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Sixteen Tones

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マルメロと猫のリアリズム

2016-09-05 08:57:39 | お絵かき


安野光雅の本「会いたかった画家」に,アントニオ・ロペス・ガルシアの映画「マルメロの陽光」のことが書いてあった.彼の画業はマドリード・リアリズムという愛称で知られているそうだ.映画は Youtube でもニコニコでも,断片的にではあるが,見ることができる.

マルメロの枝から錘をたらしそこを絵の中心とする.自分の立ち位置の爪先には地面には釘を打つ.こうしてカンヴァスと対象のマルメロと画家の位置を固定する.雨の日のために,大きなビニール傘のようなもので自分とマルメロをおおったりする.
しかし対象のマルメロは次第に大きく重くなり垂れ下がってくる.絵を描く速度がそれに追いつけない.はじめの構図を変えなければならない.
季節はうつり,木の葉が散り,マルメロは腐って落ち,爪先の釘は雨で流れてしまう.結局絵はできない.

ウェブで見たガルシアの絵はしかし,いわゆるスーパー・リアリズムとはだいぶ違うようだ.

リアリズムというと野田弘志の絵を思い出すが,彼はガルシアを高く評価している.

しかしここでまず連想したのは長谷川りん二郎が6年がかりで描いたという「猫」のこと.「りん」と言う字はさんずいに「隣」と同じつくりだが,このブログに表示できない.



展覧会の図録の解説を思い出すとこんな感じである.
同じ時刻にはおなじポーズで眠るこの猫,タロー.しかし季節が変わり,温度湿度が変わると同じポーズを取ってくれなくなる.画家は翌年まで待ち,同じ時期に再び描き始める.タローは毎年同じポーズを取ってくれて,絵は数年でついにはほぼ仕上がったかに見えた.しかし最後にひげを描こうとした時は,すでに季節がかわっていた.タローは病気になって死んでしまう.
画家にとって,タローの死後描き足したひげは納得がいかないものらしい.

ガルシアの場合も長谷川の場合も,見るものに描いたときの苦労が伝わるかというと,そうではないと思う.
絵を描く過程そのものがリアリズムなんだろう.

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