★チチカカ湖でまぐろを釣る★ En JAPON

ペルー・ボリビアから帰国しました。旅の模様を写真と一緒にアップしてます。
●◆最新更新日→2009年4月22日◆●

ペルー人の親友

2007年04月08日 | ボリビアの文化・食べ物・伝統など
今日は、大好きなペルー人の兄弟たちに一週間ぶりに会える嬉しさで目が覚めた。
ボリビア人の友達もたくさんいるけれど、今アコが一番心を許せて心から一緒にいて楽しいと思える二人。ハビエル(29歳)と、妹のシェイラ(22歳)。
彼らには、ペーニャ(フォルクローレの生演奏を聞く店。とても大衆的で人気)で出会ったのがきっかけ。
その後も、ハビエルとシェイラは何かとアコを気にかけてくれて、一緒に食事をしたり、いろんなとこに友達も交えて遊びに行っている。
シェイラはたまに仕事中にもどうでもいいような内容の電話をかけてきてくれるのだけど、そこも可愛い。

彼らは8人兄弟なのだけれど、そのうちの3番目のお兄さんが、約一年ぶりに日本からペルーに帰国したということで、ハビエルとシェイラは一週間前にペルーに帰国した。
その二人が、日本から帰国したお兄さんも一緒に3人でボリビアに戻ってきたのだ。
(彼らはボリビアにお店を持っているので(しかも社長)ペルーにそう長く留まることは出来なかった)。

お昼に、サンフランシスコ寺院の前で待ち合わせ。


↑夜のライトアップはもっとキレイ!聖なる場所であると同時に、ここではたくさんのデモやストも行われる。


↑中はとても厳かで美しい。が、南米のキリスト像は血をダラダラ流していてリアルである。夜は行きたくない。

ちょっと早くに着くと、サンフランシスコ寺院の中では盛大なミサがやっていた。今週は「セマナ・サンタ(聖週間)」。クリスチャンの多いここボリビアでは、皆がこの週にたくさんの教会に出向いたり、お肉を食べないで魚を食べたり、家族で食事をしたりしている。今日はイースターだったから、道端ではたくさんの卵やウサギの形をしたチョコレートが売っていておもしろい。


↑どうしてウサギの形なんだろ?


↑教会前では、草で編んだ十字架も売ってた。


↑何かの草で編んだ指輪。ビーズが付いてる。一個買ってみた(1ボリ=15円)。


↑鳩は日本と同じ種類です。

クリスチャンでも何でもないアコからしてみれば、他人事なセマナ・サンタなのだけれど、こういう何気ない文化を垣間見るのは楽しい。
ただ、この週はやたらと「イエス誕生」系の怪しい(失礼)テレビ番組や映画や、キリスト像から血の涙が出るミステリー番組ばっかりテレビで流れているのはちょっと・・・。

その後3人の兄弟たちと久しぶりの再会をして、ペルーからのたくさんのお土産をもらった。彼らがペルーに行くときに、アコが彼らの兄弟やパパ・ママにお土産を買って渡しておいたので、それで気を使ってくれたみたい。嬉しい!でも何でこんなデカイぬいぐるみまで・・・



昼に皆でご飯を食べて、彼らの家で映画鑑賞をした(『電車男』スペイン語版)。
日本の「オタク」は、一体彼らにどう映るのだろう。

夕方からは、同期のHとNも交えて、皆で近くの体育館でバレーボールで汗を流した。夜はまた皆で家に戻って、「クスケーニャ(ペルーのビール)」で乾杯。

長旅でまだ疲れているお兄さんが心配だけれど、ハビエルとシェイラにまた会えて嬉しい!

今日でアコの部屋のぬいぐるみの数は計4つに増えた。

初めてぬいぐるみを抱いて寝てみたが、翌朝にはそのぬいぐるみは床に落ちていた。

ボリビアで井上揚水を熱唱

2007年04月07日 | ボリビア日記
今日はお仕事もお休み。ゆっくりと10時に起きたら、もう家の中ではお手伝いさんのエリー(チョリータ“先住民”、25歳)が忙しく働いていた。
エリーはアコと同じ年。ロドリーゴという2歳の男の子を「アワヨ」というチョリータさんみんな持っている鮮やかな布に包んでいつも背中にしょって働いている。

今日は特にロドリーゴの泣きがなかなかやまなかったから、キャンディーをあげた。比較的、先住民の人々は保守的であまりすぐには心を開かないのだけど、ロドリーゴも例に漏れず、若干2歳でありながら、しっかり先住民族の血をひいている。あまり笑顔をそう簡単には見せてくれない。

