★チチカカ湖でまぐろを釣る★ En JAPON

ペルー・ボリビアから帰国しました。旅の模様を写真と一緒にアップしてます。
●◆最新更新日→2009年4月22日◆●

漢字検定受けとけばよかった

2007年03月31日 | ボリビアの文化・食べ物・伝統など
今日は土曜日で仕事はお休み。
朝から雨だったけれど、9時半に待ち合わせて、JICA職員のレオナルドさん(日系)、ボリビア人のマルティン(アニメおたく。マルちゃん。)、友人のハイメ、先輩と一緒に、バスでエル・アルトへ。

今日は日本大使館主催の、日本文化交流会がエル・アルトであったので、そのお手伝いに駆り出されたのでした。

あっこは今の職場ここラパスだけれど、本当の職場はエル・アルトのはずだった。仕事先の事情でここラパスになったのだけれど、正直、ラパスに変わってよかったと思ってる。エル・アルトは標高4000メートルにあり、貧困街で、治安が非常に悪い。つい先日も先輩が昼間から首絞め強盗に遭っているし、やっぱり歩いていても、何か落ち着かないというか・・・。同じ「貧困街」でも、他の国や地域のそれとはちょっとまた違う感じがあるのだ。

エル・アルトにある小さな体育館へ行くと、もう既にたくさんの子どもたちがいた。日ごろ彼らは、まだ10代にも関わらず、貧困のために路上での靴磨きなどの仕事を強いられているので、そんな彼らにも何か楽しみを!ということで今回の企画となったらしい。

↑会場の体育館。


↑左から、先輩、レオナルド(日系JICA職員)、先輩、ハイメ。

あっこは、「習字ブース」を担当。
子どもたちの名前を漢字で書いて、その一つ一つの意味を教える。
ボリビア人の名前には、特に意味もないらしいし、アルファベットにももちろん意味を持たないから、こういう一つ一つに意味を持ち複雑な形をしている漢字がとても面白いみたい。

休む暇もなく「ぼくも、ぼくも~~!!!」と声がかかった。


大盛況なのは嬉しいのだけれど、たまに本気で漢字をド忘れしてしまって、日本で漢字検定受けておけばよかったと痛感。

他のブースでは折り紙講座。


栄養士隊員による栄養講座。

↑お医者さんのハイメも説明を手伝ってた。

バナナと、アンデス穀物を混ぜた食べ物の試食もあった。



この企画は午前で終わって、とても良い盛況ぶりだった!


夜は、ママと一緒に、近くに住む娘のセシリア(26歳)夫妻の家へ。
今日はセシリアの誕生日パーティー。
親戚をたくさん呼んでのホーム・パーティーだった。

これまでも何度かボリビアの「誕生日パーティー」に行ったことがあるのだけれど、ボリビアのパーティー形式はいたって単純明快。

まず、広間に円を描くように椅子を並べる。
食べ物はすごいシンプル。この日はタコス。立食形式。
お酒をガンガン飲む。
パーティーはひたすらオシャベリしまくる。
そして踊る!踊る!踊る!

あこは以前本で勉強した手相占いを、小さな子どもにやってあげたら、どあああああーーって大人たちが群がってきて「わたしも!わたしも!」と、また大盛況だった。

パーティーの最後に、セシリアにプレゼントを渡す。
彼女は今妊娠中なので、赤ちゃん用の小さなおもちゃも一緒にあげたらすごく喜んでくれた。

そして夜10時にパーティーを抜け出して、友人のハイメの家で、一緒にボリビアのフォルクローレを聞きながら、シンガ二(ボリビアのお酒)をジュースで割って飲んだ。
ハイメは日本から帰国して以来、日本語が話したくて仕方ないらしい。
しょっちゅうお呼びがかかる。

「宇都宮では2回迷子になったよ~」
とか
「秋葉原は楽しいねえ」
とか
「てんぷら蕎麦が食べたいなあ」
とか
「自治医科大学の先生や皆さんが懐かしいなあ」
とか

ハイメの日本への郷愁の想いを、アコは「うんうん」とテキトーにうなずきながらシンガ二を飲んでいた。



↑皆親戚同士!


