生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

販売を促進するには

2010年05月29日 19時19分25秒 | 生命生物生活哲学
2010年5月29日-4
販売を促進するには

 さきほどwww.amazon.co.jpを覗くと、そこには或る表題の本(たとえば『生物哲学の基礎』)を入手するには、新品は無く、二つの中古品が出品されていて、
 1. 40,947円(古書代)+340円(配送料)
 2. 40,948円(古書代)+340円(配送料)
となっている。出品時点の表示は無い。1円違いということから、2の出品の後に、1が出品されたという仮説を立てたくなる。これは、(差異を検出できるような)過去の記録があれば確証または反確証できる。
 しかし、2の方が品物の状態は良いので、後から1円分うわのせだけで、1よりも良い品物が獲得できますよ、と販促的訴えをしているつもりなのかもしれない。
 しかし、それはないように思える。2は、「仕入直後より未読のままビニール封入しております。ただし、一度棚に並んだり再配本された商品ですので本出品としてはコンディション「非常に良い」とします、陳列や配送などでのスレなどの瑕疵についてはご容赦下さい」であるのに対して、1は「新品未読品です」となっているからである。品物の状態が良くてほとんど同価格ならば、それを選ぶという振る舞いを、だれかはわからないが、取るだろう。むろん、誰も買わないかもしれない(いつまで?)。
 新品書店では、ISBN番号が同一ならば、同一の価格である。ただし、汚れや擦りきれなどがあると値引いて販売するかもしれない。
 食料品の場合は、賞味期限と消費期限が大きく値引きに影響するようである。たとえば或る店では夜の8時30分を過ぎると、3割引が5割引の値札の張り替えが行なわれたりする。これはいくつかの観測結果からの(帰納的)推論である。これをメカニズムに言及した推論にするためには、どんな観測をすればよいだろうか。仮説として、売れ行き具合を見て、売り場責任者は20時29分に、3割引値札を5割引値札に張り替えをすることとする、という内部規定がある、を考えてみよう。ただし、日曜は閉店時刻が1時間早いので、日曜は19時29分かもしれないということも考慮しよう。

ニッチ概念の分類2

2010年05月29日 18時45分05秒 | 生態学
2010年5月29日-3
ニッチ概念の分類2

分類基準
 さて、本題。分類作業は、分類基準によって異なる結果となる。
 Whittakerほか(1973)は、おそらく、それまでに提案されたニッチ概念をうまくまとめようとしたようで、定めた基準を単純に適用していない。複合的、あるいはむしろ錯綜的である。
  (a) は機能的概念だとしている。
  (b) は生息場所的または場所的ニッチ概念だとしている。
 ここには、機能的か非機能的か、生息場所的か非生息場所的かという二つの基準がある。したがって、或る概念が、
  1. 機能的で生息場所的
  2. 機能的で非生息場所的
  3. 非機能的で生息場所的
  4. 非機能的で非生息場所的
という分類カテゴリーが生成される(分割表)。
 同定すれば、
  (c) は、1。
  (a) は、2。役割という語の(メカニズム参照的)解釈次第で、1。
  (b) は、3。もしかして、共同体内要因と共同体間要因の解釈次第で、 1。
 結局、4というカテゴリーに納まる概念は、Whittakerほか 1973の分類においては、無い。なぜ、無いのか。

 (b)では、「或る種がどう分布するかという関係」という文言がある。関係だとしているが、両者の性質から構成されるものなのか、両者の性質の間の関係なのかが、あるいは両方を場合に応じて使い分けるのかが、不明である。
 また、「(b) では「ニッチ」は「生息場所」と同義となる」というのも、問題の焦点(の一つ)である。

 次に、異なる視点からの分類基準を検討しよう。それは、何についてのものかという、定義がもとづく主体(主語)の問題である。

ニッチ概念の分類1

2010年05月29日 18時16分07秒 | 生態学
2010年5月29日-2
ニッチ概念の分類1

 議論が混迷している(と思える)場合は、概念が多義的であることが多い。まず、ニッチ概念を分類しよう。もとより、概念の分類は、その定義項の何によって分類するかで異なる。ここでは、出発点として、Whittaker, Levin, & Root (1973)を取り上げよう。

  「混乱は,異なる概念に対して「ニッチ」という同一の語を使うことから来ている.われわれは,この語について3つの意味を区別する.すなわち,
  (a) 与えられた共同体内における或る種の位置[position]または役割としてのニッチ.これはニッチの機能的概念である.
  (b) 或る範囲の諸環境と諸共同体に対して,或る種がどう分布するかという関係.これは,生息場所としてのニッチ,または場所的ニッチ概念である.
  (c) これら両方の合成概念としてのニッチ.ゆえに,共同体内要因と共同体間要因の両方によって定義される.これらのうち,(b) では「ニッチ」は「生息場所」と同義となる. (c) は,さしあたり「生息場所+ニッチ」と呼ぼう.」(Whittaker, Levin & Root 1973: 321)。

 aでもbでも、community 共同体〔群聚、群集〕

 [大辞泉によれば、ぐんしゅう(群集・群聚)は、
   1. 人が多く群がり集まること。また、その集まった人々。
   2. 社会学で、多数の人々が共通の関心のもとに、一時的に集合した非組織的な集団。
   3. 一定の地域に集まり有機的なつながりをもって生活する生物すべての集合体。
   4. 植物の群落を分類する単位。特定の種類が集まり、一定の相観をもつもの。群叢(ぐんそう)。
 と4つの意味があげられている。なお、3での集合体という語は大辞泉には無い。プログレッシブ和英中辞典では、集合体はan aggregateとなっている。]

