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高齢者になっても、ヒマ・ひま・暇やはり暇

高齢者「さいら」ブログ。リタイヤーから、晴れて高齢者の仲間入り。店名をマイナーチェンジ。内容は以前と同様雑他。

牛乳

2005年12月19日 | 今日の話題
 或るブログに「おいしい牛乳」の話題が投稿されていた。趣旨と異なるので、コメントは止めて、牛乳に乗ることに。

牛乳
 これは牛乳ではないが、「さいら」の世代の「給食」である。「牛乳と称する飲み物」が必ず出て来た。若い方々はご存じないであろう。今にして思えば、「脱脂粉乳」をお湯で溶かしたものである。それも紙の大きなドラム缶に入った米国の援助の賜物であった様である。実に不味い。時々、コーヒー牛乳と称して更に焦げ茶色のものが出て来た。
 どちらも非常に、本当に不味い。残す者もいたが、優等生の「さいら」はそんなことが出来ない。「頂きます」の声が終わるか終わらないうちに目を閉じて、鼻を摘んで、一気に飲み干す。直ぐ後に、食パンを三口ほどほおばって、口の中の痕跡を消す。
 それはそれでまあ良いのであるが、そう言う習慣が身に付いてしまった。余り好きでない食べ物をまず最初に食べる習慣である。「さいら」を知らない人は、その最初に食べたものが、好物だと思ってしまう。罪のある「脱脂粉乳」である。

牛乳の飲み方
 「さいら」の世代よりももう一世代古い方々は牛乳を飲む習慣が余りなかった。それでも、何か身体によいとかで無理矢理飲んでいる職場の先輩が居た。確かに今の「オロナミンC」とか「リポビタンD」で、単なるラムネとかサイダーとかは違う飲料です。その先輩が言うには飲むとお腹が「ゴロゴロ」。「何とかならんのか?」「始めはですね。」「牛乳をゆっくり噛んで飲むんですよ。」「そして、一口飲んでは、パンを少し食べる。」「それで、一ヶ月もすればノートラブルです。」先輩はその通りやって、牛乳好きになったという「さいら」の自慢話です。

乳牛の話
 妻の家に、遊びにと言うかご挨拶に行った時である。その実家は、乳牛を飼育していて、原乳として出荷するだけでなく、瓶詰めにして牛乳にして売ってもいた。誰でもそうであるが、その牛乳が美味しいことを父親は自慢げに話していた。和歌山県の離島での話であって、昔々、牛乳の保存が全く出来ない頃の話である。
 乳牛は365日乳を出すのではないことをその時に初めて知った。乳牛と言えども、子牛を生んで、その子牛のために乳を出すのである。決して人のために乳を出すのではない。だから、妊娠期間中は出さないのである。子牛が、大きくなると、やはり乳は出ない。聞けば当たり前のことであるが、鶏卵がほぼ毎日産卵するのと同じように乳牛は一年中何時でも乳を出すものと思っていた。乳牛を飼うのは結構ロスが多いものだと感心した。
 これも当然のことであるが、雌牛しか乳を出さない。生まれた子牛が雌であれば、晴れて、拡大再生産も可能であるし、そうではなくても、後継牛が出来る。だから、生まれてきた牛が雌ならば、嬉しいそうである。
 しかし、規模も小さく、実家だけでなく、和歌山県内でも、乳牛を飼育しているところは余りなかった。その様な環境で乳牛を飼育することは大変であったそうである。365日本当に休日がない生活であった。冠婚葬祭の時には大変だったそうである。

牛乳の入れ物
 これも妻の実家での話である。麦茶を冷やして置いておく様な大きな「ヤカン」が食卓に置いてあった。横に、コップが置いてあった。ヤカンには牛乳が入っていたのである。カルチャーショックであった。牛乳の入れ物は、他にも驚いたことがあった。未だ缶コーヒーがそんなに出回っていない時代のことである。仕事で一ヶ月ほど乗船した時同部屋の人が「これ飲むか?」と出してくれたのが「缶詰牛乳」。勿論コンデンス ミルクではありません。今なら、「缶牛乳」と直ぐ出るのでしょうが思わず「缶詰牛乳ですか?」些か恥ずかしい思いをした。長期の航海とか、山岳隊などで使われていたらしい。
 入れ物というと今では紙パックが殆どであるが、「さいら」は今でも瓶に入った牛乳が好きである。どうも紙パックは敬遠気味である。これだと、完全に使い回しが出来る。古い人間が考えることである。

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