「音楽 対 数学・物理」との関係に比べると,「美術 対 数学・物理」との関係はより複雑なようでもあり,より希薄なようでもある.
色だけを考えても,ニュートンは「光線に色はない.光線には,それぞれの色の感覚を起こすある種の力と性質があるだけである」と言っている.色彩を専門とするのは物理学ではなく心理学らしい.
ちなみに,心理学科は文学部に属している.
物理学的な見方で納得出来るのは...
「白色光すなわちすべての波長を含んだ光が物体に当たると,物体は多くの場合特定の波長だけを反射する.赤いとされる物体は赤の波長を持つ光だけを反射し,あとは吸収する.電気工学の用語で言えば,物体の表面は「帯域反射フィルタ」であるが,その特性は千差万別である.
いっぽう視覚はたった3つの「帯域通過フィルタ」を持つだけで,3つのフィルタを通過する光量から,物体から反射してくる光の波長すなわち色を感じる.じつは波長だけでなく,その波長の光の強度も感じているので,暗い赤・明るい赤の区別ができる.」
...
この程度である.
すべての波長を反射するのが「白」ということになっているが,それなら白と鏡はどこがちがうの?という疑問が生じる.「光線には色がない」とニュートンも言っているが,鏡には色がない.反射の方向がランダムだと白く感じるのだろう.
金色・銀色なども反射する表面の状態がつくる色らしいが,色彩学ではそこまでは面倒を見てくれないらしい.
色彩学では円筒座標で,(r, theta, z) 方向に (彩度・色相・明度) を定義する.すべての物体色は色立体のどこかに存在するという.カットはマンセルの色立体.茶色は橙色の明度と彩度を落としたあたりにあり,桃色は赤の明度を上げ,彩度を落としたあたりにある.金色や銀色は色立体には存在しない.
色相は波長,明度は反射率という物理量と対応するが,彩度はちょっとしまつが悪い.波長の純度・振動系でいう Q 値に相当するかと思っていたのだが,実際は彩度は純色と,それと同じ明度の灰色の混合率だろうか.
色だけを考えても,ニュートンは「光線に色はない.光線には,それぞれの色の感覚を起こすある種の力と性質があるだけである」と言っている.色彩を専門とするのは物理学ではなく心理学らしい.
ちなみに,心理学科は文学部に属している.
物理学的な見方で納得出来るのは...
「白色光すなわちすべての波長を含んだ光が物体に当たると,物体は多くの場合特定の波長だけを反射する.赤いとされる物体は赤の波長を持つ光だけを反射し,あとは吸収する.電気工学の用語で言えば,物体の表面は「帯域反射フィルタ」であるが,その特性は千差万別である.
いっぽう視覚はたった3つの「帯域通過フィルタ」を持つだけで,3つのフィルタを通過する光量から,物体から反射してくる光の波長すなわち色を感じる.じつは波長だけでなく,その波長の光の強度も感じているので,暗い赤・明るい赤の区別ができる.」
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この程度である.
すべての波長を反射するのが「白」ということになっているが,それなら白と鏡はどこがちがうの?という疑問が生じる.「光線には色がない」とニュートンも言っているが,鏡には色がない.反射の方向がランダムだと白く感じるのだろう.
金色・銀色なども反射する表面の状態がつくる色らしいが,色彩学ではそこまでは面倒を見てくれないらしい.
色彩学では円筒座標で,(r, theta, z) 方向に (彩度・色相・明度) を定義する.すべての物体色は色立体のどこかに存在するという.カットはマンセルの色立体.茶色は橙色の明度と彩度を落としたあたりにあり,桃色は赤の明度を上げ,彩度を落としたあたりにある.金色や銀色は色立体には存在しない.
色相は波長,明度は反射率という物理量と対応するが,彩度はちょっとしまつが悪い.波長の純度・振動系でいう Q 値に相当するかと思っていたのだが,実際は彩度は純色と,それと同じ明度の灰色の混合率だろうか.
白内障は透過光の乱反射でしょうか。
マスターズの井上先生が、来年そこら辺の話をなさるかもしれません。
白内障の眼球を外から見て白く見えるとすれば,乱反射の結果でしょうか.
犬の「白内障」で眼が白く濁ると言っていた人がいました。