↑右が、あっこが今一緒に住んでるママ。左は、娘婿の母親。
「もうすぐ生まれるのは私にとっては初孫よ~(ママ)」
「あら、私にとっては二人目よ。待ち遠しいわねー(娘婿ママ)」
と、二人ともすごいはしゃいでた。
こういうのは、世界中どこも一緒だなーと思った。

大使館のパーティーで矛盾を感じる

2007年03月30日 | ボリビア日記
今朝は朝6時に、あっこたちの次の隊次の14人が日本から到着したので、そのお出迎えのために、「JICA協力隊連絡所」に向かった。

1月にボリビアに到着したときも、朝早いにも関わらず、ラパス隊員の先輩たちがおにぎりやスープを作って待っていてくれたのだ。
まだここに来てから3ヶ月くらいしか経ってないのに、もう「先輩」という身分になってしまったことが信じられない。

どこかぎこちなさそうで、それでいて、日本のフツーの若者な雰囲気を残してる14人の後輩たち。
数人が早速高山病で酸素ボンベを吸っていた。

その後、昼に同期で同じラパス隊員(あっこの同期14人中、ラパス隊員は2人だけ)の友人Hと、近くの公園でたわいも無いことでゲラゲラ笑って過ごした。

ここの公園は、「子どものための」であるにも関わらず、全ての遊具が「大人向き」である。

友人は身長180センチ以上なのだけれど、そんな彼でちょうどいいくらいの高さのブランコ。
設計ミスの集合体公園だった。







昼過ぎに、突然、友達のペルー人から、「今日、お兄さんが一年ぶりに日本からペルーに帰国したから、突然だけど今日ペルーに一度帰るよ!」と電話が。

彼が働いている店に行き、近くの市場で、彼の妹と一緒に、彼の兄弟たちへお土産を買った。8人兄弟なので、結構な量になってけれど、この彼と彼の妹には、これまですごいお世話になってるので、こういうお祝い事には何かしたいと思っていたし、出費も気にならない。


↑シェイラの荷造りの様子


↑別れ際に、妹のシェイラにもらった人形☆


二人にサヨナラを告げて、帰宅。


夜は、日本大使館の参事官がJICA協力隊を自宅ホームパーティーに招待してくれていたので、皆でスーツを着こんで行った。

この参事官の家は、ラパスよりさらに下にあり、はっきり言って豪邸だった。
そんなお金が余ってるんだったら、もっとボリビアの貧困問題に貢献して欲しいと思う。

パーティーは立食形式で、久しぶりで本格的な日本食が出てて、皆おおはしゃぎで食べた。







パーティー後半には、参事官のオッサンのどうでもいいようなカラオケが始まり、なぜか新聞記者が来てて全員集合写真を撮ったりした。

こんなどうでもいいようなパーティーを記事に載せるくらいなら、もっとボリビアの真面目な問題ネタとかを載せるべきだと思う。

参事官は確かにスペイン語が上手だし、きっとエリートなのだろうけれど、どうも振る舞いや人間的な雰囲気が、そういうものを感じさせない。

酔っ払って、日本の新宿とかの裏地でフラフラしてるオッサンとそう変わらない参事官の姿を見て、たくさんの矛盾を感じた夜だった。


↑後日この写真が新聞に載ったらしい。

ヤラレタ・・・・!

2007年03月26日 | ボリビア日記
かゆい。体が。

でも標高3750メートルのラパスのメリットに、「カビ生えない」「虫湧かない」と聞いていた。

なのに何故?

鏡で背中をみると、大きく広がった赤みが点々と広がっている。明らかに「蚊」ではない。考えたくもないけれど、これはもう「ダニ」とか「ノミ」を疑うしかなかった。
でもラパスのこんなにキレイな部屋に住んでいるのにどうして?!

