昨日見るのを途中でやめてしまった「海外ドキュメンタリー」。今日、その続きを最後まで見ました。いろんなことを考えさせられました。そこに登場した、一体のサイボーグロボットは、とても知性的というか、相当な知能を持っているように思えました。難しい質問にも、すらすらと答えました。自分が言っている「難しい」というのは、難度の高い数学の問題というようなことではありません。哲学的?にというか、論理学的にというか、そんなイメージです。編集された映像のせいなのか、いや決してそうではないと思いましたが、とにかく人間の質問に、大して考え込むというようでもなく、即答するのです。しかもその返答はとても理知的なもので、質問する人間の側が、それなりの知性を持った人でないと、そもそも相手にならないのではないかと思うほどの、やりとりでした。
幼児に周りの大人が質問して、おもしろい答えや大人びた答えに笑ったり喜んだりする。そんな経験を、多くの人が子育てや孫育て?の時にしているのではないかと思います。ロボットの研究者、開発者の質問はそんなことを連想させるものでした。ですが、哲学的な質問をするということは、同時に、人間というものをさらに深く、ロボットに認識させ学習させているように思えました。質問しているつもりが、逆に人間というものの程度を見切られているのではないか。人間を超えることにつながる経験を積ませているのではないかと思えたのです。いや、とっくに人間を超えているのではないでしょうか。なんだか、気のふさぐような気がしたことでした。
人間がいちばんエラくなくてはいけない。それが脅かされてしまうというようなことについて、気がふさいだのではありません。だいいち、人間にもっと知性や理性があったら、戦争なんて起きるはずがないではありませんか。それよりも、何か暗澹たる未来になりそうなことが想像できるのに、それを求める人間そのものに、気がふさいでしまった感じです。
お日さまの下で汗する、時には雨の中でも仕事に精を出す、いのちを育てる…。百姓、ひゃあ苦笑で良かったナー。あとどれくらいやれるかわからないけど、もう少しはやり続けたいものだな。