今日はボリビア来て初めての「停電」があった。午前11時から午後3時くらいまで。ここラパスはそうあまり停電や断水などのインフラの問題は無いと聞いていたから、ママもこんなに長く停電が続いたことに驚いていた。

夕方から、同期のHとカフェでお茶したりネットしたり。ここのカフェはいつも白人系ボリビア人(お金持ち)か外国人しかいない。

その後、同期のCちゃんと、ボリビア人のハイメと一緒に中華を食べて(一人10ボリ。150円くらい)、皆でハイメの家へ。

↑ハイメとチカちゃん。

ハイメはチャランゴやギターが素晴らしく上手で、おまけについこないだまで日本にいたことから、自然に歌う曲は日本のものになっていった。しかも井上揚水。『少年時代』。



ボリビアの町の片隅の小さな小部屋で、裸電球の下で皆でしみじみとギターに合わせて歌う井上揚水は、マジで心に染みた。そこはもう、ボリビアではなくて日本の昭和時代だった。

今度は『神田川』も歌いたいと思う。


↑玉露を飲みながら。

標高3750メートルでの料理

2007年04月06日 | いろいろ手作り☆
「お米が食べたい!」
「醤油味のものが食べたい!」

この欲望は、ここボリビアではなかなか果たせない。
町中にはやたらとCHIFA(チファと読む。中華料理屋)はあるのに、日本料理レストランと言えば限られてくる。しかも値段が高い。

ならば自分で作るしかない!ということで、今日はボリビア来て初めての日本風料理を作ってみた。今までも結構頻繁にスープや炒め物やサラダは作ってきたけど、これらはどれも洋風。

日本から持ってきたお醤油に、すりおろした生姜、お砂糖を混ぜて、そこに味が染み渡るように表面に少し切り目を入れた鶏肉を浸す。



お米は適当な目分量で鍋で炊く。炊き上がったご飯と、アンデス特有の白いトウモロコシ、ニンジン、ほうれん草、卵で炒める。味はコショウ、醤油。



生姜醤油に浸しておいた鶏肉を焼いて、肉をさいて、炒めたご飯と混ぜ合わせる。



んで、出来上がり!
見た目は上出来き!



さっそく味見してみると・・・・

固い・・・・・・・。

何がって、米が・・・・!!

自分が今、標高3750にいることをすっかり忘れてた。
ここでは沸点が普通と違うから、お米もパスタも、普通に調理してしまうと芯が残って超微妙になってしまうんであった。

でも久々のお醤油味のご飯は、そんな芯が残ってるという事実を覆すほどに美味しくて、結局完食したのでした。

今度はお味噌汁が飲みたくなってきた~~~~~!


↑見た目的にはマジ美味しそうなのですが・・・。

一般ボリビア人の「温暖化」への考え方

2007年04月05日 | 協力隊としてのお仕事日記
アコはこれからの数ヶ月間、4箇所の児童施設で働くことになっている。
今日はその一つの施設、chuquiaguillo(チュキアギリョ)という舌を噛みそうになりそうな、ラパスよりさらに上にある場所に行った。ここで、これからアコが行う「環境教育」のプランについて担当者と話し合うのが目的だった。

「私はこれから、例えば、オゾン問題、森林問題、ゴミ問題、地球温暖化などをテーマにやっていこうと思います。」

と、事前に作ってきたスペイン語での計画表を見せながら説明していると、担当者の彼女が一言、

「これらのプランはとても良い。でも、温暖化は要らないわね。」と。

「どうして?!」

「温暖化問題は、企業や工場なんかが作り出してるものでしょう。私たち個人ではどうすることも出来ないじゃない」

「そんなこと無いってば!今、地球上ですごく問題になってることだし、現状を知ることは大切だし、それに個人で出来ることだってあります!」

・・・と、しばし論争して、でも結局分からずやで負けず嫌いの彼女は折れなくて、しかも最後に、「あなたはもっとスペイン語を勉強する必要があるわね」と一言。一度彼女にも、3ヶ月間だけ日本語を勉強した状態で日本に来てもらいたいもんだ!

