1999年、私の中国山東省(18)訪問の先々で(4)
魚病対策
その設備を見ても養殖研究所の方は、山東省の病害防除センター(農林水産関係の共同利用施設のようです。)が付属しています。
魚病といえば、山東省では、大正エビ(正確かどうかは分かりません。)の養殖が、日本と同様、数年前に病気で、壊滅的な被害を受けて、その被害から未だ立ち直っていません。生産は新しい漁場を開発することで維持されています。このような事態が病害防除センター設立の大きな要因となったようです。余談ですが、その病気のオリジンの話です。具体的な国名は言いませんが、中国では、北から来たことになっており、日本では南から来たことになっていて、お互いにかなりの愛国心を発揮しています。
このセンターには、この1,2年間に集中投資をした新しい色々な備品が各研究室に納められています。新品の備品が入っている部屋が幾つもあり殆どフロアーを占拠している状況です。備品そのものは日本の水産試験場では標準的なもののように見受けました。当然、メイド イン ジャパンも多くありました。しかし、どうも備品を早く整備しすぎたのか、これも日本でよく聞く話ですが、それを活用する人材は未だ不足しているようで、フル稼働と言う訳ではなさそうでした。
海洋水産研究所
一方、海洋水産研究所では、昔、数隻あった漁業・海洋調査船は現在では1隻もないとのことです。ですから、これっと言った見るものがありませんでした。この話は水産試験場時代に代船建造に従事し、更にNOAAの受信設備が整備され漁船漁業振興の武器になっていることを考えると非常にショックな話でした。
ここでも、先に述べたように、漁船漁業に対する投資と養殖業へとの投資のスタンスの違いが明白です。
教育機関
更に、教育機関を見ますと、青島の海洋大学での施設を訪問しました。建物は確かに風格はありますが、古く、中の施設も当時としては確かに誇れるような施設、例えば、風と波を同時に起こして波の挙動を研究する大型の模型水路実験施設がありました。しかし、最近は補修されていない様子で、現在ではこのような施設には必要と思われる電算機も付属していません。
一方、中級水産技術者を養成する「水産専門学校」では、海洋学院と併設されていることもあるのでしょうが、標本も整備されており、語学教室、パソコン実習室には、1クラス全員が使用できる、最新の設備が整えられています。他の設備も新しく、計画的に更新されているように見受けられ、昔のソ連製の設備は確か一つだけであったように記憶しています。
現場主義
このような状況は、海洋研究所でのドクターの数が極端に少ないことにも現れています。100人ほどの研究者のうちドクターを持っているのは数人のようです。省」が日本で言えば「国」に該当するイメージが漸く板についた私から見るとこの話は以外でした。
所長曰く「水産研究所にはドクターは要らない。」「現場を指導する人材が必要である。」と。人材育成の投資も、基礎への投資よりも即戦力への投資と言う傾斜がはっきりと見られます。
1999年、私の中国山東省(19)訪問の先々で(5)
傾斜投資
このような事態は中国全体で今起こっていることと思います。政策の一つとして、このような傾斜投資は、戦後の日本でも西欧に再び追いつくために行なわれ、実績を持っているのですが、我々が見てきた水産関係の分野でもこの政策を端的且つ明確に表現しているように見えました。しかし傾斜投資は、製鉄、電気、石炭等基幹産業への計画的傾斜投資と言う本来の意味から見ると中国では少し外れている様にも見えます。ですから、今のその傾斜投資政策によって必ず出て来る「格差」を将来どこかで是正する必要が国として出てくるでしょう。その時に困難な状況が生まれなければ良いが、と訪問を終えた今考えています。
サイドビズネス
行政機関の場合どのように改革開放が現れているのか?それが改革開放になるのか?もう少し、見てみます。少し理屈っぽい話が続きますが、ある公務員の名刺には肩書きが3つあり、その肩書きの一つに会社の顧問がありました。その方はそれぞれから報酬を得ているとのことです。本来所属している部署からの給料は少ないと聞きました。又、会社からその部署へ応分の資金援助をしているとも聞きました。
これに似た事例は、行く先々で聞きます。「この会社は私の課が経営している会社です。」「私の課はこのような会社をいくつか持っています。」「未だありませんが、会社を作るのを検討しています。」等等です。