夕方、JICA事務所へ行く。そこで健康管理員の人に相談。

即、「ああ、ノミね」と言われた。

彼女曰く、原因は、アコが働いている施設から直接子どもたちから虫をもらい、悲しくもそのまま家まで連れて帰ってきたらしい(虫と一緒にバスを乗り継ぎして)。

彼女から軟膏薬をもらい、「今日家に帰ったら、ベットシーツに全てアイロンをかけるといいよ」と言われた。

早速帰宅後に1時間かけて全てにアイロンをかけた。シャワーを浴びて、背中やお腹に軟膏を塗り捲る。匂いがまるで「タイガーバーム」だった。


↑真ん中のマークの顔の表情がとても良い。


↑中身は薄緑色。スースーするけど、その持続時間は5分と非常に物足りない。


ていうか、早く忘れたいから書きたくはなかったけど書くけど、アイロンかけるときにシーツめくったらノミがピョーンって飛んだ。

目が合ったような気がした。

犬市場

2007年03月25日 | ボリビア日記
ラパスよりさらにあがった標高4000メートルの町「エル・アルト」には、毎週日曜日に巨大なメルカド(市場)が開かれる。そこの一画に、「犬市場」があるという。

何週間も前から期待していた「犬市場」での犬探し。しかし、昨夜の誕生日パーティーで友人ハビエルが泥酔したおかげで、帰宅したのは今朝5時だった。この犬市場では朝8時までには着かないと可愛い犬たちはすぐに売れてしまう。

「どうせ起きられないんだから、犬市場行くのはまた来週でいいよ!」とちょっと半ギレで言い去ったのだけど、今朝7時に彼から電話がかかってきた。

「眠いし、もういい」とまた半ギレで電話を切った。

そしてまた9時に、今度は彼の妹シェイラ(22歳)から電話が。

彼女のお願いはさすがに無視するわけにもいかず、しぶしぶシャワー浴びて彼らの家に向かった。

家に着くと、まだ酔いが醒めてないハビエルがいた。酔っ払いは嫌いだけれど、考えてみれば昨夜の「飲み干せコール」を彼がたくさん助けてくれて飲んでくれたのだから仕方ない。シェイラと「ボラーチョ!ムイ マロ!(酔っ払いはダメねー)」とか言って、バスで犬市場へ向かった。

犬市場は、本当に犬市場だった。
はじめ、ペットショップの人とかが檻かケースか何かに犬たちを入れて売っているものだと思っていたら、ここでは、ほとんどが普通の一般人がデイバックやバックに子犬たちを数匹入れて、顔だけピョコンと出させて、道端に並んでいるのだった。値段は交渉次第。


↑こんなんがいっぱい。


↑これはおばちゃんがただ犬を連れているのではない。客待ちをしているである。

こんなんだから、「顔が白くてかわいい!」と思って取り上げてみたら下の体は黒かったりする。標高4000メートルの日差しで、子犬たちは寝ているんだかバテているんだか分からない。

結果、今日はアコもハビエルもシェイラも、4往復くらいしたけどピンとくる子犬には出会えなかった。

彼らは「白くて小さいのがいい」と言っていたけど、アコは「白と黒!」と言っている。もしチャムそっくりの犬がいたら即買いすると思う。
あこがボリビアで犬を買うことを知ったら、チャムはどう思うかなぁ。


↑どの子も可愛い☆


↑なぜか一匹だけ外に。全てを悟りきったような顔をしていた。


↑犬市場の近くにあったチョリータ(先住民アイマラ族の女性の呼び名)のスカート売り場。5枚くらい重なってある。あまりセクシーとは言いがたい。

泥酔ヤロー

2007年03月24日 | ボリビア日記
今日は散々だった。

午後、近くのカフェで、美味しいゼリーを食べながら、優雅な午後のひと時を過ごしていた。

夕方、突然友達のハビエルから電話が。彼の知り合いのセニョーラ(おばちゃん)の誕生日パーティーのお誘いだった。

「夜12時くらいに帰るのならいいよ」と言ったはずなのに、結局このパーティーが終わり帰宅したのは翌朝5時。パーティー自体はとても盛り上がり、彼の仕事仲間やおばちゃんたちから彼もアコも可愛がられ、ボリビア風パーティーをとても楽しんだ。

