白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・「カーニバルの時期」のゲルマント夫人とオペラ座「ベニョワール席」のゲルマント夫人

2022年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム
神話化されている「ゲルマント夫人の暮らし」。それは「別荘、ベニョワール席、日毎のパーティー」など夫人の移動に従って、少なくとも<私>にとって、次々と移動する神話である。この段階で<私>はまだ「神秘」としてのゲルマント夫人について何一つ知らない。そしてこのような「神秘は仕切りで保護され、壺のなかに封じこめられ、みなの送る生活の波間を移動している」。

「先の話に出てきた別荘やベニョワール席は、そこにゲルマント夫人の暮らしが移動するのだから私には夫人の住まいに劣らぬお伽の国のように思えた。ギーズとか、パルムとか、ゲルマント=バイエルンとかの名のおかげで、公爵夫人が出かける別荘の暮らしや、夫人の館と馬車の轍(わだち)でつながれた日毎のパーティーなどは、ほかのいかなる別荘やパーティーとも区別されるものとなった。これらの名は、そんな別荘やパーティーでゲルマント夫人の暮らしがつぎつぎとくり広げられることを教えてはくれても、だからといってその暮らしぶりをいささかも明らかにしてくれるわけではない。そんな別荘暮らしやパーティーのひとつひとつは、公爵夫人の暮らしにべつべつの規定を与えるものではあるが、その生活の神秘を変換してみせるだけで、神秘そのものを外に発散させてくれるわけではなく、神秘は仕切りで保護され、壺のなかに封じこめられ、みなの送る生活の波間を移動しているにすぎない」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.80」岩波文庫 二〇一三年)

またゲルマント夫人は「カーニバルの時期」になると地中海へ移動する。それは同時に神話としてのゲルマント夫人の移動でもある。「カーニバルの時期」のゲルマント夫人は<私>が海辺のリゾート地バルベックへ移動するや開かれた<別の価値体系>への移動と同様の事態を生じさせる。海辺のリゾート地バルベックで出現したアナーキーな価値体系のように。それは以前引用した通り次のようなものだった。ゲルマント夫人はまるで「見知らぬ女性」であり「この日には例の娘たち」がそうなっていたのと同様である。

「この娘たちは、海辺のリゾート暮らしを特徴づける社会的尺度の変化という恩恵をもこうむっていた。ふだんの環境でわれわれの存在を大きくひき伸ばしてくれる特権もここでは目立たなくなり、事実上、消滅してしまう。それにひきかえここでは一見そんな特権があると見える人間だけが、うわべだけ幅を利かせ大手を振ってのさばっている。そんなうわべだけの羽振りのよさのせいで私の目には、見知らぬ女性が、この日には例の娘たちが、いともたやすく途轍もない重要性を帯び、その娘たちに私の持ちうる重要性を知らしめるのはかえって不可能になる」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.342」岩波文庫 二〇一二年)

そこでのゲルマント夫人は「パリ社交界の女王」から解き放たれ、アナーキーな世界で様々に変容する。その条件は「白いピケのドレスに身をつつみ大ぜいの大公妃たちに囲まれて他の客となんら変わらぬひとりの招待客にすぎな」くなるということ。すると「カーニバルの時期」のゲルマント夫人の姿は「あたかもバレエのプリマが自由奔放なステップでつぎからつぎへと共演バレリーナたちの役を演じてゆくのに似ている」ということが起こってくる。

「公爵夫人はカーニバルの時期に地中海を目の前に見ながら昼食をとることもあり、それはギーズ夫人の別荘でのことなのだ。そこではパリ社交界の女王も、白いピケのドレスに身をつつみ大ぜいの大公妃たちに囲まれて他の客となんら変わらぬひとりの招待客にすぎないが、それだけにいっそう感動的で、いっそう夫人そのものそのものになりきるように感じられ、あたかもバレエのプリマが自由奔放なステップでつぎからつぎへと共演バレリーナたちの役を演じてゆくのに似ている」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.80~81」岩波文庫 二〇一三年)

アルベルチーヌの姿がそうなったようにゲルマント夫人の姿もまた無限の系列として現われる。プルーストはアルベルチーヌの変化を「ある役の『初演女優』である花形」が描く変化としてこう論じた。

