★チチカカ湖でまぐろを釣る★ En JAPON

ペルー・ボリビアから帰国しました。旅の模様を写真と一緒にアップしてます。
●◆最新更新日→2009年4月22日◆●

Angelo Colonial

2008年11月27日 | ボリビアの文化・食べ物・伝統など
足繁く通うお気に入りのレストラン『Angelo Colonial』。
今夜も友達と夕ご飯食べに行ってきました。



鶏肉のきのこソースがけ



ボロネサ



このお店の味はともかく(笑)、気に入ってる点は、電気照明を極力暗くしてあって、メインは「ろうそく」の光っていうところ。

それと、店内の壁中にアンティークな絵や時計、壷、食器、蓄音機なんかが飾ってあって、ほんとに「コロニアル」な雰囲気が出てて居心地がいいのだ☆












お客さんは確かにちょっとお金もってそうな人たちばかり。
でも、今夜のお会計二人分で、日本の外食の一人分以下の値段しかしてないってことは強調しておきたいところ!

ボリビアのこの金銭感覚、日本じゃやってけないなあ・・・。

コンビニのおにぎり一個買うのにすごい躊躇しちゃってる自分が想像できます。

帰国したらコンナコトします

2008年11月26日 | 想うことあれこれ・・・日記
1月に帰国したら、最低3月末までは、先進国日本の流れに体も頭も慣れるため、そして2年間協力隊っていう枠にとらわれていた自分の価値観なんかを整理するためにも、特に焦らずにじっくり腰をすえて、のんびり進路を決めていこうと思ってます。
(ということでお父さんお母さん、気長に見守ってください☆)


今、漠然と考えてる予定


●1月

日本に10日着。その後JICAの帰国オリエンテーションなど。
家族みたいに大好きな駒ヶ根5班のみんなに会いまくりたい。
あとは地元や大学時代のみんなにも会いにいきたい。
人生の師匠、福田みーちゃんと、駒ヶ根のヒロ先生にも会わずにはいられん。
あと、愛犬チャムを愛でまくりたい。
たぶんこの月は「逆」カルチャーショックでテンション上がったり下がったり。
ボリビアを思い出しては涙・・・かも(んなわけないか)。


●2月

(既に目をつけている)地元のヨガ・スタジオと、地元のブラジル人が主催してるベリーダンスのクラスに通ってみたい。
この月は習い事月間。


●3月

念願のペルー旅行!(協力隊はペルー入国禁止だったのです)
マチュピチュはもちろん、北部のアマゾン地域の県にも行きたい。
既にボリビア在住ペルー人ガイドと契約済み。
しかも現地ペルーにも可愛がってくれるペルー人家族もいるので安心☆

一応この時は、
成田→(アメリカ経由)→ボリビア→陸路でペルー入国
を考えてる。やっぱ、一度日本帰国してから見るボリビアってのも、なんか面白そうだし!


●3月後半(?)

心の故郷、インドへ。
ラテンアメリカ・・・好きなんだけど、でもやっぱり心の底ではアジアを求めているワタシ。でもさすがにもー英語まったく口から出てこないけど。
こないだ英語の「買う」っていう動詞が出てくるまで2分かかった。スペイン語の「comprar(買う)」しか思いつきませんもう。



実は、インド旅行では、東インドのオリッサ州に目星をつけています。

このオリッサ州に伝わる古典舞踊「オリッシー」という舞踊を習ってみたくて。


【オリッシーとは】
東インド・オリッサ地方の寺院で「マハリ(デーヴァーダシー)」と呼ばれる寺院つきの巫女が、神に奉納する舞踊を踊ったのが始まりといわれるもの。





↑こんなポーズとか



↑こーんなメイクや民族衣装に憬れます。



2年間も南米にいた挙句、帰国後に考えてることがこんなんで、またおばあちゃんの心配の種を増やしてしまうんだろうなあ。

いまいるここ「ボリビア」のことも、

ずっと「ポリピア」って言ってたし。


そんなわけで、帰国したらまずやること其の一、

「おばあちゃん孝行」

です。


空の豆

2008年11月26日 | 協力隊としてのお仕事日記
空に向かって伸びていくから「空豆」って書くんだそう。


数ヶ月前に、子どもたちと一緒にプラスチックのボトルで作った鉢に植えた空豆が、こんなにもスクスクと成長しました!