泰山を観光したとき、その山頂に測候所があります。測候所は中国では珍しく、軍と同様に省とは関係なく管理が行なわれている国の一元的管理機関の一つです。業務用のアンテナがいくつも立っています。その建物の壁に、赤い看板がかかっています。それはホテルの看板です。実のところ、そのような機関である測候所がホテルを経営しているのです。
このような話は私どもには理解しがたいのですが、中国では極々一般的な話です。公務員にはサイドビジネスが許されているように見えるのです。
それは、単に構成員の公務員だけではなくて、県や市の各部局が、組織として儲かる会社を持っている。或いは持つことに熱心であるのです。公務員の月給は800元が基準(なぜ800元なのかは理由があるのですが、少し生々しすぎる話です)。その会社経営の成果ですが、ある課が儲かる会社を持っているかどうかで、その課とあの課の職員の実質給料等が異なる。その異なる部分は外からははっきりとは見えない。もっと儲かる会社を持っている課では、いよいよ外から見えるようになりそれは困るので、高級品を現物で支給する。そのために、儲かる公務機関の職員は、「冷凍庫」が必需品となる。これが家に冷凍庫がある理由です。さらに曰く、「私どもの職場も冷凍庫は必需品です」という職場がそこ、ここにありそうです。
1999年、私の中国山東省(20)訪問の先々で(6)
日本の事情
県で少し考えてみます。例えば、「県栽培漁業協会」と言う財団法人があります。確かに、県は技術者を数名派遣し、補助金もかなり支出しています。言わば県が実態的に経営していると言える状況です。これは政策遂行上種苗生産することが必要であるが、栽培漁業での種苗生産は少なくとも現在はペイする業務ではない。ペイしない間は、だから、県が経営せざるを得ない。栽培漁業協会が儲けて、その利益の一部分を県職員に還元するために経営しているのではないのです。全くどこかが違う話となります。と当時書いたのですが、実は、この協会は退職者の再就職先の機能も持っています。今我が国では、そう言う点すら厳しく批判されています。
公的権限と経済事業
又違う例を考えてみます。例えば、公的権限を持っている水産課が「鮮魚小売業」を経営すると想定します。公的権限によって、同様の他の業者を排他することが出来ます。これは必ず儲かります。公的権限を利用して、他の仲買人よりも魚を漁業者から安く買うことも出来ます。流通制限を指導することにより、品薄にして魚を高く売ることも出来ます。このような場合は必ず超過利潤を得ることが出来るのです。競争がフェアーでないのです。公務員が金儲けが下手であることを考慮しても、日本ではこのようなことは決して許される話ではないのです。これが資本主義の骨格である自由経済の基本ルールというものです。公的権限を持っている者・機関は、高度に公共性がある場合を除いて経済事業を出来ない。これが大原則です。
再度サイドビズネス
この一連の今、中国で行なわれている話はどうも私には理解できません。昔の社会主義経済では事業はその規模によるのでしょうが、国営或いは各クラスの行政機関が深く関与していたと思います。しかし、事業の位置付けは、社会主義体制では(決して儲けるためだけの)経済事業ではなかったと思います。しかし、現在は、制度上その延長線上で、行政機関が例えば、当時としては少々いかがわしい「ショー付きのクラブ」経営と言う経済事業をして、儲ける。政治(行政)と企業が制度として分離していない。悪意ある言い方をするならば、公的権力をもって、企業を起こし、その利益を「私」する。
これは大きな問題と言うよりは、あってはならないことだと思っています。訪中する前に、或る新聞の中国の特集で、省ぐるみの密輸汚職事件を報じていました。絶対間違いを起こさない、完全なる善意の神様ならば別ですが、所詮弱い人間がする場合には、行政と企業は完全に分離する必要があると私は思っています。善意に理解すると、儲けることを、行政が模範を見せる必要があると考えているのでしょうか?現在は諸々の過渡期なのでしょうか?そこを今後どのように、折り合いをつけて発展させて行くのか非常に興味があります。
その折り合いは研究機関や測候所の場合は今日本でも推進しようとしている、独立採算制を視野に入れた、日本の言葉でいうと「独立行政法人化」という答えが出ているようです。しかし純粋の行政機関はどうなるのでしょうか?このまま進んでいくのでしょうか?それとも、儲かる事業は民間に移管して、私どもが考える本来の行政に戻ってスリムになるのでしょうか?
