?書?を三つ(その1)
最初の写真は、某国での乗り換えの待合室の掲示板である。字が下手な「さいら」もさすがにこの掲示板を見た時には驚き、思わず写真を撮った。英語は非常にキチンとした文字である。それに比較するとこの漢字は??と思ってしまう。漢字を全く知らない人がお手本を横に置いて苦労して作成したものであろう。そう思えば納得出来る。
しかし嘆いてはダメである。こんな異国で日本語と英語で表示されていることに日本人として喜ばなければならない。意味も十分に分かるのであるから。

?書?を三つ(その2)
この掲示板は某国のある観光地の掲示板である。

日本語がハッキリと写っていないのでそこを取り出すとこのイメージである。

前の掲示板と違って、これは「さいら」はこれほど上手に書くことは出来ない。さすが日本との友好親善がある国と感心する。その国に入国する時に日本語で話し掛けてくれた入管担当官を思い出す。そして、前の記事と同様、日本人として喜ばなければならない。さすがに日本と親善が深い国であることを。不思議に思うのであるが、どちらもハングルの表示がない。最近何処へ行っても韓国の観光客が多い。そして、ハングルの表示が日本語表示よりも一般的である。
その国でも日本の観光客よりも韓国観光客の方が確かに多い。特にその時感じたのであるが、非常に感じの良い韓国の観光客だった。次ぎに行くことが有れば、キッとハングルの表示が日本語の表示に取って代わっているのではないかと思ってしまう。それが、海外の観光地だけであれば良いのであるが、今や我が国は全て韓国に取って代わる時代になりつつあるのではないかと思ってしまう。勢いが違う様に思ってしまう。
?書?を三つ(その3)
「?書?を三つ」の最後は真面目な話題である。

これは或るモスクに掲げられていた額の「書」である。何処へ行っても、このような「額」がモスクに掲げられている。字はアラビア文字だそうだ。実際、アラビア文字はどことなくデザイン化されている様に何時も思ってしまう。意味は全く分からないが、どことなく日本の「書」と似ている様に思う。その額も含めての話であるが。
どういう筆で書いたのか?どのような紙に書いたのか?日本と同じ様に「書の先生」がいるのか?等々非常に興味がある。まさか、看板屋がなぞりながら書いたものではない様に思う。誰かご存じの方がおられたら、是非教えて欲しい。
番外:富士山
学生時代に一度富士山に登ったことがある。上りは登るだけ、下りは下るだけ。途中雨に降られて実に面白くない山であった。それ以降富士山の思い出は、遙か洋上から、富士山を見たことが印象に残っている。富士山の頂上付近だけが見えるのである。地球が丸いとは言わないが、決して水平線が何処までも続いているのではないことを実感した。
成田経由関空行きの国際線は、成田で一端降りて、入国はなかったが、手荷物全て再検査。同じ飛行機であるにもかかわらず座席も新しく変わる。大袈裟なと思った。何とも草臥れた経由便であった。写真はその様な時に見えた富士山であったので、特に印象に残っている。

最初の写真は、某国での乗り換えの待合室の掲示板である。字が下手な「さいら」もさすがにこの掲示板を見た時には驚き、思わず写真を撮った。英語は非常にキチンとした文字である。それに比較するとこの漢字は??と思ってしまう。漢字を全く知らない人がお手本を横に置いて苦労して作成したものであろう。そう思えば納得出来る。
しかし嘆いてはダメである。こんな異国で日本語と英語で表示されていることに日本人として喜ばなければならない。意味も十分に分かるのであるから。

?書?を三つ(その2)
この掲示板は某国のある観光地の掲示板である。

日本語がハッキリと写っていないのでそこを取り出すとこのイメージである。

前の掲示板と違って、これは「さいら」はこれほど上手に書くことは出来ない。さすが日本との友好親善がある国と感心する。その国に入国する時に日本語で話し掛けてくれた入管担当官を思い出す。そして、前の記事と同様、日本人として喜ばなければならない。さすがに日本と親善が深い国であることを。不思議に思うのであるが、どちらもハングルの表示がない。最近何処へ行っても韓国の観光客が多い。そして、ハングルの表示が日本語表示よりも一般的である。
その国でも日本の観光客よりも韓国観光客の方が確かに多い。特にその時感じたのであるが、非常に感じの良い韓国の観光客だった。次ぎに行くことが有れば、キッとハングルの表示が日本語の表示に取って代わっているのではないかと思ってしまう。それが、海外の観光地だけであれば良いのであるが、今や我が国は全て韓国に取って代わる時代になりつつあるのではないかと思ってしまう。勢いが違う様に思ってしまう。
?書?を三つ(その3)
「?書?を三つ」の最後は真面目な話題である。

これは或るモスクに掲げられていた額の「書」である。何処へ行っても、このような「額」がモスクに掲げられている。字はアラビア文字だそうだ。実際、アラビア文字はどことなくデザイン化されている様に何時も思ってしまう。意味は全く分からないが、どことなく日本の「書」と似ている様に思う。その額も含めての話であるが。
どういう筆で書いたのか?どのような紙に書いたのか?日本と同じ様に「書の先生」がいるのか?等々非常に興味がある。まさか、看板屋がなぞりながら書いたものではない様に思う。誰かご存じの方がおられたら、是非教えて欲しい。
番外:富士山
学生時代に一度富士山に登ったことがある。上りは登るだけ、下りは下るだけ。途中雨に降られて実に面白くない山であった。それ以降富士山の思い出は、遙か洋上から、富士山を見たことが印象に残っている。富士山の頂上付近だけが見えるのである。地球が丸いとは言わないが、決して水平線が何処までも続いているのではないことを実感した。
成田経由関空行きの国際線は、成田で一端降りて、入国はなかったが、手荷物全て再検査。同じ飛行機であるにもかかわらず座席も新しく変わる。大袈裟なと思った。何とも草臥れた経由便であった。写真はその様な時に見えた富士山であったので、特に印象に残っている。
