★チチカカ湖でまぐろを釣る★ En JAPON

ペルー・ボリビアから帰国しました。旅の模様を写真と一緒にアップしてます。
●◆最新更新日→2009年4月22日◆●

「食え」と言われても

2008年06月30日 | ボリビアの文化・食べ物・伝統など
最近、親友が出来た。

初めて会った当初は、かまって欲しいのが分かりやすすぎてうざく、自分の子ども嫌いも重なって遠ざけていたかった存在だったのだが、何故か、今ではもうかなり大の仲良し。

もう目と目で会話できる仲だ。

誇るべき我が親友である彼女は、ペルーとボリビアのハーフ。
でも日本にも3年いたから日本語もペラペラ。

熟れ熟れの6歳。名前はモイラちゃん。

今日の夜は、モイラちゃんと、そのママ、パパ、そしてハビエル(モイラの叔父)とみんなで夕ご飯。・・・と言っても、時間がなかったので近所の美味しいPOLLO(チキン)で簡単に。。ポテトフライ付き。


夕食も終わりかける頃、全く食の進まないモイラに、母親はこう諭す。

「モイラ!食べなさい!(スペイン語で)」


それでもチキンに手が伸びないモイラに、父親はこう諭す。

「モイラちゃん、お願い、食べてよ~(怪しい日本語で)」



業を煮やした母親が、ついに無理やりモイラの口に詰めていく。

敗北感いっぱいのモイラ。涙を少し浮かべて、力なくチキンを口に詰め込まされる。その間、ずっと、自分を見つめていた。テーブルの反対側の距離なのに、それはもう物理的には測れないような「距離」を感じた。
嗚呼・・親友よ・・・。


もし自分がモイラだったらどうだろう?

どうしてチキンを食べなくてはいけないのか。
なんで全部食べきらなくてはいけないのか。
なんでこんなしょっぱいだけの油っこいものを無理やり食べなくてはいけないのか。

子ども心にもいろいろ思うことがあるだろうに、やはり6歳という若さでは、この心の叫びを訴えるには、そこに立ちはだかる壁は大きい。


もし自分が母親だったらどうだろう?


チキンを食べるとこんなにいいことがあるよ(大きくなれる、強くなれる)って説明する。
チキンをほぐして、ポテトもどうにかして、何か他の料理に生まれ変わらせて食べさせる。
こんなに油っこいものを主食とせずに、栄養バランスを考えた献立を考える。
無理強いはしない。食べることの楽しさを伝えたいから。


「食べなさい!」とか「食え!」と言われても、犬じゃないんだから、もっと人間的に心のこもった促しってないもんか。

今まさに日本では『食育』なんていうのが叫ばれていますが、ここボリビアでそれが叫ばれるのは一体何年先のことだろう。
まずは、子どもたち以前にボリビア中の母親・父親に「食育」の大切さを知ってもらいたい。


我が親友モイラちゃんが、将来彼女の赤ちゃんに、哺乳瓶に入れたコカコーラを飲ませる姿だけは見たくないものだ(←こういう光景は路上でしょっちゅう見る)。

最近モイラちゃんがよく自分と二人きりのときにこうつぶやく。

「日本に帰りたいな。だってあっちは美味しいものがたくさんあったんだよ。モイラね、シャケのおにぎりがもう一度食べたい!」





モイラちゃん。我が親友。




母親と。一人娘に超溺愛。



モイラの父親。独学の怪しい日本語を話す。
モイラの完璧な日本語に影響を与えないことを祈るばかりだ。

自分の感受性くらい

2008年06月25日 | ボリビア日記
6月24日、もう明後日に帰国を控えた隊次12人の、帰国報告会があった。

それぞれ

・配属先概要
・本人が現地で携わった活動
・任地で活動上、直面した問題と自分が試みた解決方法
・配属先及び関係者に残せたインパクト、成果
・今後の類似の協力ケースのための教訓

という内容でパワーポイントを使用した報告方式。
それでも一人の発表時間は約10分ほど(質疑応答はまた別)。



会場の様子

この2年間を10分で要約しろって、なんて残酷!と本気で思えるのも、きっと自分が7ヵ月後に彼らのようにこの報告準備に取り掛かるときに実際感じるんだろう。


12人の、それぞれいろんな想いが詰まった2年間。

報告途中、感極まって泣き出す人。
満足に遣り切れなかったことを悔やむ人。
淡々と冷静に2年間を振り返る人。
自分はやってのけたと満足気な人。

・・・・本当にその「2年間」は十人十色。

今日は朝9時から、夕方5時までこの報告会に参加し聴講していた自分。

ここに、自分なりに印象に残った彼らの言葉を残したい。



●「・・・(この2年間での)成果は無いに等しいと考えている」

→ある視聴覚教育隊員の言葉。
周りからは良い評判もあったものの、彼女の自分に厳しい一面がこの言葉を生んだんだと思う。

●「待っていても仕事はない。足で稼げ。顔で売れ」

→ある環境教育隊員の言葉。
彼女が体を張って得た協力隊としての教訓。

●「GRACIAS(ありがとう)っていう言葉が聞ければよかった。それが私の仕事だった」

→ある獣医師隊員の言葉。
個人的に今回一番これが心に染みた。

●「意地です」

→ある経済市場調査隊員の言葉。
所属先の様々な厳しい条件下で2年間遣り通したその気持ちの根底にあるものは?の問いに対して。

●「完全に溶け込むというのは難しいし、その必要性はない。どこで妥協点を見つけるかだ」

→ある青少年活動隊員の言葉。
日系人社会とボリビア人社会との狭間で活動してきた彼が見つけた答え。

●「協力隊活動の詰まるところは〝自分〟次第」

→同じく上記の青少年活動隊員の言葉。




本当に本当に、この2年間、ボリビアという地での活動お疲れ様でした。


最後に、これまたある隊員が、彼の発表時に紹介していた詩をここでも載せたい。

実はこの彼、協力隊として来る前に2ヶ月間ある語学研修での先生が同じだった。
そしてこれから紹介する詩は、その教室の隅に貼ってあったものだ。
だから自分も、ボリビアに来る前にこの詩に出会ったとき、とても感銘したのを覚えている。
・・いや・・、感銘というか、まるで自分のことを突き刺されたような感じだった。

