★チチカカ湖でまぐろを釣る★ En JAPON

ペルー・ボリビアから帰国しました。旅の模様を写真と一緒にアップしてます。
●◆最新更新日→2009年4月22日◆●

目指せ!ひらけポンキッキのオネエサン。

2007年01月31日 | 協力隊としてのお仕事日記
今日は「任地視察」の初日(計三日間ある)。
昨日まで日本人の同期と生暖かい空気を共有していたけれども、今日から三日間は、皆それぞれが自分の働く任地へ飛び、職場訪問をしてくるのだ。
目的は以下三つ。
・配属先現状把握
・先方要望確認
・着任前必要事項調査 etc…

他の皆はJICAの全額費用持ちの飛行機で暖かい南の方へ飛んだりで、半ば旅行気分な人もいたり。そんな中、首都ラパス隊員の私は、陸路運賃ゼロ、旅行雑費ゼロ、日当ゼロ、宿泊費ゼロ、の無い無い尽くし・・・・・・(他の皆は全部支払われる)。せめて日当だけでもくれー!

朝9時にJICAオフィス前に行くと、私の調整員(協力隊員のサポートをする人)の方と、私の受け入れ先機関であるCCF(クリスチャン・チルドレン・ファンド)のボリビア人が一人待っていた。
同期隊員であり、2ヶ月間ラパスで一緒に研修を受けるチカちゃんも来て、皆で車に乗り込み、CCFの事務所へ向かう。

CCFの支部である「JILANATAQUI」(ヒラニャタキ。アイマラ語で、成長する、という意味らしい)に行き、早速トップの女性へ挨拶。

協力隊の活動で有り勝ちの話の一つに、「職場へ行ってみたら、トップの人が自分の要請内容のことを知らなかった」というのをよく聞くのだけれども、なんと今回の私もそうだった。

そもそも、協力隊の活動要請内容を相手国と決めてから、実際に隊員が派遣されるまでに少なくても1年以上かかる。今回の私の場合、要請取り決めから今日までに2年という歳月がかかっている。要請の取り決め、隊員の選抜、2ヶ月間に及ぶ訓練、現地での語学訓練・・・・・・、と、協力隊の活動が始まるまでにはものすごい時間と労力がかかっているのだ。

そんなわけで、「今回初めて知ったわ~」というトップの女性も私たちを快く迎え入れてくれ、調整員の通訳と共に今後の仕事内容の話を進めた。
今回ほど自分のスペイン語の実力不足を実感したことはない。実質、スペイン語を勉強し始めてからまだ4ヶ月しか経ってないので、単語も文法も幼稚園児レベル。またはそれ以下か(笑)こういった込み入った話は、自分一人だけのスペイン語ではどうしても限界がある。もっと勉強がんばらなくては・・・・!!!!

午前と午後に分けて、「JILANATAQUI」が運営している3つの児童施設を回った。同行してくれた2人のボリビア人スタッフは、光ゲンジ似(誰だか忘れた)と、めがねの似合う好青年。

ボリビアの小学校教育では(まだ詳しく分かってないのだけれど)、児童は午前か午後のどちらかを通うらしい。つまり必然的に学習内容は少なく、音楽や体育などの情操教育は無く、一日の大半を持て余す。
そこでここ「JILANATAQUI」では、そんな児童を対象に、日本でいう「児童館」を運営し、様々なアクティビティーを企画したり、宿題を見たり、朝食や昼食を提供したり、医師による健康診断も行っているらしい。


私は今後の見通しとして、おそらくこれらの施設のどれかに的を絞って「青少年活動」をする。要請内容には『近年問題になっている環境問題に対しての環境教育を求む』みたいなことが書いてあったけれど、それだけに限らずに幅広く活動していこうと思う。
目指せ、ポンキッキのオネエサン!!

