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高齢者になっても、ヒマ・ひま・暇やはり暇

高齢者「さいら」ブログ。リタイヤーから、晴れて高齢者の仲間入り。店名をマイナーチェンジ。内容は以前と同様雑他。

*我が団地の諸事情*再掲

2008年10月30日 | 外なる話題
我が団地の諸事情

1 高台
我が団地は自治会で見ると会員所帯数が数百軒になり、規模としては大きい方である。関係する自治会は他にも3自治会がある。それらは年を置いて、開発時期の区切りと言うか宅地を売り出した時期で、それぞれの自治会があるのである。それらを合計すると約1000軒が同じグループ・同じような住環境の団地と言える。

ブログでも何回か触れているが、団地の特徴はまず、山の上にあることである。山の上と言う言い方は大袈裟過ぎると言われるが、実感としてその通りであり、初めての来客は必ず「成程、山の上と言うのは大袈裟でもない」と仰る。
もう少し詳しく言うならば、我が団地は和歌山県の和歌山市と大阪府泉南との境界付近にある。その境界は和泉山脈で、その麓に位置している。と言うことは、団地としては矢張り非常に高台にあることになる。
最寄りのJR駅へ自宅から行く時は坂を下ることになるので概ね15分。帰る時は山道を登るので概ね20数分掛かる。実際、これくらいの距離で登りと下りで5分以上の時間差が出ることは驚きである。

老人の健康には良い環境であると思っている。毎朝の散歩はほぼJR駅くらいまでの往復である。団地を抜けて少し平坦なところに出るとそこは昔からの農家の家々が並んでいる。長閑な田園風景と言える。その途中途中には、農家のための溜池がいくつかある。その溜池からそれぞれの田んぼに配水路がいくつも有る。このような風景を見ながらの散歩は行きは良い。しかし、行きは良いが帰りは相当疲れる。それでも慣れてくると、早足歩きでそれなりの負荷を心臓と肺にかけて歩くことになる。その間約40分から一時間である。その結果、今年の肺活量の検査では昨年よりも成績が良いという驚きにつながる。夏は帰ると汗びっしょりになり、シャワーは欠かせない。確かに、健康には良い。季節的には今が最高である。

しかし、この高台にあることが後々災いをもたらす。

2 店
街へのお出かけと言っても大した用事ではない。この団地周辺はその規模にかかわらず、店らしい店が全くないのである。銀行・郵便局・スーパー・コンビニ・農協・市役所の支所その他諸々の店がないのである。せめて小間物屋でもあれば、そして、少し贅沢を言えば、コンビニでもあれば随分と助かると思ってしまう。
あるのは、郵便局で言えば、ポストは有ることはある。そのポストも日に一回の午後に集める。と言うことは、差し出した郵便物はどうしても一日遅れになる。さらに、それとリンクしているのかどうか知らないが、郵便物が届くのもどうも街中よりも一日以上遅れる。配達指定日をしていない宅配便も必ず一日は遅れる。そう言うことであるので、郵便を出すのも散歩か、街へ行った時に出すことになり、ますます、そのポストの利用は少なくなり、ポスト自体もなくなるのではないかと思ってしまう。
所々に自販機は有るが、残念ながら、ジュース類とたばこの自販機だけで、アルコール類の自販機はない。実は数年前までは、アルコールを売っている店が有ったことは有ったが、それも今はない。ただその店は団地住民の間では重宝されていて、奥さんのアルバイトと言えば、それなりの儲けであったと思っている。だから、その店が無くなったのは、「流行らない」からではなくて、亭主があることに失敗して、その家を売らざるを得ないことになったと言う住民の噂である

又、「さいら」のように高齢者になると、医院がないのも先行き思いやられる。医院がないことに関連するかも知れないが、救急車の出動要請は異常に多いように思う。日に少なくても一回くらいはサイレンが鳴る。一番手っ取り早い輸送手段である。ところが、最近救急車をタクシー代わりに呼ぶのは色々と問題になって、少なくなりつつあるようだ。救急車のサイレントと防災放送があるたびに、犬の遠吠えの合唱が始まる。防災放送は時に問題があって、皆さん外へ出て、その内容を確認せざるを得ない状況である。尤も、犬の遠吠えは余りこの記事とは関係ないのであるが…。

