我が団地の諸事情:倒産(2008年9月29日)
開発者は民間の小さな会社であることは前の記事で述べた。開発会社が「倒産」したのである。開発会社の倒産の原因は巷で言われている様に「リゾート開発の失敗」である。
我が団地は和泉山脈に接した山であることも触れた。開発会社は丁度リゾート開発が流行し始めた時に、その和泉山系をリゾート開発しようとしたのである。経営者にすればイケイケどんどんであったのであろう。しかし、我が団地の自治会はその計画に反対した。
それは、そのリゾート地の出入り口が我が団地のメインストリートになり、少なくとも、今の静かな環境がおかされると言うのが反対の理由で有った。反対運動を抑えるために、会社は色々とバラ色の飴玉を自治会に示したが、自治会の反対は僅差で通った。
しかし、倒産した理由は決して、我が自治体の反対だけではなかった。その開発会社が開発した最後の宅地は
その頃には、完売と言う訳にはいかなかった。リゾート開発のための現金収入はその最後の宅地の売却金を当てにしていた。先行投資をリゾートのために行っていたが、計画は崩れ始めた。
さらにそうこうしている内に、環境保護運動も出て来て、反対は我が自治体だけではなくなった。
その結果、チョットした和歌山市の政治問題化した。県の山地開発許可も直ぐにはおりなかった。それやこれやで、我が団地の開発会社資金繰りが悪化して倒産した。
しかし、その団地の住民にとっては、住んでいる土地は自分のものであり、宅地開発会社の倒産は住民の生活には全く関係ないと考えていた。が、それは間違いであることに暫くして気付いた。
自治会館(2008年10月3日)
実は倒産するまでは、宅地造成した会社の資産がどうなっているのか?それが団地住民とどのような関係にあるのか?等は全く無知であった。ところが、その倒産した会社の「破産管財人」から自治会に諸々の説明があったらしい。
その内容を自治会から聞くと密接に住民の生活に関係することが分かった。その手始めは「自治会館」である。
「自治会館」は倒産した会社の所有物件で有った。しかしその会館の利用は全くと思うのであるが、宅地造成会社とは別であった。光熱費は勿論自治会持ちであったし、自治会館のカギは自治会会長さんの管理のもとに有った。それで、当然私どもは自治会の所有物件だと思っていた。所有権がどうあれ、その会社が倒産なんてことにならなければ、別に問題はない。
「自治会は法人ではない」ので、勿論そのままでは、所有権を移転する訳にはいかない。それで、慌てて自治会の法人化が検討された。しかし、それも思ったよりうまくいかなかった。
破産管財人は倒産した会社の「資産」を現金化して最終的な清算をしなければならない。当然、破産管財人は自治会館も高値と言うかそれそこそこの価格で売却しなければならない善良な管理者としての義務がある。自治会側は更々そんな気はない。その内に、それ以上の問題が惹起してきた。
我が団地の諸事情:道路(1)
「我が団地の諸事情」シリーズも随分と間が空いてしまった。今まで記事にしたことを、少し纏めてみると次のようである。我が団地は民間の小さな会社が開発した団地であること。その小さな会社が新規リゾート開発事業に失敗して、倒産したこと。その結果として我々住民に思わぬ大きな課題がいくつか惹起したこと。その内で、会社の所有物であった「自治会館」の扱いが問題になったこと。大体こんなことを記事にした。
今日は「道路事情」である。「自治会館」の問題は道路事情に比較すると本当に小さい課題ではある。団地の中にはメイン道路の他に幾つもの道路が通っている。その道路は「会社の私有道路」であった。所謂「私道」であったのである。その私道であることは我々住民のほとんどは知らなかったと言える。知らないと言うか、関係ない話であった。別に通行料を取られる訳でもないし、その入口で別に検問が有る訳でもなかった。「住民以外の通行お断り」なんて看板も全くない。住民にとってその所有がどこ有るのかは全く関心がなかったし、それで不便を感じることも全くなかった。
そして、滅多にないことであるが、駐車違反などの交通取り締まりも行われていた。その時に私道であると言うことを知っていた自治会の役員さんが、警察に抗議に行ったことがあるらしい。「私道」で取り締まりをするなんてもっての外であると言うのがその趣旨であった。しかし勿論その抗議が入れられる訳はなかった。警察に取って、私道であろうと公道であろうとそれは関係がないことである。
