ところで、夏は菜津なんだそうです。もちろん、これはものの見方のひとつ。絶対的な説ではないと思いますが、何となくしっくりきます。ちなみに、春は張る。秋は空き。冬は火湯とのこと。自然やいのちのリズムに呼応しているような言葉の流れのように思えます。
それで菜津なんですが、津々浦々という表現がある通り、津からはたくさんという意味が感じられます。菜がたくさん、だけなら、これほど喜ばしいことはないのですが、当園の田んぼは今年も草が多いです。「草津農園」とでも言った方がよっぽど似合っているし、耳ざわりも心地良い気がします。まぁ、名前のことはどうでも良いとして、先月下旬から草取りの日々です。
実は今はちょうど、田んぼの水を落として、田んぼを干す時期。そして、土が締まって硬くならないうちに、自転車のような形の機械に乗って、田んぼの中にたくさんの溝を作る時期です。周囲の田んぼは、その作業が終わったところが多いです。自分でも適期に遅れることなくやりたい気持ちは山々なのですが、何せ雑草への対処に時間を取られ、次の段階に進むことができずにいます。というのは、水が無いと抜いた草の根に土がいっぱいついてきますし、何よりも抜けづらくなります。能率が何倍も落ちるんです。それがイヤで、落水や溝切り作業を先延ばししているというわけです。周囲でもそれなりに出ている農家もあるようで、「多い箇所に二度目の除草剤撒いたどー」という声をすでに聞きました。
除草剤は何としても一回で済ませたい。それが、無農薬はできない、凡夫の切なる思いです。一回目の除草剤使用は、雑草との格闘という過酷な労働から解放されるため、農家自身の健康のために必要な、ある意味どうしようもないことだと思っています。ですが、二回目の使用を避けるのは、自身も含めてお米を食べてくださる方の身体に余計な無理がかからぬようにという思いからです。表現が、恩着せがましく聞こえていましたらすみません。だからせめて、という気持ちです。
さてネット上で、来年7月のあることが話題になっているのをご存じでしょうか。話題になってると言っても、どの程度なのかはわかりません。でも、これから多くの人が出会う情報かと思います。それは、ノストラダムスの大予言に匹敵するかのような予言です。その信憑性についてはともかく、考えなければならないことは、あの予言が騒ぎになった時と比べて、現在ははるかに情報化社会だということ。良きにつけ悪しきにつけ、そして内容がどうであれ、情報の拡散の度合いは当時の何百倍にもなっているのではないでしょうか? 当たる当たらない以前に、自分では事前の混乱は必至だと予想しています。この世の中には、危機を作り出したい人達や、それを待望する人達が大勢。食糧だって実際に不足が起こる前に混乱は始まります。アンタがそれを言うかー。現在、そして今年秋からの各種も、どうかどうかよくよく調べてくださいよー。
この草たちが米ならば、今ごろ、おれたちゃ、金持ち暮らし。
草が生えるよ、夏の日は。抜いても、抜いても、生えてくる。
この草たちが金ならば、今ごろ、おれたちゃ、金持ち暮らし。
ああ、ままならぬ、世の中よ。
ああ、ままならぬ、夏の日よ、、、
上橋菜穂子「夢の守り人」より
安心安全なお米を作ってくださり感謝します!
素敵な文章を知らせてくださって、ありがとうございます。
一見してちょっと切ない感じですが、
でもなぜだか、繰り返して読んでいると元気が湧いてきました。
お米を喜んでくださる人がいるって、本当に大きな励みです。お米作りが何倍もうれしいし、楽しいです。こちらこそ、感謝なんです。
コメントありがとうございました。
> almond さんへ ... への返信
この歌だけ覚えていたのですが、今本を引っ張り出してみました。とても素敵なラストシーンなんですよ。
この歌の前は、
そのとき、田んぼのほうから歌が聞こえてきた。仕事のつらさをまぎらわせようと、だれかがうたいはじめたのだろう。いつしか歌声は、ひとつ、ふたつとふえていき、やがて陽気な大合唱となって、星空を渡っていった。
とてもリズミカルで、思わず口ずさみたくなるような気がしたのでした。
ただ、前後がどういう場面なのか想像できなかったので、うまくコメントできませんでした。
生きていれば、大変なことがいっぱい。でも、時に泣きながらも、どっこい生きてやる。そんな気持ちになる。させてくれる歌でした。
「切ないけれど、元気が湧いてくる」は、そんなに間違ってはいなかったみたいですね。
あらためてもう一度…。ありがとうございます。
almondさん、補足してくださり、ありがとうございます。
2000年公開、寺尾聡主演の「雨あがる」という映画のワンシーンを、ふと思い出したことでした。