今日は撮影日和

Raicho9の贈る、鉄道&ノラ猫のフォトページです。

終わりを待つ

2022-07-21 17:41:55 | 建築




もう、誰も立ち入ることはありません

2022.03.20/愛知県某所

阿寺小学校

2021-06-27 23:41:52 | 廃校・校舎(愛知)
新城、阿寺の七滝付近に残る2校のうちの1つ、阿寺小学校。



大分くたびれてきているのが何となく分かります

が、玄関の左の木々に隠れている部分のインパクトはこの比ではない



さすがに近寄れないので、この辺りからが限界



右の窓越しに見えるのは、カーテンと壁

左の窓からも見えるカーテンと、不自然に差し込む明かり

一番左の窓にはカーテンがなく、明かりが燦々と降り注いでいる

そう、もはや壁も崩れ、屋根もない状態になっていて、唯一こちら側の面のみが玄関から繋がって立っている状態

2010年辺りからずっと、「崩壊寸前」と書かれ続けている阿寺小学校は2021年も辛うじて「建っている」と言える



玄関の上部



玄関の下から

トタンとインターホンだけが浮いている

今この瞬間に大きめの地震なぞが来たら、もろとも埋まるだろう

さすがに正面突破は無理なので、向かって右手を覗く



厠と思しき掘っ立て小屋と水道






校舎(教場)を真横から

学校建築というより大きめの民家の様相

検索して出て来る他の方の2018年頃の写真では形を残していますが、2021年には崩れています



猫の額がぴったりの校庭に残る遊具

1段の高さが現代のそれよりもかなり高いジャングルジム、枠登りと、避難用具の雰囲気を醸す滑り台

校舎前から一気に校庭へ



きっと手作り

最後に遊ばれてから何年休んでいるんだろうか





学校なので、案の定高台にあり、足元滑る中、信頼性皆無の手摺りを頼りに下りる



ちなみに坂は逆Yの字に、二手から途中で合流し、校庭へつながっている

こちら側の手摺り(ガードレール)は、まだ信頼性が高い



その急坂の下、県道沿いには朽ちた看板が

塾だったのですかね、塾って言っても、現代の意味合いの塾ではないですけど

その下には「阿寺(?)錬成道場」とも読めます

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現在の愛知県新城市下吉田田代に存在した小学校。旧・八名郡山吉田村の小学校であった。

1873年(明治6年)7月25日 - 阿寺村に私立の学校として開校。
1874年(明治7年) - 吉田学校に統合され、分教場となる。
1880年(明治13年) - 独立し、八名郡第十一番小学七瀑学校となる。
1882年(明治15年) - 八名郡第九番学区公立小学七瀑学校に改称する。
1887年(明治22年)10月1日 - 上吉田村、下吉田村、竹之輪村、黄柳野村が合併し、山吉田村が発足する。
1892年(明治25年) - 七瀑尋常小学校に改称する。
1907年(明治40年) - 山吉田第二尋常小学校
1941年(昭和16年)4月1日 - 山吉田第二国民学校に改称する。
1947年(昭和22年)4月1日 - 山吉田村立阿寺小学校に改称する。
1956年(昭和31年)9月30日 - 山吉田村が鳳来町に編入される。同時に鳳来町立阿寺小学校に改称する。
1976年(昭和51年)3月 - 廃校。

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Wikipediaより、関係箇所のみ抜粋



この部分も2013年頃の写真では、もう少し立派ですが、年々崩れているのでしょう

あと何年、建っているのか分かりませんが、初めて、ドローンで上から撮影したいと思った日でした

2021.05.03/阿寺小学校

名倉小学校清水分校

2021-05-04 22:23:38 | 廃校・校舎(愛知)


駒ヶ原分校を訪ねた足で、清水分校にも

やはり、主張するものが残っていると嬉しい



少しずつ自然が手を伸ばしつつある校舎



東端の玄関

アルミサッシではないのが嬉しい

一応、工事会社の用地っぽい雰囲気なので



変って西端の上から

北側に突き出して繋がっているのは・・・厠か



そこではなく、その東隣に朽ちているのは倉庫と思しき建物



更に東隣、玄関の北東の位置に鎮座している住宅風の建物は、恐らく宿舎



宿舎の西隣にあるのが、宿舎用の厠と思しき建物



校舎に戻って、案の定施錠されていない窓を見つけて中を覗く

役目を終えた後にアトリエ(?)になり、工事用物置(?)になっていた経歴なので、竹の突っ張り(?)や陶器の破片が当時のものかは不明



校庭のシンボル的な木になりそうなものの、校舎との距離があまりに近い

廃校が1964年とすると、それから成長したとも考えられるのか



鬼瓦には、もちろん水

駒ヶ原分校にもありました

無事に使命を全うした分校

築73年の瓦とは思えない美しさを保ちつつ、しかしゆっくりと自然に還りつつ

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1948年(昭和23年)4月 - 西納庫に清水分校、駒ヶ原に駒ヶ原分校[注釈 1]を設置する。
1956年(昭和31年)9月30日 - 田口町、段嶺村、名倉村、振草村の一部が合併し、設楽町が発足する。同時に設楽町立名倉小学校に改称する。
1964年(昭和39年)3月 - 清水分校を廃止する。
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Wikipediaより、関係箇所のみ抜粋

