜にトリニダ隊員の皆と一緒に食べたパク・ムート(肉!)
↑
トリニダ隊員の二人しょーこちゃんとはまちゃん。
お二人にもいろいろお世話になったよ~☆ありがとう!
今回の旅はたったの4泊5日で、ボリビアの半分以上を占めるアマゾン熱帯地方を語れるほどにはとてもとても足りなかったけれど、でも、アンデスにはないたくさんの魅力に魅了されっぱなしだった!
どんな環境でも生きていこうとする人間のしぶとさ、力強さ、大地の壮大さ、地球の懐のでかさ。
たくさん元気をもらった旅だった!
この人間くさくて、懐かしくて、まったりとろけるような熱帯の夜風にまた吹かれたい☆
サン・ラモンも今日でお別れ。
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出勤に出るなおちゃんと最後に3人でパチリ☆
なおちゃん、本当にいろいろお世話になりました。GRACIAS!!!!
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サン・ラモンからトリニダへ帰途はカミオネタ(バン)を利用。
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サン・ラモンの川ともお別れ。時折イルカが顔を出してくれた!
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ピラニア釣りをしてる村人
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あっちゃん。この舟で車ごと川を渡るシステム。
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窓から見える景色はまるでアマゾンツアーだった!ワニはしょっちゅう、珍しい鳥や植物、カピバラの親子にも遭遇。
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4時間後に無事トリニダ市内に到着!
お昼ごはんに食べた肉。ベニ牛は旨い!
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その後市内の大学内にある「お魚博物館」へ。
昔協力隊やってたおじちゃんが親切にもいろいろ中を案内してくれました。
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お魚博物館のある大学の門
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トリニダは夕暮れが綺麗☆
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ここにも日本が!
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ここでは交差点で馬が止まる
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最後の夜にトリニダ隊員の皆と一緒に食べたパク・ムート(肉!)
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トリニダ隊員の二人しょーこちゃんとはまちゃん。
お二人にもいろいろお世話になったよ~☆ありがとう!
今回の旅はたったの4泊5日で、ボリビアの半分以上を占めるアマゾン熱帯地方を語れるほどにはとてもとても足りなかったけれど、でも、アンデスにはないたくさんの魅力に魅了されっぱなしだった!
どんな環境でも生きていこうとする人間のしぶとさ、力強さ、大地の壮大さ、地球の懐のでかさ。
たくさん元気をもらった旅だった!
この人間くさくて、懐かしくて、まったりとろけるような熱帯の夜風にまた吹かれたい☆
■7月3日■
↑
サン・ラモン二日目。朝起きた瞬間からもうなんか暑い。
↑
今日はなおちゃん、あっちゃん、自分の3人でサン・ラモン周辺をお散歩。散歩中に見えた音楽クラス中の子どもたち。
↑
サン・ラモンの道。
↑
チチャ(とうもろこし、米、果実などから作る酒またはジュースのこと)の看板を発見!
『ひえひえチチャありまっせ』の訳
↑
中庭でチチャを用意してくれてるおじちゃん。手作りです。
↑
おじちゃんの家でいただきま~~~す!
↑
これがチチャ。冷えてておいしい☆
チチャはボリビアのいろんな各地にそれぞれの味がある。
ボリビアの旅と一緒にチチャ巡りが自分の中の好きなスタイル。
↑
馬車。のどか☆
↑
日本に8年もいたという超陽気なおじちゃん。アメリカンなそのシャツは、反米派のボリビアに反してないか?!
↑
サンラモンの道2
↑
野良?馬
↑
いたるところにあった蟻塚
↑
マンゴーの木
↑
6de AGOSTO(8月6日通り)。
ラテンアメリカでは、よく記念日などが道の名前になっている。
8月6日はボリビアの独立記念日。
↑
ラパスでは見たことない赤い実。なんだろ?
↑
この地域の伝統的な作りをした民家
↑
タマリンドの実
↑
骨。干からびちゃったんでしょうか。
↑
カーボーイみたいなおっちゃんたち。
↑
湖
↑
あっちゃん
↑
この日の手作り昼ごはん。
アコと同じく岩手生まれのあっちゃんが、岩手産のお蕎麦をもってきてくれたのでした!地球の反対側のしかも岩手県から、サン・ラモンという地で食べられるなんて、蕎麦冥利に尽きるんじゃないでしょうか。
↑
おやつにピコレ(アイス)!
