前にも書いてかもしれないけど以前友人と話していて、話題が「倫理」に至った。彼は日本社会の犯罪増加や倫理意識の低下を「倫理」を担保する(という)宗教・信仰の欠如にあるとした。
うーん、確かにそうかもしれない。幾ら道徳教育を施したとしても、そこに根拠を、無条件で絶対的な根拠を与えるものが無ければ、道徳意識は育まれないかもしれない。
でもさ、キリスト教が盛んなアメリカ合衆国で犯罪は減少しているのか?倫理は生きているのか?そうでなかったら、それは後からやってきたヒスパニックなどの移民のせいなのか?イスラム教が国教となっているような国で犯罪は無いのか、倫理意識は高いのか?
しばしば宗教と同様に愛国心の欠如こそが、日本の犯罪増加やモラルハザードを招いているとする見解があるが、愛国心が強いとされる韓国や中国では一体どうか?
どう見ても彼らの国もこの国と同じ状況にある。少なくとも先進国はどこも似たり寄ったりのはずだ。今が不満だからこそ、過去は輝いて見える。
以前日経の夕刊に連載していた総合研究大学大学院の長谷川教授のエッセイを思い出す。有名な話だけど、ピラミッドにすら「最近の若者は…」と現代を憂いた落書きがあったという。そこで長谷川教授はこう、続ける。
過去が良く見えて、現在が悪く見えるのは、過去にあった問題は現在に至って解決されてしまっている場合が多いからだ。そして現在には過去からそのままになっている問題やまた新たに生まれた問題があるから、余計に現在が悪く見えるのではないか、と。
うん、確かにそんな感じがする。これをしっかり担保するような研究を社会学者はすべきだと思う。
過去と現在をやたらめったら比較するのは何だか気が重い。