Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

伊丹十三 訳 パパ・ユーア クレイジー

2014-08-19 08:20:30 | 読書
ウィリアム・サローヤン, 伊丹 十三 訳,新潮文庫(1988/01).

古書市で 100 円だった.

45 歳の父は 10 歳の僕 (兄) を連れて,母・妹組と別居する.この本は父と僕の会話が中心,父は教育的なことを言っているつもりらしいが,会話は哲学問答・禅問答みたいでとりとめがない.ときどき料理のレシピが出てくるが,実用性は疑問.

訳者は人称代名詞を極力省略しないというルールを自分に課したとのこと.
あとがきには
「僕の父は僕の母に,彼女が僕と僕の父を彼女の車で送ることを断った」というような文章に読者がどこまで耐え得るか自信はないが,これを「ママは車で送ってくれると言ったがパパは断った」と訳したら,この小説は少々風変わりではあるが,やさしくて物わかりのいいお父さんの子育て日記にとどまってしまっただろう.」
とある.

「僕」のせりふが 10 歳のこどもの言うこととは到底思えないのだが,それが気にならないのは訳文のおかげだろう.
しかし人称代名詞については徹底しない部分もある.例えば I (アイ) を,父親が言うときは「私」こどもが言うときは「僕」と訳して分けている.人々が使う I, you にすべて同じ日本語を当てるという課題に,訳者は「何の解決も見いだせずに終わってしまった」と言っている.

またこの訳文に抵抗を感じなかったのは,多少英文に慣れているせいかもしれない.ひょっとしたら,英語の原文を読んでいると錯覚したのかも.
原著で読んでみたくなりウェブでペーバーバックを探したが,見つからなかった.講談社英語文庫版なら古書で入手可能らしい.

このような翻訳の冒険ができたのは,訳者が翻訳で食べていなかったからだろう.もうひとつの理由は,これが「話の特集」というちょっと変わった月刊誌に連載されたためと思う.
人称代名詞の件に加えて,訳者は原作を一通り読んでから訳すということをせず,読んでは訳し,ということを繰り返したそうだ.こうすれば訳者は著者の思考をある程度忠実に辿ることになりそうだ.

最後に原著者について,Wikipedia の記事を要約すると...

サローヤンは 35 歳で 19歳 だった女優と結婚し,二児を得たが離婚・復縁の後最終的に離婚した.当時彼はまさに作家の絶頂期にあったが,無類のギャンブル好きで暴力も激しかったという.子供たちは母親が父親に投げられ首を絞められるところを見たとか.庶民の哀歓を明るく綴り続けた作家は,必ずしも温かい夫・優しい父親でなかった.

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