◆日蓮大聖人様の教えこそ、文証・理証・現証・が、一致します、正しい、宗教です、言い切っていきましたょうよ、いえ、
◆言い切ってきましたよね。
◆日蓮大聖人の文証は、すべて、現証となって、あらわれているので、あって、
◆また、未来も、そのように、将来もですね、
◆そのようになるという理証・が、きちんと、そなわって、います。
◆御本尊を拝んでいる者は、好む所へ、生まれる。
◆釈迦仏教は、仏を根本にして、説いていく、本果妙。
◆日蓮大聖人の仏教は、凡夫を根本にして、
◆説いていく、本因妙。
◆これも、何回も書きますが、生活に、即していえば、
◆迹門(しゃくもん)は、理論、
◆本門は・実生活。
◆日蓮大聖人の御心を心として、本当に、広宣流布を誓った時には、
◆日蓮大聖人と同じ行動が、できるのである。
◆出ない福運をだすために、御本尊を拝むのである。
◆信心が、深くなれば、◆前世の前世、更に、
◆久遠からの福運が、出てくることになります。
◆私たちが、お題目を唱えることは、その変化させる、大元を・
◆自分の生命の中に、いいですか、
◆自分の生命の中に、
◆取り入れることになるのである。
◆したがって、自分の望む・方向に物事が、変化していって
◆願いが、叶うのは、むしろ、当然のことである。
◆ただし、本当は、取り入れるのではなく、[所詮日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは 併(しかしながら)護念の体を開くなり]
◆とありますように、わたしたちの生命自体が、
◆本来・南無妙法蓮華経の当体なのです。
つづく