しかし、(ボリビアならではなのか?)やたらと「seco~!!(飲み干して~!)」コールが続き、お腹いっぱいだったアコはそのほとんどをハビエルに回していた。
いつも人柄が良く気が利いて親切なハビエルが、気がつくと、最悪に酒癖の悪い泥酔ヤローになっていた。

ギターを振り回して大声で歌いだし、千鳥足で踊り、何を言っているのかも意味不明。

夜中3時になった時点で、「マジ帰りたい」と思ったのだけど、興が乗ったおばちゃんたちは、「カラオケに行こう!」ということになり、酔いまくったハビエルを置いていくことも出来ず、仕方なくついていった。

ボリビアのおばちゃんはすごい。夜中4時だろうが、カラオケで歌いまくって踊りまくる。そして飲みまくる。ボリビア風ナツメロソングを、音痴だろうが構わず歌いのける。

そして泥酔しきったハビエルも見てられない醜態ぶりを発揮し、歌い、踊り、狂っていた。

ハビエルがそろそろ死に掛けてきていたので、アコとハビエルは朝5時になった時点でタクシーで帰宅。

ハビエルはアコの家まで送ってくれたけど、こんなにハビエルを(というか泥酔ヤローを)「最悪!」と思った日はなかった一日だった。
いつか、ハビエルに「酒は飲んでも飲まれるな」とスペイン語で言ってやりたい。

海の無い国ボリビアの「海の日」

2007年03月23日 | ボリビアの文化・食べ物・伝統など
ボリビアにはいろんな「~の日」がある。
今日は「海の日」だった。

海の無い国ボリビアでの「海の日」。
かつてボリビアには海がった。しかし1879年の硝石をめぐる戦争で、海岸部をチリに割譲して内陸国となってしまった歴史がある。

生憎、アコの今のスペイン語ではまだ上手く理解できないのだけれど、今日は朝から一日中、一般市民や兵隊のパレード行進があり、何かを叫んでいた。陸軍、空軍、海軍のパレード。
ちなみにボリビアの海軍は現在チチカカ湖を守っている。

ちょうどパレードの拠点となるプラサ(公園)が家の近くにあるものだから、道路を通ろうにもパレードが途切れずに足止めをくらったり、パレード用の馬がノコノコと道を歩くものだから車が渋滞したり、楽器の演奏で朝からうるさいし、アコにとっては面白くも何ともない「海の日」であった。


↑日本大使館前の道路でのパレード。


貧弱気味

2007年03月22日 | ボリビア日記
最近、熱が頻繁に出る。
今日もダルイなあ・・と思ったら37度5分あった。仕事も休んだ。

昼にcorreo(郵便局)行きパワーを消耗してしまい、また夕方まで寝込んだ。

夜には友達と外で軽く夕食を食べて、それから同期のH、スクレから今ラパスに来ているP、ペルー人の友達ハビエルと妹のシェイラとみんなで、近くの体育館へ行き、フットサル。ちなみに夜10時スタート。

アコとシェイラでケラケラ笑いながらおしゃべりしながら応援。
日本人勢のHとPは、大和魂を発揮し、ゴールを何点も決めてくれた。しかしさすが標高3750メートルでのフットサルはキツイらしい。後半は息も切れ、回ってきたパスもすぐ流していた。

終わったのは夜12時。
次回は皆でバレーボールをするつもりでいる。

早くアコも丈夫な肺を持ち、標高3750メートルに打ち勝ちたい。


↑料理してるとき卵割ったら黄身が2個!