Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

Conversations in Jazz より MJQ のヒースとケイ

2023-04-22 09:52:40 | 読書

モダン・ジャズ・カルテット (MJQ) の原型は 1946-8 年頃集まって演奏したミルト・ジャクソン,ジョン・ルイス,レイ・ブラウン,ケニー・クラークの4人.1950 年あたりには Milt Jackson Quartet としてそこそこ評価されるようになったが,その頃レイ・ブラウンは新婦エラ・フィッツジェラルドにかかりきりなので,代打に名前が挙がったのがパーシー・ヒースだった.

カンバセーション・イン・ジャズ (以下 CIJ と書く) には MJQ のメンバー4人との対話が含まれている.ここでののジョン・ルイスの談によれば「ヒースがベースを始めたのは ほんの 1947 年で,間違った音を弾くし,タイムも間違えるし,一緒に演るのが難しくてまるで地獄のようだった」.もっともそれはルイスの,例えば Vendome のような新曲でのことで,ヒースはふつうの曲はふつうに弾けたし,ジャクソンもクラークも彼に対しておおきな不満を感じていなかったふしもある.
右のジャケット写真は当時 ?  の4人だが,ヒースだけはいかにも生真面目に考え込んでいる.
彼はチャーリー・ミンガスのレッスンを受けたりして,ルイスのしごきに耐える.その結果,1954 年のマイルズとの "Bag's Groove" におけるプレイは,ジャズベースの教科書と言われるまでになった.
CIJ 中でヒースは,MJQ はツァーばかりで,子育てを妻に丸投げにすることを嘆いている.こんな発言はこの本で彼だけだ.ちなみにヒース夫人は白人で,この結婚は 1950 年には異例だった.

コニー・ケイは現在では MJQ の他の3人に比べるとあまり話題にならない.しかし 1955 年ケニー・クラークのあとに座ったときは,彼はすでに名の通ったドラマーで,ヒースの場合のような問題はなかったらしい.クラークとルイスでは意見が違ったが,かと言ってルイスには MJQ におけるドラミングに確固としたイメージがあったわけではなく,その後はケイに任せることになったのだろう.ケイ自身もそれを楽しんだようだ.彼をパーカッショニストのさきがけと言っても良さそうだ.
ケイが 40 年代にハーレムのクラブ,ミントンズのハウス・ドラマーだったこと,その後リズム & ブルースバンドで名を馳せたなどはこの CIJ ではじめて知った.


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