カチンときたので、「今日午後は病院行くので」と嘘ついて帰った。


彼女の強気な分からずやな考え方は無視するとして、地球の環境問題についての正しい知識を持たない人は、こんなものなのだな、と痛感。だからこそ、ボリビアでの子どもたちへの環境教育って大切なのだ。


その後帰りに、メルカド(日本語で市場という意味)に寄って、古着をたくさん買った。
ここボリビアは、近隣のラテンアメリカから大量の古着が輸入されていて、すごい安く売られている。例えば今日買った服は一着5ボリビアーノス。日本円で75円くらい。普通のお店で買えば70ボリくらいだから、とっても安いことが分かる。

その後もメルカドをぶらぶらして、夕方から友達のJAIME(ハイメ)とご飯を食べた。彼はつい最近まで宇都宮にいたから、お互い「あ~、日本食が懐かしいねえ。。。お味噌汁とかさあ・・・。」と言いながら、ボリビア料理を食べた。


↑友人のハイメ。お医者さん。


↑あっこ。「チチャロン」というボリビア料理を食べた。豚肉を揚げたものと、アンデスのとうもろこしと、乾燥芋のセット。

その後10時に、他の友達も一緒に「ぺーニャ」と呼ばれるフォルクローレの生演奏が聞けるところに行ったり。

今日は精神的に疲れてしまって、日記も書かずに12時に就寝。
ベットで寝ながら見るNHKはとても心に染み渡る。


↑とうもろこし


↑巨大なカボチャを切るおばちゃん


↑果物に囲まれているおばちゃん


↑おばちゃん2


↑いろんな乾物や芋類に囲まれているおばちゃん


↑道端の香辛料屋さん。くさい。

会議は嫌い。

2007年04月04日 | 協力隊としてのお仕事日記
今日は、数あるたくさんの施設の全職員(先生たち)が集まっての会議だった。といっても、15人程度だけれど。

先生たちは、大体が26歳くらい。だからほとんどあっこと同じ年くらい。
中にはオジサンもいるけれども。

皆、同じ年くらいだけれど、既に教員生活は3~4年くらいやってる人が多い。
つまり、大学は行かず、早いうちからもう働き始めた人が多いってことだ。

今日の会議でのお題は、
「これまでの施設での様子やその現状報告、問題点など」
「11月に行う全施設でのパーティーの費用を、どう集めるか」
ということ。

あっこはボランティアとして働いているけれども、ちゃんと現状報告等を求められ、それについてもちゃんと話した(拙いスペイン語だけれども)。

正直言って会議はつまらない。だらだらと長い。昼休みが2時間もある。みんな早口で話すから9割くらい意味不明。でも仲良い同じ年の先生が気を使ってくれて、会議中もしょちゅう冗談言って笑わせてくれてそれは嬉しかった☆

お昼ごはんを皆で食べているときには、日本についていろいろ聞かれた。
毎度のことでもう慣れたけど、「日本では生の魚を食べるよ」というと、すんごい驚かれる。

ちなみに、今年11月に、全施設共同で行うパーティーがあるらしいのだけれど、その費用を稼ぐために、来月5月に、先生たちで食べ物や食事を売って費用を稼ぐらしい。その分担にアコも入れられてしまって、ちょっとめんどくさい・・・。

結局会議は5時に終わって、帰宅後は友達のハイメと近くの市場で美味しそうなパンを買ったり、家でギターやチャランゴをひいたり緑茶を飲んだり夕ご飯を食べた。
彼は日本語がちょっと分かるし、JICA関係者なので、あっこの良き理解者(心配症過ぎるのがたまに傷だけど)。これからの仕事の計画表をスペイン語で作るのを手伝ってもらった。

早くスペイン語をもっと話せるようになりたい!


↑道端のパン屋さん。


↑ケーキも売ってる。ラパスは乾燥してるから、すぐにパンもケーキも乾燥してしまう。鮮度命。


↑直訳すると、「おいしい!スペシャル・ウミンタス!」


↑これが「ウミンタス」。とうもろこしの粉、粒、何かのスパイスをとうもろこしの皮に包んで蒸したもの。ボリビア人はよく食べてるけどあこはあんまり好きじゃない。


↑卵はこうして山済みで売られています。


↑アンデスのトマトも美味しいけれど、あっこは日本の「桃太郎」の方が甘くて美味しいと思う。


↑市場の隅っこで寝てた犬。

叱れない・・・。

2007年04月03日 | 協力隊としてのお仕事日記
今は毎週日替わりで、いろいろな場所にある児童施設に行っている。
ボリビアの小中学生は、午前か午後しか授業がない。そういった子どもたちを授業がない午前か午後かに受け入れる児童施設がボリビアにはたくさんある。

ここではいろいろな活動の他にも、朝ごはん(パンとコーヒー)、昼ごはん(スープ、メインディッシュ、ジュース)の提供もしている。前に一度昼ごはんを子どもたちと一緒に食べたのだけど、食後の皿洗いの仕方があまりにも大雑把(桶に溜まってる水に浸すだけ)で、それ以来食欲が失せて、今はお昼ご飯は友達と外で食べている。