日本を去ってから今日まで、すっかり頭の中から忘れ去られていた詩。
「詩」って、なんだか特に好きでもないけど、この詩だけは、一生覚えていたいと思う。



自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ



負の感情・・・ボランティアの心理学

2008年06月21日 | 想うことあれこれ・・・日記
最近すごく眠い。
体もなんだかシャキっとしない。
まあ、こんな高地で生活しているのだから無理ないか・・とも思うのだが、改めて、「疲労」について考えてみた。

体の疲労は、心の疲労を招き、心の疲労は更なる体の疲労を招く。
この身体疲労と精神疲労に、洞察力の未熟さも加わると、「負の感情」が生まれる。

以下は、『NGO海外フィールド教本』という本にあった、チェックリストである。

● 自分の能力不足を感じ始めていないか?
● 些細な失敗を責任転嫁しそうになっていないか?
● イライラしていないか?
● 支援対象である現地の人々の人間性や教育レベル、文化に不満を感じ始めていないか?
● 支援活動そのものに疑問を感じ始めていないか?

・・・・自分、見事に全てに当てはまった(汗)・・・。ガーン。

この本の著者曰く、このチェックリストに一つでも当てはまったら、すぐに休養をとれ、とのこと。


多くの協力隊隊員たちは、自分も含めて、風土や文化の違う現地での生活で身体的・精神的疲労に見舞われるだろうことは、容易に想像できていたはずだ。
が、それら疲労が、どのような形で自分らに影響を及ぼすかということについては、想像できなかった者の方が多いような気がする。

中には、無自覚の疲労というのもある。自分本人の観察力や判断力、思考力が低下し、知らず知らずに自信喪失や孤独感に陥る。
生物としての自己防衛機能が働き、これ以上の疲労の素となる心身の変化を望まなくなるから、責任転嫁といった行為に陥りがちになる。そして次第に攻撃的になり、活動対象である人々や、友人などに対しても、憎悪の対象としがちになり、最終的に現地の人々、人間性、文化までをも嫌悪する、「負の感情」に至る。

気づくべき点は、以上のような心理は、ボランティア側の自分たち以外にも、現地の人々にだってあり得るという点だ。

例えば、社会状況が悪化した時や、極度のストレス状態にある場合(貧困など)、以上のような心理に陥る。これは人間に普遍的な心理現象だ。
(例・・・例えば社会治安が悪いときには、「他人を信用するな」「よそ者には関わるな」などと言った表現が存在したり、ストレス発散のために人間性や文化を攻撃対象にしがちになる)


以上から学ぶべき点は以下3点。


● 現地の人々の対応や態度に、いちいち落胆したりショックを受けない。
人が極度のストレス状態に陥ったときの凄まじさや浅ましさ、醜さを嘆く前に、それまでの自分が乏しい洞察力しかもっていなかったことを嘆くべき。

● 知るべきは「自分」という人間であり、自分の陥りやすい心理状態や、ボランティア活動の初心を思い出すことが大切。自分らより過酷な状況にいる人々を、自分の心理状態を理解しないまま好きになったり嫌いになったりすることほど身勝手なことはない。

●「休養」の大切さを改めて知る。
疲れたら遠慮なく休む!すごくシンプル。



以上、自分を振り返るために書きましたが、誰か隊員さんのお役にも立てれば幸いです。

Discriminacionと Compartir

2008年06月21日 | 想うことあれこれ・・・日記
ペルー人の友人ハビエルの姪、モイラちゃん6歳が、最近日本からボリビアに帰ってきた。

計3年間も日本にいたので、スペイン語はおろか、日本語がペラペラである。
「すき屋のカレーは美味しかったよ~」
「この服はダイエーで買ってもらったの」
「ラブ&ベリー(←最近日本の小さな女の子に人気のゲームらしい)のカードね、たくさんもってるよ」
「おにぎりはシャケ味が好き!」
・・・などなど、会話はまるで日本の女の子としているよう。



そんなモイラちゃんが、ハビエルとメルカド(スペイン語で市場の意味)へ行ったとき。
モイラちゃんがこんな発言をした(スペイン語で)。

「あのCHOLA(チョラ)、わたしに触らないでほしいわ」と。

普段すごく穏やかで優しいハビエルは、この一言で激怒。

CHOLA(チョラ)とは、ボリビアのアイマラ系先住民の女性の総称であるCHOLITA(チョリータ)という単語の「蔑称」である。

ハビエルはその後帰宅してから、お手伝いさんのチョリータさんが連れてきていた小さな男の子にフルーツをあげたのだが、それを見たモイラが、
「なんでわたしのフルーツをあの子にあげるの!ひどい!」
と大泣きした。

この2件を機に、ハビエルはモイラを目の前に座らせて1時間くらいかけてこう諭した。

「モイラ、どうして〝CHOLA〟なんていう悪い言葉を知ってるの?間違っても、彼女たちの目の前でそれを使ってはいけないし、他人を差別したり偏見をもつのはとても悪いことだよ。それに、さっきあの男の子にあげたフルーツは、もう何日も前から誰も食べてなかったでしょう。見て分かるように、あの子はきっと貧乏で、たぶんお腹が減っていたよ。服もボロボロだったでしょう?みんなと分かち合う気持ちを大切にしなくてはダメ」

このやりとりを隣で見ていた自分は、ハビエルの言葉の中でもとりわけ〝Discriminacion〟と〝 compartir〟という単語が強調されていたのが分かった。

Discriminacionとは「差別」。(例・Discriminacion racial・・・人種差別)
Compartirとは「分かち合う」の意味。


予想するに、モイラの発言は、母親の普段からの態度や発言に影響を受けていると思う。
たった6歳の女の子が不意にした発言ではあるが、自分はこの発言に今のボリビア社会が象徴されていると思った。

現在のボリビアは、低地サンタクルス・ベニ・パンド・タリハ県が自治権拡大を声高に訴え、彼らはアンデス高山地域の県や人に対して、根深い偏見がある。

そしてモイラの母親は、低地ベニ県の出身。
モイラの発言の影響の源は、ここにある。

日本の3倍以上もある広大な土地をもち、そして多様な民族や文化が入り混じるボリビア。そんな国が、内部でいがみ合っているのだから、ただでさえ南米一の発展途上国であるこの国の経済、政治はもうメチャクチャだ。