「私はアルベルチーヌをどれだけ知っているのだろう?海を背景にした一、二の横顔だけである。その横顔は、もちろんヴォロネーゼの描いた女性たちの横顔ほどに美しくはない。もし私が純粋に審美上の動機に従っていたなら、アルベルチーヌよりもヴェロネーゼの女性のほうを好んでいただろう。激しい不安が治まると、見出せるのはあのもの言わぬ横顔だけで、ほかになにひとつ所有できなかったのだから、どうして美的動機以外のものに従えたであろうか?アルベルチーヌを見かけて以来、毎日そのことで数えきれないほどの考えをめぐらし、私があの娘(こ)と呼んでいるものと心のなかでくり返し対話をつづけ、その娘に質問させたり、答えさせたり、考えさせたり、行動させたりしてきたのだ。私の心に刻一刻と相ついで浮かんだ数えきれない一連の想像上のアルベルチーヌのなかで、浜辺で見かけた現実のアルベルチーヌは、その先頭に姿をあらわしているにすぎない。芝居の長期間の講演中、ある役の『初演女優』である花形は、最初の数日にしか出ないのと同じようなものである。この現実のアルベルチーヌはほんのシルエットにすぎず、そのうえに積み重ねられたいっさいは私のつくりだしたものである。それほど恋愛においては、われわれのもたらす寄与がーーーたとえ量的観点だけから見てもーーー愛する相手がわれわれにもたらしてくれる寄与をはるかに凌駕する」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.465~466」岩波文庫 二〇一二年)

ゲルマント夫人の動きに伴って「夫人の身につけているものの光だけではなく素材まで変化する」。だから例えば、オペラ座で「ラ・ベルマ演じる『フェードル』の一幕がいよいよ始まるときとなり、大公妃はベニョワール席の前のほうにやって来」て、「いちばん前の席に座った」その瞬間、ベニョワール席は「真珠母のようなバラ色の頬をやさしく包んでいたアルキュオネのやわらかい巣が、よく見ると、ふんわりした、色鮮やかな、ビロードのような、巨大な極楽鳥(ごくらくちょう)」に置き換えられる。

「そうこうするうちラ・ベルマ演じる『フェードル』の一幕がいよいよ始まるときとなり、大公妃はベニョワール席の前のほうにやって来た。すると、夫人自身がさまざまに異なる光の地帯を通過して舞台上にあらわれたかのように、私には夫人の身につけているものの光だけではなく素材まで変化するのが見えた。かくして水が引いてすがたをあらわにしたベニョワール席は、もはや水の世界には属さず、そのなかの大公妃もネーレイデスのひとりであることをやめて白と青のターバンを巻いて登場し、まるでザイールかオロスマーヌにでも扮したみごとな悲劇女優といった趣である。ついで大公妃がいちばん前の席に座ったとき、真珠母のようなバラ色の頬をやさしく包んでいたアルキュオネのやわらかい巣が、よく見ると、ふんわりした、色鮮やかな、ビロードのような、巨大な極楽鳥(ごくらくちょう)だとわかった」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.99~100」岩波文庫 二〇一三年)

しかしこのような事態が出現するのはなぜなのか。ニーチェはいう。

「模写すること(空想すること)は、私たちには、知覚すること、たんに知覚することよりも、いっそう容易になされる。このゆえに、私たちが、たんに知覚している(たとえば運動を)と思っているいたるところで、すでに私たちの空想は助力し、捏造し、私たちが多くの個別的な知覚をする苦労を《免れさせ》ているのだ。この《活動》は通常見のがされている。私たちは、他の諸事物が私たちに影響をおよぼすさい、《受動的》であるのでは《なく》、むしろ、即座に私たちは私たちの力をそれに対抗させる。《諸事物が私たちの琴線に触れるのだが、そこから旋律をつくり出すのは私たちなのだ》」(ニーチェ「生成の無垢・下・一九・P.21」ちくま学芸文庫 一九九四年)

<私>はゲルマント夫人を素材として「そこから旋律をつくり出す」。諸商品の無限の系列を「つくり出す」かのように延々どこまでも「つくり出す」。限度を忘れて「つくり出す」。見る側としての<私>はゲルマント夫人をシニフィアン(意味するもの)としてシニフィエ(意味されるもの・内容)を延々引き延ばしていく加工=変造機械と化してしまう。神話化は止まることを忘れ去って延長されるほかない。

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