ところで、今回訪れた施設は、一つ一つがとても対照的だった。
貧しい地域にあったその施設は、見るからにボロボロで、教材も物資も不足していて、先生も一人しかいなくて、途中に子どもを連れてきたお父さんの洋服もボロボロだった。去年自分がネパールでボランティアをしていたボロボロの小学校を思い出した。
反対に、日本大使館が提供したというもう一つの裕福な地域にあったその施設には、教室だけでも20部屋くらいあり、机やイスも新しく、楽器も充実、パソコンも数台あり、スタッフの数も満足いくものだった。


ボランティアや援助をする側にとって、「目に見える、形に残る結果や成果」ばかりを追求していくと、どこかで本当に必要だったはずの存在を忘れがちだ。
今日一日を終えての一番の感想がこれだった。

ポンキッキのオネエサンを目指しつつも、いつも「本当に必要な誰か」を忘れないでいたい。

あとたったの1年11ヶ月

2007年01月30日 | ボリビア日記
毎朝ママのフロールが作ってくれるしぼりたてジュースと、ミルク入りコーヒーとパンの朝食を食べて学校に行っている。
基本的に、昼食をメイン(フルコース)にボリュームいっぱいに食べるボリビアは、朝食はコーヒーとパンくらいでとってもシンプル。夕食は、標高が高いために消化が悪いでの食べない家庭が多い。

今日はスペイン語学校で同期の誕生日祝いをし、その後に中間テストがあった。
ボリビアへ来て今日で3週間ほど。私のスペイン語はちょっとでも上達しているんだろうか・・・?

↑同期のみんなと。

夕方にネットカフェに行き、久しぶりのお父さんからのメールを見た。
『あとたったの1年と11ヶ月』と書いてあった。最近はボリビアの生活に慣れてきて、ちょっと初心を忘れていたけど、そうか~・・、もう約一ヶ月も経ってしまった。本当に、「あとたったの1年11ヶ月」だなあ。
長い長いと思う毎日も、過ぎてしまえばあっという間なのだろう。
この貴重なボリビアでの2年間の隊員生活を有意義なものにするためにも、初心を忘れずにやっていきたい。

夜はフロールと3歳のダビと一緒に部屋でシャボン玉遊び。
「どこの国も子どもが好きで喜ぶものは同じだねー」と私が言うと、「ほんとそうだねえ!」とフロールが言った。こうやって毎日生活や食事を共にして、私を可愛がってくれるフロール。
なのに、この夜、私の名前を一瞬忘れたらしく、3歳のダビに「彼女の名前は、え~と・・・、ダビ、言ってごらん!」って聞いてた。おいおい!(笑)


↑フロール(下町のお母さんって感じですごく気さくで楽しい☆)


↑いたずらっ子のダビ。一日に「あこあこあこあこあこーーー!!!」て連呼されるほど気に入られた!


↑まだ3歳。ファブリシオ。すんごく可愛い!!!!!


↑サラダ。おいしい(^^)でもレタスには注意しなくては・・・!(よく当たるので)

ミニチュアの世界と手動遊園地

2007年01月29日 | ボリビアの文化・食べ物・伝統など
今日はスペイン語の学校のアクティビティーで、皆で外に出た。
今ボリビアのラパスでは「アラシータ」というお祭りの最中。エケコ人形というどう見ても可愛くないオッサンの人形に、自分がいつか将来欲しいと思うミニチュアサイズの品々をぶら下げてお願いするというもの。

今日皆で行ったエリアには、ところ狭しに屋台が並び、「こんなんもミニチュアにするのか~!」とびっくりするくらい本当にいろんなミニチュアが売っていた。

↑アイマラ族のおばちゃんもお買い物


↑ほんとにちっちゃい!


↑楽器も超ミニチュア!