↑
みどりはミント味で
↑
赤はあま~いなんとも言えない味
↑
村中にこういった書き込みがある
『自治権拡大 YES! ばんざいサン・ラモン!こんちくしょう!』
・・・って感じの訳(たぶん)
↑
なおちゃんが住んでるアロハミエント(宿泊所)
↑
夜ごはんは3人手作りのカレー!
最後のサン・ラモンの夜。
名残り惜しい気持ちが眠気に負けて、気持ちよく就寝。
やっぱり酸素の濃い中での睡眠はいい☆
↑
サン・ラモン二日目。朝起きた瞬間からもうなんか暑い。
↑
今日はなおちゃん、あっちゃん、自分の3人でサン・ラモン周辺をお散歩。散歩中に見えた音楽クラス中の子どもたち。
↑
サン・ラモンの道。
↑
チチャ(とうもろこし、米、果実などから作る酒またはジュースのこと)の看板を発見!
『ひえひえチチャありまっせ』の訳
↑
中庭でチチャを用意してくれてるおじちゃん。手作りです。
↑
おじちゃんの家でいただきま~~~す!
↑
これがチチャ。冷えてておいしい☆
チチャはボリビアのいろんな各地にそれぞれの味がある。
ボリビアの旅と一緒にチチャ巡りが自分の中の好きなスタイル。
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馬車。のどか☆
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日本に8年もいたという超陽気なおじちゃん。アメリカンなそのシャツは、反米派のボリビアに反してないか?!
↑
サンラモンの道2
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野良?馬
↑
いたるところにあった蟻塚
↑
マンゴーの木
↑
6de AGOSTO(8月6日通り)。
ラテンアメリカでは、よく記念日などが道の名前になっている。
8月6日はボリビアの独立記念日。
↑
ラパスでは見たことない赤い実。なんだろ?
↑
この地域の伝統的な作りをした民家
↑
タマリンドの実
↑
骨。干からびちゃったんでしょうか。
↑
カーボーイみたいなおっちゃんたち。
↑
湖
↑
あっちゃん
↑
この日の手作り昼ごはん。
アコと同じく岩手生まれのあっちゃんが、岩手産のお蕎麦をもってきてくれたのでした!地球の反対側のしかも岩手県から、サン・ラモンという地で食べられるなんて、蕎麦冥利に尽きるんじゃないでしょうか。
↑
おやつにピコレ(アイス)!
↑
みどりはミント味で
↑
赤はあま~いなんとも言えない味
↑
村中にこういった書き込みがある
『自治権拡大 YES! ばんざいサン・ラモン!こんちくしょう!』
・・・って感じの訳(たぶん)
↑
なおちゃんが住んでるアロハミエント(宿泊所)
↑
夜ごはんは3人手作りのカレー!
最後のサン・ラモンの夜。
名残り惜しい気持ちが眠気に負けて、気持ちよく就寝。
やっぱり酸素の濃い中での睡眠はいい☆
■7月2日■
二日目は、このトリニダ市内よりさらに南に位置する『サン・ラモン』という地へ、そこで協力隊の助産師として活動する大島なおちゃんという友人へ会うのを目的に、サン・ラモン行きを決定!(この時点で本人のなおちゃんのアポ無し)
さっそくセスナに乗り込む。
↑
荷物軽量してるとこ。でもてきとーだと思う。
↑
ボリビアでは、肛門から搭乗します。
入り口の近くには冷蔵庫も搭乗してた。
↑
搭乗してまず何に一番びっくりしたかって、人間の数より蚊が大量に機内に飛んでいたこと。
その他の思い出↓
・機内にクーラーなど無い。外のほうがよっぽど快適。
・轟音がひどい。会話の余裕など無い
・なんか窓にヒビ入ってますけど?
・離陸するとき、隣のボリビア人おばちゃんが十字架きってた。
↑
そんなこんなで一時間弱。やっと着いたサンラモン!・・・の土は赤かった。
「ここが空港?」っていう素朴な疑問が沸く空港。
↑
サン・ラモン空港
空港に着いたところで、タクシーもない町。
あっちゃんと「ど~しよ~」と座り込んでいるところに、見知らぬおっちゃんが。
バイクで送ってくれました!