2021.04.26/名倉小学校清水分校

名倉小学校駒ヶ原分校

2021-05-02 23:34:01 | 廃校・校舎(愛知)
大手を振って出かけられない世の中なので、自販機に寄りつつ、誰もいない休校、廃校舎巡りならばと





施錠されていない窓を少し開けて中を覗く

もちろん、元通り閉めました





校舎の東端には炊事場





続いて西側、トイレに繋がる廊下の端から覗いてみると、誘うがごとく開放されていましたが・・・





踏み抜くのが怖かったのと、隣のキャンプスペース的な所に気配があったので、ここで引き返しました

廊下に飾ってある絵は見たかったなあ

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1948年(昭和23年)4月 - 西納庫に清水分校、駒ヶ原に駒ヶ原分校[注釈 1]を設置する。
[注釈1]^ 戦後開拓で開拓された駒ヶ原地区と沖ノ平地区の児童のために設置。1951年3月31日に正式認可。
1953年(昭和28年)1月 - 駒ヶ原分校を新築する。
1956年(昭和31年)9月30日 - 田口町、段嶺村、名倉村、振草村の一部が合併し、設楽町が発足する。同時に設楽町立名倉小学校に改称する。
1978年(昭和53年)4月 - 駒ヶ原分校が休校となる。
1982年(昭和57年)4月 - 駒ヶ原分校を廃止する。
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※Wikipediaより関係箇所のみ抜粋



2021.04.26/名倉小学校駒ヶ原分校

星空の下で

2020-02-24 22:28:50 | 鉄道
パノラマスーパーを襲名しつつも、パノラマ連続窓くらいで、あんまりパノラマ感のないパノラマスーパーだった1600系

