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高齢者になっても、ヒマ・ひま・暇やはり暇

高齢者「さいら」ブログ。リタイヤーから、晴れて高齢者の仲間入り。店名をマイナーチェンジ。内容は以前と同様雑他。

クリスマス

2006年12月24日 | 今日の話題
「クリスマス」(2005年12月26日)
 「さいら」の世代の日本人にはその「発音」が難しい。最近何かで見たこと。略して書く場合は“Xmas”が正しいとか。何故我が国で、クリスマスを祝うのか、不思議な気もするが、最近は板に付いてきた様に思える。
 昔の風景。あっちこっちのバーとかのクリスマスパーティ券が氾濫、馴染みの店は勿論そうでない店から「せめてクリスマスぐらいは」なんて言われてあちらを立てればこちらが立たず。で、やむを得ず全てを買う先輩がいてそのお零れ頂戴い。その夜の街の中は赤や青や黄色の三角帽子が酔いに連れてユラユラ。
 しかし、クリスマスはお父さんだけの日ではないはずと考えた人もいた。やはりその頃の話。クリスマスケーキ。これも彼方此方のケーキ屋なら未だ良いが、饅頭屋まで予約合戦。当日はと言うとターミナルでケーキの販売合戦。お陰で、何個かの大きいケーキを前にして家族は四苦八苦。それも相当前もって作るらしく防腐剤の味も混じっている。この時ばかりは少なくて良いから美味しいケーキを。
 それらを思うと最近は本当に落ち着いた。各家庭、お友達、近所の方で自家製かどうかは別にしてケーキを。少々の丁寧な料理。ワインなども少々。時には、クリスマスのCD。子供にはプレゼントを。クリスマスは「品物」。お正月は「キャッシュ」。ものの見事な使い分け。子供にとっては「プレお正月」。
 何処か何時もと違う特別な日。日本人らしく消化したと言うか、アレンジしたと言うか。落ち着いて来て、板に付いた特別な日になった。
 しかし「さいら」は高校時代のキャンドルサービス付きのクリスマスミサが忘れられない。と言っても「さいら」はクリスチャンではない。宗教に関しては無頓着な日本人の一人である。


妻のポイント集め(2006年12月10日)
 軽い話題を一つ。軽い話題となるといつも「妻」のことであるが、体重はなるほど軽いが、決して、いつもいつも、「考え」が軽いのではない。
 最近妻は或るスーパーのポイントにご執心であった。食料品等日常品はいつも購入する所が定まっていない。生協の配達有り、スーパーは近くに2軒有り、他に「のら工房」とかの農協系も有り、街へ行ったついでもある。要は自分の好みの店で購入しているらしい。と言うよりは、あっちこっち渡り歩いて買うのが趣味である。それに、これが一番大きな理由であるが、年金暮らしで、日々困窮ながら、健康な老後生活のことを思ってのことである。
 それなのに、或るスーパーのポイントにご執心なのである。何故かというと、そのスーパーでポイントを集めると、クリスマスケーキが貰える「期間限定ポイント」が理由であった。「期間限定」だけ有って、一回の買い物が一定金額以上でないとスタンプを押して貰えないそうだ。昨年はそんなことを知らなかったらしい。昨年のクリスマスに隣のご婦人からその「期限付きポイントサービス」の「クリスマスケーキ」のお裾分けを頂いた。多分「さいら」もその恩恵に与ったのであろうが、その味は覚えていない。妻が言うには「非常に美味であった。」と。それで来年は、何としてもそのクリスマスケーキをゲットしようと思ったそうだ。
 お陰様で、自宅にはアルコール類の溜め置きがえらく増えた。もっとも、妻が言うには「年始用」だそうだ。しかし、年始までには未だ未だ日がある。

クリスマスケーキ(2006年12月24日)
 「妻のポイント集め」で記事にした問題のクリスマスケーキである。昨日、隣の奥さんと妻が「連れ持て」貰いに行って来た。九時開店のスーパーに九時出発。二人とも暇と言うか、執念深いと言うか。貰うべきものは貰わないと落ち着かない様子。
 イブに未だ少し早いが三時に早速試食。「ポイント景品」にしては「まずまず」である。文句は言えない。妻の仲良しグループはもう一軒ある。その方に、クリスマスケーキお裾分け相談の二人の会話。妻:「私とこのを半分持って行こう。二人やから。」隣の奥様:「いえ、私とこのを。家も二人やから。」妻:「どうして?」隣の奥様:「「さいら」さんとこは、二人とも大食いでしょう?」妻:「納得。納得。」妻の名誉のために一言。妻は決して「大食い」ではありません。「さいら」が「大食い」なのです。そして、隣のご夫婦はお二人とも確かに「少食」なのです。

クリスマス
 いつ頃からだろう?何処の家でもクリスマスケーキを食べる様になったのは。クリスマスが日本でポピュラーになった頃、近くの洋菓子屋と言うか、お菓子屋はクリスマスケーキの予約を取るのに忙しかった。随分と前から作り、冷蔵保存するのであろう。決して美味しくはなかった。ショートケーキの方が美味しかった。
 又、クリスマスはお父さんのクリスマスでもあった。職場へはバーとかスナックのママ、交際の広い方にはキャバレーのチーママがパーティ券の売却に熱心であった。
帰る時には、ターミナル周辺には「とんがり帽子」を頭に乗せたほろ酔いかげんのお父さんが徘徊していた。家庭のクリスマスか、お父さんのクリスマスか、その争奪戦が繰り広げられた。それでも感心なことに子供のためのプレゼントはどちらの場合も忘れられることはなかった。我が国では「お年玉」が間近に迫っているというのに。
 日本人は楽しむことに熱心で、その宗教性は実に大らかである。決して「メリー クリスマス」なんて思っても居ない。「クリスマス ミサ」に行くこともない。実に不思議な感じがすると共に、高校生の頃厳粛な一時であった「クリスマス ミサ」が思い出される。
 今晩は旧友と久し振りの「飲み会」。決して、クリスマスの飲み会ではない。この時期、我が国ではもう一つ重要な行事「忘年会」のシーズンでもある。と言う訳で、今日は早めの更新です。

ハッピー ホリデー
 クリスマスの話題の仕上げ。この時期、米国では休日となり、クリスマスプレゼントで物が最も売れる時期である。その動向は株価にも影響が出る。幸い、クリスマス商戦は好調の様であった。
 昨日のニュースで米国のクリスマス事情が報じられていた。このシーズンの百貨店等のお客様への挨拶は「メリー クリスマス」が通り相場であった。ところが最近では、「ハッピー ホリデー」。これは民族の坩堝である米国では市民全てがクリスチャンではない。他の宗教を信じる市民も多い。宗教色の濃い「メリー クリスマス」は使わないのが時代の流れだという。米国市民・企業は多民族国家のためにそう言う所にも気遣いをする。
 それにしても、米国政府のイスラム教に対する頑なな態度は何だろうと大上段に振りかざしてみたくなる。


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