ボリビアのTVのCMには、政府のプロパガンダ系CMをよく目にする。
そしてそのCMの最後には、エボ・モラレス大統領とボリビア国旗が画面いっぱいに映り、「BOLIVIA CAMBIA~♪(ボリビアは変わる)」と締めくくられる。


この国は本当に変わっていくのだろうか。
たった6歳の女の子が〝普通〟にインディヘナに差別の感情をもつ国。
それに影響を及ぼし助長させる母親。


Discriminacionの感情をもう一度改めて子どもにも大人にも考え見つめ直して欲しい。
その感情をもつことが、いかに醜く、何も生産しないということを。

そして、Compartirする行為の美しさにも、改めて触れて欲しい。
その行為が、いかに人々の心を豊かにするかということを。

ブルジョア協力隊

2008年06月21日 | ボリビア日記
興味深いデータをゲットした。(過去のボリビアの新聞の記事)

ボリビアの主要6都市における計950世帯を対象に行われた、〝世帯収入〟の実態調査である。

以下はそのデータ。月収の収入額とパーセンテージを示す。
(Bs・・・ボリビアーノスと読む)


1,000Bs未満(≒¥15,000未満) ・・・・・・・・・・36%
1,000Bs-2,000Bs(≒¥15,000-¥30,000) ・・・・30%
2,000Bs-3,000Bs(≒¥30,000-¥45,000)・・・・ 14%
3,000Bs-4,000Bs(≒¥45,000-¥60,000)・・・・・ 7%
4,000Bs-5,000Bs(≒¥60,000-¥75,000) 4%
5,000Bs-6,000Bs(≒¥75,000-¥90,000) ・・・・・2%
6,000Bs-7,000Bs(≒¥90,000-¥105,000)・・・・ 2%
7,000Bs-8,000Bs(≒¥105,000-¥120,000)・・・・1%
8,000Bs以上(≒¥120,000以上) ・・・・・・・・・・4%


ボリビア協力隊の収入、というか実質JICAから支給される金額はというと、

●生活費・・350$US
●家賃・・・200$US

計550ドルUS・・・・約4400BS


上位トップから15%内に楽々入っている。

「草の根」とか、「現地の人と同じような生活をし」といったセリフが売りの協力隊ではありますが、正直いって生活そのものはこの数字が示すように、大変ブルジョアであります。

旅行だって好きな時に行きたいところへ行ける。しかも飛行機で。
食事も、ボリビア人にとってはスペシャルなレストランにだって日常的に行ける。
家だって、大使館が連立するようなリッチな人が住む地区にある(我が家の場合)。


でもこの額も、JICAなりのちゃんとした考えがあってのものなので、現地の事情等も知らずに非難するのも短絡的といえる。

一般的に途上国では、「安全はお金で買う」ものだ。
日本とは風土も環境も言葉も違う土地で生活するには、それなりの苦労や困難がある。精神的疲労を最小限に抑えるための額なのかな、とも思える。


・・・と、以上、いろいろ云々言ってきたけど、でもやっぱりこの額は大きいなと感じることはしばしば。


気持ちよく晴れた休日にお気に入りのカフェへ行く途中、道端で物乞いする老婆や乳児を連れたインディヘナの女性を目にした。


上記のデータの一番上にある

1,000Bs未満(≒¥15,000未満) ・・・・・・・・・・36%

・・・というこの数字。

36%って、つまりボリビア国民の大体3人に1人は月収15,000未満ということになるが、この36%という数字の中には、さらに複雑な階層レベルの差が存在するんだと思う。


大学時代からゼミを通して、「世界の貧困」とか、「世界のグローバリズム」を勉強してきたけど、最近またこれらのテーマが気になっている。



サッカー観戦からみるボリビアという国

2008年06月18日 | ボリビアの文化・食べ物・伝統など
6月15日(土)、いま世界中で行われているワールドカップ南米予選のボリビア対チリ戦を見にラパス隊のみんなと行ってきた。

サッカーなんて特別興味もないし素人の自分が、自分なりにこの観戦で受けた印象をここに記そうと思う。




結果から言うと、0対2で惜しくも負けた。
いや、正直に書くと、全く惜しくもなんともなく、〝フツー〟に負けた。

よく若い人が、この「フツー」という言葉を使うが、自分も結構使うわりにこの言葉好きではない。

だが、ここでは敢えてこの言葉を使いたい。
なんつーか、見ててもう、これが当たり前の自然の成り行きという感じで、〝フツー〟にあっさり負けた。


加えてもう一つここで記しておきたいのは、観戦中の自分の心境の変化である。

まず、はじめにものすごく見ていてイライラした。
後半、「ボリビアだしな・・」という諦めモードになった。
最後には、もう冷静に傍観している自分。

これらの視線の対象は、もちろん、ボリビアチームの選手たち。サッカーの知識がまるでない自分から見ても、なんてまとまりのないチームなんだろうと思えた。ホームの、しかも標高3700mもあるこの地で普段生活し、日々練習しているだろうチームが、なんで低地のチリから来てる外者に負けるんだ?負けるだけならまだしも、試合中から圧倒的に〝走り〟で既に負けてる。

おまけにボリビアチームのパスのクソ下手さ。やたら目立つ選手は二人だけで、まとまりがない。みんな「我先に」みたいな感が伺える。チームの連帯感なんか微塵も感じられなかった。

そう、連帯感と言えば、応援席にもその特徴が随所に見られた。

チリの応援席はボリビアのそれの10分の1くらいなのに、応援はとてもまとまりがあり連帯感が感じられ、応援そのもの自体がよく構成されている。試合の始まりから終わりまで、見ていて気持ちの良い勢いが保たれていた。
視覚的なものでは、煙筒(チリ国旗の色の赤)やバカでかいチリ国旗など。音響的にも、日本のような大きな太鼓でリズムをとり、少人数ながらもまとまって声を張っていた。

ボリビアはどうか。
皆、個人個人では確かに応援の格好はよく出来ていた。ボリビア色の帽子、フェイスペイント、ボリビア国旗などなど。でもなんか「自分だけ飾れればそれでいい」感が見ていてぬぐえなかったのはどうしてだろう。