↑
うちらの突然の訪問を大喜びしてくれたなおちゃん。
あなたのその笑顔でここに来るまでの疲労も吹っ飛んださ!
↑
『無理するな ここは熱帯 サンラモン』
なおちゃんの部屋に飾ってある自作の言葉。
とても感銘を受けた。
↑
しばらくしてなおちゃんと一緒にサン・ラモン散策へ。
道端で売ってたクニャッペというお菓子。硬い・・。
↑
午後の陽だまりが綺麗。
↑
なおちゃんの通勤風景。白いナース服が輝いてます。
↑
なおちゃんの職場(サン・ラモン病院)に着いた~!
↑
さっそく日本の無償資金援助の影が・・。
↑
全てに日本の国旗シールが貼ってある。
しかし実際は「使いきれてない、使えない」という援助のありきたり失敗ケースの実情もあるのだとか。
それにしてもなおちゃんいい表情してます。
↑
なおちゃんの職場の同僚たちと。みんなすごく歓迎してくれ、とても気さくで優しい人たち。
「なおは私の娘よ!」といった感じで、みんながなおちゃんを愛してるのもわかった。
↑
病院の庭にて
↑
レモンとっちゃったり!こんなに大きい!
↑
うれし~!
↑
なおちゃんと赤ちゃん
↑
野ぶた
↑
川。ピラニア釣りは入れ食い状態だそう。
↑
ここでピラニアが釣れる
↑
近所の子どもと牛。ここでは生ゴミ処理も、とってもエコ☆
↑
夜に3人で作った夕ご飯。
・肉無し肉じゃが
・ふりかけ入りごはん
・厚焼きたまご
・トマト
みんなで作ってみんなで食べるごはんはなんて美味しいんだ!
↑
日本の女子高生もびっくりの飲み物その名も『パラパラ』。
一風変わったミルクセーキみたい☆
↑
今日も暑いぜパラパラが旨い!
いきなり飛び込んでいったサン・ラモン。
水道は終日あるものの、電気は現在ストップで夜はろうそく生活という、まさにステキな田舎生活。
ラパスから来た自分にとっては見るもの全てが新鮮だった一日でした。
でも、そんな暮らしが「日常」となってるなおちゃんは、どんな苦労がこれまであったんだろう・・?
でも「来てくれてありがとう!」って言ってくれたなおちゃんの笑顔にこちも元気をもらいましたさ~☆
二日目は、このトリニダ市内よりさらに南に位置する『サン・ラモン』という地へ、そこで協力隊の助産師として活動する大島なおちゃんという友人へ会うのを目的に、サン・ラモン行きを決定!(この時点で本人のなおちゃんのアポ無し)
さっそくセスナに乗り込む。
↑
荷物軽量してるとこ。でもてきとーだと思う。
↑
ボリビアでは、肛門から搭乗します。
入り口の近くには冷蔵庫も搭乗してた。
↑
搭乗してまず何に一番びっくりしたかって、人間の数より蚊が大量に機内に飛んでいたこと。
その他の思い出↓
・機内にクーラーなど無い。外のほうがよっぽど快適。
・轟音がひどい。会話の余裕など無い
・なんか窓にヒビ入ってますけど?
・離陸するとき、隣のボリビア人おばちゃんが十字架きってた。
↑
そんなこんなで一時間弱。やっと着いたサンラモン!・・・の土は赤かった。
「ここが空港?」っていう素朴な疑問が沸く空港。
↑
サン・ラモン空港
空港に着いたところで、タクシーもない町。
あっちゃんと「ど~しよ~」と座り込んでいるところに、見知らぬおっちゃんが。
バイクで送ってくれました!
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うちらの突然の訪問を大喜びしてくれたなおちゃん。
あなたのその笑顔でここに来るまでの疲労も吹っ飛んださ!
↑
『無理するな ここは熱帯 サンラモン』
なおちゃんの部屋に飾ってある自作の言葉。
とても感銘を受けた。
↑
しばらくしてなおちゃんと一緒にサン・ラモン散策へ。
道端で売ってたクニャッペというお菓子。硬い・・。
↑
午後の陽だまりが綺麗。
↑
なおちゃんの通勤風景。白いナース服が輝いてます。
↑
なおちゃんの職場(サン・ラモン病院)に着いた~!
