職務が変わり、ゆったりとした毎日。
常に喧噪の中だったコレまでと違い、戸惑いの日々でもありますな。
しかし、日々是好日。にやにややってます。
で、そんなボクの机上は以前に比べてすっきり。
がらんとしています。
ただ、妙なモノもそこかしこに。
これは、2003年夏に東京を去る際、河北のストちゃんがくれたお手製のペン立て。
映画「ダ・ヴィンチ・コード」にインスパイアされたらしい…
何が彼を突き動かしたのかわかりませんが、ずっと一緒ですw
これはスタイリッシュとのふれ込みで買った扇風機。
何がスタイリッシュなのか、いまだによくわかりませんww
そして500円貯金の貯金箱。
中味よりもゾウさんの方がムダに高いwww
そうそう、本棚はこんなラインアップ。
右端の本が異彩を放っておりますが、これは悪漢シモクーボがこれとともにくれたのさ。
「おい、おっさん、お前、わが社の『不沈艦』になれや!」って。
うるせーや(笑)
で、本棚ってのは、その人の方向性がうかがい知れるわけで、アップするのは少し恥ずかしいモノもありますな。
目立つのは「ある勇気の記録」であったり「暴力許すまじ」であったり。
まあ、割と本気で取り組んできたことだよね~。
「暴力」については、これは広島県警の「組織暴力団特別取締本部」による昭和46年9月の発行です。
もう20年ぐらい前、そっち方面のお仕事に取り組んでいた折のこと。
この本を持ってらっしゃった大先輩から「おい、カツ。これをやる」って。
後にもの凄く偉くなっちゃったその先輩。
二人で、そっち方面について鎌田慧のインタビューに一緒に応じたこともありました。
「後継者になれ」って意味合いだったのかなあ、とも思います。
まあ、それなりにやったつもりだけどねえ。
で、もうひとつ異彩を放つのは、「定年後ライフプラン手帳」。
これは今、急に使い出したわけじゃないのよ、話としてはその方が面白いだろうけど(笑)
4年前の誕生日か父の日に、高校生だったショーネンがプレゼントしてくれました。
この間久しぶりにペラペラめくってみるとね。
これだ!
得意なこと=論理的に考える
不得意なこと=論理的に行動する
なかなかの自己分析だと思いますね(笑)
全然覚えてなかったけど、こーゆーことを密かに書いていたんだなあ。ぷぷぷ。
このノートはエンディングノートの役割も。
こうした部分もあるんだよね。
もう52歳になり、いろいろとひっくり返っていると、さまざまに考え始めます。
前に書いたランの話もこの延長線上にあるよね。
そーいえば以前、こんなことを書いてました。
最期の迎え方
ちょうど2週間前、母を亡くした。79歳。40年に及ぶ闘病の末、ここ5年間は寝たきりで視力も失っていた。元来は社交的なタイプだっただけに、本人にも見守る側にもいささかつらい時間であった。
葬儀の朝、心に染み入る記事に出会った。朝刊くらし面に掲載してきた連載「夕映えのとき 人生90年時代」である。くしくもその日が最終稿。筆者である廿日市市の臨床社会学者、春日キスヨさん(70)が最後に選んだテーマは「ラスト10年問題」だった。
平均寿命から元気に暮らせる「健康寿命」を引くと、男性9年、女性12年。平均10年ほどの期間は、介護を必要としたり寝たきりになったりを迫られる。その間の身の処し方をどうするか。覚悟と準備が必要なのではないか―。春日さんはそう問うていた。
喪主として準備に追われる中、ぼんやりと考えた。3年前に旅立った父も含め、両親はどうするつもりだったのだろうか、と。おそらくは、長男の私が地元に就職したことでふたりは一安心し、「何とかなる、何とかしてくれる」と踏んでいたのだろう。
ただ、今となってはそれも定かではない。その辺りを親子で話し合う雰囲気がわが家になかった感がある。
今後、超高齢化社会がさらに進み、孤立やシングル化が当たり前となるとき、それでは立ち行かない。だれとつながるか、だれと最期を迎えるか、みなが少しでも幸せになるために、それぞれがリアルに考えておくべきなのだろう。私も今、エンディングノートを書き始めたところだ。
先週末、両親の「ついのすみか」となった病院の前を通った。そこまでほとんど感情が揺れなかったのに、急に込み上げるものがあった。「50歳で喪主を終えるのは早すぎるんじゃないの」。世話の多くを妻に任せてきた身でありながら、身勝手につぶやき、しばらく空を見上げていた。
湿っぽいことを言うつもりはもちろんない。
ただ、ドライに死期を、そこまでの何年かを考えるべきお年頃だと思うんだよね。
自身のQOLのため、大切な人たちとの時間のため、何が必要なのか。
体調管理も大切だし、何に価値を置くかを再考することも必要だと思います。
いろいろと考えて、歩を進めて参りましょう。
「お父さん、結局、それ?」
かたじけない… 0rz
常に喧噪の中だったコレまでと違い、戸惑いの日々でもありますな。