空豆の花って、初めて見た。

薄い紫色で、蝶々みたいなカタチ。


最近は、この空豆をほっこり塩茹でして、パクパクと、ぼ~っとしながら食べるのがスキ。


羊の毛でこんなん手作り☆

2008年11月23日 | いろいろ手作り☆
路上でアイマラ族のおばちゃんが売ってる羊毛を買い、小石やら種やら土やらを丁寧にとって、洗って、そしてぐつぐつ煮込んで染色。

その後、お湯や手のひらで摩擦をかけて、羊毛をフェルト状に。


そして出来たのがコレ↓




ぼんぼんキーホルダーと、お花のアクセサリー




お財布




ビーズ付きぼんぼんの髪飾り



お陰ですっかり爪や手のひらが緑色(!)に染まったけど、爪にはマニキュア塗って隠して、手のひらはシャンプーしたら色も落ちてたから解決!


時間も労力もかかるけど、完成品を見るとまた作りたくなるフェルト作り。

次はやっぱり「リャマ」の毛でトライしてみよう☆

キックボクシング始めました

2008年11月23日 | ボリビア日記
11月22日、土曜日。



ついに、人生初、キックボクシング・デビューを果たしてきた。


「MASATO(魔裟斗は知っているか?」

というボリビア人トレーナーの質問から始まり、午前10~12時まで2時間続いたこのクラス。

パンチとかキックとか、ボリビア人トレーナーのもと、スペイン語での指導はたまに「?」だったけど、うまくパンチがはいったときは結構キモチのよい快感な瞬間もあり・・☆


・・・・が、そんなふうに自分に酔ってられたのはほんの30分で、あとはもうマジに辛かった・・・・。本気で吐きそうになったし。

子どももいたから、内容的にははっきり言ってそんなにハードじゃない。

問題なのは、やっぱりこの『標高』なのだ!
そうだ!全て標高が悪い!


富士山の山頂3600mでのキックボクシングは、スポーツっていうよりか、『修行』である。・・・というのが今回の感想。

だから今回のお題「キックボクシング始めました」は、「けど終わりました」と続く。




今回一緒に行った修行仲間のサトシくん。
彼がする構えのポーズはキマってたのに、自分のはまるで「にゃん」みたいなネコのポーズになってしまってたのが今回悔いるべき点のひとつ。


今日はその後サトシくんとカフェでお昼ご飯。
あまりの疲労でほとんど食べられず。

だらだらと2時間もおしゃべり。

それにしても、日本語教師の彼が話す日本語は、本当に丁寧で素晴らしい。

間違っても、

「てめー」
「ムカつく」
「うるせー」
とかっていう、普段自分が使っているような乱暴な言葉を発しない。

たぶん彼は、犬にも「今日の調子はいかがですか」みたいな感じで話しかけるんだと思う。



2時に我が家帰宅。

スペイン語の勉強をする前に、ちょっと休憩・・・のつもりで読んだ「あしたのジョー」↓2巻



とある人物が勧めてくれたので借りてたけれど、なんか汗臭くて興味も沸かなくて自分に合わなくて遠ざけていたこの漫画。
でもこの2巻を読み終わって、ちょっと興味がだんだん沸いてきたゾ・・・!
白木葉子って何者だ!?力石徹って、こいつそんなに強いんか!?


・・・で、気がついたら夜の7時。爆睡でした。


1時間だけスペイン語の勉強をし、今夜は友達が作ってくれた夕食を共に。




そんなこんなの土曜日。



ボリビアで過ごす「土曜日」も、もうあとほんの少し。

◎お仕事日記◎ フェルトと再生紙の壁飾り作りの巻

2008年11月21日 | 協力隊としてのお仕事日記
・・・前回の続き


前回作った「古新聞の再生紙」を使って、今回はそれを台紙にし、フェルト(羊毛)と一緒に小さな壁飾りを作りました☆




楽しそうにやってくれてるのを見ると、「青少年活動」隊員の冥利に尽きるってモンです。



世界中どこにでもいる「いたずらっこ」なガキんちょ。



再生紙の上に、赤・黄・紫・緑・青・・・って感じに染めたフェルトを、みんなそれぞれちぎって思いのまま絵にしてノリで貼り付けていきます。


作品たち↓





















なかなかみんな可愛い壁飾りを作ってくれて、こっちも嬉しくなる☆


ボリビアはヒツジ大国(その他リャマ、アルパカも)なので、こういった羊毛フェルトを使ったアクティビティーはこれからもどんどん取り入れていきたいところ。

なんてったって、羊毛ちょー安いし!


