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マイ ガーデン オールドローズ 5月3日
品種 ルイーズ オディール ブルボン系 1851年 仏で作出 香りが高い
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7月4日 品種 コンカドール (イエローカサブランカ)
オリエンタル ハイブリッドです。
日本のヤマユリ と サクユリ(タメトモユリ)などをもとにして作出されました。
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本題です。 福島県 双葉バラ園
岡田勝秀さんの長年の努力で、夢のバラ園になりました。50年経ち、67歳。
友人が叱咤激励した。「西洋の名だたる庭園は100年かけている。まだ半分。まだまだこれから。」
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二人の息子に継ぐまでにやることがある。そうだ、深い緑の森に包まれて、うっとり夢見るように咲くバラたち。
「森に沈む薔薇園」が目標。
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森のバラ園
しかし、
2011.3.11 午後2:46 大地震 大津波 原発事故 放射能汚染 荒野と変わった双葉バラ園
それから3か月経ち、6月11日。短時間だけ入れることになった。金庫を探すだけで終わった。
雑草の中でバラは満開だった。目をそむけた。
愛おしい恋人たちは、どうして私を捨てたの? なぜ、今頃戻ったの? もう、行ってしまうの? 行かないで・・・・
そう聞こえる叫びに体が震えた。
その後、何回か双葉の現地へ行けた。撮りためた写真を持ち帰った。
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品種 マチルダ 仏 フロリバンダ種
フランスへ行ったときにバラに魅せられ、10年間も写真を撮りに来ていた杵淵英美さんは3月19日、
岡田さんへ見舞いと励ましの手紙を送った。(きねぶちひでみ)
岡田さんは避難先を転々としていたので、受け取ったのは4月6日だった。
手紙を読んで、凍りついていた心にかすかな光をともした。
7
横浜ばら写真の会の講師、松田久子さんは杵淵さんの写真の先生。大震災から一年経ち、東北を支援したかった。
銀座で写真展を計画した。岡田さんへ電話して、つくば市に住んでいた岡田さんに会いに行った。
岡田さんは花を見るのも避けていた。初めは冷たく対応した。
松田さんからたくさんのバラの写真を見せられ、岡田さんの心は次第にとけていった。
双葉へ連れて行ってくださいと懇願した。一般の人は入れない。
美しいバラ園の写真と同じ場所で、荒廃した現状を撮ってくださいとお願いした。
6月23日。岡田さんは杵渕さんへ心の手紙を送った。
岡田さんの心は、避けていた植物へ向いていった。つくば市の近所で咲いていた野ばらの一枝を持ち帰り、
挿し木した。放置していた雑草がはびこるつくば市の団地の庭に心が向かった。
銀座の展覧会は開かれた。岡田夫妻、松田先生、杵淵さんもいた。来客はバラ園の被災前後を比較した写真を見て、涙した。
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イギリス、韓国、日本で発行 (TBSラジオHPより)
TBSラジオで毎週土曜日、午後1時から放送している「久米宏 ラジオなんですけど」
2019年11月23日(土)放送のゲストコーナー「今週のスポットライト」では、
ジャーナリストのマヤ・ムーアさんをお迎えしました。
原発事故後、住まいは転々として茨城県に転居した岡田勝秀さんは、
福島から来たことやバラ園を営んでいたことは、周りに語らずに暮らしていました。
マヤさんが岡田さんのもとを訪ねたときは、裏庭は伸びた雑草で荒れ放題。
岡田さんは「もう植物は育てない」と心を閉ざしていました。
マヤさんが双葉ばら園の本を出したいと切り出すと、岡田さんの奥さんからは
「主人を猿回しのサルにはしないでくださいね」と辛辣な言葉。
もちろんそんなつもりはなかったマヤさんは、これで覚悟が決まりました。
双葉ばら園の誕生から原発事故までのストーリーを紹介する文章を書き、
「横浜ばら写真の会」が撮りためた数千枚の写真の中から150枚を選び、半年で本の構成を完成させました。
マヤさん語る
ところが、これを出版してくれる会社が1年以上見つかりませんでした。もう諦めようと何度も思いましたが、
そのたびにバラに背中を押されるような不思議な出来事があり、奮起しました。
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品種名 ダイアナ プリンセス オブ ウェールズ (エレガント レディー)
「わたしがいちばん気持ちを入れているバラは『プリンセス ダイアナ』なんです。
出版社がなかなか見つからないときに、ダイアナ妃の夢を見たんです。
私はロンドンの日本大使館時代にレセプションなどで彼女に何回か会っています。
彼女が夢に出てきて、私の腕を取って『あなたのことを応援するわ』って言ってくれた。
そういう夢を見たんです。その2週間後に出版社(世界文化社)が見つかりました。
続く
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