ボリビアの応援はこうだ。

「ボーボーボー!」
「リーリーリー!」
「ビアビアビア!」

と応援席の右側、左側、前方がそれぞれ声を出し、
最後に
『ビーバ!ボーリービア!』
と声をまとめる。

初めて聞いたとき、「ダサッ」と思った。

特筆すべきは、ボリビアはこれくらいしか連帯感のある応援は無く、しかも後半ボリビアが負け始めると、応援席からの声は綺麗に消えていった。
諦めがめちゃくちゃ潔いのだ。
諦め先進国No.1だ。


前述した通り、はじめこのボリビアのチームと応援席にイライラしていた自分だが、次第にそれは「ボリビア」という単語一つで納得と諦めという心境になり、最後には第3者として冷静に傍観している自分がいた。


サッカーの勝ち負けよりも、このボリビアという国、国民性、負けっぱなし人生というものを嫌というほど見せ付けられた気分。

それだけなら同情する余地もあるのに、連帯感をもとうともせず、「我良ければそれでよし」的な、それでいて諦めの早い、この国のダメな点が鮮明に浮かんだこの試合。

自分だけでなく、一緒に行ったラパス隊みんなテンションが下がったのは言うまでもない。

おまけに、試合後に路上で食べたアンティクーチョという串焼きに当たり、この夜胃痛で苦しんだ。


ボリビアって・・・。

嗚呼・・・・・。




この日の観戦チケット。ダフ屋で買って一人90ボリビアーノス。約1350円。
金返せ!



チケットを買ったときの写真。右側にいるアワヨという布をしょったおばちゃんがダフ屋。



思わず買ってしまったボリビアカラーの帽子。



スタディウム付近にはたくさんのボリビアチームのグッズ。
が、それも今となってはむなしい。



左から、ヒサ、ノン、自分、ケイ。
試合前のまだ希望を抱いていた頃に撮影。

最近のお気に入りランチ

2008年06月18日 | ボリビアの文化・食べ物・伝統など
最近お気に入りのお昼ご飯。



シンプル・イズ・ベスト!とはまさに☆
素材重視の料理でございます。

一体この料理名が何なのか未だ知らないけれど、内容は至って簡単。

● こんがり焼いた豚肉
● ふかしたお芋
● 芋虫みたいな芋
● 焼きバナナ

以上!

一般的に路上で売っている。10ボリビアーノス(約150円)
大体いつも、インディヘナのおばちゃん(チョリータという)が売っていて、近寄ると「ほら食べてみて!」と味見させてくれるのだ。

パリパリにこんがり焼いた皮と、肉厚でジューシーなお肉が美味しい☆
ボリビアの牛肉は絶対日本よりまずいと断言できるけど(いつも固い)、鶏肉とこの豚肉は、ボリビア結構イケるんじゃないかと思う。

約800種類はあるといわれるボリビアの芋。
確かに日本よりかは種類豊富だと思うけど、800種類は・・・・・・・どうなんだろ??!
たくさんある種類の中で、自分が好きなのがコレ!↓



まるで芋虫なのだけど、ほんのり甘くてホクホクで美味しい。

ボリビアに居られるのも、残りなんと7ヶ月とちょっと!

日本では食べられないようないろんな種類のボリビア産のお芋を食べつくそうかと思います。

ボリビアの子ども事情に迫る

2008年06月14日 | 協力隊としてのお仕事日記
今回は、いま自分が働いている職場「CESDI」(セスディ)の子ども事情を3点書いてみようと思う。


① 皮膚病 (スペイン語でVERRUGA・ベルーガという) 尋常性ゆうぜいいぼ



ある男の子の手

ボリビアの子ども施設で目に入った特徴の一つにこれがある。特に貧困地域の施設ではその率もぐんと上がる。

手、指、口のまわり、唇などが主な発症箇所であり、大きな突起物のようなものがたくさん。触るとどんどん広がっていくらしい。

原因は、「ヒト乳頭腫ウイルス」が皮膚に感染するからだそう。

医者だったボリビア人の友人に聞くところによると、「ビタミン不足」もなかなか直らない原因の一つらしい。

・ 充分な食べ物を与えることが出来ない→貧困問題
・ 与えるべき栄養についての知識が母親たちに無い→教育不足

ある施設では、「ビタミンのサプリメント」をおやつの時間にあげていたが、これでは根本的な解決になっていないのは一目瞭然。



② 異父兄妹・異母兄弟、多兄妹

つい最近の会話(スペイン語で)

あこ :「隣のコはあなたの妹だよねえ。全部で何人なの?」

男の子:「あっちにいるコも僕の妹だから全部で3人。そしてあと9人。だから全部で11人だよ。」

あこ :「??どうして数字を別々にして数えるの?」

男の子:「他の9人は、パパが他の女の人と作った子だから。ママは別々なの。ほら、あっちにいる男の子がそうだよ。」

・・・と言って指差した先にいた男の子は、確かに兄弟には見えなかった。
彼の、その先にいる〝兄弟〟を見る目がなんとなく冷たかった。



また別の子との会話

あこ :「あなたのお兄ちゃんが、あなた達は3人兄弟って言ってたよ。あそこにいる女の子がお姉さんなんでしょう?」

女の子:「あの人は別のパパの子だから、兄妹なんかじゃないやい!」

・・・う~む・・なんか悪いことを聞いてしまった気分。彼女の〝姉〟をそれとして認めない強い態度が印象的だった。



この会話は左の女の子とのもの。右は実のお兄ちゃん。
この他に、異父姉妹の姉がいる。


今挙げた例は一部で、これまでにも何度も「異父兄弟」「異母兄弟」を見かけた。
彼らは、一緒の家に住む他人とも兄弟とも言えない兄妹たちに疑問を残しながら、多感な時期を過ごしている。

これ以外にも、ある女の子との会話。

「私は一人っ子だよ。家族は私とママだけ。パパは昔、他の女の人とどこかへ行っちゃって、5人子どもがいるんだって。ママは朝4時から働いて、家に帰ってくるのはいつも夜11時過ぎなの。」

というのもあった。

施設ではいつも元気で明るい彼女が淡々と教えてくれた彼女の事情。
幼いながらにもう人生の苦味を味わっているとは。。。


その他に、兄妹の人数が多いのも特徴的に感じる。
5人なんてのはザラで、8人、9人、10人・・・と予想以上に見かける。
今の自分の施設で「11人兄妹」は3組もいた。