毎週火曜日は、Valle Hermoso(バジェ・エルモソ)という、ラパス市内でも特に高い所に位置する場所の施設に行っているのだけれど、ここの施設は一番のお気に入り!
なぜか子どもたちの雰囲気や人懐こさというのは、同じ子どもであっても施設によってすごい違いがある。きっとそれは、先生たちや施設の方針や雰囲気が大きく影響しているのだろう。

とにかく、ここのValle Hermosoの子どもたちは、自分が一歩施設に入ったとたんに、毎週飽きることなく大歓迎の抱擁とキスを一斉にくれるのだ。たまに歓迎のキスと一緒にヨダレもついてくる。

今日は、日本の文化紹介の続き。
日本語のカタカナを教えた。対象年齢は6~18歳。こんな年齢の幅があって、しかも教室に30人くらいちびっ子たちがいるものだから、授業もなかなか進まない。
先ず始めに、ちびっ子たちの気をひくために、「むすんでひらいて」をスペイン語と日本語とで皆で歌った。
それからカタカナの表を作って、一文字ずつ子どもたちと発音しながら作る。
同じローマ字でも、スペイン語読みと英語読みは違ったりする。例えば、「ハヒフへホ」は、日本なら「Ha,Hi,Hu,He,Ho」なのだろうけど、スペイン語は「H」は発音しないので、これだとただの「アイウエオ」になってしまう。
そこで、ここでは「Ja,Ji,Ju,Je,Jo」と表記。「J」はハ行で発音するので、これだと問題なく「ハヒフへホ」になるのだ。
スペイン語と日本語の発音はとても似ているので、英語よりも聞き取りが優しい。

たったの2時間しか時間がなかったのに、クラスが終わるころには、ほとんどの子たちがカタカナで自分の名前を書けるようになっていたからすごい!


↑カタカナの表を書いたボードの前で。

お昼休みには、3~4歳児のクラスにも皆で行って、皆で輪になって踊った。といってもこの年齢のちびっ子らはダンスのステップが踏めないから、輪になって「右~、左~、真ん中に寄って~、ハイまた広がるよ~!」って感じのダンス。


↑ちょっとピンボケ




ここの施設の子たちは、アコに対する「甘え方」がちょっと普通ではない。
6歳くらいのちびっ子たちは、抱っこして~!といった感じでずっと離れないし、他の先生たちには見せない安心しきった笑顔を見せてくる。
それはきっと、この子たちの母親(ほとんどが先住民)が、貧困のために家を出て家政婦として出稼ぎに行ってたり仕事で忙しくて十分な愛情を子どもたちが受けていないことが原因の一つなのだと思う。そして、これはどこの途上国でも同じような印象があるのだけど、「先生」という存在は子どもたちにとって少し威圧感がある。怒るときは見ているこっちがビビるこくらい怖い。

そんな中で、アコは日本人としてスペイン語もままならない状態でいつもニコニコ、優しくて何か出来ればすんごい褒める。抱きついてくれば抱きしめ返してあげるし、子どもたちにとって先生のような、お母さんのような、友達のような存在なのだと思う。

傍目から見ればとてもうまくいっているように見えるかもしれないけど、アコは一つの悩みというか、自分の活動上問題を抱えている。
それは、「叱れない」ということ。

去年ネパールでボランティアしていた小学校でも、関西での自然学校でのボランティアキャンプでもそうだった。実の妹にはしっかり叱ったり怒ったり出来るのに(笑)、こういうちびっ子たちにはなぜかビシッと叱れない。
「怒る」と「叱る」は意味が徹底的に違うと思うのだけど、教育上「叱る」ことはとても大切だと思う。今のアコは優しく「諭す」(しかも拙いスペイン語で)しか出来なくて、きっと先生としての威厳はゼロに近いんだろうなぁ。。。

でも、そんなアコにも笑ってついてきてくれる子どもたちがいることが、今とても救いになっている。







今日帰り際に8歳の子が「ACO」と名前を書いて似顔絵をプレゼントしてくれた。
全然似てないけど、超うれしい!



↑「Eres muy linda y bonita(あなたはキレイで可愛い)」って書いてくれてる。なんて良い子だ!!