↑
さっそく日本の無償資金援助の影が・・。
↑
全てに日本の国旗シールが貼ってある。
しかし実際は「使いきれてない、使えない」という援助のありきたり失敗ケースの実情もあるのだとか。
それにしてもなおちゃんいい表情してます。
↑
なおちゃんの職場の同僚たちと。みんなすごく歓迎してくれ、とても気さくで優しい人たち。
「なおは私の娘よ!」といった感じで、みんながなおちゃんを愛してるのもわかった。
↑
病院の庭にて
↑
レモンとっちゃったり!こんなに大きい!
↑
うれし~!
↑
なおちゃんと赤ちゃん
↑
野ぶた
↑
川。ピラニア釣りは入れ食い状態だそう。
↑
ここでピラニアが釣れる
↑
近所の子どもと牛。ここでは生ゴミ処理も、とってもエコ☆
↑
夜に3人で作った夕ご飯。
・肉無し肉じゃが
・ふりかけ入りごはん
・厚焼きたまご
・トマト
みんなで作ってみんなで食べるごはんはなんて美味しいんだ!
↑
日本の女子高生もびっくりの飲み物その名も『パラパラ』。
一風変わったミルクセーキみたい☆
↑
今日も暑いぜパラパラが旨い!
いきなり飛び込んでいったサン・ラモン。
水道は終日あるものの、電気は現在ストップで夜はろうそく生活という、まさにステキな田舎生活。
ラパスから来た自分にとっては見るもの全てが新鮮だった一日でした。
でも、そんな暮らしが「日常」となってるなおちゃんは、どんな苦労がこれまであったんだろう・・?
でも「来てくれてありがとう!」って言ってくれたなおちゃんの笑顔にこちも元気をもらいましたさ~☆
もう一ヶ月前のだけど、旅日記を更新☆
7月1日から5日まで、ボリビアの熱帯地方である「ベニ県」に、協力隊の仲間のあっちゃんと一緒に行ってきました。
旅日記の前にここでちょっとボリビアの地理の特徴をさらっと!
ボリビアは日本の3倍もの国土をもつ国。
(国の面積はアメリカ大陸では8番目に、世界的には27番目に大きい国)
そしてボリビアの地理は大きく3つに分けられます☆
●一つは国土面積の29%に及ぶティティカカ湖から国土を南に貫くアンデス山脈の標高3000m以上の年中寒冷な気候を持つアルティプラーノと呼ばれる地域。
(↑アコが住んでるとこ)
●二つ目は国土の約9%を占めるコチャバンバ県やラパス県ユンガス地方などの、アンデス地帯とアマゾン地帯の中間に位置するバジェと呼ばれる温暖な地域。
(↑コカの葉栽培が盛ん)
●三つ目が国土の北東側から東側は国土の約62%を占めるアマゾンの熱帯地域で、オリエンテ (oriente)と呼ばれる地域。
(↑今回行ったベニ県があるとこ)
この太字の数字が現してるとおり、ボリビアって実はアマゾン熱帯地域が半分以上を占めているのです。
自分がアンデス地域に住んでいるものだから、てっきり『ボリビア=アンデス』っていうイメージが定着していたけれど、さすが日本の3倍もの国土をもつボリビア、まだまだ未知なところがいっぱい・・・☆
今回は写真をメインにこの旅をご紹介します。
■7月1日■
↑
ラパス発トリニダ行(ベニ県の一番大きな町)の飛行機に乗り込むところ。
ちっちゃい!
↑
運転手席が丸見え。乗客は20人もいなかったような。
↑
アンデス山脈よ、しばしの別れ・・。
こうやって窓から見ると、まるで本当の故郷への別れのようで、涙が・・出るような出ないような。
↑
自分の席の前に座っていたチョリータ(アイマラ系民族)のおばあちゃん。
座席ベルトの付け方が分からなくて、乗客の人たちみんなが手取り足取り教えてあげてた。やっと席に無事つけたときは軽く拍手が起きたり(笑)
こういうラテンの人懐っこさが垣間見れた、気持ちのよい時間だった。
↑
トリニダに着いたとき、気圧の変化でラパスから持っていったボトルがこんなにへこんでた!