特急政策の転換により、1両削って一部特別車になり、いつのまにかパノラマスーパーという愛称は消え、気付けば残った2両も廃車となりました

空港開業前に計画にあった、1600系と3000系列を繋いで一部特別車の急行が実現していたらどうなっていたのかな



最初に03Fと04Fが東名古屋港へ



残る01Fと02Fはもうしばらく走るようです



掘り出して見ると、03Fと04Fは、12年前に改造のための舞木へ向かう道も同じだったようです

結構好きだったんですけどね、シュッとした感じが

おつかれさまでした

2020.02.23/舞木・大江
2008.07.20/東岡崎駅

振り込めサギ

2019-12-24 00:23:00 | その他


おじいさんの頭から出ているのは寝癖なのか、なぜ肩を抱いてピースしているのか

おばあさんに至っては、もはや体の線がよくわからない 右手の様子もおかしい

詐欺師の方の体はしっかり描かれていて、でも妄想しているのは日本では流通していない縦長のお札

よくわからないけど、憎めない、むしろ撮影してしまうほど高度なレベルの看板

何にしろ、気をつけましょう

2019.02.24/滋賀県内

谷汲駅

2019-12-01 14:43:39 | 廃線探訪


まだ色が残っている部分のもみじとともに755

こうして見る(故意にいろいろな部分をもみじで隠してみる)と、ちょっとだけ現役っぽい・・・いや、前照灯を点けて欲しいなあ

あと、山の陰になって、夕陽がもみじには当たっても、755には当たらないのが少し物悲しげ



現実は、線路は途絶え、架線も張っていない

現役の頃に写真を撮っていたらなあと思う反面、思い出の中で残している方が、色褪せないからいいのかなあとも



それにしても、10年ぶりに来ても変わらず美しい状態の755が待っていてくれるのは嬉しい

だからこそ思い出が蘇るのかもしれない



ついでに北野畑駅跡

いつまで残っているだろう

2019.11.30/岐阜県揖斐川町 旧谷汲駅 4枚目のみ旧北野畑駅

VIVO・ビーボがいた

2018-05-17 23:47:30 | 自販機
色んな意味で有名なVIVO・ビーボ。

最近は昭和を求めて、信号機と自販機、40高中、廃校舎を探し、巡りの日々です。

それにしても、何度か通ったことのある道ながら、今まで気づいていませんでした。




ブルーシートで覆われていた期間が長いためか、幸いにもアクリル板から塗装から、比較的美しい状態です。

早速近寄って拝見。



現代の自販機では、ただの筒にラッピングされた見本ですが、実物の缶が入っているので、時間とともにこうなります。

なぜかラムちゃんだけキレイ。

最近になって、ここまで剥がれたのかな。






アイドルです。フレッシュな。



その左3種。

MILD-COFFEE/COFFEE/APPLE

もちろん、缶から取れて離れるプルタブ。

なんだか割と最近の記憶で、このプルタブを見たのはどこだったかなと思ったら、京成東成田駅ホームのベンチで見かけました。



ベンチの隙間で発見。

一体いつから放置されているのか、掃除は・・・いや、貴重な物を現代まで遺してくれているということに感謝。



つめたーい のプレートもまた、なんだか愛おしい感じ。



そして外せないのがルーレット。

なにやらウォルト・ディズニーの世界で人気の某ネズミの手に酷似した手だけ見えていますけど。

ピエロやパントマイマーといった人間の手なら5本指ですけど、これ4本ですし・・・


今でも当たり付き自販機はありますが、その機能は金額表示の4桁数字が表されるだけのものが主流です。

ただ、かつてはその種類は無限に近いほどありました。もちろんVIVOの自販機に限らず、いろいろありました。

無数のランプで表すレースのようなものやら、野球盤のようなものやら・・・

むしろそっちの方にスペースを大きく割いていて、子供心をくすぐられました。

ずいぶん前の記事で、飛鳥の自販機2種を取り上げた時にも書いたように、パラコート云々のせい?おかげ?で、

この時代の自販機で買った記憶は皆無ですけどね。だからこその憧れもあると思いますが。

ちなみに、いまだかつて自販機で当たりを出したことはありません。



最後に細部。

500円硬貨が登場したのは昭和57年なので、当然対応していません。

このあたりから察するに、昭和50年頃から鎮座しているのでしょうか。



懐かしいボタンの形状。

最近の自販機もまた、ボタンが大きくなっている傾向にありますが、平成初期頃の自販機のボタンって、横に細長いボタンが主流でしたよね。

お値段は100円です。


ラムちゃんの横、レモンスカッシュが覗くブルーシートを引き剥がしたい衝動に駆られますが、そのまま破れそうなので抑えました。
 
昭和から、もうすぐ平成も終わるこの時代。

役目を終えたものに対して適当な言葉ではありませんが、いつまでも昭和の遺された風景の一部として、元気でいてほしいと願うばかり。

2018.04.22/愛知県 岡崎市某所

2015.09.21/千葉県 京成東成田駅

大塔村立阪本小学校

2017-08-17 20:45:05 | 廃校・校舎(奈良)


1873年は明六社の明治6年に誕生した、歴史ある奈良県吉野郡大塔村立阪本小学校

1947年度から、大塔村立に変わりました



1957年11月に建てられたこの校舎は2017年で60年の節目の校舎

1986年度をもって、統合により閉校となったようです

なんといっても、急峻な山かつ、厳しい階段の上に建っているので、引いての全体が写せない



階段の下からはこんな感じ

玄関に近づきます



阪本小学校の校章と、時を刻むのをやめた時計



しかし、時計があるべき場所はここで合ってますが、この向きに時計を掲げたところで

校庭からは木々に隠れて見えない以前に、高低差が大きくてそもそも見えません

そのくらいの高低差があります

村に学校を作ろうにも、山間で土地がないことから、苦肉の策でこの急斜面を切り開いたと思われます

阪本小学校は4段の高さに分かれています

一番下の高さに校庭、その次に校舎、その上の段には学校園、畑、温室、そして一番上の段には教員宿舎でしょうか



そして校章のステンドグラスもどきをアップで

阪本なので、阪の字が中心に、その周りを10のカタカナの「モ」が縁取っています

阪に、モが10でさかもと・・・?

