ベトナムとカンボジア(2005年12月17日)
ベトナムとカンボジア
先週は更新をお休みしました。その間、某旅行会社のパックツアーでベトナムとカンボジアへ行ってきました。パックツアーで何時も思うことですが、皆さん旅慣れた方々ばかりです。特に今回は(と言うほど行っていませんが)彼方此方の外国へ旅行して、遂に行くところが無くなり、やむを得ずベトナムとカンボジアと言う方々が殆どで、「さいら」夫婦は些か肩身の狭い思いをしました。特に妻のパスポートは紺色の「五年」のパスポートで、約30人の中で五年のパスポートを所持しているのは妻だけでした。
ベトナムは「さいら」の世代は南ベトナム解放戦線で忘れることが出来ない国です。その後の発展振りをどうしても見たい気持ちがありました。それにカンボジアはアンコール遺跡が有名で一度は見たみたい気持ちがありました。勿論、格安であることも選択の理由の大きな要素です。二回ほど、このシリーズで感じたことを記事にしようと思います。
通貨は$がまかり通っています。旅行者はドルですと便利ですが、カンボジアでは現地の人の月給も$で支払われるとかです。しかし円は余り馴染みがないようで、土産物屋では通用しますが、小さい子供が2千円を持って「20$と交換して欲しい」と言いながら、寄ってきます。実はその日本円が本物かどうか不明ですのでレートはよいのですが、疑心暗鬼になります。ドルで支払うと、ドルまでのお釣りはドルでくれますが、それ以下の端数は現地の通貨になります。ホーチミンの飛行場での免税店では端数は現地通貨ではなくて、お菓子をお釣りの代わりにくれます。聞くところによると、現地通貨は海外持ち出し禁止になっているとかです。と言う訳ではないかも知れませんが、日本に持ち込んでも、日本円に両替は全く出来ません。
カンボジアのシェムリアップでは登録番号がついていない車が走っています。現地案内員の説明では「車が右側通行で、法令により、右ハンドルの車は登録できない。」「しかし、日本車は故障が無くて、燃費も良いために人気があって、みんな使用している。勿論、税金は支払っている。」何とも妙な話ではあります。尤もこのことはシェムリアップという地方の町での話だそうで、首都のプノンペンではそうは行かないそうです。同様のことは車の免許にも当てはまります。免許制度はありますが、別に車の免許を取らなくても格段の支障はないそうです。賄賂もごく普通のようです。これも現地案内人も全く否定しません。
入国審査の時に我々は並んで順番を待っているのですが、某国の観光グループの方々は別のルートでさっさと堂々と入国審査です。最初はVIPのお通りかと思ったのですが、よく観察している方がいて、某国の添乗員は係官にキャッシュを渡していたそうです。我が国の添乗員は勿論その様な不作法なことは一切しません。このような風景を見ると、元公務員としては、国とは何かと考え込んでしまいます。
今回のツアーの「さいら」の主な目的は「アンコール遺跡群」です。その現地案内人には驚きました。日本語が非常に上手で、諺、ダジャレを混じえながら案内します。日本人に日本語を教えることが出来る位の上手さです。通常の現地案内人は、ガイドに必要な場面だけ説明をしますが、そうではありません。彼は、バスの中でも殆ど喋り詰めです。カンボジアの現状、隣国との関係、賄賂・コネの話等々です。彼曰く「そう言うことは話してはダメなのだが、ここは日本語を理解できる人は誰もいません(ドライバーは現地の人ですが勿論日本語は話せません)。少しでも皆さんにカンボジアを理解して欲しいのです。」後半になって話すことも少なくなると、一人一人に「何かカンボジアについて、疑問とか質問はありませんか?」と聞きます。最後には我々の所望によりカンボジア民謡も歌ってくれました。学歴を聞くと、中学校しか行っていないようです。それを聞いて更に我々は驚きます。
会社の方針だと思いますが、時々彼の携帯に電話が入ります。それに対して彼は日本語で話します。確かに、彼の受け答えを聞いていると、ツアーが順調に行っているか?病人がいないか?昼食の予定計画通りか?と言うものです。これは実に感じの良いものです。「さいら」の旅行の自分への土産はその土地土地の[CD]です。それを探すときも彼は通訳と値段の交渉もしてくれます。
そのアンコール遺跡群です。本当に驚きました。完全に一つの街ではないのですが、広い平野にあっちこっちに有るのです。しかも、それも全てが廃墟になっています。人の生活の面影はあるのですが、それは面影だけです。この遺跡群は勿論地元の方々は森の中にそう言う建築物があることは知っていたそうです。しかし、残念なことですが、その重要性の認識は無かったようです。その遺跡はフランス人により世界中へ発信されました。発掘という言葉が理解できません。遺跡と言っても、ポンペイのように埋もれていたのではなくて、森の中に有ったのです。不思議な感じがします。