日用雑貨から始まって、食品やお酒や洋服や靴。どれも3センチくらい。小指の爪くらいの大きさの石鹸まで売っていた。エケコ人形のオッサンにお願いするほど石鹸が欲しい!!!っていう人もいるのだろうか。
恋人が欲しい男性は雌鳥のミニチュアを、女性は雄鶏のミニチュアを買う。何故に雌鳥と雄鶏なのかは不明。
大学の卒業証明書、家の購入証明書、旅行かばん、クレジットカード、ドル札の札束、車、赤ちゃんまで、何でも勢ぞろい!
屋台の横で売っていたアイスやハンバーガーまでもがミニチュアで可愛い。


この屋台を見て、こんなに精巧で器用なミニチュアを作れるボリビア人って、実は手先も器用ですごい奴らで、本当はもっと国も発展しててもいいんじゃないか?と思った。しかし、海が無くて国の地形に恵まれてないボリビアは、生まれながらにして「途上国」の名を背負っていく運命にあるのかもしれない。

その後私たちは隣の「手動遊園地」に行き、色はカラフルだけど見るからに怪しい手動の乗り物に乗り、散々回されたあと、ゲロゲロな気分になりながら帰った。
こんなにテンションが低くなる手動遊園地を持つボリビア、なかなかあなどれません。

標高4000メートルでのお買い物

2007年01月28日 | ボリビアの文化・食べ物・伝統など
現在、私は標高3650メートルの世界で最高所に位置する首都に住んでいる。
そして今日は、恐らく世界で最高所に位置する標高4000メートルの市場へ行ってきた。

同期のゆみこちんとノンとサンフランシスコ寺院で待ち合わせ、久しぶりの外食でランチ。
一般的なボリビアの昼食が10ボリビアーノ前後(150円位)だとしたら、今日の私たちの昼食はツーリストプライス。まさに、お金持ち旅行者価格だった。
まあ、たまには息抜きしないとね。


バスに乗り込んで、ぐいぐいと坂を上がること15分ほど。
エル・アルトと呼ばれる標高4000メートルの地に着いた。盆地の形をしたラパスの町並みが良く見えて気持ちがいい。

最も貧しいと言われる場所だけあって、確かにそんな感じ。


アイマラ族の民族衣装を着たおばちゃんたちの割合もすごく高い。

ここの市場は、市内に比べて圧倒的に値段が安い。アメリカや近隣諸国から輸入した洋服が、市内の10分の1位の値段で売られている。
しかもGAPやら実は良いブランドもあり、東京でも売れそうな可愛い古着もあり、フリーマーケット好きな人は楽しいかもしれない。
この超強烈直射日光と果てしなくだだっ広い市場を歩き回る労力を抜かせば!!!!

標高4000メートルの直射日光は、「暑い」とか「まぶしい」を通り越して、吐き気がするくらいガンガンに強い。帽子を持ってこなかった私たちは後悔しながらも、良い買い物との出会いを期待し歩き続け、しかしいくら歩いてもゴールは見えず、山盛りになった洋服をさぐり、また歩き・・・・・・・。
喉が渇いても、周りで売っている飲み物の実態が怪しく、ケーキなんかも一日中日に照らしながら売っている様を見ると、余計に手が出ないのでした。

そんな中で私が買ったものは、5ボリ(70円位)の洋服と2ボリ(30円位)のカマキリのおもちゃ。そして呪術グッツのお守りを5ボリで。
アイマラ族のおばちゃんから買ったもので、他にも小動物の口を切り取ったものや、手、足、コウモリの乾燥したもの、よくわからない豆類、何かの動物の脂、アルマジロの尻尾も売っていた。


元々、こういうスピリチュアルで怪しい世界が大好きなので、いつか私もこういった呪術グッツを使いこなし、大地の神「パチャママ」に祈ってみたい!

