最近、親友が出来た。
初めて会った当初は、かまって欲しいのが分かりやすすぎてうざく、自分の子ども嫌いも重なって遠ざけていたかった存在だったのだが、何故か、今ではもうかなり大の仲良し。
もう目と目で会話できる仲だ。
誇るべき我が親友である彼女は、ペルーとボリビアのハーフ。
でも日本にも3年いたから日本語もペラペラ。
熟れ熟れの6歳。名前はモイラちゃん。
今日の夜は、モイラちゃんと、そのママ、パパ、そしてハビエル(モイラの叔父)とみんなで夕ご飯。・・・と言っても、時間がなかったので近所の美味しいPOLLO(チキン)で簡単に。。ポテトフライ付き。
夕食も終わりかける頃、全く食の進まないモイラに、母親はこう諭す。
「モイラ!食べなさい!(スペイン語で)」
それでもチキンに手が伸びないモイラに、父親はこう諭す。
「モイラちゃん、お願い、食べてよ~(怪しい日本語で)」
業を煮やした母親が、ついに無理やりモイラの口に詰めていく。
敗北感いっぱいのモイラ。涙を少し浮かべて、力なくチキンを口に詰め込まされる。その間、ずっと、自分を見つめていた。テーブルの反対側の距離なのに、それはもう物理的には測れないような「距離」を感じた。
嗚呼・・親友よ・・・。
もし自分がモイラだったらどうだろう?
どうしてチキンを食べなくてはいけないのか。
なんで全部食べきらなくてはいけないのか。
なんでこんなしょっぱいだけの油っこいものを無理やり食べなくてはいけないのか。
子ども心にもいろいろ思うことがあるだろうに、やはり6歳という若さでは、この心の叫びを訴えるには、そこに立ちはだかる壁は大きい。
もし自分が母親だったらどうだろう?
チキンを食べるとこんなにいいことがあるよ(大きくなれる、強くなれる)って説明する。
チキンをほぐして、ポテトもどうにかして、何か他の料理に生まれ変わらせて食べさせる。
こんなに油っこいものを主食とせずに、栄養バランスを考えた献立を考える。
無理強いはしない。食べることの楽しさを伝えたいから。
「食べなさい!」とか「食え!」と言われても、犬じゃないんだから、もっと人間的に心のこもった促しってないもんか。
今まさに日本では『食育』なんていうのが叫ばれていますが、ここボリビアでそれが叫ばれるのは一体何年先のことだろう。
まずは、子どもたち以前にボリビア中の母親・父親に「食育」の大切さを知ってもらいたい。
我が親友モイラちゃんが、将来彼女の赤ちゃんに、哺乳瓶に入れたコカコーラを飲ませる姿だけは見たくないものだ(←こういう光景は路上でしょっちゅう見る)。
最近モイラちゃんがよく自分と二人きりのときにこうつぶやく。
「日本に帰りたいな。だってあっちは美味しいものがたくさんあったんだよ。モイラね、シャケのおにぎりがもう一度食べたい!」
↑
モイラちゃん。我が親友。
↑
母親と。一人娘に超溺愛。
↑
モイラの父親。独学の怪しい日本語を話す。
モイラの完璧な日本語に影響を与えないことを祈るばかりだ。
初めて会った当初は、かまって欲しいのが分かりやすすぎてうざく、自分の子ども嫌いも重なって遠ざけていたかった存在だったのだが、何故か、今ではもうかなり大の仲良し。
もう目と目で会話できる仲だ。
誇るべき我が親友である彼女は、ペルーとボリビアのハーフ。
でも日本にも3年いたから日本語もペラペラ。
熟れ熟れの6歳。名前はモイラちゃん。
今日の夜は、モイラちゃんと、そのママ、パパ、そしてハビエル(モイラの叔父)とみんなで夕ご飯。・・・と言っても、時間がなかったので近所の美味しいPOLLO(チキン)で簡単に。。ポテトフライ付き。
夕食も終わりかける頃、全く食の進まないモイラに、母親はこう諭す。
「モイラ!食べなさい!(スペイン語で)」
それでもチキンに手が伸びないモイラに、父親はこう諭す。
「モイラちゃん、お願い、食べてよ~(怪しい日本語で)」
業を煮やした母親が、ついに無理やりモイラの口に詰めていく。
敗北感いっぱいのモイラ。涙を少し浮かべて、力なくチキンを口に詰め込まされる。その間、ずっと、自分を見つめていた。テーブルの反対側の距離なのに、それはもう物理的には測れないような「距離」を感じた。
嗚呼・・親友よ・・・。
もし自分がモイラだったらどうだろう?
どうしてチキンを食べなくてはいけないのか。
なんで全部食べきらなくてはいけないのか。
なんでこんなしょっぱいだけの油っこいものを無理やり食べなくてはいけないのか。
子ども心にもいろいろ思うことがあるだろうに、やはり6歳という若さでは、この心の叫びを訴えるには、そこに立ちはだかる壁は大きい。
もし自分が母親だったらどうだろう?
チキンを食べるとこんなにいいことがあるよ(大きくなれる、強くなれる)って説明する。
チキンをほぐして、ポテトもどうにかして、何か他の料理に生まれ変わらせて食べさせる。
こんなに油っこいものを主食とせずに、栄養バランスを考えた献立を考える。
無理強いはしない。食べることの楽しさを伝えたいから。
「食べなさい!」とか「食え!」と言われても、犬じゃないんだから、もっと人間的に心のこもった促しってないもんか。
今まさに日本では『食育』なんていうのが叫ばれていますが、ここボリビアでそれが叫ばれるのは一体何年先のことだろう。
まずは、子どもたち以前にボリビア中の母親・父親に「食育」の大切さを知ってもらいたい。
我が親友モイラちゃんが、将来彼女の赤ちゃんに、哺乳瓶に入れたコカコーラを飲ませる姿だけは見たくないものだ(←こういう光景は路上でしょっちゅう見る)。
最近モイラちゃんがよく自分と二人きりのときにこうつぶやく。
「日本に帰りたいな。だってあっちは美味しいものがたくさんあったんだよ。モイラね、シャケのおにぎりがもう一度食べたい!」
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モイラちゃん。我が親友。
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母親と。一人娘に超溺愛。
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モイラの父親。独学の怪しい日本語を話す。
モイラの完璧な日本語に影響を与えないことを祈るばかりだ。