これから書くことが、田舎であれば一般的なものかどうなのかはわかりません。県内県外を問わず、それを確かめたことは無いし、確かめるようなすべもありません。
こんなふうに書きだしたら、中にはいったい何が書かれるのだろうと期待する方もおられるかもしれませんが、ないない、それはうぬぼれ、もしくは勘違い。
はい了解しました。話を続けますと、もったいを付けた割には単純な中身なんです。
集落を構成する一定数の家がありますが、それぞれが「隣家」というのを持っています。持っているというのはヘンですね。「隣家」という関係の家があります。まぁ、位置的に隣(のお宅)である場合が多いですが、住宅が一直線に並んでいるわけではないので、最も近い家が「隣家」でない場合もあります。「隣家」はたいていは2軒ですが、1軒だけのお宅もあります。地域によっては、3乃至4軒もあるんだなんてことも聞いたことがある気がするのですが、極めてまれではないかと思います。
「隣家」という関係は何のためにあるのかと言えば、思いつくのは冠婚葬祭の時に人手が必要なので、その時の相互互助のためということでしょうか。昔は慶事も仏事もすべて自宅でしたから、そして人が多く来たので、何としても人手が必要になります。その時に第一番に頼りにできるのが「隣家」ということになっていたようです。こうしたしくみがどれほど前から続いていたのかはわかりませんが、相当前であったことは間違いありません。今は亡き祖父が若いときにもあったと聞いていましたから、最低でも100年のことになります。
冠婚葬祭もそうですが、それ以外の暮らしの中でも、困ったときにまず頼りにするのが「隣家」でした。もちろん、困ったことがあまり起きなければ、それはそれで望ましいことなわけで、でもそうした、頼りにできる家があるというのは、お互い心強かったのではないかと思われます。
そんな関係も、それぞれの家で家族がそれなりに揃っていれば助け合いもできてきたのでしょうが、昨今、高齢者のひとり暮らしというような家が出てくるようになると、とてもじゃないが助け合うというのは、現実には無理となってきました。あるいは、一方の家では高齢者だけがいて、相手方にはそれより下の世代の人だけとなったりすると、これもまた相互に何かをしあうというようなことはできなくなってきました。
高齢者のひとり暮らし…。身体が思うように動かなくなってくると、やっぱりいろいろ大変なことが出てくるんですよね。お隣さんが少しは気にしてくれたら良いんだけど、だんだんそんな時代でもなくなってきて。それに、当人の高齢化が一層進むと、もう周囲が時折サポートするくらいでは済まない状況にもなってきます。「隣家」がどうこうできるような段階を越えてしまい、その先は…。むずかしいですねー。
また話が暗くなるので止めますが、「隣家」というような仕組みって、町部でもあるもんですかね。都会だったらないだろうなとは思いますが。もちろん、田舎であっても新興住宅地や、若い人たちの世帯など、こんな仕組みはないことでしょう。自発的にできるようなものでもないだろうし、そうしたことを望むとも思われません。