静かな劇場 

人が生きる意味を問う。コアな客層に向けた人生劇場。

解明すべきは犯人ではなく。(神奈川 障害者殺人事件)

2016-08-10 11:20:23 | Weblog

 神奈川の障害者殺人事件に関しては、テレビの解説者
 など、
「なぜこのような事件が起きたか、事件に至るまでの状況
 が今後どこまで解明できるかがポイントです」だとか、
「事件の徹底した真相究明が求められます」だとか、
 漠然とした言葉だけが、宙を舞っている印象です。
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 事件の何を解明するつもりなのか分かりませんが、
 なぜ事件は起きたのか、その全貌はすでに明らかなはず
 です。
 「社会の役に立たない、生産性のない人間を、税金を使
ってまで生かす理由はないから、死なせたほうがいい」
という考えを持った人間が、その考えのままに実行した
という極めて分かりやすい話で、犯人自ら語っているそ
れ以上の真相も、状況説明も要らないように思います。
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解明する必要があるのは、むしろあの犯人より、
私たちはなぜ、生産性のない人を殺すことを悪とみな
し、それを許さないのか?という点ではないかと思い
ます。
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「生命は尊厳なものであり、それを何人であろうと勝手な
理由で奪うことは許されるものではない」とか
「役には立たなくても、一生懸命、生きようとしている人
を殺すのは可哀想ではないか」というのが一般的に共感
される理由だと思います。
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 多くの人がその辺で共感するから、テレビも新聞も、それ以上の突っ込みはせず、なぜ犯人は、私たちと同じ、その思いを共有できなかったのか?どんな生い立ちだったのか?学生時代は何をやっていたのか?いろいろ調べた揚げ句、自分たちと違う要素を見つけだし、「ああ、それで犯人は、私たちとは同じ思いを持たない、異端者に育ったのか」と納得しようとするのだと思います。
 犯人が大麻を一時常用していたということは、一般大衆がこの事件を納得するのには都合のよい事実だったと思います。
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 しかし、事件の本質は、
犯人が「社会に貢献することにこそ生命の尊厳がある。貢献できない者に生命の尊厳などない」との主張に基づいて実行(殺害)した点にあります。
 その実行を間違いと責めるのなら、社会に貢献できない者に生命の尊厳はない、生きる資格はないという犯人の主張自体の誤りを指摘しなければなりません。
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 大麻を吸わない私たちは、なぜ生命の尊厳は、社会に貢献する、しないに関わらず、「ある」と考えるのか?その根拠は何なのか?
「徹底解明」すべきはそこで、犯人のほうにはないと思います。
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 人間って素晴らしい!一生懸命に生きるって素晴らしい!
という言葉で、いつもこの問題はあいまいにされてきましたが、煩悩具足の者に本来「尊厳」なものなどあろうはずもありません。
 阿弥陀仏がそんな煩悩具足の十方衆生を相手に、一念で救うと誓われているからこそ、どんな人にも崇高にして犯すべからざる尊厳がある。「唯我独尊」といわれる尊厳の根拠がそこにあることを、この事件を通して、明らかにしていきたいと思います。
そうでないと、亡くなられた方たちも、遺族の方々も浮かばれないと思います。

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