と言う訳で、どうしても何をするにも街へ出かけなければならない。この団地の中ではごみの収集以外は何も完結しないのである。

3 原付
高台と店がないことの結果どうなるかを少し話そう。通勤で和歌山市内へ出るときはJRを利用する。皆さんこの山道を往復歩くには疲れる。それで、駅の周辺には市営のみならず、民間の駐輪場が栄えている。街へのお出かけには車か原付が必需品である。残念ながら、「さいら」も我妻も、原付には乗れない。それでやむを得ず車でお出かけになる。これからますます年老いてくるとどうなるのか心配ではある。
団地が出来た当時の話であるが、JR駅の近くにある単車販売店の原付売り上げがダントツで随分と潤ったらしい。

急な坂道のためにおおよそ自転車は役に立たない。自転車で移動出来るのは元気いっぱいの高校生ぐらいである。ママチャリなんてことは想像すらできない。行きの下り坂では、猛烈なスピードで道いっぱいで下りて行く。危ない限りである。その高校生も、登りでは自転車を押して歩くか、もう少し元気の良い高校生は道をフルに利用して、ジグザグと漕いでいる。我が娘も高校生のころは自転車通学であったが、帰りの登り坂が余りにもしんどくて途中で、腹が立ってきて、自転車を捨てて帰ってきたことがある。
大きな団地であるにも拘らず、日常生活は意外と不便である。


我が団地の諸事情(3):四季
気候は取り立てて言うほどの特徴はないが、山の中央にあることから、夏は涼しいと言うか、少しは暑さが和らぐ。勿論エアコンが不要で有るほど涼しいことはないが、我が家では来客がない限り、そのスイッチは入れない。じっと我慢であることはブログでも紹介した。耐えようとすれば耐えられる程度の夏の暑さである。

冬は温暖な和歌山市としては少々寒い。年に一度か二度氷が張ることもある。雪も何年か一回積もることがある。この雪が積もった時は大変である。「さいら」も含めて住民の方々は「雪道走行」の経験がない。経験だけでなく「雪道走行用具」を待っていない。積雪用のタイヤを履けるのはスキーの趣味がある人ぐらいである。下り坂を車で無事街まで行くことは不可能に近い。「さいら」も通勤で一度「雪道走行」を試みて、操作ができず、諦めて、砂の山へ乗りあげた。その結果、事務所に到着したのは昼ごろであって、最も遅い出勤となったこともある。それ以来雪の時はゆっくりと滑らない様に徒歩で通勤するしだいになった。

春はもう今は団地も完成して出来ないが、入居したころはご近所の方々と山桜の下で花見も出来た。少し行くと「山菜採り」が可能である。昔はご近所の方々とハイキングを兼ねて山菜採りに行ったものだが、山菜は大島の妻の里の方にはかなわない。それで最近はご無沙汰である。

