今日は撮影日和

Raicho9の贈る、鉄道&ノラ猫のフォトページです。

大正と昭和と

2010-05-22 00:42:01 | 建築
久しぶりの記事は、敢えての建築カテゴリーです

タイトルをつけていて、四国は予土線に土佐大正-土佐昭和という並びの駅があったことを思い出しました


いや毎日忙しいもので、やること尽くめというのは有難いことですけど、こうした趣味の時間が削られるというのは、やっぱり寂しいものですね

まあ私事はさておいて、どうぞご覧下さい




遠い前回の記事で触れた美濃赤坂

見て下さい、この資産標を!

駅舎はなんと大正8年生まれなんです! ご存知でしたか?

名古屋から1時間足らずしてこの駅舎、素敵です



ちなみに、無人駅扱いなので出札口はありません

これで、立派な出札口があったら文句なしなんですけど、そうそう上手くはゆきません



かつて、改札窓口があったというこの壁面にはなるほど、それらしき台が残っています



そして、なんと言ってもこの丸みを帯びたやさしい造り

さすがは大正建築です



あんまり美しいので、下からもう一枚

すべすべしていて、もうたまりません



目を外に移せば、これまた何とも言えない木枠の窓

そして窓の下段には時代を感じる曇りガラス



写りこんだ青空も、なんだかいきいきと見えます



ちなみに駅舎内はこんな感じ

撮りはしなかったものの、ベンチは無粋なものでした

どうやら、交換される前は国鉄の香り漂うベンチだったようで、惜しいことをしたなと



駅舎からホームをのぞむとこんな景色

いま流行りのバリアフリーも完璧です 笑


あともう一つ

駅の周りを歩いているとこんな標識が・・・



なんとなんとこのタイプ、調べてみると昭和25年から使用されたもののよう

つまりは占領下時代の日本で使われていたもの

その後昭和38年には図案が現行タイプに変更されているようなので、およそ半世紀前には既に立っていたということになりますね

ちなみに、昭和38年というと、名鉄パノラマカー登場から2年という頃だから、かなりの年代モノには違いありません



そして見上げれば、ランプと呼ぶが相応しいような街灯も

実際に灯るのかしらん、ちょっと気になります

駅舎に町並みに、発見いっぱいでした


なかなか訪ねにくい東海道の盲腸線、美濃赤坂

けれども一度訪れたが最後、また訪れたい場所になりました


2010.04.24/東海道線 美濃赤坂駅

心斎橋の芸術品

2010-02-02 16:53:46 | 建築
大阪心斎橋に堂々と構えるは大丸百貨店の心斎橋店



このアングルだけ見ると、どことなく日本離れした空間

そう、これもヴォーリズ



壁面を這ってるのは電飾かな、夜はさぞ綺麗なことでしょう



あれ、三菱・・・?(笑)

いえいえ、ヘキサゴンの生み出したいたずらです

入り口の扉から天井までもが美しい装飾で埋め尽くされています



エレベータも、大阪のデパートとは思えない

日常的にこういう空間があるって羨ましいなあ



階段の手すりの始点と終点もこの通り

細かな心遣いが、ホッとできる空間を生み出すのに貢献してます



そして、奥行きを出すために階段の壁面は鏡で造られています

なにより鏡に手垢がなく、美しく手入れされていたことが嬉しい

これで、曇ったような汚いものだったら、魅力は半減どころか価値のないものになってしまいますよね


駆け足だったので、サッと回っただけにとどまりまた、485系もとい183系BB編成の北近畿と大丸とを天秤にかけた結果でしたが、それなりの価値はありました

興味のある方はぜひ一度見に行ってください、きっと、何か感ずることと思います

2010.01.18/大阪心斎橋

東華菜館

2009-12-05 15:22:10 | 建築
京都へ赴いた理由、もう一つがこれ。



四条大橋西詰にそびえるこの、ひときわ目を引く建物。
東華菜館 という中国料理のお店。
中に入りたかったものの、やはりお店となるとお食事もしなくてはならないわけなんですけれど、ちょっと身分不相応なので外観に留まっておきます。
内装は、またいつの日かに・・・ね 笑



ちょうど朝日が昇り、順光で撮影。
写真一番下と上の窓枠上部の意匠から、ヴォーリズの血がひしひしと伝わってきます。

そう、この建物は未だ関西を中心に多く残る建造物を遺した建築家
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏(1880-1964)の手がけたもの。
1905年に伝道師として25歳で来日、日本人女性と結婚し、以後1964年に世を去るまで日本国籍までをも取得して近江で活躍した建築家です。

少し前にNHKの新・日曜美術館で取り上げられていましたので、ご覧になった方もいるのではないですかね。


無駄話が過ぎる気がしますが、「メンソレータム」ご存知ですよね。

あれ、元は近江兄弟社という、これもヴォーリズが創業した製薬会社がアメリカから販売権を得て販売していたものだったんです。

しかし、ヴォーリズの死後、一旦倒産してしまったこの近江兄弟社から販売権はアメリカへ戻り、その後、ロート製薬がこの販売権を取得したために、再建した現・近江兄弟社は同じ「メンソレータム」を使えず、「メンターム」として販売するに至る という話があるのです。
結局、「メンソレータム」も「メンターム」も、製造過程はほぼ一緒というあれですね。
ただ、東海地方ではあまり「メンターム」は見かけない気がします。
もちろん、お膝元の滋賀では普通に売ってましたが。




こちらは京都大丸の窓枠のデザイン。
この角のない柔らかな造り、同じ意匠だとお分かりいただけますでしょう。
大丸の方は、狭い路地に面した東側しか見られないのでいささか残念です。
他にも、心斎橋大丸や、同志社(今出川キャンパス)、関学(西宮上ヶ原キャンパス)などの一部の建築にも携わっています。


写真はすべて
2009.12.02/京都・四条