『2008年1月13日』という日付を、自分は一生忘れないだろう。
この日、ボリビアに来た当初から飼っていた、愛犬「まぐろ」を失った。
まぐろはまだ10ヶ月だった。
まぐろの年齢と、自分のボリビア赴任月数が同じだったため、まぐろの成長がまるで自分の成長のようにも思えていた。
正直、自分の協力隊の仕事以上にまぐろ中心の生活を送っていた。
一日2時間は散歩し、仕事を早く切り上げてでも、まぐろを公園に連れて行ってあげてた。
まぐろを通した犬友達も多かった。
エサも手作りに凝っていて、自分よりか野菜もふんだんにある健康的な食事をしていた。
出来るだけ一緒にいる時間を作るため、許可のでた仕事先にはまぐろも連れていき、子どもたちのアイドルだった。
ラパスから8時間ある他県へ夜行バスで向かうときも、まぐろを連れていき、運転手にバスの下の荷物入れに入れろと言われ激怒し、警察沙汰にして見事勝った(下に入れずにすんだ)こともあった。
寝るときもいつも一緒。ベッドをまぐろが占領して、自分は何だか隅っこで丸くなって寝たこともあった。
嫌なことや悲しいことがあっても、まぐろが全部癒してくれた。
とにかく、全てはまぐろだった。
まぐろがいなくなって、今でもう約4ヶ月経つ。
情けないほど精神的に弱ったけど、泣いてばかりでは前に進まない。
ちなみに、これまでにやったことといえば・・。
・200ドルの懸賞金を賭けた捜索チラシを5000枚(詳しく数えてないけどもっとあると思う)作り、まぐろがいなくなった地域の全ての電柱や市場などの至るところに貼った。
・大きなスタジアムでサッカーの試合があるときは、そこの入り口に立ちビラを配りまくった。
・大手新聞会社3社に、捜索願いの広告も出した。
・実際にまぐろを買った「ペット市場」では、たまに盗まれた動物も売られると聞き、この市場にも毎週のように行って張りこんだ。
・ 自分の職場を、まぐろが消えた公園を必ず通る場所にある施設に変更し、いつも通勤中のバスの中から探せるチャンスをつくった。
そして、4ヶ月経った今、もう習慣化したようなことのひとつに、『保健所通い』がある。
日本のように、ボリビアにも「保健所」なるものがあり、話によると、月~金の早朝に、保健所の車が町を走り、狂犬病の恐れのある犬(見た目で分かる)や、首輪の付いていたりする迷い犬を捕獲し、ここへ連れて保護しているという。
でも、一体どんな基準でもって犬を捕獲しているのかは、未だによくはっきりしない。なぜなら、保健所の周りにも野犬はうろうろしているし、曜日によって捕獲犬数の差が激しいからだ。曜日によっては捕獲犬数ゼロもある。ちゃんと仕事してるんだろうか疑いたくもなるのだ。
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保健所の入り口。
多数の迷い犬のポスターが貼られている。
日本ほど日数は短くないが、保護される日数は一週間であり、保健所内には各曜日ごとにケージが設けられ、それぞれ一週間経つと、「処分」される仕組みになっている。
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この訴えかけてくる眼差しが、犬好きには辛い・・・・
自分はここに、あの日以来、毎週必ず来ている。
日本に一時帰国していたときは、もう一人のまぐろの飼い主ハビエルが通っていてくれた。
昨日もいつものように来たら、一瞬見間違うかのようにまぐろにそっくりな犬がいた。
彼は、他の犬と喧嘩でもしたのだろうか、口から血が出ており、ものすごく何かに怯えていた。「まぐろ??」と呼んでも、ちっとも気に留めない。
確認のためハビエルに来てもらい彼を見てもらったら、一目で「この犬はまぐろじゃないよ」と言った。言われてみれば、耳の色がまぐろの色じゃない。まぐろに会いたい気持ちが、なんだか自分を迷わせていたみたいだった。
昨日はこの保健所の人に、「もう4ヶ月か・・。難しいですね。」と言われた。
正論なのかもしれないけど、こうも他人に言われるとものすごく腹が立つ。だからこのセリフはもちろん無視した。こいつは飼い主の諦めたくない気持ちを理解していない。
誰に何て言われようと、協力隊の任期が終わるまで、この保健所通いは続けるつもりでいる。よくある言葉だけど、諦めたらそこで終わりなのだ。諦めないで希望をもち続ける限り、まぐろとの再会の日は、もしかしたら来るかもしれないのだから。
一時はもうボリビアに生きる熱意も情熱もなくなって、協力隊辞めようとも思ったけれど、まぐろがボリビアのどこかにいる限り、ここを離れるわけにはいかない。
今の自分は、仕事を全うするために日々精進する協力隊の顔をもった、我が子を探す親なのだ。
これからも、希望をなくさないで、探し続けていこうと思う。
まぐろ、どうか、その日まで元気でいてね。
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まぐろの捜索ポスター