竹崎の万葉集耕読

日本人のこころの拠り所である「万葉集」を味わい、閉塞感の漂う現代日本人のこころを耕したい。

夕顔の露

2012-12-14 10:25:28 | 日記
「源氏物語」作中人物の歌(5)

  夕顔の露(夕顔の巻)

心あてに それかとぞ見る 白露の 光そへたる 夕顔の花
                    夕顔から源氏へ
 当て推量ながら、源氏の君かと存じます、白露の光にひとしお美しい夕顔の花、光り輝く夕方のお顔は。

光ありと 見し夕顔の うは露は たそがれどきの そら目なりけり
                    夕顔から源氏へ
 光り輝いていると思った夕顔の花の上の露は、夕暮れ時の見間違いでございました。大したことはありません。

 17歳の秋のこと、光源氏は、病気見舞いのために五条の乳母の家を訪ねる。家の前で門が開くのを待ちながら、隣の家の垣根に咲いている、見慣れない可憐な花に見とれていると、その家の女から歌が贈られてきた。それが、前の歌である。
 源氏は、こんな貧しげな場所で、タイミングよく歌を詠みかけてくる正体の知れぬ女の粋な計らいに心惹かれて、その後、身元を隠したお忍び姿で頻繁にこの家に通うようになる。
 八月十五夜、女の家で一夜を過ごした後、源氏は、もっと静かな所でゆっくりと過ごしたいと、「何某の院」という廃院に連れ出し、夜明けを待って、女にあらためて自分の素顔を見せる。そして、嘗て夕顔から贈られた冒頭の歌を踏まえて、「露の光やいかに(わたしの素顔はいかが?)」と、女に問いかける。
 後の歌は、それに答えた女の歌である。「たそがれどきのそら目なりけり」と、戯れにいたずらっぽく答えた歌は、現実の身分や贈答歌の形式にとらわれない、奔放な男女のやりとりであり、かえって艶やかで新鮮である。これまでは高貴な上流社会で、優雅で奥ゆかしい女性たちばかりと接してきた源氏にとって、始めて味わう開放感が快かったに違いない。

 ところが、このコケティッシュな女は、その夜、物の怪に襲われてあっけなく急死してしまう。実は、この女性こそ、「雨夜の品定め」で頭の中将が話していた「常夏の女」(夕顔)であった。彼女はすでに頭の中将との間に、娘(玉鬘)がいたが、正妻に脅迫されて、五条の借家に身を隠していたのであった。
   

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