時として
「蛇」が散歩していることがあることである。
公道を散歩ならまだよいが、時として
庭に迷い込む時がある。

そんな時はどこの家でも大騒動になる。

スズメバチもよく飛んでいる。
これも大空を飛んでいるだけならば
問題はないが、時々「巣」を建築する。

気づくのが遅かったり、
撤去しにくいところの場合は
市から業者を紹介して
もらわなければならない。

とまあ、四季はこんな具合である。
可もなく不可もなくの
和歌山らしい風景である。

我が団地の諸事情:中央構造線(2008年9月22日)
我が団地は高台にあることから、
洪水の心配はまずない。

孫が言うには
「じいちゃんとこが水に浸かってしまうと、和歌山は無くなってしまう。」
確かにその通りである。

眼下には有吉佐和子の小説で有名な
「紀ノ川」が流れている。
紀ノ川が氾濫したところで、
我が団地は直接の被害はない。

街へ暫くは出掛けることが出来なくなる位である。

しかし、紀ノ川に関しては大きな問題がある。

そもそも和歌山県は地震が問題である。
と言っても今巷でよく話題になり、
その対策が進んでいる
「南海地震」・「東南海地震」とはまた趣が異なる。

活断層「中央構造線」である。

九州から関東へ東西に伸びる
わが国最大の活断層の一部分が
紀ノ川周辺を通っている。

言わば我が団地は
中央構造線の直下にあると言えるのである。

和歌山市周辺は小さな地震が今頻繁に発生している。

この小さな地震が活断層のひずみエネルギーを
徐々に解放しているのか、
はたまた、
本当に活断層が活発化しているのかが
大きな問題であるが、それは、
今のところ分からない。

活断層が動きだして、
大きな地震が発生して
初めて分かることである。


この活断層が動くのは
数千年に一度のことらしいから、

この点でも大体百年に一度発生する
「南海地震」・「東南海地震」とは違っていて、
対策の方策もない。

一番手っ取り早い対策は
この団地から引っ越すことであるが
そうもいかない。

願わくば、
あと数百年は何とか
発生しないで欲しいと願うばかりである。

我が団地の諸事情(5):開発者(2008年9月25日)

我が団地の自然的な環境等を少し書いてきた。
一番の特徴は、高台にあることである。

もう一つ大きな特徴が我が団地にはある。
それは民間の会社が開発した団地であることである。

これくらいの規模になると、
わが県では市とか県が開発するのが通常である。

それはそれで地方公共団体の経営から言うと
大きな問題であるが、
わが団地は地方公共団体としては、
何ら投資をしないで
税収が見込める魅力ある団地であった。


民間の会社と言っても
大企業のデベロッパーが開発したのではない。

麹を実施するときには
多少なりとも大企業が関与していたことは間違いないが、
その母体は田舎の山持ちさんが設立した
小さな会社である。

会社と言うよりもこの開発した山林所有者が
時代の波に乗って、開発したのである。

尾根を削り、谷を埋めて、
単に宅地造成をしたものである。

宅地造成すれば必ず完売できた
今から約30年前の話である。
だから、
その地主さんは大儲けをして
さらに開発をしていったと伝えられる。

いずれにしても自転車操業と言うのか
丼勘定の会社であった。

大企業がベースになっていると、
或いは、県や市が絡んでいると
小さいながらも街としての機能も
備わっていた筈であろうと思う。

商業施設なども当初から計画されて、
もう少し快適であったとあったと思われる。

単なる宅地だけで、公共施設がない。
ここに、田舎の小さな会社が
造成した団地の特徴がある。


公共施設は小学校と中学校がある。
しかしこれは我が団地のために
最初から計画されていたのではない。

下の街で新たな用地取得が出来ないために
やむを得ずこの団地の一角に造られた。

従って、学区は下の方から繋がっていて、
ランドセルを背負った小さな子供が、
しんどそうに毎日坂道を上がってくる。
とは言え、我が団地の児童や生徒には大きなメリットではある。