「うちのおばあちゃんちにヒツジいるよー。リャマも。」

・・・っていうセリフが続々と子どもたちの口から出てくるのは、やはりボリビアならではなのかな・・。




●おまけ●




ひげ小僧


◎お仕事日記◎ 新聞で再生紙作りの巻

2008年11月20日 | 協力隊としてのお仕事日記
「身近なものをリサイクルしてみよう!」のクラス。

今回は古新聞をリサイクルして、カード型の新たな紙を作る実験。


日本の小学校ではポピュラーな実験も、ここボリビアの小学校ではそもそも「本人が関われる実験」なんて無いに等しいもんだから、みんな終始はしゃぎまくりでした。




まずは、お湯につけて柔らかくした新聞紙を手でちぎって・・・




それをミキサーにかけます。液体のりもちょっと投入。




ハンガーとストッキングで作った「紙すき」に少しずつ流して水をきり・・・




形を整えたら、古新聞紙に挟んで水を吸い取ります




それを、そぉ~っと窓のガラスなんかに貼り付けて・・・




完成☆あとは乾くのを待つだけ。
ドライフラワーや葉っぱをこの際に貼り付けるのもいい。



この再生紙を使ったアクティビティー報告はまた次回☆

◎お仕事日記◎ Sapito saltarinの巻

2008年11月20日 | 協力隊としてのお仕事日記
「ORIGAMI」は、すでに自分の施設ではもうどの子もみんな知ってる言葉。

そんなこんなで今日は「Sapito saltarin (ぴょんぴょんカエル)」作り☆















大人だったらたったの3分くらいで作れるとこだけど、ここはボリビア、そんな上手くいくわけはなく、一匹作るのに15分くらいかかる・・・。

さらに、みんな舌や目をつけたり、かわいく色を塗ったり~~~・・・で、あっという間に1時間は経っちゃうのだ。


このぴょんぴょんカエル、名前のとおり、30センチくらい勢い良く飛ぶから子どもウケもいい。

「青少年活動」は子どもにウケでナンボの仕事ですしね。

まー、こんなんでウケてくれるんだから子どもなんて安いもんだ(笑)

◎お仕事日記◎ ろうそく作ったよの巻

2008年11月20日 | 協力隊としてのお仕事日記
毎週金曜日は、Jovenes(青年・15歳以上くらい)たちのクラス。

今回はみんなで「オリジナルろうそく作り」をやってみました☆


作り方は至ってカンタン。




削ったろうそくと、さらに削った少量のクレヨンを空き缶に入れて湯煎で溶かします




その後、溶けたろうそくを、紙で作った型に流し込む。芯も忘れずに。




みんな夢中☆












こんなん出来たよ~!






みんなよく出来ました!





これは自分が見本として作ったもの
・ハート型ろうそく
・ドライフラワー入りろうそく
・ボリビア国旗色ろうそく


自分だけの「オリジナル」を作るって、いつやっても楽しいモノです。

日本帰ったら「蜜蝋(ハニーキャンドルともいう)」作りにも挑戦するぞー!


12月は完全自由人

2008年11月19日 | ボリビア日記



1月初旬にはボリビアを去って日本に帰国なわたし。

大体、同期のみんなは12月下旬くらいまで仕事する予定らしい。

自分もそのくらいかなーと思ってた。


・・・が

「アコー、うちの施設は12月1日の活動展示会が最後で、それ以降は子ども来ないから、お仕事は11月末までになるよ」

とボリビア人の同僚。



ってことで、なんと自分の協力隊としての活動は、残すところあと10日間になりました!(しかも火・水・金が勤務日なので、正確には後5回!)

やた~~~~☆

自分で言うのもなんだけど、仕事は人間関係も活動自体もすごく上手くいってたから、もう悔いはない!とても幸運だったと思う。

まあ実際、いま企画中の、市役所と連携する環境教育系お勉強会、JICAと連携する植林プチ遠足ツアーは、12月に開催予定だから、毎週なにかと仕事がらみなことはあるにせよ、帰国前の一ヶ月はほぼフリー!

わ~い!


12月、何をしよう・・☆

やりたいことはたくさんある!

