昔から、本が好きだった。本がないと、落ち着かなかった。
今でも覚えている光景がある。
もう47年前。
10畳ほどの和室でひとり、3歳の僕は絵本を読んでいた。食らいつくように、必死で。
幼子が鬼気迫る風情で絵本に見入るというのは、いかがなものだろうか。
種明かしをすると、ひとつ年上の姉がピアノのお稽古に行き、母も同行。
祖母は子守が面倒になったのか、魑魅魍魎の助けを借りて、やんちゃな私の動きを封じ込める作戦に出た。
「ええ子にしとかんと、お化けが出るよ」と。
和室には日本人形があり、こっちをじっと見ている。
虎の掛け軸も恐ろしげだ。唸ってるような気がする。
僕はもう、本の世界に逃げ込むしかなかった。
ページをめくると、そこには楽しく、心弾む世界が広がっていた。お化けも虎も追いかけてこなかった。
幼稚園の年長さんになる頃には、父の文学全集をすべて読み尽くし、姉のお稽古事が苦にならなくなっていた。
とゆーよーな人間が思春期を迎えたらどーなってしまうのか?
そして出会ったのは、この人。
中学一年生の俺様はやすやすと心をわしづかみにされ、「わしゃ、文学者になる!」と。
大学は国文科に進む!と。
中学、高校の6年間、若干、体を鍛えながら、ひたすら本を読んだのでありました。
なぜそこまで吉行に傾倒したんだろうか?
さまざまなコンプレックスの裏返しとして、「第三の新人」であり、王道にない彼に自分を重ね合わそうとしたのかなあ。
そりゃ、彼にとって迷惑な話だよね。
「重厚よりも軽薄に、理屈よりも感覚を」とゆーのは、ローティーンで養われ、今も続く俺の思考であり志向。
吉行のエッセイに感化されたモノであるのは間違いなく、実にわかりやすい、単純なガキであったなあと思いますね。
ただ、そんな僕も齢を重ね、いろんなお仕事をする中で、理屈やマニュアルの大切さもわかってまいりましたヨ。
でも、こうした酒席はいまも苦手だけどねww
卒論を書く際、上野毛の彼の自宅を訪ねたのを思い出します。
あのとき、玄関のベルを押せていたら、俺は今の仕事をやってなかったかもしれないな。
大学院に進むか、就職するか、最後まで揺れていたときだったからね。
なにが幸せかわからないけど、でも、吉行に出会えたことは幸運だったような気がする。
そして先日、久しぶりに彼にまつわる本を買いました。
秋の夜長、さまざまに思い起こしながら、ころっけと一緒に楽しんでいます。