市内に戻った私たちは、近くのカフェでごくごくとお茶やジュースを飲んで乾きまくった体を癒し、「やっぱり標高4000メートルはハンパないっす・・・」という最もシンプル且つ正直な結論に至ったのでした。

↑本日の収穫物。カマキリと、アイマラ族のお守り。

海無し国ボリビアで初のシーフードを食べる

2007年01月27日 | ボリビアの文化・食べ物・伝統など
今日は土曜日で学校も休み。
こないだのペーニャで仲良くなったペルー人の友達ハビエルと昼食を一緒に食べに行った。
ハビエルお勧めのペルー料理レストランでは、セビッチェというシーフード料理を注文。チチカカ湖で獲れた魚と、ペルーからのイカなどが、爽やかなライムで味付けされていて、すごく美味しくてしかも久々のシーフードだから、とっても幸せだった!

↑「セビッチェ」。絶品☆

↑ペルーの「インカ・コーラ」(何故黄色いかはなぞ)とハビエル。超善人。

彼は29歳でパソコン関係の仕事をしつつ、日本語の勉強もしている。両親と7人の兄弟をペルーに置いて、一人ボリビアで8年間も黙々と仕事をしてきた彼の心境に比べたら、私の2年間が小さく見えた。

今日だけでラパス市内で5組くらいの結婚式カップルを見た。町中の教会で結婚式が行われていて、「アメリカ橋」という大きな橋を結婚式カップルたちが歩いていた(ここの習慣なのかな?)


その後は、サガルナガ通りへ。

↑サガルナガ近くのサンフランシスコ寺院。

ここはたくさんのお土産や呪術グッツが売っているところ。
自分も可愛いバックを値切って買って、「おっしゃー!」って思ってたのだけど、後で家族に聞いたら思いっきりツーリストプライスだった。まだまだ修行が足りないようです。

ボリビア人が信仰している「パチャママ」という大地の神へのおまじないや信仰行事に使う様々なグッツもたくさん売っててすごく興味深い。リャマの胎児やいろんな動物のミイラ、化石、いろいろな願いの意味をもつ人形、粉、豆など・・・・。
これらはインカ帝国時代からアイマラやケチュア族たちがずっと長年行ってきたことの一つ。



↑アイマラ族のおばちゃん。あまり値切ってはくれない(笑)

↑大地の神パチャママに捧げる砂糖菓子や豆やその他いろんなもの

↑リャマの胎児のミイラも呪術に使う。

↑生々しいというか、ちょっと可哀想・・・

↑ボリビアの動物のミイラ。

ボリビアの町並みを歩いていると、インカ帝国時代と現代とが、対話しているように融合しながら町に存在しているのがとてもおもしろい。

そして、そんな町に今、自分も存在していることがとっても不思議☆

↑ハビエルと同期のみんな。

ボリビア来て一週間目の感想

2007年01月18日 | 想うことあれこれ・・・日記
先週のちょうど今日、あの「出発前」の独特の緊張感と不安と期待に駆られながら成田空港に一人電車で向かったのが懐かしい。

今日でボリビアに来て一週間という実感がまるで無い。
もう一ヶ月くらいは経っているんじゃないかというくらい、この一週間は濃くてまだ自分自身に余裕がなかったのかも。。。

これからの二年間は、月に直すと24ヶ月。
一日の時間に直すと、24時間。

まだ一ヶ月も経ってない今は、眠りこけた直後みたいな感じなのかな。
夜中の0時をまわったところ。

正直言って、この二年間で成長してこようなんて思っていない。
とにかく、心身共無事で、五体満足で帰国したい。
日本での訓練時代に、スペイン語の恩師が言っていた通り、何かを残そうとか気張らないで、誰か一人でも笑顔に出来たらそれでいいんじゃないかな、と。
テキトーにやってこーとかそういうのではなくて、いつも余裕ある心で、いろんなこと吸収しながら、一人の日本人として貢献出来ることをする。

それだけ。

二年間どうか平穏でありますように。


↑ステイ先の同い年のガブリエラが作ってくれたクッキー。


↑ガブリエラとファブリシオ。

ボリビアの食事について

2007年01月17日 | ボリビアの文化・食べ物・伝統など
ボリビアではお昼ご飯(Almorzar・アルモルサール)が一日のメインとなる。

日本と一日三食というのは変わりないが、朝ご飯はコーヒーとパンがメインで、日本みたいに目玉焼きとかベーコンとかプラスアルファが無い。
だから、朝ごはんに対しては「食べるcomer」という動詞よりも「飲むtomar」という動詞をよく使う(例・「もう朝ごはん飲んだ?」)。