ラパスの4000mから、6000m級のアンデス山脈を越え、わずか200mの低地へ降りたんだからうなづけるもんだ。
↑
飛行機を降りるとこ。
一年半ぶりの熱帯と酸素の濃さに感動の瞬間・・・☆
↑
空港。ひろ~~~~~~~~~~い。
↑
空港の外観。『E』の文字が落ちて、さらに文字と文字の間に挟まっているのが確認できます。
↑
空港からすぐ近くのトリニダ市内を散歩。ボリビア(ラテンアメリカ)にはどの町に行っても、必ずこのカテドラル(大聖堂)がある。
↑
夜に、このトリニダで活動する隊員の友人らと一緒に食べたセビッチェ(魚のレモンマリネ)。食べてる最中、床にでっかいゴキブリが出ても、頭の上をコウモリが飛んでも、ぜんぶラパスにはない光景で感動しっぱなしだった。
こんな感じで初日はまったりと熱帯の風に吹かれて宿に帰りました。
ベニの夜は、なんだか懐かしいようなまどろむような夜風が気持ちかった☆
7月1日から5日まで、ボリビアの熱帯地方である「ベニ県」に、協力隊の仲間のあっちゃんと一緒に行ってきました。
旅日記の前にここでちょっとボリビアの地理の特徴をさらっと!
ボリビアは日本の3倍もの国土をもつ国。
(国の面積はアメリカ大陸では8番目に、世界的には27番目に大きい国)
そしてボリビアの地理は大きく3つに分けられます☆
●一つは国土面積の29%に及ぶティティカカ湖から国土を南に貫くアンデス山脈の標高3000m以上の年中寒冷な気候を持つアルティプラーノと呼ばれる地域。
(↑アコが住んでるとこ)
●二つ目は国土の約9%を占めるコチャバンバ県やラパス県ユンガス地方などの、アンデス地帯とアマゾン地帯の中間に位置するバジェと呼ばれる温暖な地域。
(↑コカの葉栽培が盛ん)
●三つ目が国土の北東側から東側は国土の約62%を占めるアマゾンの熱帯地域で、オリエンテ (oriente)と呼ばれる地域。
(↑今回行ったベニ県があるとこ)
この太字の数字が現してるとおり、ボリビアって実はアマゾン熱帯地域が半分以上を占めているのです。
自分がアンデス地域に住んでいるものだから、てっきり『ボリビア=アンデス』っていうイメージが定着していたけれど、さすが日本の3倍もの国土をもつボリビア、まだまだ未知なところがいっぱい・・・☆
今回は写真をメインにこの旅をご紹介します。
■7月1日■
↑
ラパス発トリニダ行(ベニ県の一番大きな町)の飛行機に乗り込むところ。
ちっちゃい!
↑
運転手席が丸見え。乗客は20人もいなかったような。
↑
アンデス山脈よ、しばしの別れ・・。
こうやって窓から見ると、まるで本当の故郷への別れのようで、涙が・・出るような出ないような。
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自分の席の前に座っていたチョリータ(アイマラ系民族)のおばあちゃん。
座席ベルトの付け方が分からなくて、乗客の人たちみんなが手取り足取り教えてあげてた。やっと席に無事つけたときは軽く拍手が起きたり(笑)
こういうラテンの人懐っこさが垣間見れた、気持ちのよい時間だった。
↑
トリニダに着いたとき、気圧の変化でラパスから持っていったボトルがこんなにへこんでた!
ラパスの4000mから、6000m級のアンデス山脈を越え、わずか200mの低地へ降りたんだからうなづけるもんだ。
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飛行機を降りるとこ。
一年半ぶりの熱帯と酸素の濃さに感動の瞬間・・・☆
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空港。ひろ~~~~~~~~~~い。
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空港の外観。『E』の文字が落ちて、さらに文字と文字の間に挟まっているのが確認できます。
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空港からすぐ近くのトリニダ市内を散歩。ボリビア(ラテンアメリカ)にはどの町に行っても、必ずこのカテドラル(大聖堂)がある。
↑
夜に、このトリニダで活動する隊員の友人らと一緒に食べたセビッチェ(魚のレモンマリネ)。食べてる最中、床にでっかいゴキブリが出ても、頭の上をコウモリが飛んでも、ぜんぶラパスにはない光景で感動しっぱなしだった。
こんな感じで初日はまったりと熱帯の風に吹かれて宿に帰りました。
ベニの夜は、なんだか懐かしいようなまどろむような夜風が気持ちかった☆