300ボリビアーノス(約4500円)

2007年04月02日 | 協力隊としてのお仕事日記
アコが今一緒に働いているeducador(先生)たちの平均月収は、およそ700ボリビアーノスらしい。日本円で言うと月10000円ほど。

そして今日、きっといつか言われるだろう言葉を投げかけられた。
それは、お金に関すること。

どうやら今月半ばに、この施設に新しい教室が出来上がるらしいのだけれど、その壁を塗るペンキ代が無いらしい。
先生曰く、
「ぼくの月収は大体700ボリビアーノス。ペンキ代は300ボリビアーノスあれば部屋全体を塗ることができるのだけれど、とてもぼくの給料からは出せ無いし、ましてや子どもたちの親からの援助なんて考えられない(皆貧困層なので)。誰かペンキ代の300ボリビアーノスを援助してくれる人がいないかなあ?」

直接「援助して欲しい!」と言ってこないところがまだ救いがいがあるのだけれど、「JICA協力隊=お金持っている」という図式だけは与えたくない。正直言えば、アコ自身も子どもたちに自由にペンキを塗らせたいし、300ボリビアーノスはちっとも負担ではない額だ。
でも、ここで簡単にお金を与えてしまうのは、彼らの援助慣れを引き起こしてしまうし(結局自立出来ない原因になる)、協力隊は何か言えばお金を落としていってくれる存在として、その印象を残してしまうのは双方共に気持ちよくない。

結局、JICA事務所に相談しても、返ってきた返事はアコが思っていた通り。
あと残る手段は、アコが所属しているボリビアのNGO事務所に掛け合うか、他の一般のコネを探すかだ。

ボランティアと資金援助の兼ね合いのバランスは、とても微妙で難しい・・・。

それはそうと、今日生まれて初めて「ネズミ」と一緒に昼食を食べた。
子どもが連れてきたネズミが、テーブルにちょこんと座り、アコたちと一緒のメニューを食べる。それはとても穏やかな図だったと思う。

彼(ネズミ)は、今日散々可愛がられていたけれども、いずれ子どもの家での食卓に上がるらしい。
それを想像するとちょっとやるせなかった。


↑食事を作るソフィア。チョリータ(先住民の女性)。とっても気さくで良い人。


↑今日の昼ごはん。キヌアというアンデスの穀物と牛乳を煮込んだもの。


↑ここの施設は午前は子どもが6人しかいない。しかし午後は30人に一気に増える。


↑15歳の子。


↑この子と一緒に皆でランチ。いずれ彼も食卓に並ぶらしい。。。

今日は何の日?

2007年04月01日 | ボリビアの文化・食べ物・伝統など
雨季のボリビアは今日も朝からシトシトとした雨。
朝8時半に、ハイメと待ち合わせして、合気道の道場へ向かう。

道の途中の露天で、何かの草で編んだ飾り物がたくさん売られていたから、「これは何?」とハイメに聞くと、「セマナ・サンタ(聖週間)のためだよ」と言う。そして、「今日は葉っぱの日です。」とも。本当か?!



道場に着くと、すごく愛想の良いおっちゃん師匠が出迎えてくれて、さっそく受身の練習。早く言えばでんぐり返しなのだけど、ここラパス標高3750メートルでのでんぐり返しは、3回連続でやるともう、めまいがした。
日本で少し合気道を練習してたハイメはさすが飲み込みが早くて、そしてボリビア人師匠は日本語の数字で数えながら技を披露してくるし、超初心者の日本人の自分のプライドがちょっと傷ついた。
しかも、練習後の黙想の後に、師匠が「アーメン」で締めくくったときには、ちょっと面食らった。


↑師匠とハイメ


↑師匠とアコ

その後ハイメがラパス市内をいろいろと案内してくれたのだけど、何かにつけてハイメはアコの身をすごく案じてくれていて、話の話題の9割は「いかにボリビアは危険か」と「いかにボリビアは貧しいか」ばっかりで、正直聞いていて楽しくはない。
まあ、実際言っていることは本当で、つい最近も先輩が昼間から首絞め強盗に遭っているし、ボリビアの貧しさは毎日子どもたちと接していて十分分かってる。でもこんな休日にはあんまり聞きたくないというのが正直なところ。。。

ハイメとは午後で別れて、本当は夜も他の友達を交えて夜景を見に行くはずだったのだけど、この午前だけで心身とも疲れてしまいキャンセル。

何かをしていて楽しいか楽しくないかは、場所よりも、一緒にいる人によって変わるってことを痛感した一日だった。


↑話にテキトーに相槌打ちながら食べたサルテーニャ。ボリビア名物。どこにでも売ってる。1.5ボリ(20円くらい)


↑その中身。具はたまねぎ、鶏肉、卵、じゃがいもなど。生地がクッキー風味で美味しい☆