我が団地の諸事情:道路(2)
道路の補修はそう言えば確かに、市が行うのではなくて、その会社が行っていた。住民が間違って「市」へ補修をお願いすると、それは会社に言って下さいなんてことも有ったらしい。と言っても、団地が出来てそう間もない頃にはいくら雑な工事であっても補修をしなければならないことは余りなかった。
団地開発会社が倒産して見ると、会社から見るとその団地に張り巡らした道路は「貴重な財産」であった。その貴重な財産である会社が作り、今も所有している道路を善意の管財人として何らかの処分益を期待するのも当然であった。と言っても、その道路を今さらながらに、住民が買い取ることは理屈に合う筈もない。住民が買い取っても転売する方もない。その開発会社から住民が宅地を購入したその時の「土地価格」には当然その「私道」の費用も入っている。たとえ無償で住民に移管されたとしても後々の維持コストを考えると出来ない相談である。又、債権者もその「私道」を引き受けることなんて話は全くない。引き受けたところで、これまた、後々のランニングコストは目に見えているし、今さら有料になんてことも出来る筈がない。
と言う訳で、詳しくは知らないが、管財人と自治会と市との間で延々と会議が持たれたらしい。市に取ってもいくら会社が窮地に立たされているとしても有償で購入するなんてことは出来ない相談であった。行きつくところは結局のところ「市」への移管で有って、「市は無償でならば」嫌々ながら住民の生活を考えると止むを得ないと考えざるを得なかった。団地が出来て、30年、しかも山を切り開いた団地の道路は最近あっちこっちで補修が必要となってきている。市にとってはこれからの維持管理はお荷物になることは確かであるが、我々善良な住民は市民税を払い、都市計画税を払い、固定資産税を払っている。そう考えると我が団地住民は今までそれに見合う市の恩恵を何ら受けていないことになる。
我が団地の諸事情:道路(3)
と言う訳で、晴れて、我が団地内の全ての道路は最終的に市の道路になることになった。倒産した会社と市との間でどの様なやり取りの結果そうなったのか、有償で有ったのか無償で有ったのかも知らないが、多分無償で有ったのであろう。今年の初めころから、その移管手続きが行われた。住民は当然のことながら、自分の負担さえなければ、市への移管に何ら異論が有る筈がない。これではじめて、市の恩恵を少しながら、そして、ようやく
享受できるのであるから。
しかし、その作業を見ていると大変である。市は多分倒産した会社から、詳細な道路地図と言うか、公図の様なものを入手したのであろう。それを元にして、市は道路の再測量を行った。その詳細図に基づいて、住民の同意を得る必要があるようだ。我々住民は宅地購入の時に、そのような面倒なことを一々会社と行った訳ではない。
自分の宅地さえ確定すれば良いのであるし、誰が見ても、宅地と道路の境界は明白である。市の管理と言うことになるとそうもいかないようだ。責任分野を住民の同意のもとで、お互いに確認する必要がある。角々では実に微妙なところもあるようだ。
宅地と道路の境界については、測量をしていく。その測量に住民の立ち合いを求め、住民の同意が得られると、目印の標識を埋め込んでいく。この作業は思ったよりも大変であった。「さいら」のようにいつでも自宅待機とはいかないのである。住民によっては、土地だけ購入して、まだ住んでいない方もおられる。だから、今わが団地の角々には市の埋めた標識が新たに見られることになった。もともと住民にとっては明らかな損得は境界決定にないことであるので、手間では有るが、その境界に反対する住民は多分いないであろう。しかし、役所としては、そこの辺りをきっちりとして置かなければならないようだ。
と言うことで、道路の問題は一応の終結を迎えつつある。晴れて、住民は道路の補修などは市へお願いすることになる。宅地造成会社の倒産の事態は自治会役員さんの苦労は大変であったが、ある意味では住民懸案が一つ解消されたことになる。残るは最も生活に関係する水事情であるがそれは、数日時間を置いて記事にしようと思う。
