─光る波の間─

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『食う寝る座る永平寺修行記』/野々村馨

2005-07-02 20:18:17 | 
「おやじ!カツ丼とカレーライスとラーメンくれ!」
と、たった今下山したばかりの雲水が、
店に入るなり大きな声で注文したんですよって、
兄貴が“かいど”の主人に聞いたエピソードの一つ。

ある日を境に、一切の肉を絶って菜食になる。
しかも大の男に足りるとは思えない量で、ほとんど全員が
栄養失調やそれにともなうむくみ、脚気になるのだ。
身体が慣れるまでにはそれなりに時間がかかるが、
修行生活は待ってくれない・・・。

あまりの空腹から、残飯を争って食べもする。
理性では抑えられない己の欲望それ自体におののく。
そういうあさましい自分が露呈されてしまうのだ。

山に入ってまず最初に「覚悟」のほどを試される。
罵声を浴び、平手打ちされ、蹴られ、
それまで築き上げた「自我・価値観」を全て剥ぎ取られる。
西洋式の教育で、“自分を持つ”ことを良しとされてきた人間が
突如ぶつかるこの壁。 口ごたえ一つ許されない。

「執着から逃れること。自分にさえも執着しないこと。」

寺の息子たちばかりではなく、会社員や、料理人など、
一念発起してやってきた者もいるわけで、この本を書いた著者も
寺とは関係のない人間だった。
やはりというか、マンガのように全面的に「あ・かるく」なんて
やってられないのだな。
著者がもともととても真面目なタイプであるらしいというのも手伝うんでしょう。
読んでるこちらも身が引き締まる文だ。

「何故なしに、心身を一つにして行う」

この本ではしきたりや作法、教えや仕事の細かい内容についても読みやすく書かれ、
個性的な古参(先輩雲水)や老師たちについても書かれている。
そして著者が接した、門前町の人々や信徒についても、
涙なくして読めないような美しい話に満ちている。

月日が過ぎて、今度は自分が新しく入山した者を指導する立場になる。
罵倒し、殴り、蹴る側になるのだ。
山から下される配役は、適材適所ではない。そして逆らうことはできない。
人を殴ったことなどないぼんぼん育ちが、役目に徹して打つ。
そこに迷いがあると、あとで困るのは指導されたその新参たち。
打つほうも手が痛むのだ。

1年が経つころ山に残るか降りるかを問われる。
残るもの、去る者。著者は山を降りた。
逃げたのでなく、新たな挑戦の場を娑婆に求めて。


先日の永平寺参りのときにもらったみやげの中に、
『傘松(さんしょう)』という機関紙も入っていた。
そこにいくつか寄せられた随筆が載っているのだけど、
上山して半年の雲水の文があった。

“私の趣味は、車の改造、洋楽(HIPHOP)を聞くことでした。・・”

板前修業中に師匠に勧められて上山した、と。
仏事など何も知らず、気散らし(けちらし:へま・失敗)てばかりで
“気散らし王”と呼ばれましたなんて、いかにも暢気そうに書いてるけど、
大変だったんだろうなと、想像するしかできないけど、そう思う。

修行年数が増えるに従って、縛りが緩められていくそうだ。
自由な時間も増えるし、外出も割りと自由にできるらしい。
ということは、自分で自分を律していかなければならないわけで、
そういう意味では修行は厳しくなっていくといえるのかもしれない。
人間の最もあさましい面と最も気高い面、両方に接し、
厳しい生活をやり遂げても、娑婆へ戻るとそれを忘れて堕落していく者は大勢いるだろう。
じっさい、私の母方の寺も曹洞宗だが(本山は違う)、先代住職が亡くなって
後を継がねばならない息子は、“人物に問題あり”としてしばらくの間住職になる
許しが出なかったそうなのだ。

今の日本人に宗教心は薄いけれど、曹洞宗だけみても760年連綿と続いていて、
和食の常識とされる食べ方の作法も、基本は禅から生まれているし、
夜明けを見たり、嬉しいことがあったときに思わず手を合わせてしまう精神が、
私たちの底には生きている。

私は時々、私ら家族を世話してくれたあの雲水の笑った顔を思い出す。
顔の造作まではっきり覚えているわけではないんだけど、ぱっと、笑ったときに広がった
オーラみたいな輝きが印象深く思い出されるのだ。
吉祥閣で私らの面倒をみる「接茶寮」は、満足に睡眠も取れず、“地獄の”という
形容詞が付く部署だと、この本で知った。
手を煩わさないようにとスリッパを自分で揃えようとしたら、「あ!けっこうですから!」
と、すごい勢いで止められた。(笑)
もしそこを古参が見ていたら、彼らは叱られてしまうんだろう。
“がんばれ”ただがんばれというしかない。返す返すも、“お菓子置いてくれば良かったな・・”
という思いが残った、超個人的な部分での本の感想だ。


時期に限らず、今日も下山する雲水がいるかもしれない。
「おやじ!カツ丼とカレーライスとラーメンくれ!」
そんな雲水たちに、門前の人々はきっと大盛サービスするに違いない。
“ご苦労様”の気持ちを込めて。

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ところで、先日の永平寺の記事で「どうして日曜だと起床が1時間遅いの?」という
疑問を書きましたが、これは私の大きな勘違いというか聞き間違いでした。
供養の日が19日で「四九日(しくにち)」という、浄髪(じょうはつ:髪を剃る)などをする
一種の安息日で、その日は起床が遅いんだそうです。

そしてかわいらしい話としては、寺での講義のときにビデオ研修と称して映画鑑賞を
することもあるらしく、この本では『となりのトトロ』を見たということでした。(微笑)

いまやHPを作っている寺社は数多くありますが、先日発見した
『典座ネット』がなかなかおもしろいです。
典座(てんぞ)という、簡単にいうと精進料理を作る和尚さんのHPで、
ブログもあります。ナマなお寺ライフが覘けることでしょう。

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