と種という語が出ている。
 すでに、communityという語もまた、多義的である。共同体を生態学者が実際に使用するところから言える(あるいは操作的に考えられた)指示対象で言えば、共同体とは或る空間を研究者が任意に定めて(多くの場合、研究者の都合で)、そこにいる(理想的にはすべての)生物体について種類を同定し(ここでいくつかのタクソン的偏りが不可避となる)、その結果が、或る空間における共同体の構成または組成として表現されるもの(構築体)である。
 たとえば、種名を列挙し、各種に属する生物体の個体数を目録として表示したものである。しかしそれだけではつまらんと思えば、<そこにいる>生物体たちの振る舞いを調べて、諸関係を示したくなる(かもしれない)。
 すると、「地球暦10年10月10日10時10分10秒(という或る特定の時点)から11分11秒に間に、北緯11度11分11秒東経11度11分11秒の高度11.11mの地球地点(という或る特定の場所)において、生物体a1(種タクソンAに属する)と生物体a2(種タクソンAに属する。a2はa1から産出されたことが前の観測でわかっている。つまり、a1とa2は親子関係)と生物体b1(種タクソンBに属する)との間で空間的包含という作用関係があった。つまり、a1とa2は、b1の中に存在するという変化が観測された。」といった観測文を作ることができる。具体的には、a1とa2はアブラムシ生物体を、b1はナミテントウ生物体を想像されたい。この場合、親子関係にある2個のアブラムシ生物体を、1個のナミテントウ生物体が体内に収めた(食ったと解釈してよいだろう)ことになる。

  〔科学的営為においては一般的命題をつくりたいので、重力によってほぼ地球表面に縛りつけられている生物体数はあまりにも多いので、種カテゴリーでまとめて記述したい。ものごとは一例報告から始まるわけだし、一足飛びに、一例観測で種的一般仮説をつくろう。〕
 
  〔関係となると、相対的なので、たとえば運動は相互の位置関係の変化であるから、地球が太陽の周りを回っている、と、太陽は地球の周りを回っているも同じ。太陽中心説と地球中心説は、その核心は宗教的信念の違いであろう(歴史という構築体を参照)。観測者の位置の違いではなく、絶対という価値的位置の問題、かな?〕

 ニッチの話に戻ろう。Whittakerほか(1973)の(a)とは、
  「(a) 与えられた共同体内における或る種の位置[position]または役割としてのニッチ.これはニッチの機能的概念である.」
 positionとはたとえば地理的位置とった物理的なものではなく、役割とあるように、われわれが共同体を、どう捉えて何とするかの中身に依存する。そしてまた問題は、その共同体(これも空間を指定しなければ定まらない。諸関係はいかに空間を広げても、地球大にしても、特に重要な太陽からのエネルギーは、まさに地球外からやってくる)を構成するものとして、当の種(正しく表現するならば、当の種に属するn個の生物体)が含まれていることである。役割や役割の重要性もまた、どう考えるのか。
 という具合に、あらゆるものは他のあらゆるものに繋がっている Everything is connected to everything elseので、頭の体操をしていわば強力機械でスッキリと切断しよう(つまり分析力を最大に稼働しよう)。すると、われわれの構築力のおかげで、いくつかのものは他のいくつかのものに繋がっている Something is connected to something elseという、当たって砕ければなんとかなりそうな気がしてくる有り難い事態が出現するかもしれない。(当たらなければ、は必要条件だが、砕ければ、は滅亡条件である。)
  〔またもや、必要な迂回をしてしまった〕

文献
Whittaker, R.H., Levin, & Root, 1973. Niche, habitat, and ecotope. American Naturalist 107: 321-338.

ニッチ、生息場所、環境、生物体、種。1

2010年05月29日 01時38分47秒 | 生命生物生活哲学
2010年5月29日-1
ニッチ、生息場所、環境、生物体、種。1

1. タクソン

 「あの木の枝に、コウノトリがいる」という文があるとする。
 その鳥は_Ciconia boyciana_というタクソンに属する。コウノトリはその和名であり、_Ciconia boyciana_という種タクソン名の代わりをする場合がある。つまり、学名scientific nameと同一視する場合がある。鵠の鳥という表現だと、個別の鳥を指す意味合いが強いように思う。「それは、コウノトリに属します」とは言えても、「それは、鵠の鳥に属します」というのは、少し言いにくいように思う。

 生物体を指差すことができる。しかし、或る種タクソンを指差すことはできない。われわれの脳によって作ったものだからである(脳の中の神経細胞を指差すことができても、種タクソンを指差すことはできないだろう)。たとえば、Ciconia boycianaというタクソン名は、同定のためのカテゴリーを示すためのものである。同定とその前の分類のためのカテゴリーは、われわれの構築体であり、物体ではない。
 種ということで、その種に属するすべての生物体を指すと思う人がいるかもしれない。確かに、生物学的調査では、あたかもそのようにしている場合がある。たとえば、或る時点に生存している、或る種に属するすべての生物体を統計学での母集団とし、そのなかから機会的randomに抽出した生物体を調べて、統計的な推測をするといったことである。しかし、或る時点での話である。
 親生物体から産出された子生物体の両方とは、同一種に属する(ほとんど公準。雑種の場合はこの限りではない)。