以上これらが示すのは

● 家族計画の知識不足・・・(でも途上国によくある、「働き手の確保のため」という一面も否めない)
● 奔放で自由なラテン人の気質・・・??(断言できないけど・・)

前者は大方当たっていると言えるが、後者はどうか。
浮気なんて当たり前、「離婚」や「シングルマザー」という言葉をよく耳にするここボリビア。果たして真実はどうなんだろう。

まあ個人のプライバシーの問題と言ったらそれまでなんだけど、こうも目の前にいる子どもたちのたまにフト見せる切ない悲しそうな表情を見ると、なにか策は打てないものかと考えてしまう。



③ 誘拐

先週、この施設の門の扉にこんな張り紙が。



3歳の女の子が行方不明になってしまったそうだ。

実は、こういった「行方不明」の張り紙はこれまでに何度も見たことがある。
自分の家近くの電柱にも同じく3歳の子の行方不明の張り紙があった。
バスのターミナルへ行くと、いろんなバス窓口の近くで、子どもたちの行方不明の張り紙を見かける。

「ちょっと、多すぎない???!」
といつも思う。

日本だって子どもの行方不明事件はある。
でもこのボリビアで見かける行方不明の張り紙、見かける頻度がその比じゃないのだ。

ボリビア人の友人曰く、

・ 小さな子どもは、臓器売買のため
・ 女の子は、売春目的で売るため
・ 成人女性は、大体が駆け落ちのため

・・・・なんだそう。

最後は自分らの意思だから仕方ないとして、他の2つは、なんとも悲しすぎる。

この分野に関して自分は知識がないので特に大きなことは言えないけれど、これはどこか他の国(ラテンアメリカの)が関わっているんだろうか?
ボリビアにもマフィアはいるのか?
どういった組織が存在しているのか?

何にしろ、ボリビア政府、なんで動かないんだろう?!?!


以上①、②、③と、自分の仕事場で特徴的な点を出してみた。
これらが全て、ボリビアの社会の諸問題を反映していると言ったら大げさだろうか?

正直言って、子どもは特にそんなに好きでもない。

でも、たくさんの「可能性」をにぎり潰してしまうこの国が抱える諸問題は、やはり一刻も早く対策を打つ必要性があるのは確かだと思うし、そうしなくてはこの国は「ラテンアメリカの鬱」と呼ばれ続けてしまうだろう。

ボリビア人はよく、

「ボリビアは、ラテンアメリカのCORAZON(心)だ!」

と言う。
(地理的にラテンアメリカの中央に位置するので)

でも本当にボリビアをラテンアメリカのCORAZONだと考えてる人はどれだけいるんだろう。

勝手な想像だけど、こんだけいろいろ問題山積みなだけに、自分たちを慰めるためのセリフにも聞こえる。

ボリビアっていう国を知れば知るほど、うずうずしてくるのは自分だけか。


この国の誰もがみんな胸をはってラテンアメリカのCORAZONとして誇れる日が来るのは一体いつなんだろう。

雪が降った

2008年06月14日 | ボリビア日記
6月11日。

朝からどんより曇り空で、そのうち雨になったかと思ったら、地面がなんだか白っぽい。

仕事先の施設に着いたら、雪になってた!!!

子どもたちみんな、もうクラスどころではない。

「あこー!外に行こうよ!」と誘われるがままついていって、一枚パチリ。



ついでにワンコも。




ボリビアに来る前は、『南米』っていったら、暑いところだとばかり思ってた。
まさか標高が富士山よりも高い地に住むとは思わなかった。
そして雪まで降るとは・・・。

人生いろいろあるもんだ。


モテモテ

2008年06月13日 | 協力隊としてのお仕事日記
正直言って、子どもはそんなに好きじゃない。
(職種は「青少年活動」ですが)

崖から落ちそうになっている子どもと子犬がいたら、迷わず子犬の手を握ると思う。

目の前で子どもが泣いていたら、「うるせえ」と大体まずそう思う。

子どもだからって、口調は変えない。普通の大人と接するときのように話す。


自分のスタンスは、世界中の子どもたちの幸せは願うが、犬ほど好きではない、といった感じ。
(「青少年活動」を志望したのもそういう理由による)


これまでにも、いろんな国で教育系・子ども系ボランティア活動をしてきた。
タイでは山岳少数民族の子どもたちと。
ラオスではモン族の子たちと。
メキシコでは村の子どもたちと。
インドではストリートチルドレンの子たちと。
ネパールでは村の小学生たちと。
日本の関西(兵庫や京都)では3校の小学生たちと。
そしてここ南米ボリビアでも。。。。


これまでに、一体何人の子どもたちと関わってきたんだろう。
経験を踏むにつれて、
「ああ、やっぱり自分はそんなに子ども好きでもないなあ」って思う。


でも、なぜか、いつもモテる。


ここボリビアでも例外ではなくて、毎回仕事場に着くたびに
「あこおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」と熱い抱擁と挨拶のキスをくれる。

最近は、なぜかプレゼント攻撃だった。


ある子は、あこのために時間をかけて作った立体切り絵の大きなカードをプレゼントしてくれた。



中央に「ACO」と浮き彫りになっているのがキメテらしい。

カードの裏はドラゴンボールZのシール付きだった。




そして、折り紙名人のある子は、これまた時間をかけて作った折り紙の「天使」をくれた。



ちゃんと天井から下げられるように紐もついている。ボリビア人にしては珍しい心遣い。



天使をくれた折り紙名人のホセ(右)


昨日は、15歳の女の子たちから、バラとカーネーションをいきなりプレゼントされた。



「わあ!嬉しい!」と仮面の笑顔で喜んだら(←その時すごく空腹だった)、彼女たちもすごくはしゃいでいた。



仮面の笑顔にて。



一体どうしてみんなこんなにも自分を慕ってくれるのだろう?
長年の経験で培った、〝偽りの笑顔〟(仮面の笑顔とも言う)を、子ども心には見抜けないのだろうか?