再度、言っておこう。

この団地の特徴は
民間の小さな会社が開発した団地であること
高台にあること
の二つである。

我が団地の諸事情:倒産(2008年9月29日)
開発者は民間の小さな会社であることは
前の記事で述べた。

その開発会社が「倒産」したのである。

開発会社の倒産の原因は巷で言われている様に
「リゾート開発の失敗」である。

我が団地は和泉山脈に接した山であることも触れた。
開発会社は丁度リゾート開発が流行し始めた時に、
その和泉山系をリゾート開発しようとしたのである。

経営者にすればイケイケどんどんであったのであろう。

しかし、我が団地の自治会はその計画に反対した。

それは、そのリゾート地の出入り口が
我が団地のメインストリートになり、
少なくとも、今の静かな環境がおかされると言うのが
反対の理由で有った。

反対運動を抑えるために、
会社は色々とバラ色の飴玉を
自治会に示したが、

自治会の反対は僅差で通った。


しかし、倒産した理由は決して、
我が自治体の反対だけではなかった。

その開発会社が開発した最後の宅地は
その頃には、完売と言う訳にはいかなかった。

リゾート開発のための現金収入は
その最後の宅地の売却金を当てにしていた。

先行投資をリゾートのために行っていたが、
計画は崩れ始めた。

さらにそうこうしている内に、
環境保護運動も出て来て、
反対は我が自治体だけではなくなった。

その結果、
チョットした和歌山市の政治問題化した。

県の山地開発許可も直ぐにはおりなかった。

それやこれやで、
我が団地の開発会社資金繰りが悪化して倒産した。


しかし、その団地の住民にとっては、
住んでいる土地は自分のものであり、
宅地開発会社の倒産は住民の生活には
全く関係ないと考えていた。

が、
それは間違いであることに暫くして気付いた。


自治会館(2008年10月3日)

実は倒産するまでは、
宅地造成した会社の資産がどうなっているのか?
それが団地住民とどのような関係にあるのか?等は
全く無知であった。

ところが、
その倒産した会社の「破産管財人」から
自治会に諸々の説明があったらしい。

その内容を自治会から聞くと
密接に住民の生活に関係することが分かった。

その手始めは「自治会館」である。
「自治会館」は倒産した会社の所有物件で有った。

しかしその会館の利用は全くと思うのであるが、
宅地造成会社とは別であった。

光熱費は勿論自治会持ちであったし、
自治会館のカギは
自治会会長さんの管理のもとに有った。

それで、
当然私どもは自治会の所有物件だと思っていた。

所有権がどうあれ、
その会社が倒産なんてことにならなければ、
別に問題はない。


「自治会は法人ではない」ので、
勿論そのままでは、
所有権を移転する訳にはいかない。

それで、慌てて自治会の法人化が検討された。

しかし、
それも思ったよりうまくいかなかった。

破産管財人は
倒産した会社の「資産」を現金化して
最終的な清算をしなければならない。

当然、破産管財人は自治会館も
高値と言うかそれそこそこの価格で
売却しなければならない
善良な管理者としての義務がある。

自治会側は更々そんな気はない。


その内に、それ以上の問題が惹起してきた。

我が団地の諸事情:道路(1)
「我が団地の諸事情」シリーズも
随分と間が空いてしまった。
今まで記事にしたことを、
少し纏めてみると次のようである。

我が団地は民間の小さな会社が開発した団地であること。

その小さな会社が新規リゾート開発事業に失敗して、倒産したこと。

その結果として我々住民に思わぬ大きな課題がいくつか惹起したこと。

その内で、会社の所有物であった「自治会館」の扱いが問題になったこと。

大体こんなことを記事にした。


今日は「道路事情」である。
「自治会館」の問題は道路事情に比較すると
本当に小さい課題ではある。

団地の中にはメイン道路の他に幾つもの道路が通っている。

その道路は「会社の私有道路」であった。

所謂「私道」であったのである。

その私道であることは
我々住民のほとんどは知らなかったと言える。

知らないと言うか、関係ない話であった。

別に通行料を取られる訳でもないし、
その入口で別に検問が有る訳でもなかった。

「住民以外の通行お断り」なんて看板も全くない。

住民にとってその所有がどこ有るのかは
全く関心がなかったし
それで不便を感じることも全くなかった。


そして、滅多にないことであるが、
駐車違反などの交通取り締まりも行われていた。

その時に私道であると言うことを
知っていた自治会の役員さんが、
警察に抗議に行ったことがあるらしい。

「私道」で取り締まりをするなんて
もっての外であると言うのがその趣旨であった。

しかし勿論その抗議が入れられる訳はなかった。

警察に取って、市道であろうと公道であろうと
それは関係がないことである。






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