●ダンスのクラスに通って「ディアブラーダ(悪魔の踊り)を習う
●そんで悪魔のお面購入。即日本に郵送
●標高4000mのエル・アルトの市場に行き、CDとDVD買い溜め
(特にチャカレラのDVDと、ラテン系音楽全般CD)
●ソパ・デ・マニ(ピーナッツスープ)の作り方を覚える
●キヌア大量買い。レシピも。
●会いたい人に会いに行く。
●まだ行ったことのない県の一つ、タリハへ行く
●ピアスを2つ新たに開ける
●家にある羊毛を全部フェルトにして使い切る
●ボリビア人でお世話になった人たちに送るプレゼント作り
●ラパス中の「クニャッペ」を味わい尽くす
●そういえば行きたかったけどまだ行ってない「スリキ島」(←トトラの舟が有名。チチカカ湖付近)に行く
●アイマラ族の占い師に未来のことを聞いてみる(コカの葉占い)
●よくテレビで見る怪しい中国人の指圧屋さんに行ってみる
●岡部夫妻とペーニャに行く
●万華鏡を手作りしてお世話になった同僚ファビオラにあげる
●リャマを一瞬でいいから手なずける


・・・・今テキトーに考えてみてこんなもん


う~~~

こりゃー、ちゃんと予定組んで有意義に過ごさないと☆



写真:アイマラ族の民族衣装を着た女の子5歳。かわいいでしょ☆

ボリビア人オヤジの巣窟に迫る

2008年11月17日 | ボリビアの文化・食べ物・伝統など
昨日(11月16日・Domingo)の日記。

友人と共に、Villa Fatima(ビジャ・ファティマ)という地域にある、ATRANTIS(アトランティス)という名のサウナに行ってきた。


このサウナは、この地域では結構有名で、過去の協力隊も何度か口に出していたほどであって、前々から行きたいと思っていたのでした。

入場料25ボリビアーノス(ロッカー代、サウナ代等全て込み)
だいたい370円くらい。

中は地下1階、地上2階に分かれていて、

●ミスト・サウナ
●乾燥・サウナ
●プール

に分かれてる。さらに各階に温水シャワー付き。


率直にまず感想を言えば、サウナ好きにとっては「超よかった!」です☆

どのサウナも広々してて、(ボリビアらしくもなく)清潔感があったし、ユーカリの匂いもよかったし、プールもまあまあ広く、泳ぐことを知らないボリビア人が水面にカエルのように浮いてるのを見るのもまた一興。

各階に温水シャワーも着いてるし、別注文のレモン水を飲みながら、サウナでまったりするのは気持ちよかった☆

各階には、椅子が並べてあって、みんなそこでサウナから出たあと休むんだけど、そこだけはどうも居心地が悪かった・・・というか、どうやらお客の7割がオヤジだったために、アジアの外国人女子である自分はどーにもこーにも浮いてたのである。視線が・・・・・きもい。


それにしても、ボリビア人のオヤジたちの腹のぷっくり具合といったらすごかった!ボリビア人オヤジのたぶん9割りは糖尿病なんじゃないかと思う。

なんか初めてあったような人とも肩寄せて爆笑したり。
甲子園の球児たち並みに熱い握手してたり。
ストレスなさそう。

あと胸毛!芝生かそこは?!うわあ~!いや~!刈ってしまえ!


まーこんな感じで、「視界的」には爽やかでは決してないけど、身体的にはサウナで癒されたのでありました。

なんとこの日、帰宅した7時から、翌朝9時まで、昏睡。爆睡。一度も起きなかった。14時間睡眠。


「自分、疲れてたのかなー」というと、毎日定刻で働いてる隊員からパンチが飛んできそうなので、たぶんサウナの心地よさで眠れてしまったと書いておくことにします。


ちゃんちゃん。

真夜中3時の電話

2008年11月16日 | ボリビア日記
夜中3時に携帯が鳴った。


「Hola bebe chan!
オラー!べべちゃん(←アコのこと)

tengo una preguntita.
ひとつ質問があるんだけどね、

bebe chan, tu, me confiansas?
べべちゃん、きみは、ぼくのことを信用しているのか?」



・・・・って、何でこういうことを夜中3時に聞いてくるのかと言えば、当然のごとく、この野郎が酔っ払っていたからである。どうやら向こう側でザワザワしてたので、なんかのパーティーで飲んでたんだろう。

いきなり夜中3時に「ぼくのことを信用しているのか」と言われても、こんな真夜中に電話かけてくる人間を信用できるわけないだろ。


その後も、いきなり泣き出して、意味の分からないスペイン語でわーわー言って、

「bebe chan! un mes y medio! ya solo un mes y medio veldad?!
べべちゃん!一ヶ月半! もうあと一ヵ月半なんだよね?!」

と。


アコの任期が残りあと1ヶ月半てことを言いたかったんだと思う。

その後も「わー!」って感情が高ぶったのか(普段はもっと穏やかで冷静な人だったと思ってたのに)、

「o-ya-su-miiiiii------!!!!」

っていう絶叫で、電話が切れた。




自分はお酒は好きだけど、こういう悪酔いする酔っ払いは嫌い。


上手に楽しくお酒を嗜む大人になりたいと思った真夜中3時でした。



アコの睡眠を返せー!