実はアンコール遺跡を見学するには入場料が必要です。3日間で40$です。取り分け高価であるとは思いません。本人の写真を付けたIDカードが必要になります。至る所でそのチェックが行われます。厳密なチェックです。問題はその入場料40$の行方です。カンボジア政府の収入にはなりません。カンボジアがポルポト政権の時に、大量虐殺事件がありました。その時にベトナム政権が多くの人命等の犠牲を払いながらも、ポルポト政権を排除・打倒した歴史があります。それは奇妙な戦争でした。多分その政権の影響力がベトナムにも波及することを恐れたためのベトナムの対処であったと思います。その後の経過を見てもベトナムがカンボジアを侵略したとは思えません。しかしです。現在のカンボジア政権になった時に、その補償の一環として「アンコール遺跡入場料」の権益を完全に・独占的にベトナムが十年間に渡り取得したのです。ベトナムはその入場料を本国に送金するだけです。遺跡の修復はそれとは全く別のユネスコ国連組織が行っています。カンボジアには未だそれを修復する国力がありません。ベトナムは勿論その修復に尽力を尽くすことは全くありません。カンボジア政権にとっては、唯一の観光資源と言えます。観光資源と言うよりも、クメール人の誇るべき文化遺産です。それが外国のベトナムの手中にある訳です。現地案内人の反ベトナム感情も理解できる様な気持ちになります。
最近のパックツアーは日本人専用の土産物屋に寄るほか、それぞれの町の「市場」へ必ず案内してくれる。現地の人と交じっての買い物という訳である。と言ってもそう言う市場でも日本語が通じるから不思議である。サイゴンでの現地案内人に聞くと、「必ずしもサイゴン在住の人が買い物に来るのではない。」「地方の人が買い物に来る。」とのことである。なるほど、京都で言えば「新京極」と言う訳で、「さいら」は納得。その様な市場で、現地案内人が言うには「混雑していますので、懐中物には呉々も気を付けて下さい。」「必ず値切って下さい。」「品物は保証の限りではありません。」と言われても、やはり日本人専用の土産物屋で買うよりも楽しいのは確かである。
どちらの国もそうであったが、その市場は所謂雑貨品とか装飾品等の他に、生鮮野菜、魚介類、肉類のコーナーも有る。中国では、そこのところが違っていて、食料品と雑貨品とは全く別の建物であった。雑貨品を買うにも、その生鮮食料品コーナーを通過しなければならない。その匂いは相当なものである。魚介類と肉類の我が国での売買形態が全く違うところである。鮮度がよいのかも知れないが、どうも食欲をそそるような代物ではない。ホテルとかレストランでの食事もそう言うところで購入されたのかと思うとそれでもう食欲が減退する。と言っても、これは「さいら」以外の方々の話ではある。いずれにしてもその様な市場では活気があるのは確かである。
ベトナムとカンボジア
先週は更新をお休みしました。その間、某旅行会社のパックツアーでベトナムとカンボジアへ行ってきました。パックツアーで何時も思うことですが、皆さん旅慣れた方々ばかりです。特に今回は(と言うほど行っていませんが)彼方此方の外国へ旅行して、遂に行くところが無くなり、やむを得ずベトナムとカンボジアと言う方々が殆どで、「さいら」夫婦は些か肩身の狭い思いをしました。特に妻のパスポートは紺色の「五年」のパスポートで、約30人の中で五年のパスポートを所持しているのは妻だけでした。
ベトナムは「さいら」の世代は南ベトナム解放戦線で忘れることが出来ない国です。その後の発展振りをどうしても見たい気持ちがありました。それにカンボジアはアンコール遺跡が有名で一度は見たみたい気持ちがありました。勿論、格安であることも選択の理由の大きな要素です。二回ほど、このシリーズで感じたことを記事にしようと思います。
通貨は$がまかり通っています。旅行者はドルですと便利ですが、カンボジアでは現地の人の月給も$で支払われるとかです。しかし円は余り馴染みがないようで、土産物屋では通用しますが、小さい子供が2千円を持って「20$と交換して欲しい」と言いながら、寄ってきます。実はその日本円が本物かどうか不明ですのでレートはよいのですが、疑心暗鬼になります。ドルで支払うと、ドルまでのお釣りはドルでくれますが、それ以下の端数は現地の通貨になります。ホーチミンの飛行場での免税店では端数は現地通貨ではなくて、お菓子をお釣りの代わりにくれます。聞くところによると、現地通貨は海外持ち出し禁止になっているとかです。と言う訳ではないかも知れませんが、日本に持ち込んでも、日本円に両替は全く出来ません。
カンボジアのシェムリアップでは登録番号がついていない車が走っています。現地案内員の説明では「車が右側通行で、法令により、右ハンドルの車は登録できない。」「しかし、日本車は故障が無くて、燃費も良いために人気があって、みんな使用している。勿論、税金は支払っている。」何とも妙な話ではあります。尤もこのことはシェムリアップという地方の町での話だそうで、首都のプノンペンではそうは行かないそうです。同様のことは車の免許にも当てはまります。免許制度はありますが、別に車の免許を取らなくても格段の支障はないそうです。賄賂もごく普通のようです。これも現地案内人も全く否定しません。