開発者は民間の小さな会社であることは前の記事で述べた。開発会社が「倒産」したのである。開発会社の倒産の原因は巷で言われている様に「リゾート開発の失敗」である。
我が団地は和泉山脈に接した山であることも触れた。開発会社は丁度リゾート開発が流行し始めた時に、その和泉山系をリゾート開発しようとしたのである。経営者にすればイケイケどんどんであったのであろう。しかし、我が団地の自治会はその計画に反対した。
それは、そのリゾート地の出入り口が我が団地のメインストリートになり、少なくとも、今の静かな環境がおかされると言うのが反対の理由で有った。反対運動を抑えるために、会社は色々とバラ色の飴玉を自治会に示したが、自治会の反対は僅差で通った。
しかし、倒産した理由は決して、我が自治体の反対だけではなかった。その開発会社が開発した最後の宅地は
その頃には、完売と言う訳にはいかなかった。リゾート開発のための現金収入はその最後の宅地の売却金を当てにしていた。先行投資をリゾートのために行っていたが、計画は崩れ始めた。
さらにそうこうしている内に、環境保護運動も出て来て、反対は我が自治体だけではなくなった。
その結果、チョットした和歌山市の政治問題化した。県の山地開発許可も直ぐにはおりなかった。それやこれやで、我が団地の開発会社資金繰りが悪化して倒産した。
しかし、その団地の住民にとっては、住んでいる土地は自分のものであり、宅地開発会社の倒産は住民の生活には全く関係ないと考えていた。が、それは間違いであることに暫くして気付いた。
自治会館(2008年10月3日)
実は倒産するまでは、宅地造成した会社の資産がどうなっているのか?それが団地住民とどのような関係にあるのか?等は全く無知であった。ところが、その倒産した会社の「破産管財人」から自治会に諸々の説明があったらしい。
その内容を自治会から聞くと密接に住民の生活に関係することが分かった。その手始めは「自治会館」である。
「自治会館」は倒産した会社の所有物件で有った。しかしその会館の利用は全くと思うのであるが、宅地造成会社とは別であった。光熱費は勿論自治会持ちであったし、自治会館のカギは自治会会長さんの管理のもとに有った。それで、当然私どもは自治会の所有物件だと思っていた。所有権がどうあれ、その会社が倒産なんてことにならなければ、別に問題はない。
「自治会は法人ではない」ので、勿論そのままでは、所有権を移転する訳にはいかない。それで、慌てて自治会の法人化が検討された。しかし、それも思ったよりうまくいかなかった。
破産管財人は倒産した会社の「資産」を現金化して最終的な清算をしなければならない。当然、破産管財人は自治会館も高値と言うかそれそこそこの価格で売却しなければならない善良な管理者としての義務がある。自治会側は更々そんな気はない。その内に、それ以上の問題が惹起してきた。
我が団地の諸事情:道路(1)
「我が団地の諸事情」シリーズも随分と間が空いてしまった。今まで記事にしたことを、少し纏めてみると次のようである。我が団地は民間の小さな会社が開発した団地であること。その小さな会社が新規リゾート開発事業に失敗して、倒産したこと。その結果として我々住民に思わぬ大きな課題がいくつか惹起したこと。その内で、会社の所有物であった「自治会館」の扱いが問題になったこと。大体こんなことを記事にした。
今日は「道路事情」である。「自治会館」の問題は道路事情に比較すると本当に小さい課題ではある。団地の中にはメイン道路の他に幾つもの道路が通っている。その道路は「会社の私有道路」であった。所謂「私道」であったのである。その私道であることは我々住民のほとんどは知らなかったと言える。知らないと言うか、関係ない話であった。別に通行料を取られる訳でもないし、その入口で別に検問が有る訳でもなかった。「住民以外の通行お断り」なんて看板も全くない。住民にとってその所有がどこ有るのかは全く関心がなかったし、それで不便を感じることも全くなかった。
そして、滅多にないことであるが、駐車違反などの交通取り締まりも行われていた。その時に私道であると言うことを知っていた自治会の役員さんが、警察に抗議に行ったことがあるらしい。「私道」で取り締まりをするなんてもっての外であると言うのがその趣旨であった。しかし勿論その抗議が入れられる訳はなかった。警察に取って、私道であろうと公道であろうとそれは関係がないことである。