何にしても、『子どもは特に好きじゃないけど、世界中の子どもの幸せを願う』という自分のスタンスは、これでいいと思っている。
情を入れすぎず客観的に物事を見れるし、クールに働けるから。


こないだある子どもが、その子のペットだという子犬を連れてきた。

「可愛いっっ!!」と、その日一番の笑顔になった自分を振り返って、改めて自分という人間を再確認したのであった。


ボリビアの折り紙博物館

2008年06月13日 | 協力隊としてのお仕事日記
いま自分が働いている施設では、何人かの大学生たちがボランティアで時間を見つけては手伝いに来てくれている。

その中に、ブライアン(前の日記で紹介した人)と、ホセという二人の「折り紙名人」がいるのだが、彼ら独自のアイデアで「折り紙講座クラス」を別クラスで設けている。

今日は、そのクラスの教室に、仕事後ちょっと様子を見てきた。

教室はまるで、「折り紙博物館」とでも言っていいくらいの素晴らしい作品が展示されてあった。すごい、マジで。



魔法使いの作品(頭上)



立体。天井から吊り下げられてる。



これも立体の作品。



ドラゴン。一体何時間かけて作ったんだろう?!



立体の星。大きいので迫力ある。



折り紙のお花、ぼうし、箱、などなど。。。


ホセは21歳の大学生。
でも、近々他県に行くことになっている。
大学を卒業するのを待たず、働きに出るそうだ。
彼は11人兄妹。親御さんたちも、金銭的援助が難しいのかもしれない。

こんなに素晴らしい才能があるのに、このまま埋もれるのも、なんだかもったいない。

「折り紙留学」という名目で、どこかに行くチャンスはないものかと考えたけど・・・、う~~む。。。彼の折り紙は、もう芸術の域なんだけどなあ。

ホセに、日本の歌を100曲くらいCDに焼いてプレゼントした。
いつもお世話になっているお礼に。
とても喜んでくれていて、こっちも嬉しい。


自分にとって、日本の文化である折り紙の素晴らしさを教えてくれたのは、まぎれもなくボリビア人のホセ(とブライアン)だった。



折り紙を教えているホセ(左)



いつも一緒に働いているファビー(左)。
すごく気さくで可愛い28歳。

インカ道へ行く! 【三日目】後半・ついにゴーーール☆

2008年06月13日 | こんなとこ旅しました日記
前回のつづき・・




休憩中に見た山々




村人たちのお墓・・かな?



レモンの花



レモンの実



古い民家



休憩中のマルセロとハビエル


10:45 川で休憩



橋の下から



きれいな清流



常に最後尾を保ち続けたけいこちん(奥のほうにある点)と、それを見つめるチカちゃん



美味しそうなブルーベリー



映り悪いけど蝉の抜け殻!


11:30 休憩5分



英語、スペイン語、そしてアイマラ語での表記(通行禁止)




今回歩いた道



赤い花



みどりの匂いがたまらん



きれいな花



途中ハビエルが何かの実を発見



美味しそう☆日本でも小さいときこういうの食べたことある。



美味しそうに実を食べるけいこちん。これで先頭との差はよけい開くのであった。



ロバ。今回の旅はロバと牛の遭遇率が高かった




13:35 何度かの休憩を経て、ついにMINA(ミナ)という最終村に到着!!!!!

今朝歩き出したのが9時くらいで、もう昼過ぎには着いたのだ。

ここからバスに乗ってラパスへ帰ることになる。

「ああ、、もう着いちゃった・・・」というのが正直な感想。
体力的にはバスで帰るというのを求めているのだけれど、ここまで歩いてきた行程を一気にバスで消化してしまうのがなんだかもったいなかった。



アジアっぽい村「ミナ」



なかなか来ないバスを待ってるところ


やっとバスが来て、皆で乗り込む。

発車して5分後くらいに停車。警察の調べがあるという。
ここは「ミネラル」が採掘される村ということで、それの持ち出しをチェックしているとのこと。



警察取調べ中。



これがミネラル



バスの中。乗車率150%くらいだった。


その後は、もうひたすらラパスまでバスの旅。3時間くらいかな。

2泊3日歩き通した満足感と達成感で満ち溢れていた。
「さて、帰りはバスの車窓からの眺めでも楽しもう☆」と思っていたのも束の間、帰途のバスの中での自分は、拳握り締める冷や汗の時間であった。

それもそのはず、この帰り道は、ボリビアで年間200人の死者を出すことで有名な「死の道」だったからだ。



死の道

落ちたら最後という崖っぷちを、崖から5cmくらいギリギリで走る。
曲がり道も容赦ない。対向車が来てもスピードはそのまま。本当にギリギリでとまる。この運転手は「スピードを下げる」という言葉を知らないようだった。

この帰り道ほど、心臓に悪いものはない。

インカ道トレッキングはまた何度でも行きたいけれど、この死の道はもう本当にこりごりだ。


その後死の道が終わり、窓から見える景色がだんだん変わっていくのが分かる。



途中バスの中から見えたお城



大きな雲と青い空。まだ山には緑がある。



ラパス到着前の景色。我がアンデスの山々。茶色い。。。



こうして、無事に我が故郷に帰ってきた。


壮大な歴史が刻まれている「インカ道」。

ラテンアメリカの歴史なんかちっとも興味なかった自分だけれど、今回こうして何世紀も前にインカの人々が築いて歩いてきた道を自分も歩いたことで、親しみを感じることができた。

アンデスの自然の厳しさを身をもって感じることができたし(初日)、そして自然の豊かさの偉大さ(2・3日目)も学んだ。

自分らはたった二泊三日のトレッキングゴールを目指していたにすぎないけれど、当時のインカの人々は、帝国を栄えさせるために壮大な夢とロマンをもってこの道を築いていったのだろう。

トレッキングは、言ってみればひたすら歩くことに過ぎないのだけれど、今回を通じて、一緒に歩いた仲間たちの魅力や、景色をじっくり楽しむこと、キャンプ生活、自炊などなど、トレッキングの虜になってしまった。


本当に魅力いっぱいのインカ道、絶対また行く!!!

ボリビアのステキなとこ発見の旅は、まだまだ続きます☆

インカ道へ行く! 【三日目】前半・ひたすら歩くっ!

2008年06月13日 | こんなとこ旅しました日記
最終日の3日目の朝

8:00 起床

昨夜よりも標高が低いとはいえ、やっぱり夜は冷え込んで寒かった。。。
銀マットを下にひいて寝ていたのだけど、体の節々が痛い。次回は何か対策を打たねば。それでも、標高が低いこの場所では芝生がいいクッションになっている。
標高低いって、やっぱいい。

8:30 朝食 
軽くパン、フルーツ、コーヒーなど。



朝の風景


9:10 最終ゴールまでの村に向けて、皆意気揚々と出発!