夜ご飯は、ボリビアでは簡単にクッキーやフルーツ、お茶くらいで済ませる人が多く、ここラパスの人は食べない人も少なくない(標高が高いために消化に影響が出て寝づらくなるため)。

そしてメインは昼ごはんとなるのだが、2時間以上かけて、前菜・スープ・メインディッシュ・デザート、という感じで、とっても本格的!


今住んでいるホームステイのママは、とっても料理が上手。
午前のスペイン語の授業から帰ってくると、食卓のテーブルにはきれいにフォークやスプーンがセッティングしてある。
そしてみんなが揃うと、まずはサラダといった前菜が出てきて、その後スープ。毎回そうなのだけれど、このスープが結構クセモノで、超具沢山!アコはスープを食べ終えた時点で既にいつもお腹いっぱいになっている。

だけどママは、美味しくたらふく平らげる姿に何よりも笑顔を見せるので、ここでギブアップするわけにはいかない。「すごく美味しい!!」と毎回絶賛して、メインディッシュも平らげる。デザートは、大体いつもフルーツか、ママ手作りゼリー(着色料いっぱい)、プリンなど。

このお昼ご飯が終わるころには、一つの戦いを終えたような達成感をいつも感じる。
アコの体重が確実に増えることはまず間違いないだろう。

最近の食事メニューを紹介☆


↑アンデス穀物のキヌアというものが入ったスープ。栄養満点!


↑野菜たっぷりスープ。スープで美味しくないのに出会ったことが無い。


↑豚肉と、ポテトサラダ。日本人の口に合う。


↑同じく骨付き肉とパスタ添え。


↑スパゲッティ。ボリビア産チーズ付き。こちらのチーズは塩気が強くて美味しい。


↑チョリソーと呼ばれる味付けソーセージ。


↑プラト・パセーニョと呼ばれるラパスの名物料理。
イモ、トマト、リャマ肉、チーズ、とうもろこし、豆といった、アンデス特有の食材がそのまま並ぶ。


以上、こんな感じで、ボリビアの食生活にはとても満足してます(^^)☆

ラパスの危険地帯視察ツアー

2007年01月16日 | ボリビアの文化・食べ物・伝統など
今日からさっそく一ヶ月間の「語学訓練」が始まった。
クラス分けテストをやったり、簡単に皆で自己紹介をしたり。個人的には、スペイン語がとても自分に合っていると思う。英語に感じるようなプレッシャーもないし、何より発音がクリアだから、聞き取りやすいし発音もしやすい。文法と動詞の活用だけがネックだけれど、あとはもうしゃべってしゃべってしゃべりまくって慣れるしかない!

夕方は、JICA主催の「ラパス危険地帯ツアー」があった。
別に「ツアー」と謳ってはないのだけど、JICA専属の安全管理員が貸切バスに添乗してたものだから、雰囲気としては「ツアー」だったと言える。

ていうか、こうやって専属のボリビア人(しかも元警察長)をJICAの協力隊員のために雇ってるJICAもすごい。


↑こんな感じでツアーは行われた。

ボリビアは、中南米の中でも比較的犯罪が多い国らしいけれど、データ的に見ればそれらはほとんどが「窃盗」や「スリ」等の軽犯罪だ。でも頻度が普通じゃないので、例えば「夜は一人で出歩くな」とか「道を歩くときは何度も背後を確認するように」とか「人込みでの出歩きは控えるように」といった注意事項が飛ぶ。

バスから見る「危険地帯」と言われるラパスのそれらは、アコから見ればいたって平和な日常生活の一部だった。けれど、まだボリビア初心者の自分には分からないことがいっぱいなのだろうな。