外孫
常さんとの料理屋での話で子供の話から「私には既に孫がいる。」といった時に、彼はすかさずに、「ワイ スン」と奥様に説明し、私にも「中国語では“外孫”」と訂正します。確かに日本でも外孫と内孫は区別しますが、あえて訂正するほどのことは都会ではないことです。中国では親族呼称は日本に比較して厳密であることは知っていましたが、これには少し参りました。新しい中国を見てきて、急に何か昔の中国へ戻ったように思えました。
1960年代の中国では「同志」が敬称でした。しかし、今そのような敬称を使用することはないでしょう。消えて行く言葉と残っていく言葉に、その国の文化と歴史の重みを感じます。外孫と内孫を厳密に区別する中国らしい文化と歴史を抱えながら、そして、それらに結局のところ基礎を置いて、過去の制度が重く圧し掛かる従来の企業が抱える経営上の問題、そして行政と企業との関わりの問題、近い将来必ず出て来る「格差是正」の問題等々の課題も、何らかの折り合いをつけて、中国らしい解決を見つけ発展するのでしょう。
数年後、もう一度中国を訪問したいと思います。
1999年、私の中国山東省(21)エピローグ
この文章を終えるに当って、今一度読み返しています。そして、済南での水産庁の表敬訪問を思い出しています。彼らが我々に説明する数字についてです。
開発できる面積が何ヘクタール、浅海域が何ヘクタール、干潟面積何ヘクタール、開発した面積が何ヘクタールと言う数字を最初に述べます。これは山東省だけでなく、日照市の方が来和されたきもそうでした。更に今回の訪問で市行政当局の説明もそうでした。実は少し違和感を感じていたのです。
山東省水産庁表敬訪問の会場に掛かっていた大きい絵にスローガン的に「開発藍色国土 振興海洋経済」と書かれています。
その言葉は、私に問い掛けます。
君は青ではない藍色の海を知っているか?
君は海を国土と捉えたことがあるか?
君は海を海洋経済の場として捉えたことがあるか?
と
魚病対策
その設備を見ても養殖研究所の方は、山東省の病害防除センター(農林水産関係の共同利用施設のようです。)が付属しています。
魚病といえば、山東省では、大正エビ(正確かどうかは分かりません。)の養殖が、日本と同様、数年前に病気で、壊滅的な被害を受けて、その被害から未だ立ち直っていません。生産は新しい漁場を開発することで維持されています。このような事態が病害防除センター設立の大きな要因となったようです。余談ですが、その病気のオリジンの話です。具体的な国名は言いませんが、中国では、北から来たことになっており、日本では南から来たことになっていて、お互いにかなりの愛国心を発揮しています。
このセンターには、この1,2年間に集中投資をした新しい色々な備品が各研究室に納められています。新品の備品が入っている部屋が幾つもあり殆どフロアーを占拠している状況です。備品そのものは日本の水産試験場では標準的なもののように見受けました。当然、メイド イン ジャパンも多くありました。しかし、どうも備品を早く整備しすぎたのか、これも日本でよく聞く話ですが、それを活用する人材は未だ不足しているようで、フル稼働と言う訳ではなさそうでした。
海洋水産研究所
一方、海洋水産研究所では、昔、数隻あった漁業・海洋調査船は現在では1隻もないとのことです。ですから、これっと言った見るものがありませんでした。この話は水産試験場時代に代船建造に従事し、更にNOAAの受信設備が整備され漁船漁業振興の武器になっていることを考えると非常にショックな話でした。
ここでも、先に述べたように、漁船漁業に対する投資と養殖業へとの投資のスタンスの違いが明白です。
教育機関
更に、教育機関を見ますと、青島の海洋大学での施設を訪問しました。建物は確かに風格はありますが、古く、中の施設も当時としては確かに誇れるような施設、例えば、風と波を同時に起こして波の挙動を研究する大型の模型水路実験施設がありました。しかし、最近は補修されていない様子で、現在ではこのような施設には必要と思われる電算機も付属していません。