しかし、日々是好日。にやにややってます。
で、そんなボクの机上は以前に比べてすっきり。
がらんとしています。
ただ、妙なモノもそこかしこに。
これは、2003年夏に東京を去る際、河北のストちゃんがくれたお手製のペン立て。
映画「ダ・ヴィンチ・コード」にインスパイアされたらしい…
何が彼を突き動かしたのかわかりませんが、ずっと一緒ですw
これはスタイリッシュとのふれ込みで買った扇風機。
何がスタイリッシュなのか、いまだによくわかりませんww
そして500円貯金の貯金箱。
中味よりもゾウさんの方がムダに高いwww
そうそう、本棚はこんなラインアップ。
右端の本が異彩を放っておりますが、これは悪漢シモクーボがこれとともにくれたのさ。
「おい、おっさん、お前、わが社の『不沈艦』になれや!」って。
うるせーや(笑)
で、本棚ってのは、その人の方向性がうかがい知れるわけで、アップするのは少し恥ずかしいモノもありますな。
目立つのは「ある勇気の記録」であったり「暴力許すまじ」であったり。
まあ、割と本気で取り組んできたことだよね~。
「暴力」については、これは広島県警の「組織暴力団特別取締本部」による昭和46年9月の発行です。
もう20年ぐらい前、そっち方面のお仕事に取り組んでいた折のこと。
この本を持ってらっしゃった大先輩から「おい、カツ。これをやる」って。
後にもの凄く偉くなっちゃったその先輩。
二人で、そっち方面について鎌田慧のインタビューに一緒に応じたこともありました。
「後継者になれ」って意味合いだったのかなあ、とも思います。
まあ、それなりにやったつもりだけどねえ。
で、もうひとつ異彩を放つのは、「定年後ライフプラン手帳」。
これは今、急に使い出したわけじゃないのよ、話としてはその方が面白いだろうけど(笑)
4年前の誕生日か父の日に、高校生だったショーネンがプレゼントしてくれました。
この間久しぶりにペラペラめくってみるとね。
これだ!
得意なこと=論理的に考える
不得意なこと=論理的に行動する
なかなかの自己分析だと思いますね(笑)
全然覚えてなかったけど、こーゆーことを密かに書いていたんだなあ。ぷぷぷ。
このノートはエンディングノートの役割も。
こうした部分もあるんだよね。
もう52歳になり、いろいろとひっくり返っていると、さまざまに考え始めます。
前に書いたランの話もこの延長線上にあるよね。
そーいえば以前、こんなことを書いてました。
最期の迎え方
ちょうど2週間前、母を亡くした。79歳。40年に及ぶ闘病の末、ここ5年間は寝たきりで視力も失っていた。元来は社交的なタイプだっただけに、本人にも見守る側にもいささかつらい時間であった。
葬儀の朝、心に染み入る記事に出会った。朝刊くらし面に掲載してきた連載「夕映えのとき 人生90年時代」である。くしくもその日が最終稿。筆者である廿日市市の臨床社会学者、春日キスヨさん(70)が最後に選んだテーマは「ラスト10年問題」だった。
平均寿命から元気に暮らせる「健康寿命」を引くと、男性9年、女性12年。平均10年ほどの期間は、介護を必要としたり寝たきりになったりを迫られる。その間の身の処し方をどうするか。覚悟と準備が必要なのではないか―。春日さんはそう問うていた。
喪主として準備に追われる中、ぼんやりと考えた。3年前に旅立った父も含め、両親はどうするつもりだったのだろうか、と。おそらくは、長男の私が地元に就職したことでふたりは一安心し、「何とかなる、何とかしてくれる」と踏んでいたのだろう。
ただ、今となってはそれも定かではない。その辺りを親子で話し合う雰囲気がわが家になかった感がある。
今後、超高齢化社会がさらに進み、孤立やシングル化が当たり前となるとき、それでは立ち行かない。だれとつながるか、だれと最期を迎えるか、みなが少しでも幸せになるために、それぞれがリアルに考えておくべきなのだろう。私も今、エンディングノートを書き始めたところだ。
先週末、両親の「ついのすみか」となった病院の前を通った。そこまでほとんど感情が揺れなかったのに、急に込み上げるものがあった。「50歳で喪主を終えるのは早すぎるんじゃないの」。世話の多くを妻に任せてきた身でありながら、身勝手につぶやき、しばらく空を見上げていた。
湿っぽいことを言うつもりはもちろんない。
ただ、ドライに死期を、そこまでの何年かを考えるべきお年頃だと思うんだよね。
自身のQOLのため、大切な人たちとの時間のため、何が必要なのか。
体調管理も大切だし、何に価値を置くかを再考することも必要だと思います。
いろいろと考えて、歩を進めて参りましょう。
「お父さん、結局、それ?」
かたじけない… 0rz
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