↑おばちゃんも居眠り。


↑こんな感じで道端にたくさん野菜とかが売ってる。


↑バスの中から見えた葬式風景。


↑昔はマクドナルドがあったらしい。今は無い。バーガーキングの値段はここの物価で考えるとちょっと高め。


結局、脅しにも近い注意事項を聞きながら、バスから見た中で一番コワかったのは、商店街に並ぶマネキンだった。


↑ちっとも可愛げがない。


↑霧の中に浮かぶマネキン。こわい。。。


↑個人個人に携帯も支給。何かあったときは即でんわ!!

JICA事務所でのオリエンテーション

2007年01月15日 | ボリビア日記
JICA隊員連絡所すぐ近くにあるJICA事務所で、皆制服を着用しての一日かけてのオリエンテーションがあった。
協力隊の心得、安全対策、健康管理、その他いろいろな書類作成など。。。

つくづく思うのは、JICAはやはり巨大な組織であり、しっかりとアコはその恩恵を受けつつ、この組織に組み込まれているのだということ。
いろんなしがらみはありそうだけれども、こういった多方面でのバックアップにはこれからも感謝していきたい。

ボリビアに着いてまだ4日目なのに、何だかもう1ヶ月くらいはいる気分なのはどうして?!毎日が過ぎてみればあっという間だけど、感覚的にすごく長く感じる。


↑おやつのお茶とパン


↑コカ!煎じて飲む。


↑3歳のダビと外で一緒にサッカー。超うれしいらしくてその姿が可愛い。


↑でも肥満気味。。。


ホームステイ先にもらわれていった日

2007年01月14日 | ボリビア日記
今朝は皆そわそわしながら起きた。10時になって、続々と「JICA隊員連絡所」に、各ホームステイ先の家族が迎えにきていた。続々とステイ先にもらわれていく同期の背中を見て、なんだか市場に売られていくロバのキモチが分かった。


↑すごい風格のマダムにもらわれていく同期H。

久々に「スペイン語を話さなくてはならない状況」に置かれることに、皆ちょっと不安を感じていた。もちろん自分も。

アコの元には、60代くらいのおばあちゃんと、その孫3歳が迎えに来てくれた。
さっそくタクシーの中でネイティブ・スピードのスペイン語シャワーを浴びる。何を言っているのかサッパリ・・・。

着いた家は、内装にやたらと金色を使うゴージャスな感じで、自分の部屋は、ドピンクのベットが横たわっていた。
家族構成は次の通り。
ハイメ(60代)・・・今は退職して自由自適な生活。昔ラパス市の外交をやってた。
フロール(60代)・・・ハイメの妻。肝っ玉母ちゃん系。超気さくで良い人。
マガリー(30代)・・・三人娘の長女。弁護士。二人の子持ち。旦那は今アメリカ。
リリアナ(30代)・・・次女。同じく弁護士。独身。良い人。
ガブリエラ(25歳)・・・弁護士の卵。現在出来ちゃった妊娠中。
ダビ(3歳)・・・マガリーの息子。すごくヤンチャ。
ファブリシオ(1歳)・・・マガリーの次男坊。めちゃくちゃ可愛い。

そんな感じでとってもエリートな家族らしい。


↑マガリー、ファブリシオ、フロール。

さっそくおもてなしのコカ茶を頂きながら、次いでお昼ご飯。
ボリビアのランチは軽く2時間くらいかけて食べる。前菜、スープ、メインディッシュ、デザート、というのが一般的。今日はラパスの代表的な「プラト・パセーニャ(ラパス食)」を食べた。いかにもアンデス!といった感じの、ジャガイモ、とうもろこし、肉、豆、トマト、チーズの盛り合わせ。結構美味しい!



ところで、ここの家庭では、1歳児のファブリシオに、積極的(?)にコーラを飲ませている。栄養の知識が、例えエリートであってもここボリビアでは欠けているのかな?