ボリビアにも霊は降りてくる

2008年11月15日 | ボリビアの文化・食べ物・伝統など
ここ南米ボリビアにも、日本でいうお盆があります。

これをここでは『諸聖人の日(todos santos)』と言って、全ての聖人と殉教者を記念するキリスト教の祝日のひとつ(日本でいう万聖節)。

11月1日が諸聖人の日で、2日が死者の日。

特にキリスト教に興味があるわけでもないけれど、南米のお盆を過ごすのもこれが人生最後なので、友達らとお墓参りに行ってきました☆





一緒に行った友達のハビエル、妹のシェイラ、彼らの姪モイラちゃん6歳




着いた先は人・人・人でごった返し。
すでにもうお祭りモード。




路上には普段以上に露店が並ぶ
買う気には全くなれないキモ可愛いブタの貯金箱




バービー人形用の服もあります
軍服もあるところがミソ




お香もある
インドの風はここボリビアにも吹いていた




へんなビニール人形を必死に売るおやじたち
全然売れてなさそうだった




1羽1ボリビアーノスなり。15円。
本気で買おうかと思った。




この時期(ボリビア版お盆)はこういう小さな仮面が路上でたくさん売ってる。
これをパンにつけて人形の形にして焼き、それで死者を弔う。
ほとんどの仮面が白いのは何でだろう?(本人たちは黒いのに)
天国では白人のようにいたい、いて欲しいっていう願望?





お墓まで歩いてきてやっと到着

左隣のおじちゃんはお墓に向かってアイマラ語の呪文を唱えていました




ボリビアのお墓ってこんな感じ。
遺体を各スペースに入れてセメントで閉じ、そこに名前書いたり花を置いたりするらしい。
昔は遺体を焼かずに入れていたらしいが、近年は遺灰にしているという。




ここはパラグアイとの戦争で亡くなった人たちのお墓




こんな大理石を使った豪華できらびやかなお墓もあれば




もう誰も訪ねてきてないんだろうなー
朽ち果ててしまいそうなお墓もある




お墓の前で休憩するアイマラ族のおばちゃんたち




この時期、各家庭では大量のパンを焼き、さとうきび、果物、ケーキ、お酒などで飾り、その年に亡くなった家族の遺影と共に飾る。

そしてお祈りをしに来た訪問者に対して、このパンをお裾分けするようだ




パンのお裾分けを狙って、大きなバック持参で闊歩する人々
たぶん死者を弔うとかどーのこーのよりも、パンが最大の目的




ボリビアは、こんなんがいっぱいです




おやじたちによる演奏




ここボリビアでも、この時期は亡くなった霊が天から地上に降りてくると信じてるみたい。

日本とボリビア、仏教とキリスト教と、名目は違えど、死者や先祖を弔う気持ちは同じなんだなーと思った一日でした。


【おまけ】

最近お気に入りの飲み物をご紹介☆

その名も「バティード」!
3ボリビアーノスなり。
約45円。



泡立てた卵白に、ビールと少しのコーラを入れて出来上がり。
路上で売ってます。

ふわふわの甘~い泡と、ほどよいビールの味わいが合って、けっこう病み付き!



みなさんもボリビアに来た際にはお試しあれ~~~~☆


アルマジロはこうやって寝る

2008年11月03日 | こんなとこ旅しました日記
(10月28日の日記)