ユニークな校章です



チラチラと立て看板が見えましたが、それでも五條市のやさしさでしょうか

当然そんなわけはないですけど、校舎の扉は開いていました

扉から中を覗いた、1階廊下の様子

お邪魔します



木枠の窓から柔らかい光が降り注ぐ・・・中で、中央辺りの床が緑色に見えます

ここだけ、雨漏りにより床が傷んでいて踏み抜けそうです



すぐの壁面に飾ってあったのは、星座の絵かと思いましたが、よく見るとただの絵とは違います



電池がつながっているこれは、スイッチを入れると豆電球が光る代物です

悲しいことに、ずっと差しっぱなしだっただろう電池は噴いていました

子どものアイデアだったのか、教員の工夫かわかりませんが、面白いです

時は流れ、今ならLEDかな、それとも麦球と3種類使えば星の明るさも表せそうだなと思ったり



どうやら校舎の基礎は石造りのようで、玄関周りの一部はその基礎がないことから、床がかなり抜けていましたが、それ以外はしっかりしています

階段もどんどん上がって2階へ行くと、オルガンが廊下に並べられています

ただでさえ斜面なので、日を遮る構造物はありません

その南側の廊下に並べられたオルガンは、傷み放題でしたが、ひときわ、もう朽ちているのが1台

どうやらここの天井が雨漏りしていて、このオルガンを直撃しているようです

そして、その真下の床も傷み、1階の天井から滴り、最初の1階の床に落ちて行っているようです





珍しく、2階にステージのある講堂があり、阪本小学校歌が掲げられていました

2番の歌詞に出てくる猿谷ダムは、阪本小学校の眼下に広がるもの

その猿谷ダムは1957年完成ですので、冒頭の校史からいくと、おそらくこの新校舎完成を記念して作られた校歌と考えるのが自然でしょうか

しかし、猿谷ダムを調べると、歴史あるダムだけにそれはそれは悶着が絶えなかったダムのようですね

そしてこれら一連のダムは灌漑目的のものであり、洪水が起きないように調節する機能は一切ないというものだそうで

そんなダムあるんですね、知らなかった・・・国交省直轄ダムでは、ここと芦別ダムだけらしい

そのため、悶着して作ったダムがあれども、大雨のたびに結局洪水が起きる、なんということでしょうか



それはさておき、校舎から出て裏へ(校庭レベルから数えて3段目)

なんとなく踏みしめられた道を上がると、校舎の2階レベルまで上がります

見渡す限りの山

冬の雪深さを物語るのは、屋根瓦の雪止め

厳しい自然とともに生きています



散々お伝えの通り、4段に分かれている各段とも日当たり良好なので、この段には学校園があったようです

その名残と思しき温室

いや、それにしては新しい感じを受けなくもない

そしてその背後、最高段に見えるのが教員宿舎と思しき平屋



急に近代的になり、写欲減退、これ以上踏み込んでいません

しかし、中央に見える玄関の造りが住宅としてはおかしいので、家ではないのかもしれません

体育館ではないし、最高段にそびえるこの建物はなんだったんでしょうか

今になって、中を覗いておけばよかったと後悔





戻って、一番低いレベルには、なんとプールもありました

推定15mプールですが、閉校年の1986年を鑑みても、プールのない学校は数多ありましたから、改めて、阪本小学校が立派なものだったことがうかがえます



校門から校舎を望む

1階は木枠でしたが、2階に輝くアルミサッシが残念

それでも風格あります





校舎内に残されていたポジフィルム

右上の文字は「保体委」、児童が3人と紅白玉が見られます

運動会前後における保健体育委員の仕事を記録した1枚でしょうか







阪本小学校、校舎内には現役時代のものがよく残っていました

読書感想文の名前はぼかしています

課題にした図書は1985年刊行の「5年1組ラブレター作戦進行中」・・・最後の夏の読書感想文でしょうか

それにしても、この辺のものは学校に置き去りはまずいのでは

誤字そのままを見ると下書きでしょうが、ぜひ朱書きを入れて返却してほしいところ



最後に、玄関の内側にびっしり掲げられていたのは、寄付を表す札

これ以外にもたくさんの方の名前がありました

多くの人たちに支えられ、愛される阪本小学校、山奥に静かに眠る素敵な学校でした

お邪魔しました

2017.08.13/五條市 旧阪本小学校

そろそろ

2016-01-11 01:02:47 | 鉄道
怒られそうなので、鉄道の写真も載せておきます

とはいっても、見ての通り夏を最後に(福井は行きましたけども)まともに撮ってないんですね



あえて低いレベルから撮ってやろうと待っていると変なのが来ます

来ると分かっていれば普通に撮ったのに



変な構造物がないので、スッキリですね

でもスッキリしすぎて、微妙に傾いているような気がしつつも、直せない



変な動物除けのない先頭の南紀

キハ85も20年近く経っているわけですが、未だに通用しているいいデザインですね

これでキハ40も完全に消えるということで、撮っといてよかったです

行かん行かんと無下に断られつつも、粘り強く誘い続けてくれて感謝です


最近撮りたいと思ったものといえば、北近畿タンゴのKTR001ですが、不定期すぎて、しかも急で平日が多くて、行けないかなあ

あとは大阪しなの・・・はどっちでもいいか

霜取りクモヤ、クモヤ443辺りも、気になるが、あとは環状阪和の103・・・?


2015.08.18/紀勢本線 六軒~高茶屋