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なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

2006年02月27日(月)回顧

2006-02-27 | 休み
 試験に受かってからが大変だった。合格発表の翌日、下宿を引き払い、中退手続きをしたりするために、早速飛行機のチケットを買い帰省。空港から大学の地元までは電車で2時間。下宿先のアパートに着いたのは翌日の8時ころ。
 
 だけれどもこういうときに限っていつも出てくる病気が始まる。比喩ではなくて本当の病気。その日の夜から熱が出る。昔からだけれど何かが終わると必ずと言っていいほど熱が出る。夏休みに入ると、卒業すると。今回は中退すると決まると。ほぼ一週間寝ていた。
 
 熱が引き、急いで学校の教務へ。いつもどおり愛想のない顔した事務員の方が迎えてくれる。中退の手続きはどうすればいいかと尋ねると、ぎょっとした面持ちで理由を尋ね返してきた。
 「編入試験に合格したのでそちらの大学に編入しますので…」と僕が言うと信じられないと言った顔。前回別の大学を編入試験を受験する際、必要資料をお願いしたした事務員の方と同じ人だったからだ。やっぱり噂どおり生徒皆を馬鹿にしているのは本当だった。

 そしてゼミの担当教員には連絡したのかなどさまざまな手続きがあり、最後は学部長との面談。思っていた不満をぶちまける。ここは入学試験も一科目で入れてしまうのに、すべてを英語で行う授業が多々あるのは生徒の身の丈を全く把握していないのではないか。生徒の英語のレベルが低いにもかかわらず、英語の授業、特に下のクラスの授業は中学一年レベル、某英会話教室のごとくただ外国人、殊にアングロサクソンであるからと言う理由だけで教育学も専攻していない方が教員であるのはいかがであるのか。国際的に通用する人材をと言いながも、授業の質は一部の教員の方を除いて最悪で、全くの広告倒れであったこと。またそこには大学のアカデミックなダイナミズムのかけらほども感じられない。そして学問以前の問題として生徒の内的な資質がある。学校の施設は壊すわ、寮母さんを一時的ではあるものの監禁するわ、一部の生徒は苛められて一年目の半ばで退学しなくてはいけなくなった。それも被害者が。またアジア諸国からの留学生が少なからずいたが、彼らに対して嫌がらせや辱める言動が殊に寮内で幅を利かせていたこと。確かに彼らが内公的なところがあったことは否定できない。でもだからといって被害者となる積極的な理由はない。国際交流会館と言う寮の名称は片腹痛いと申し上げた。

 学部長は怪訝な表情で聞いていた。どうせ愚かな生徒の戯言程度にしか考えていなかったのだろう。だけれども以上のような学校の状況でなければ、果たして僕は編入など考えはしなかった。看板どおりの、パンフレットどおりの学校であったならば県立大学を僕はやめていなかったろう。就職率97%でもあの授業では大学である意味がない。と成績があまり芳しくなかった僕が言って説得力はないが。


 ただひとつだけ申し訳ないと思うのはゼミの先生にいらぬ注目を与えてしまったことだ。僕と僕の友達の3人は期せずして同じ方の下で1、2年の違いはあるがゼミに所属していた。要らぬ事を先生が疑われていたのならば、本当に申し訳ないと思う。

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