一方、中級水産技術者を養成する「水産専門学校」では、海洋学院と併設されていることもあるのでしょうが、標本も整備されており、語学教室、パソコン実習室には、1クラス全員が使用できる、最新の設備が整えられています。他の設備も新しく、計画的に更新されているように見受けられ、昔のソ連製の設備は確か一つだけであったように記憶しています。
現場主義
このような状況は、海洋研究所でのドクターの数が極端に少ないことにも現れています。100人ほどの研究者のうちドクターを持っているのは数人のようです。省」が日本で言えば「国」に該当するイメージが漸く板についた私から見るとこの話は以外でした。
所長曰く「水産研究所にはドクターは要らない。」「現場を指導する人材が必要である。」と。人材育成の投資も、基礎への投資よりも即戦力への投資と言う傾斜がはっきりと見られます。
1999年、私の中国山東省(19)訪問の先々で(5)
傾斜投資
このような事態は中国全体で今起こっていることと思います。政策の一つとして、このような傾斜投資は、戦後の日本でも西欧に再び追いつくために行なわれ、実績を持っているのですが、我々が見てきた水産関係の分野でもこの政策を端的且つ明確に表現しているように見えました。しかし傾斜投資は、製鉄、電気、石炭等基幹産業への計画的傾斜投資と言う本来の意味から見ると中国では少し外れている様にも見えます。ですから、今のその傾斜投資政策によって必ず出て来る「格差」を将来どこかで是正する必要が国として出てくるでしょう。その時に困難な状況が生まれなければ良いが、と訪問を終えた今考えています。
サイドビズネス
行政機関の場合どのように改革開放が現れているのか?それが改革開放になるのか?もう少し、見てみます。少し理屈っぽい話が続きますが、ある公務員の名刺には肩書きが3つあり、その肩書きの一つに会社の顧問がありました。その方はそれぞれから報酬を得ているとのことです。本来所属している部署からの給料は少ないと聞きました。又、会社からその部署へ応分の資金援助をしているとも聞きました。
これに似た事例は、行く先々で聞きます。「この会社は私の課が経営している会社です。」「私の課はこのような会社をいくつか持っています。」「未だありませんが、会社を作るのを検討しています。」等等です。
泰山を観光したとき、その山頂に測候所があります。測候所は中国では珍しく、軍と同様に省とは関係なく管理が行なわれている国の一元的管理機関の一つです。業務用のアンテナがいくつも立っています。その建物の壁に、赤い看板がかかっています。それはホテルの看板です。実のところ、そのような機関である測候所がホテルを経営しているのです。
このような話は私どもには理解しがたいのですが、中国では極々一般的な話です。公務員にはサイドビジネスが許されているように見えるのです。
それは、単に構成員の公務員だけではなくて、県や市の各部局が、組織として儲かる会社を持っている。或いは持つことに熱心であるのです。公務員の月給は800元が基準(なぜ800元なのかは理由があるのですが、少し生々しすぎる話です)。その会社経営の成果ですが、ある課が儲かる会社を持っているかどうかで、その課とあの課の職員の実質給料等が異なる。その異なる部分は外からははっきりとは見えない。もっと儲かる会社を持っている課では、いよいよ外から見えるようになりそれは困るので、高級品を現物で支給する。そのために、儲かる公務機関の職員は、「冷凍庫」が必需品となる。これが家に冷凍庫がある理由です。さらに曰く、「私どもの職場も冷凍庫は必需品です」という職場がそこ、ここにありそうです。
1999年、私の中国山東省(20)訪問の先々で(6)
日本の事情
県で少し考えてみます。例えば、「県栽培漁業協会」と言う財団法人があります。確かに、県は技術者を数名派遣し、補助金もかなり支出しています。言わば県が実態的に経営していると言える状況です。これは政策遂行上種苗生産することが必要であるが、栽培漁業での種苗生産は少なくとも現在はペイする業務ではない。ペイしない間は、だから、県が経営せざるを得ない。栽培漁業協会が儲けて、その利益の一部分を県職員に還元するために経営しているのではないのです。全くどこかが違う話となります。と当時書いたのですが、実は、この協会は退職者の再就職先の機能も持っています。今我が国では、そう言う点すら厳しく批判されています。
