
33
さいみょうじ
1571年 延暦寺焼き討ちと同じ年、織田信長は西明寺をも焼き払った。
幸いにも本堂・三重塔・二天門は残ったが、十七の諸堂と三百の僧坊は焼失した。
その後徳川家より寺領を寄進され再興する。

34
信長の幼少から青年時には奇矯な行動が多く、周囲から尾張の「大うつけ」と
称されていた。
あとは継げないと言われながらも権力を握ると、既存の権威や勢力の否定、
門地によらない人材登用、新兵器の活用などを通して、戦国時代を終結に
導いたといわれる信長ですが、延暦寺・ひゃくさいじ、西明寺焼き討ちなど
の苛烈な政策は恐れられ、魔王(第六天魔王)とも呼ばれた。

35
苔寺のような美しさ。
それますが信長の一面が読み取れます。
光文社版「修羅の器」澤田ふじ子著 より
織田家譜代とも言える立場にある水野信元の分家常滑城主水野監物は、平安の頃より作られて続けてきた瓶や壺の常滑焼で所領1万2千石ながら、実際には10万石の収入を持ち、長年に渡り織田信長を支えてきた。
監物は誰もが認める武将よりも茶人向きな人物であり、岐阜城を居城に近畿一円を支配下に治めた信長が茶道に興味を持ち始めた事に、監物は嬉しく思うのであった。
しかし、茶の湯に興味を持った主君信長は突如として、尾張と美濃の認めた焼き物以外の、すべての焼き物を禁止する禁窯令を出すのであった。
故郷尾張の見栄えの良い芸術性の高い瀬戸焼を好む信長は、実用的であり広く流通網を持つ常滑焼きの存在が瀬戸焼を広めるのに邪魔だと感じており、信長を支え続けた常滑焼を擁する監物はいきなりの命令に驚き、信長の横暴を憎むもどうする事は出来なかった。
ある程度の猶予期間を置いた禁窯令であったが、常滑焼で生きてきた人々の生活と新たな産業の開発をするには時間が無さ過ぎ、また監物自身あまり禁窯令について甘く見ていた。すでに信長は裏では常滑焼に対する行動を起こしていたが、素知らぬ顔で監物と供に武田勝頼に攻められている徳川家康の援軍に向かう。
軍議の最中、監物に謀叛を促すような言葉を掛ける信長であったが、監物は大して気にはしていなかった。設楽・長篠で鉄砲三段撃ちにて武田騎馬隊との交戦中、急遽水野監物勢のもとへ領内より使者が訪れる。
信長の禁窯令を実行する目付が領内を訪れ、陶工達を斬り殺し、他国へ輸出しようとしていた焼き物や窯を壊してしまったというのである。
常滑焼を滅ぼされた監物は謀叛を思いつくも勝てる見込みがないと諦め、信長より軍議で受けた謀反への誘いの意味を悟るのであった。
さいみょうじ
1571年 延暦寺焼き討ちと同じ年、織田信長は西明寺をも焼き払った。
幸いにも本堂・三重塔・二天門は残ったが、十七の諸堂と三百の僧坊は焼失した。
その後徳川家より寺領を寄進され再興する。

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信長の幼少から青年時には奇矯な行動が多く、周囲から尾張の「大うつけ」と
称されていた。
あとは継げないと言われながらも権力を握ると、既存の権威や勢力の否定、
門地によらない人材登用、新兵器の活用などを通して、戦国時代を終結に
導いたといわれる信長ですが、延暦寺・ひゃくさいじ、西明寺焼き討ちなど
の苛烈な政策は恐れられ、魔王(第六天魔王)とも呼ばれた。

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苔寺のような美しさ。
それますが信長の一面が読み取れます。
光文社版「修羅の器」澤田ふじ子著 より
織田家譜代とも言える立場にある水野信元の分家常滑城主水野監物は、平安の頃より作られて続けてきた瓶や壺の常滑焼で所領1万2千石ながら、実際には10万石の収入を持ち、長年に渡り織田信長を支えてきた。
監物は誰もが認める武将よりも茶人向きな人物であり、岐阜城を居城に近畿一円を支配下に治めた信長が茶道に興味を持ち始めた事に、監物は嬉しく思うのであった。
しかし、茶の湯に興味を持った主君信長は突如として、尾張と美濃の認めた焼き物以外の、すべての焼き物を禁止する禁窯令を出すのであった。
故郷尾張の見栄えの良い芸術性の高い瀬戸焼を好む信長は、実用的であり広く流通網を持つ常滑焼きの存在が瀬戸焼を広めるのに邪魔だと感じており、信長を支え続けた常滑焼を擁する監物はいきなりの命令に驚き、信長の横暴を憎むもどうする事は出来なかった。
ある程度の猶予期間を置いた禁窯令であったが、常滑焼で生きてきた人々の生活と新たな産業の開発をするには時間が無さ過ぎ、また監物自身あまり禁窯令について甘く見ていた。すでに信長は裏では常滑焼に対する行動を起こしていたが、素知らぬ顔で監物と供に武田勝頼に攻められている徳川家康の援軍に向かう。
軍議の最中、監物に謀叛を促すような言葉を掛ける信長であったが、監物は大して気にはしていなかった。設楽・長篠で鉄砲三段撃ちにて武田騎馬隊との交戦中、急遽水野監物勢のもとへ領内より使者が訪れる。
信長の禁窯令を実行する目付が領内を訪れ、陶工達を斬り殺し、他国へ輸出しようとしていた焼き物や窯を壊してしまったというのである。
常滑焼を滅ぼされた監物は謀叛を思いつくも勝てる見込みがないと諦め、信長より軍議で受けた謀反への誘いの意味を悟るのであった。
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