やばい。帰宅してからも、観た後の虚脱感が埋まらない。まだ引きずってる。2年も(もしかするともっと)待たなければいけないのは非常につらいなぁ。まぁきっと途中で一旦忘れてしまえるだろうけど。あのシンジがああも変わるのかと。あんだけ『ヱヴァ』なんてどうでも良いと思ってたのに。そもそも『破』は観に行こうとも思ってなかったのに。観に行くんじゃなかった。
いい歳をして恥ずかしいけれど、やっぱり未だに「つながる」ということを強めに意識してしまう。だからこそそういうのを扱った作品に強く惹かれてしまって、アニメを観なくなって久しいのに『エヴァ』や『プラネテス』、そして『とらドラ!』は強く惹かれるものがあります。他の人にとっては知らないけど、ぼくには『プラネテス』は近未来SFじゃないし、『とらドラ!』もラブコメじゃない。「つながり」の話です。
シンジだけじゃなくアニメシリーズや旧劇場版で、あれだけ孤立して、その孤立を引き受けていた登場人物たちが揃いもそろってつながりへの欲望を隠そうとせず、実際その欲望を行動に移したり、移そうと努力していたりして。決して安直でなく切ないまでのそれは感慨以上のものをもたらしてくれます。だからこそ、その欲望が実現されるのかどうか、そこが非常に気になるのです。旧『エヴァ』が色あせて見えるくらいに。
『新劇場版』をして、「エンターテイメントに転んだ」とか「大衆化した糞」だとか言ってた人もいますが、『破』を観ればどの口もそういうことは口が裂けても言えないんじゃないか。”ハッピーエンド”でも良いじゃん。むしろ”ハッピーエンド”こそ観たい。これは転向なんかじゃなくて、切り取った位相が違っただけ、「ありえた結末」なだけとか思う。そしてループ仮説は正しいと思う。
さぁ、今晩はテレビ版『序』だ。
いい歳をして恥ずかしいけれど、やっぱり未だに「つながる」ということを強めに意識してしまう。だからこそそういうのを扱った作品に強く惹かれてしまって、アニメを観なくなって久しいのに『エヴァ』や『プラネテス』、そして『とらドラ!』は強く惹かれるものがあります。他の人にとっては知らないけど、ぼくには『プラネテス』は近未来SFじゃないし、『とらドラ!』もラブコメじゃない。「つながり」の話です。
シンジだけじゃなくアニメシリーズや旧劇場版で、あれだけ孤立して、その孤立を引き受けていた登場人物たちが揃いもそろってつながりへの欲望を隠そうとせず、実際その欲望を行動に移したり、移そうと努力していたりして。決して安直でなく切ないまでのそれは感慨以上のものをもたらしてくれます。だからこそ、その欲望が実現されるのかどうか、そこが非常に気になるのです。旧『エヴァ』が色あせて見えるくらいに。
『新劇場版』をして、「エンターテイメントに転んだ」とか「大衆化した糞」だとか言ってた人もいますが、『破』を観ればどの口もそういうことは口が裂けても言えないんじゃないか。”ハッピーエンド”でも良いじゃん。むしろ”ハッピーエンド”こそ観たい。これは転向なんかじゃなくて、切り取った位相が違っただけ、「ありえた結末」なだけとか思う。そしてループ仮説は正しいと思う。
さぁ、今晩はテレビ版『序』だ。
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