すき焼き(2):手が掛からないメニュー
父親が「今日はすき焼き」というのは、
決して母親の料理作りの手助けではない。
今思えば、京都は
母親が余り料理はしない土地柄であった。
土地柄と言えば
語弊が有るかも知れないが、
今もそう思う。
例えば朝の漬物などは
その日の朝に買いに行く。
勿論、母親が買いに行くのではない。
幼子の私の毎日の役目であった。
漬物屋と言うか総菜屋と言うか
季節ごとにいろんな種類の漬物が置いてある。
夕食で魚の場合を考えてみよう。
一番手抜きする方法は
仕出し屋風の魚屋を
利用することである。
そうすれば、
立派な器付きで配達してくれる。
その分高価なので
毎日と言う訳には
もちろん行かない。
そこまでは行かなくても、
焼き魚・刺身は調理してから売っている。
今流のスーパーと同じである。
その点では進んでいるのであろう。
だから母親が魚を
さばくなんて風景は見たことがない。
味噌汁も我が家では余りしない。
汁系は「すまし汁」である。
とは言え
ここも不思議と言えば不思議であるが、
正月の雑煮だけは
「白みそ仕立て」で決して
関東流の「すまし」ではない。
どこか逆なのである。
父親が「今日はすき焼き」というのは、
決して母親の料理作りの手助けではない。
今思えば、京都は
母親が余り料理はしない土地柄であった。
土地柄と言えば
語弊が有るかも知れないが、
今もそう思う。
例えば朝の漬物などは
その日の朝に買いに行く。
勿論、母親が買いに行くのではない。
幼子の私の毎日の役目であった。
漬物屋と言うか総菜屋と言うか
季節ごとにいろんな種類の漬物が置いてある。
夕食で魚の場合を考えてみよう。
一番手抜きする方法は
仕出し屋風の魚屋を
利用することである。
そうすれば、
立派な器付きで配達してくれる。
その分高価なので
毎日と言う訳には
もちろん行かない。
そこまでは行かなくても、
焼き魚・刺身は調理してから売っている。
今流のスーパーと同じである。
その点では進んでいるのであろう。
だから母親が魚を
さばくなんて風景は見たことがない。
味噌汁も我が家では余りしない。
汁系は「すまし汁」である。
とは言え
ここも不思議と言えば不思議であるが、
正月の雑煮だけは
「白みそ仕立て」で決して
関東流の「すまし」ではない。
どこか逆なのである。