Cool Japan Academy&ACE KIDS ACADEMY

主として、学習塾「岡村ゼミナール㈱」・日本語教師養成講座「CJA」に関することについて、気ままに書いています。

そろばん塾開講に向けて、全国大手学習塾が続々と見学、研修で来校!

2019年07月07日 | 日記
そろばん塾開講に向けて全国大手学習塾が続々と来校

ACE Kids Academy総生徒数は、平成27年3月開講以降、珠算部・習字部講座を中軸に、お陰様で1,232名を数えていますが、最近では、ACE Kids Academy総生徒数の学習塾部門との交流機会が種々の講座を通して顕著に増えつつあり、学習塾としても理想的な進歩・発展の仕方を見せています。

 これは、ACE Kids Academyが、いわゆる伝統的なそろばん塾のフランチャイズに加盟せず、独自の独立路線を歩んでいるお陰だといえます。

 すなわち、伝統的な珠算塾チェーンでは、珠算塾自体で完結する教室・生徒指導をしているため、折角の生徒達を「学習塾」へとつないでいく目標・意欲や手法を持たないか又はそれらにおいて、極めて脆弱であることが原因で、学習塾の発展へとなかなかつなげられない弱点が指摘されています。

 その点、岡村ゼミナールやACE Kids Academyでは、開設後4年目を迎え、様々なお誘いや機会の利用で、ACE Kids Academyの生徒達を、学習塾部門に取り込んでいく努力を積み重ね、その成果が表れ始めているところです。

 何といっても、この点が、伝統的な珠算塾チェーンとは運営手法が異なる最大のところで、全国各地の大手学習塾が、続々と見学・研修に来校される由縁でしょう。

 少子化・人口減の時代、生徒数を維持し、学習塾の繁栄に尽くす手段の開発には、どこの学習塾の経営者も必死でしょうが、岡村ゼミナールでは、いち早く、4年前に、早期知能開発:ACE Kids Academy(珠算・習字・英会話・ロボット科学教育講座)開講に着手し、上記のような実績を積み上げたところで、全国の大手学習塾が、この7月に続々と見学研修に来られます。

HPはこちらからhttp://ace-kids.jp/
ぜひ一度ご覧ください。



ところで、岡村ゼミナールでは、少子化対策の第2弾として、本年4月には、CJA日本語学校:日本語教師養成講座を開講しました。

次いで来春、2020年4月には、いよいよ海外からの留学生を受け入れる学校を開校予定です。

取り分け、この留学生向けの日本語学校では、❶パイロット養成の(学)日本航空学園への進学予備校的な位置付け・指導内容等を明確にするとともに、❷並行的に、岡村予備校のこれまでの大学進学・受験指導歴を基に、東大・京大への合格実績を謳いつつ、早稲田・慶応大学への進学をも目標にするトップレベルの教育指導をもって運営を行うことにしています。

詳細等は、後日に発表しますが、ご期待ください。

引き続き、何卒宜しくお願い致します。

令和1年7月7日 日曜日
岡村ゼミナール&CJA日本語学校:岡村寛三郎
協同組合クラブ・メデカルツーリズム・ジャパン











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自分の生き方(三上和志著「人間の底」との出会い)

2019年07月07日 | 日記
★三上和志著「人間の底」、その表題の意味

その意味の理解は極めて難しく、正に禅問答のようです。

この物語を約40年前に読んで以降、その後30年間は、表題の意味を考え続けてきました。

しかし、堂々巡りで、その物語の主人公・中田卯吉の生活水準や幸せ度が、人間の底[=地獄の底]であったという点から、この表題が付けられているのかな?と考えてきました。

それにも拘らず、その解答には自分でも疑問を感じてきました。

なぜなら、その著書の表紙には、「観音菩薩」の上半身像の写真が大きく掲載されていて、観音菩薩が人間の底である筈はないからです。

ちなみに、普通の人間の場合は、死後においてどこに旅をするのかと言えば、私自身は、「産みの親の懐に戻る旅をする」のだと考えてきていますが、(悲しいかな・・・)親に捨てられた主人公の卯吉には、帰るべき親(の懐)がありません。

そこで、死後において戻るところがない子は、観音菩薩の懐に戻ると考えられるため、その写真が掲載されているのかと考えてきました。

しかし、京都山科にある「社会奉仕を通じて自らを高めようとする宗教団体」の一燈園の三上先生は、卯吉に対して「人間が生まれてきた理由は、人の世のために尽くすこと」だと諭していますから、物語の表題の「人間の底」とは、「人間社会の根底をなす倫理規範」を我々に教えようとしているのかもしれませんね。

★「人間」社会の根「底」をなす倫理規範とは?

(禅宗の根本義=老荘思想)

(1)憐みの心   (2)節約   (3)謙虚

一燈園さんのお教え

しかるに、平成24年11月、初めて三上和志和尚の著書を手にしてから30年ぶりに、遂に訪問できた京都・一燈園さんから、「人間の底」の意味について教えを戴きました。

それによりますと、人間は、みんながその心の奥底に、相手をいたわる優しい心をもち、同時に相手からのそのいたわりや支えに感謝する素直な気持ちを有するものなのだということでありました。

そこで、学習塾・岡村ゼミナール(株)が、創業以降、当時迄の約30年間にわたって維持してきた塾是「素直さ・優しさ・真面目さ・感謝の気持ち」という[生徒たちが、一心に学習に励むためのエネルギーとなる]心の要素は、即ち「人間の底に潜む貴重な心」であったということが判明しました。

ついでに書き添えますが、「一燈園」という社会奉仕団体のお名前は、「身を削りつつ社会を明るく照らす一本の蝋燭の光を捧げる人々の集団」という意味であると推測しています。

★ 今日一日

  怒らず 恐れず 悲しまず

  正直 親切 愉快に

  知恵と勇気と信念を持って

  自己の人生に対する責務を果たし

  常に平和と愛とを失わざる

  立派な人間として生きることを

  厳かに誓います。
                               (中村天風・作)

他方、この言葉は、私が30数年前に中村天風氏の著書「成功の哲学」を拝読後、随分と感動したことをきっかけに、心の中で唱え続けてきたものですが、当初はそこで目指されているような崇高な人間性などを、残念ながら自分はほとんど持ち合わせていないという反省の気持ちが強かったものです。

しかし、だからこそ、その言葉が「自分の日々の至らぬさ」を反省し改める方向についての指針となるものだと考え、心が乱れ姿勢に揺らぎが生じる度ごとに、唱え続けてきました。

その後の30数年間という月日は優に13,000日を超えていますし、その当時は、まだ、自分の身勝手な姿勢が改まらない、人に迷惑を掛ける、感謝の気持ちが足りない・・・という問題点が多い状況でしたから、一日に何度もこの戒めの言葉を復唱しなければならなかったため、この言葉を唱えた回数は、多分数万回にも達したでしょう。

しかし、お陰様で、この言葉が指示するところがすっかりと自分の日常の行動の基本となり、今では、その言葉の内容の大方は実践できているかもしれません。

かくて、日常生活の心得となる言葉を持つことは、人と交わって、平和で楽しい生活を作り出す有力な方法だと思います。
                           令和元年7月7日
                           岡村ゼミナール&CJA日本語学校:岡村寛三郎
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