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いのちこんじょう 確か前にも書いたなぁ

2024-07-27 | 日記

 「いのちこんじょう」という言葉を初めて耳にしたのは、いつのことだったのか。50代のころだったのかもしれません。近所の人との雑談の中で、その言葉が出たとき、何かの言葉を聞き間違えたのかと思い、思わず聞き返したのでした。

 

 その言葉を発したのは、大工さん。加齢とともに高いところでの作業が何となく不安になり、避けるようになる。わずか2mくらいの高さからでも、落ちた時の打ちどころが悪ければ亡くなってしまったりするのですから、その心配ももっともなことでありましょう。そんな時に、「いのちこんじょう、汚くなったナ」と言われたり、自身で「いのちこんじょう汚くなってヨ」と言ったりするのだそうです。もちろん、そんな場合に限らず、職種に限らず、いろんな失礼ション、あれっ、出演ショー?で使われているだろうことは、想像に難くありません。とはいえ、若い人は使わないでしょう。年配者の言葉だと思います(笑)。

 直訳すると、いのちを惜しがるということ。高いところでの作業を避けるようになった高齢の大工さんに、その言葉がふさわしいのかもしれません。

 

 でも、きっと誰だって、加齢とともにそうなる。皮肉交じりにそんな言葉を言う若い大工さんだって、いつかはそんな時が来ると思います。もちろんその時期には個人差はあるでしょうけど、来ることだけは確かだと思います。今現在、いのちこんじょうが汚くなった大工さんだって、以前はそうではなかったでしょうから。いのちが惜しいわけではない(かもしれない)。でも、億劫になるのは特別なことではありません。「いのちこんじょう、汚くなったナ」あるいは「なってヨ」というのは、様々な年代の人が、お互いを認め合う素敵な言葉なんだと思います。だって、その言葉の後には、「しょうがねぇナァ」という、笑いがあるんですから。

 

 今日ふとその言葉を思い出したのは、ある雑談がきっかけだったのかもしれません。その中身は、ここには書きませんが、その最中に思わずその言葉が口をついて出そうになりました。あぶないあぶない、「朽ちはわざわいの元」です。

 それとは別に、今日まったくはかどらない草刈りで汗を流した自身は、晩ごはんの後に、お酒を飲みすぎたり、自給畑の太くなりすぎたキュウリを2本、みそとマヨネーズをつけて丸かじりしたうえに、この時間になって、カップ麺を食べようかどうしようかと迷っているところです。いのちこんじょうが汚いのか、汚くないのか、瞬時に判断がつきません(苦笑)。食べないに越したことは言うまでもありませんよね。でも、そんなことどうでもいいやと思う瞬間があるのも、人間ではないでしょうか。ニュートンのゆりかごみたいな心情。行ったり来たり、落ち着いたり…。

 

 今月末までの大雨の予報。何とか予想が外れることを祈るのみです。

 「いのちこんじょう」なんて言葉だけでなく、味わい深い言葉が、ずっと続きますように。