ボリビアの常夏サンタクルスの旅も最終日・・・ということで、動物園に行ってきました。

ちなみに入場料10ボリビアーノス。
約150円。




まずは常夏サンタらしい鳥がお出迎え。
自分が、来世になりたいものベスト3に入る鳥です。
名前忘れた。「トゥ」がつく。




どうしても目を合わせたくないらしい




鳥のくせに人懐っこいヤツ。頭なでても怒らない。
でも特にそんな可愛いとかいうわけではない。




「ぐえー!!」といった奇怪な声で子どもを威嚇するやたらデカイ鳥。
可愛いくない。




ボリビアの動物園では、動物たちにぺディグリーチャムを与えているようです




アルマジロの寝姿。

頭隠して尻隠さず、とはまさに。

それにしても彼らの野生的危機感はゼロに近い。





ミミズが付いてたから、小石投げてやったらピクッて動いた。




ゴミまで投げられている始末。

彼らには、「動物園の主役」としてのプライドは無いのか。




リャマ、アルパカ、牛、鳩のコーナー。
このテキトーごちゃまぜ具合がボリビアらしくて良い。

牛が終始ダルそうだった。




あっちんだよバーロー




あっ、なんか来た




歯、出てますね。
口もさっきからずーっと開きっぱです。




推定98歳、独身。
趣味、将棋、ときどき陶芸。




そこらへんの雑草やったら食べた




亀の像に群がる亀




動物園に来たら、ボクと握手!




やたら広いブタのコーナー。
動物園でブタ見てもねー
特に感動は無いんだよなー


以上、ボリビアの動物園でした。

薄化粧、地味服の旅@日系移住地

2008年11月03日 | こんなとこ旅しました日記
(10月27日の日記)

ボリビアの常夏サンタクルスには、日本から戦後に移住されたきた日系人の人々が住む移住地がある。

今回はそのうちのひとつ、「サンファン移住地」へ行ってきました。





移住地入り口にある看板。
いきなり目に入ってきた日本語にびっくり。




今回、いろいろお世話になったT子さん(右から2番目)
お宅に泊めて頂いた上に、毎回美味しい日本食をご馳走になったり、当時の貴重なお話を聞かせてくれたり・・・。
本当にどうもありがとうございました☆




同じく日系人のMさんという方のお宅訪問もしてきた。
Mさんに案内されて(彼の庭?!だと言う)原生林を歩く。




たぶん樹齢500年くらいの木を見上げる。
すごい。ここはパワースポット☆




銃も撃たせてもらいました。




きら~ん☆




Mさんの家にいるツルツル肌のわんこ。
見た目びっくりだけど、可愛い!




当時3歳(?)くらいでボリビアに来たMさんは、スペイン語もポルトガル語も堪能な、ここでは有能な方。
まさに自給自足な生活を送ってらっしゃる。
酒も醤油も豆腐も味噌も手作り。




サンファン移住地にある資料館の敷地内にある記念樹。

実はこれ・・・




サーヤ様がここれ来られた際に記念樹として植えていったものらしい。
ほえ~~~☆




ここには入植50年内(2005年に入植50年を迎えた)に亡くなった人たちの名前が記されている。




よく見ると、0歳や1歳で亡くなる子もいたみたい。
同期の友人曰く、近い血縁関係内で子どもが出来る場合もあったためにこういうケースが起きたのでは、とのこと。




そして資料館の中へ。
当時、日本を出る際に贈られたであろうたくさんの寄せ書き入りの日の丸。

その他、当時の入植したばかりのころのアマゾン密林状態の開墾の様子、当時の結婚式の様子、子どもたちの生活の様子、などなど、すごく貴重な写真もたくさん。




当時使われていたお釜やアイロン




桶やランプなんかも。




蓄音機と電話機。
時代を感じる・・・。




五月人形と兜。
これもきっと日本から50年前に持ってこられたものなんだろうなあ・・・。

当時日本を出る際にどんな気持ちでこの南米まで来たのかと思うと、もう想像も尽かない。



・・・とまあ、本当にいろいろ見て聞いて味わってと、五感でもって「日系移住地」を肌で感じられた旅だった。

カメラが壊れてたから、ここには載せられてない写真もまだいっぱいある。


自分はまだまだ移住の歴史について勉強不足だから、ここではどうのこうの細かくは言えないけど、とにかく本当に貴重な経験だったことだけは言える。


あ、ちなみにこの日記の題名は、この移住地を訪問するにあたって隊員の友達から

・化粧は薄く
・服は地味めに。露出は厳禁。
・サンダルは控えるように。

とアドバイスをもらったのでした。


11月は、パラグアイにあるという日系移住地を訪問予定!
しかもそこは、自分の生まれ故郷岩手県出身者による移住地ということで、興味深々。

世界はまだまだ自分が知らないことばかり。

今回会った日系人のおばあちゃんが、
「あたしゃ井の中の蛙ですよ」
とおしゃってたけど、
それを言ったら自分は
「井の中の蚤」みたいなモンです。

サンファン移住地の皆さん、どうぞこれからもお元気で!