野良牛。
うちらは彼らのテリトリーに寝ていたらしく、昨晩はずっと彼らがうちらのテントの周りをうろうろしていたらしい(多数の初々しいウンコで判明)



雄のリーダー格の牛がうちらを威嚇してた。そばには牝牛たちや孔子も。




昨日ここへ来るときに渡った吊り橋にて☆
「ボリビア製」の吊り橋は、なんか不安に駆られる。




出発して10分後くらいに川を見下ろす。
初日の景色とはすごい違い。緑が豊か。



白い花。ラパスでは見たことない。



みんな。

結局この3日間、歩く順番は多少の違いさえあったものの、大体いつも似たような感じだった。

1番目(先頭)
ジョー・・・タイムキーパー兼、皆をせかすしっかり者。

2番目
マルセロ・・・この体格にして歩く速度は早い。さっさと行ってしまうので、すぐ見えなくなる。

3番目~5番目
チカちゃん、あっちゃん、あこ
・・・入れ替わり立ち代り。

6番目
ハビエル・・・いつも最後尾のけいこちゃんを気にしてた。その他、荷物をたくさん持ってくれたり個人的に一番助けになった。

7番目(最後尾)
けいこちゃん・・・超マイペースでとにかくゆっくり歩くのだけど、一番このトレッキングを楽しんでたように思う。


うちらのグループは、↑こんな感じでそれぞれのペースもバラバラだったけれど、ちゃんと男性陣が思いやりもってくれてたのがよかった。
トレッキングの天国と地獄を分けるのは、男性陣のメンバーも結構重要だと思った。思いやりと、体力がある人は本当に重宝する☆


9:35 ロマ・アナサニに到着




LOMA ANASANI
Vovablo aymara que significa “altura pequeña y prplongada donde abunda la tierra negra”, optima para el cultivo.
アイマラ語の意味で、「耕作のために最適な黒い大地に富む短くも長引く山頂」

Distancia recorrida 18550m
行程距離

Distancia a comunidad Chojilla 650m
チョフィジャ・コミュニティーまでの距離

Altura 2950m
標高


今日は天気にも恵まれてたせいもあり、もうこの時点でみんな軽く汗をかいていた。

でも呼吸するたび緑豊かな匂いいっぱいの空気を味わえるこの喜びは、普段標高4000m弱の地に住んでいる我々だからこそ、本気で味わえるのだと思う。

今日は昨日よりさらに「低地」の植物と風景にめぐり合えた。



野生パパイヤ



日本では見たことない花



たぶん牛よけ用の柵。そしてけいこちん



9:35 チョフジャ・コミュニティーに到着!



以下訳(てきとー)

COMUNIDAD CHOJLLA
La palabra “Chojlla” tiene su origen en en aymara “Chhujlla” que significa valle donde predominan los pastos altos.

「CHOJILLAチョフィジャ」という言葉はアイマラ語の、「大量の芝生が占める谷」を意味する「CHHUJLLAチュフジャ」に起源をもつ。

Chojlla, donde se produce es primer camino de piso ecologico, ha sido un lugar de descanso en la via prehipanica.
生態層の重要な道をつくる「チョフジャ」は、プレインカ時代の街道における休憩場である。

Esta proxima al sitio denominado Inka Lacaya,en el que se cree hay importantes restos aun no investigados.

インカ・ラカヤと名づけられたこの次の場所は、調査されていないにも関わらず重要な廃墟があると信じられている。

En las cercanias de Choylla se ha establecido importantes emprendimientos mineros dedicados a la explotacion de estaño, wolfran y plata en las epocas colonial y republicana.

「チョイジャ」近郊の者たちは、植民地時代や共和国時代におけるスズ(錫)、タングステン、銀の採掘に従事する重要な鉱夫として確立している。

La politica economica de la comunidad se base en la agricultura, la froricultura, la apicultura y la crianza de ganado vacuno, porcino y algunas aves.

コミュニティーの経済は農業、花作り、養蜂、牛の家畜や豚、鶏の飼育を基盤としている。

REFERENCIAS 参考

Elevacion 2600m
標高

Distancia acumulada 19200m
累積距離

Poblacion 19hombres 24mujeres
人口 男性19人、女性24人


この記録が一体いつのものなのか記載されていなかったけれど、この人口からして10家族にも満たないだろう。

とても小さい村には変わりないけど、初日に泊まったアンデス色濃い村に比べたら、豊かな自然、自活できるくらいの家畜と採掘の仕事があるのが大きな違いだ。
やっぱり、つくづく「アンデス」の村生活は過酷なのだと想像した。

10分くらい休憩して、また出発。
もうゴールは近い。
あとはひたすら下りまくる!


続く・・・

生きてるだけでなんか不健康

2008年06月08日 | ボリビア日記
今この日記、寝込みながらパソコン打ってます。

今日なんだかんだで一日中寝込んでた(土曜日)。


ここボリビアに来て1年6ヶ月。
日々、自分の体がボリビアに慣れつつも、弱くなってるなと感じる。

特徴的なのは以下2点

①胃腸系が弱ってる

今年はまだいい。去年はマジで毎月ひどかった。
夜中に突然の激しい胃痛。ちょっと合わないセニョーラの家でホームステイしてた
ことで日々ストレス溜まってたらしいくて。

大体いつも

激しい胃痛→お腹の膨張感→ひどり下痢→とまらない吐き気→40度近い高熱

のパターン。

今年はストレスとかよりも、まともに(?)食中毒経路でこうなるタイプが多い。



②タチの悪い風邪

これもやっかい。
今寝込んでるのはこれですこれ。

大体1~2週間くらいじりじりじっくりその兆候は現れる。
今回の場合は、10日前くらいから、悪寒、のどの痛み、軽い頭痛だった。
そしていつも大抵高熱が出て寝込んで廃人、というケース。

ボリビアでひく風邪の特徴は
・じっくり攻めてきて
・なかなか直らない

というほんとやっかいなもの。
なんでこうも日本のときのようにスパッと直らないもんか。
免疫力がないのか?

