静かな劇場 

人が生きる意味を問う。コアな客層に向けた人生劇場。

死をなぜ恐れるか?

2016-08-25 15:34:59 | Weblog
すでに他界してしまいましたが、身近な言葉で哲学する
ことを教えてくれた池田晶子さんという哲学者がありま
した。
その池田さんの書いた『暮らしの哲学』の中に、
「“死”は怖いものか?」という一文があったので、引用
させていただきます。

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現代文明は、ほぼ唯物論の文明ですから、“公式見解”
としては、 多くの人は、死後の世界を信じていません。

いや“信じる”というこの言い方が示す通り、そういうの
は、信じるか信じないか、個人の宗教的信念の問題だと
思っています。

そして、自分は宗教的信念を所有しないと表明する人は、
では死後をどう思っているかというと、“何もなくなる”
と思っている。

“死後の世界”なんてものは“無い”、人は死ねば無にな
るのだと。

人間とは物質すなわち肉体だと見做すのが唯物論の基本
ですから、肉体がなくなれば人間はなくなると考えるの
は当然です。

しかし、“死ねばなくなる”派の人でも、そのことが正確
に何を言っているいるのか、自分で理解していないこと
に気がついていないことが多い。日常の会話や、言い回
しの端々に、じつはそうとは思っていないことが見てと
れることが多い。

たとえば人は、“今度生まれ変わるとしたら”と、平気で
言いますよね。

あるいは“死んだ母が守ってくれる”、もしくは“向こう
でお会いしましょうね”等々、死後の世界を想定してい
るのでなければあり得ない言い方を、人は大変よくし
ます。

もし“死ねば何もなくなる”と本当に思っているのだった
ら、日常会話からその種の言い回しは消滅しているはず
ではないのか。

〝死ねばなくなる”と人が本当には思っていないことの
何よりの証拠は、死への恐怖を所有しているというまさ
にそのことです。

だって、死ねばなくなるのだったら、なぜ死ぬのが怖い
んですか。怖がる人がいないんだから、怖いということ
もないはずです。

(中略)

と、このように考えてくると、だんだん整理されてき
ます。
人は“無になる”ことを恐れているのではなくて、
“わからない”ことを恐れているのです。

死んだらどうなるかわからない、本当はこのことが怖い
のです。
(以上、引用)

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仏教で「無明の闇」とは、後生暗い心ともいわれ、死んだ後(後生)が分からない(暗い)心のことだと教えられる。
死んだらどうなるかわからない、この行く先の分からぬ不安が常にあるために、何をやっても心からの安心も満足もない。
ゆえに苦悩の根元とも教えられる。

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