ホームステイ初日としては、なかなか好印象の家庭だと思う。
先ずは何よりも自分のスペイン語をどうにかしないと!
1歳児よりもスペイン語レベルが劣るのは悲しい!!


↑客間


↑客間のソファ


↑ダイニング




↑道端で良く売られている桃のジュース。先住民のチョリータと呼ばれる女性が売っている。


↑こんな感じ。激甘。

POLLO FRITO(ポジョ・フリート・・鳥の唐揚げ)

2007年01月13日 | ボリビア日記
朝起きると、同期の女の子がピラフやスープを14人分作っていてくれた。
ボリビアで初めて浴びる朝日に癒されながら、皆でほんわかと朝ごはん。
日本を経つ前はあんなにこの13人の同期との人間関係がめんどくさかったのに、今ではもう愛おしい同志としか見れないから人間って不思議!




今日は同期の子3人で、ラパス市内を散策することにした。
きっと今あこたちが泊まっている「JICA隊員連絡所」は、比較的お金持ち層が住む安全なエリアなのだろう。日本で仕入れていたボリビアの「貧困」は、そこにはどこにも感じなかった。
増してや、町を歩くと余計にその感覚は麻痺してきた。オシャレなカフェ、綺麗に整備された歩道、イマドキっぽい服を着たおしゃれな若者。

「ボリビアも結構イケるじゃんか~!」と予想外の嬉しさを感じながら、アコたち3人は「POLLO COPACABANA」という店へ。そこでのメニューは、チキン(唐揚げ)か、バナナの揚げたやつか、フライドポテトしかない。とっても体に悪そうだけれど、店は繁盛してるし、店員が気さくで親切だったから良しとする。




↑超体に悪そう。。。

この日の夜は、また皆で協力しながら夜ご飯を作り、皆で一緒に食べて、夜まで語り合った。

まだボリビア2日目だけど、ずっと日本語しゃべってるし、歩いた場所は綺麗な所ばかりだし、宿泊所帰れば皆がいるし、ちっともまだボリビアにいる実感がない。

ボリビア着いたーーーーーーーーー!!!!!!!!!

2007年01月12日 | ボリビア日記
ボリビアの国際空港に到着する2時間前、皆で一斉に「バファリン」を飲んだ。

ボリビアの空港は標高約4000メートル。軽く富士山さんなんかを超えちゃっている。
だから、着陸姿勢に入って機体が下に傾いてから着陸するまでの時間が異様に早かった。

窓から見えた空港の町「エル・アルト」は直訳すれば「高い場所」というとっても分かりやすい名前の町。全体が赤茶けたレンガ作りの家々が並び、まだ見もしないボリビアの埃っぽい貧困さが伺えた。


「機内では重い荷物の上げ下ろしはしないこと」
「ゆっくりと深呼吸をすること」
「たくさん水分をとること」
「飛行機を出たら、走らずにゆっくりと歩くこと」

たかが飛行機を出て空港を歩くだけで、こんなにいろんな注意事項をもらうのは、今までたくさんの国を旅してきた中で初めて。

自分は、ついにたどりついたボリビアへの期待でちょっと興奮気味だったのだけれど、そんな自分を抑えてちょっと冷静な大人を装ってみていた。
そしてそんな超元気な自分の隣では、さっそく同期が高山病でノックアウトされてダウン。

↑到着直後。

空港では、JICAの調整員と呼ばれるボランティアの生活仕事等とお世話してくれるスタッフが5人くらい待っていてくれて、荷物を専用バスへ運ぶのを手伝ってくれたりしていた。
バスの中では、すでに同期が酸素ボンベを吸っていて、見ているこっちはボリビアのリアリティーを感じてちょっと楽しかったりしていたんだけど、顔色も青白くて、実は結構辛かったらしい。そのうち他の子まで次々に椅子にもたれながら目がうつろになっていっていて、元気にはしゃいでる自分は一人浮いていた。