入国審査の時に我々は並んで順番を待っているのですが、某国の観光グループの方々は別のルートでさっさと堂々と入国審査です。最初はVIPのお通りかと思ったのですが、よく観察している方がいて、某国の添乗員は係官にキャッシュを渡していたそうです。我が国の添乗員は勿論その様な不作法なことは一切しません。このような風景を見ると、元公務員としては、国とは何かと考え込んでしまいます。
今回のツアーの「さいら」の主な目的は「アンコール遺跡群」です。その現地案内人には驚きました。日本語が非常に上手で、諺、ダジャレを混じえながら案内します。日本人に日本語を教えることが出来る位の上手さです。通常の現地案内人は、ガイドに必要な場面だけ説明をしますが、そうではありません。彼は、バスの中でも殆ど喋り詰めです。カンボジアの現状、隣国との関係、賄賂・コネの話等々です。彼曰く「そう言うことは話してはダメなのだが、ここは日本語を理解できる人は誰もいません(ドライバーは現地の人ですが勿論日本語は話せません)。少しでも皆さんにカンボジアを理解して欲しいのです。」後半になって話すことも少なくなると、一人一人に「何かカンボジアについて、疑問とか質問はありませんか?」と聞きます。最後には我々の所望によりカンボジア民謡も歌ってくれました。学歴を聞くと、中学校しか行っていないようです。それを聞いて更に我々は驚きます。
会社の方針だと思いますが、時々彼の携帯に電話が入ります。それに対して彼は日本語で話します。確かに、彼の受け答えを聞いていると、ツアーが順調に行っているか?病人がいないか?昼食の予定計画通りか?と言うものです。これは実に感じの良いものです。「さいら」の旅行の自分への土産はその土地土地の[CD]です。それを探すときも彼は通訳と値段の交渉もしてくれます。
そのアンコール遺跡群です。本当に驚きました。完全に一つの街ではないのですが、広い平野にあっちこっちに有るのです。しかも、それも全てが廃墟になっています。人の生活の面影はあるのですが、それは面影だけです。この遺跡群は勿論地元の方々は森の中にそう言う建築物があることは知っていたそうです。しかし、残念なことですが、その重要性の認識は無かったようです。その遺跡はフランス人により世界中へ発信されました。発掘という言葉が理解できません。遺跡と言っても、ポンペイのように埋もれていたのではなくて、森の中に有ったのです。不思議な感じがします。
実はアンコール遺跡を見学するには入場料が必要です。3日間で40$です。取り分け高価であるとは思いません。本人の写真を付けたIDカードが必要になります。至る所でそのチェックが行われます。厳密なチェックです。問題はその入場料40$の行方です。カンボジア政府の収入にはなりません。カンボジアがポルポト政権の時に、大量虐殺事件がありました。その時にベトナム政権が多くの人命等の犠牲を払いながらも、ポルポト政権を排除・打倒した歴史があります。それは奇妙な戦争でした。多分その政権の影響力がベトナムにも波及することを恐れたためのベトナムの対処であったと思います。その後の経過を見てもベトナムがカンボジアを侵略したとは思えません。しかしです。現在のカンボジア政権になった時に、その補償の一環として「アンコール遺跡入場料」の権益を完全に・独占的にベトナムが十年間に渡り取得したのです。ベトナムはその入場料を本国に送金するだけです。遺跡の修復はそれとは全く別のユネスコ国連組織が行っています。カンボジアには未だそれを修復する国力がありません。ベトナムは勿論その修復に尽力を尽くすことは全くありません。カンボジア政権にとっては、唯一の観光資源と言えます。観光資源と言うよりも、クメール人の誇るべき文化遺産です。それが外国のベトナムの手中にある訳です。現地案内人の反ベトナム感情も理解できる様な気持ちになります。
最近のパックツアーは日本人専用の土産物屋に寄るほか、それぞれの町の「市場」へ必ず案内してくれる。現地の人と交じっての買い物という訳である。と言ってもそう言う市場でも日本語が通じるから不思議である。サイゴンでの現地案内人に聞くと、「必ずしもサイゴン在住の人が買い物に来るのではない。」「地方の人が買い物に来る。」とのことである。なるほど、京都で言えば「新京極」と言う訳で、「さいら」は納得。その様な市場で、現地案内人が言うには「混雑していますので、懐中物には呉々も気を付けて下さい。」「必ず値切って下さい。」「品物は保証の限りではありません。」と言われても、やはり日本人専用の土産物屋で買うよりも楽しいのは確かである。
どちらの国もそうであったが、その市場は所謂雑貨品とか装飾品等の他に、生鮮野菜、魚介類、肉類のコーナーも有る。中国では、そこのところが違っていて、食料品と雑貨品とは全く別の建物であった。雑貨品を買うにも、その生鮮食料品コーナーを通過しなければならない。その匂いは相当なものである。魚介類と肉類の我が国での売買形態が全く違うところである。鮮度がよいのかも知れないが、どうも食欲をそそるような代物ではない。ホテルとかレストランでの食事もそう言うところで購入されたのかと思うとそれでもう食欲が減退する。と言っても、これは「さいら」以外の方々の話ではある。いずれにしてもその様な市場では活気があるのは確かである。