今回は早めの対処をと思って、この土日で徹底的に休養安静にして直す構え。
だって、だらだら寝込んで仕事休みたくないし。


その他、例えば高地による低酸素の影響で、
・視力は下がる
・決定力は下がる
・思考能力は下がる
などなど、医学的データも実はあるくさい。

超紫外線と乾燥という肌の2大敵もバッチリ揃ってるし。

嗚呼・・・ボリビアって・・・・・。


これまで訪れたいろんな国では、日本とは違った「健康」ポイントがたくさん日々見つけられたのに。
例えば、
・タイ・・・様々なハーブや香辛料をつかった野菜たっぷりの食事
・インド・・・アーユルベーダの医学、ヨガが、普通に浸透してる
とかね。


ボリビアは、
油(しかも古い)ぎとぎと、過多炭水化物、極小野菜の3点セット。

他の国に見られるような、文化的・伝統的な「健康の知恵」みたいのが、あまりすぱっと感じられないのはどうしてだろう。

なんか、「生きるためには・・!」っていう切迫感すらも感じる。
(アンデスの環境は厳しいのだ)


いろいろ慣れてきて愛着もあるこの国。

でも、健康的に長生き!!にはまず向いてない国と言えるのは確かでしょう。


まあ、

生きてるだけで、幸せなのだ。

いくら不健康的であっても。

インカ道へ行く! 【二日目】後半・やっぱり辛いラストスパート

2008年06月08日 | こんなとこ旅しました日記
みんな空腹と疲れと暑さで口数も減ってきた。
自分より5倍くらい重い荷物を背負ってる(というか持ってもらってる)ハビエルは、未だに孫悟空並みに軽快な足取り。

女子組の現在の状況

・チカちゃん
険しい顔ながらも遅れをとりまいとしてか、黙々と歩く。グループの中間を歩き保つ。

・あっちゃん
自分と同様、トレッキングシューズではないので、足取り危険。背中にしょってる銀マットがよくズレていた。

・けいこちゃん
一行の最後尾を堂々保持。たまに先頭のジョーと1キロ以上離れていたりもしたが、本人は至ってマイペース。

・自分
マイペースに歩くけいこちゃんに癒され、自分もマイペースに写真を撮りながらてくてく歩く。どうでもいい独り言が多かった。


13:50 また新たな看板



CHALLAN LOMA
Vocablo aymara que significa “altura arenosa, pequeña y prolongada”
アイマラ語の意味で、「小さくも長引く砂の山頂」



仲間と一緒に行くトレッキングも、歩行中は自分との戦い。


14:10 ついにお昼ご飯休憩 

「も~つかれたあああああ」の声と共に木陰にへたる。
今日はなかなか良い休憩場所が見つからず、小さな木陰で昼食休憩。サンドイッチ。



休憩にて。落ちてしまったハムも難のことなく食べるけいこ嬢

この時ほど、「コカコーラ」が恋しいと思った瞬間はない。

30分ほどで出発

15:05 看板



PALLPALLI LOMA
Vocablo aymara que significa “altura pequeña y prolongada en donde ponerse el sol aparecen las primeras sombras”
アイマラ語の意味で、「太陽が初めての影を現れさせる短くも長引く山頂」

自分は上手く訳せてないんだけれど、なんか↑この看板の意味も、当時の人々のこの道に対する想いを感じさせてくれる。
つまり、ひたすら暑くて長い道のりの中、ようやく木陰が出てくる道というわけ。


15:25 また他の看板に遭遇



QALA JALIRI LOMA
Vocablo aymara que significa “altura pequeña y prolongada , de donde frecuentamente caen piedras.”
アイマラ語の意味で、「頻繁に落石する、短くも長引く山頂」



ガイドのジョーもくたくた?



だんだん標高が低くなってるのを示されるように、草木がどんどん生い茂ってくる。



野いちごも発見☆


15:50 看板



LAKA TIJI
Vocablo aymara que significa “en la zona existe un pequeño abrigo natural”
アイマラ語の意味で、「小さな自然の避難場所が存在する地帯」



こんなきれいな白い花も



野生のバナナの花



野生のフルーツをハビエルが発見!
それを味見し不思議な顔をするけいこちゃん。
そしてそれを見守るマルセロ。



KACAPI
Iglesia del periodo colonial a 150m
「150m先にコロニアル調の石の教会がある」
と書いてある。



ほんとにあったー!
一筋の光が差し込むコロニアルな石の教会。
ぼろぼろなんだけど、なんか面影が神秘的。



ESCALER ACHACHILA
Vocablo aymara que significa “lugar donde existen escalinatas que dan acceso al cerro donde se realizaban ceremonias”.
アイマラ語の意味で、「儀式が行われていた岩山への入り口へつながる階段が存在する場所」


夕方5時も過ぎたころ、
「今日はなんとしても日が暮れる前に目的地について余裕もってテント張ったり火をおこしたり夕食作りたい!
という思いがあったので、皆急ぎ足で歩く。
焚き火用の焚き木も拾いながら。


17:55 今日の目的地到着!!!

・テント張り
・火おこし
・夕食作り
・近くの川の位置確認

以上が真っ先にやったこと。
みんな手馴れたもんだった。



夕食作り風景。この日のメニューはトゥルーチャ(鱒)入り特製おじや!



やっぱりキャンプは「焚き火」がないと始まらない!!!
焚き火師匠ハビエルと、その弟子けいこちゃんの活躍で、ほっこりみんなで温まった。


美味しい夕食で満足して、焚き火を囲みながら、今日の道中のことを語り合ったりした。気の置けない仲間とのこういう時間は、なんて贅沢なんだろう。

周りにはホタルがたくさん!
野良牛もたくさん!
そして野良牛のうんこも至るところで山盛りだった。

でも人間不思議なもんで、こういう野生的な空間にいるとそういう感覚になるのか、「これも焚き火にくもうや」と、素手でカラカラに乾いた野良牛うんこを拾ってる自分がいた。


大大大満足な時間は過ぎ去り、23;10 気持ちよい疲れと満足感の中、就寝。

ちゃんと筋肉痛予防のリンパ腺マッサージも欠かさない(これのおかげで今回は特に筋肉痛で苦しむことはなかった)



真夜中にテントの中から撮った。夜中じゅう、超至近距離に野良牛が自分たちを取り囲んでいた。
どうやらうちらは野良牛さんたちのテリトリーの中にテントを張っていたらしい。