バスの窓から見る、初めてのボリビアの町。
あいにく、天気は曇りだったのだけど、キリスト系の寺院や、路上で何かを食べている普通の人々とか、スペイン語表記の看板とか、どうでもいいようなこともすごく新鮮に見えた。


そのうち、標高4000メートルのエル・アルトの町から少し下って、自分の生活の場となる首都ラパスに着いた。下った、といっても標高は3750メートル。

JICAの「隊員連絡所」という一軒の家に到着。
玄関先では、先輩らが手を振って出迎えてくれた。

先輩らが作ってくれていたおにぎりと温かいスープで癒されつつ、隣で酸素ボンベをシューシュー吸ってる同期の呼吸を聞きながら、簡単なオリエンテーションを受け、さっそくボリビアの現地通貨を受け取ったり、今後のスケジュールの説明を受けた。

そして、健康担当員による、「血中酸素濃度」も皆測ったのだけど、さすが一人ピンピンしてる自分は「92%」の最高記録を更新。やはり高山病で倒れてる同期は80%台だった。
同じくラパスが仕事場となる同期の一人も90%台。ラパスに来るべくして来たといったところだろう。

正午から、先輩が自分ら同期を、町の散策に連れていってくれたものの、途中から次々と同期が高山病で倒れかかったり吐いたりして、高山病の恐ろしさを身をもって感じた、そんなボリビア初日だった。

夜には、この「JICA隊員連絡所」に代々の先輩たちが置いていったマンガを読みながら、ぐったりした同期を横目に、ボリビアで読む「美味しんぼ」で一人癒されていた。



↑あこも試しに酸素ボンベ吸ってみた。効果は分からなかった。

サラバ!

2007年01月11日 | 想うことあれこれ・・・日記
記念すべき日だというのに、成田空港への集合時間に遅刻し、これからの2年間の自分の有り様がちょっと垣間見れてしまった。

正午12:10に成田を発。

サラバ日本。
また会う日まで。

日本列島様。たぶんあんまり成長もせず帰ってきそうな気がするけど、どうか大地震も起きずに平穏なままで2年間待っていてください。

お母さんとちひろが見送ってくれてうれしかった。最後にお父さんとまりちゃんと声も聞けたし。




連日の超睡眠不足で意識も朦朧としていたけど、この時の頭で考えていたことは、ここまで送り出してくれた家族や友達への有難み、愛犬チャムの残像、そして、これから30時間以上に及ぶフライトを、同期の13人と過ごすことへのダルさだった。。。

長野県での2ヶ月間の訓練中、数ある派遣任国中、ボリビア組は断トツで「あんまり仲がうまくいって無い国」ベストスリーにランクインするほど、うちらのまとまりは悪かったと思う。訓練生活を共にする他の班との仲が最高に良かっただけ、余計にこのボリビア組との時間が雲かかっていて、個人的にボリビア組の子と話をすれば、出てくる話題はいつもこの皆の仲の悪さだったりしてた。
だからこのボリビアまでの30時間以上のフライトを、どうストレスなく過ごすかがメンドクサイ問題の一つだったのは当然といえば当然。

しかし、自分のこの予想に反して、空港で家族と別れてから搭乗するまでの時間から、なぜか皆の空気がいつもと違っていた。
皆の目が、「これから2年間を共にする同志」を見るかのような優しい視線になってた。

結果、アメリカでのトランジットも、30時間以上のフライトの時間も、あっという間に過ぎていってしまったくらいに、笑いに溢れたとても楽しい時間になっていた。


ボリビアに着く30分前に飛行機から皆で見た、アンデス山脈と朝日の美しさは一生忘れないと思う。

↑空がきもちい!

↑アメリカでのトランジットの時。
このときにはもうみんな超仲良かった。

↑搭乗待ち。

↑そのときのきぬ子。我がボリビアリーダー。

↑きぬ子ケツ。

↑ボリビアに着く前に見た太陽