我が団地の諸事情:道路(2)
道路の補修はそう言えば確かに、市が行うのではなくて、その会社が行っていた。住民が間違って「市」へ補修をお願いすると、それは会社に言って下さいなんてことも有ったらしい。と言っても、団地が出来てそう間もない頃にはいくら雑な工事であっても補修をしなければならないことは余りなかった。
団地開発会社が倒産して見ると、会社から見るとその団地に張り巡らした道路は「貴重な財産」であった。その貴重な財産である会社が作り、今も所有している道路を善意の管財人として何らかの処分益を期待するのも当然であった。と言っても、その道路を今さらながらに、住民が買い取ることは理屈に合う筈もない。住民が買い取っても転売する方もない。その開発会社から住民が宅地を購入したその時の「土地価格」には当然その「私道」の費用も入っている。たとえ無償で住民に移管されたとしても後々の維持コストを考えると出来ない相談である。又、債権者もその「私道」を引き受けることなんて話は全くない。引き受けたところで、これまた、後々のランニングコストは目に見えているし、今さら有料になんてことも出来る筈がない。
と言う訳で、詳しくは知らないが、管財人と自治会と市との間で延々と会議が持たれたらしい。市に取ってもいくら会社が窮地に立たされているとしても有償で購入するなんてことは出来ない相談であった。行きつくところは結局のところ「市」への移管で有って、「市は無償でならば」嫌々ながら住民の生活を考えると止むを得ないと考えざるを得なかった。団地が出来て、30年、しかも山を切り開いた団地の道路は最近あっちこっちで補修が必要となってきている。市にとってはこれからの維持管理はお荷物になることは確かであるが、我々善良な住民は市民税を払い、都市計画税を払い、固定資産税を払っている。そう考えると我が団地住民は今までそれに見合う市の恩恵を何ら受けていないことになる。
我が団地の諸事情:道路(3)
と言う訳で、晴れて、我が団地内の全ての道路は最終的に市の道路になることになった。倒産した会社と市との間でどの様なやり取りの結果そうなったのか、有償で有ったのか無償で有ったのかも知らないが、多分無償で有ったのであろう。今年の初めころから、その移管手続きが行われた。住民は当然のことながら、自分の負担さえなければ、市への移管に何ら異論が有る筈がない。これではじめて、市の恩恵を少しながら、そして、ようやく
享受できるのであるから。
しかし、その作業を見ていると大変である。市は多分倒産した会社から、詳細な道路地図と言うか、公図の様なものを入手したのであろう。それを元にして、市は道路の再測量を行った。その詳細図に基づいて、住民の同意を得る必要があるようだ。我々住民は宅地購入の時に、そのような面倒なことを一々会社と行った訳ではない。
自分の宅地さえ確定すれば良いのであるし、誰が見ても、宅地と道路の境界は明白である。市の管理と言うことになるとそうもいかないようだ。責任分野を住民の同意のもとで、お互いに確認する必要がある。角々では実に微妙なところもあるようだ。
宅地と道路の境界については、測量をしていく。その測量に住民の立ち合いを求め、住民の同意が得られると、目印の標識を埋め込んでいく。この作業は思ったよりも大変であった。「さいら」のようにいつでも自宅待機とはいかないのである。住民によっては、土地だけ購入して、まだ住んでいない方もおられる。だから、今わが団地の角々には市の埋めた標識が新たに見られることになった。もともと住民にとっては明らかな損得は境界決定にないことであるので、手間では有るが、その境界に反対する住民は多分いないであろう。しかし、役所としては、そこの辺りをきっちりとして置かなければならないようだ。
と言うことで、道路の問題は一応の終結を迎えつつある。晴れて、住民は道路の補修などは市へお願いすることになる。宅地造成会社の倒産の事態は自治会役員さんの苦労は大変であったが、ある意味では住民懸案が一つ解消されたことになる。残るは最も生活に関係する水事情であるがそれは、数日時間を置いて記事にしようと思う。