公的権限と経済事業
又違う例を考えてみます。例えば、公的権限を持っている水産課が「鮮魚小売業」を経営すると想定します。公的権限によって、同様の他の業者を排他することが出来ます。これは必ず儲かります。公的権限を利用して、他の仲買人よりも魚を漁業者から安く買うことも出来ます。流通制限を指導することにより、品薄にして魚を高く売ることも出来ます。このような場合は必ず超過利潤を得ることが出来るのです。競争がフェアーでないのです。公務員が金儲けが下手であることを考慮しても、日本ではこのようなことは決して許される話ではないのです。これが資本主義の骨格である自由経済の基本ルールというものです。公的権限を持っている者・機関は、高度に公共性がある場合を除いて経済事業を出来ない。これが大原則です。
再度サイドビズネス
この一連の今、中国で行なわれている話はどうも私には理解できません。昔の社会主義経済では事業はその規模によるのでしょうが、国営或いは各クラスの行政機関が深く関与していたと思います。しかし、事業の位置付けは、社会主義体制では(決して儲けるためだけの)経済事業ではなかったと思います。しかし、現在は、制度上その延長線上で、行政機関が例えば、当時としては少々いかがわしい「ショー付きのクラブ」経営と言う経済事業をして、儲ける。政治(行政)と企業が制度として分離していない。悪意ある言い方をするならば、公的権力をもって、企業を起こし、その利益を「私」する。
これは大きな問題と言うよりは、あってはならないことだと思っています。訪中する前に、或る新聞の中国の特集で、省ぐるみの密輸汚職事件を報じていました。絶対間違いを起こさない、完全なる善意の神様ならば別ですが、所詮弱い人間がする場合には、行政と企業は完全に分離する必要があると私は思っています。善意に理解すると、儲けることを、行政が模範を見せる必要があると考えているのでしょうか?現在は諸々の過渡期なのでしょうか?そこを今後どのように、折り合いをつけて発展させて行くのか非常に興味があります。
その折り合いは研究機関や測候所の場合は今日本でも推進しようとしている、独立採算制を視野に入れた、日本の言葉でいうと「独立行政法人化」という答えが出ているようです。しかし純粋の行政機関はどうなるのでしょうか?このまま進んでいくのでしょうか?それとも、儲かる事業は民間に移管して、私どもが考える本来の行政に戻ってスリムになるのでしょうか?
外孫
常さんとの料理屋での話で子供の話から「私には既に孫がいる。」といった時に、彼はすかさずに、「ワイ スン」と奥様に説明し、私にも「中国語では“外孫”」と訂正します。確かに日本でも外孫と内孫は区別しますが、あえて訂正するほどのことは都会ではないことです。中国では親族呼称は日本に比較して厳密であることは知っていましたが、これには少し参りました。新しい中国を見てきて、急に何か昔の中国へ戻ったように思えました。
1960年代の中国では「同志」が敬称でした。しかし、今そのような敬称を使用することはないでしょう。消えて行く言葉と残っていく言葉に、その国の文化と歴史の重みを感じます。外孫と内孫を厳密に区別する中国らしい文化と歴史を抱えながら、そして、それらに結局のところ基礎を置いて、過去の制度が重く圧し掛かる従来の企業が抱える経営上の問題、そして行政と企業との関わりの問題、近い将来必ず出て来る「格差是正」の問題等々の課題も、何らかの折り合いをつけて、中国らしい解決を見つけ発展するのでしょう。
数年後、もう一度中国を訪問したいと思います。
1999年、私の中国山東省(21)エピローグ
この文章を終えるに当って、今一度読み返しています。そして、済南での水産庁の表敬訪問を思い出しています。彼らが我々に説明する数字についてです。
開発できる面積が何ヘクタール、浅海域が何ヘクタール、干潟面積何ヘクタール、開発した面積が何ヘクタールと言う数字を最初に述べます。これは山東省だけでなく、日照市の方が来和されたきもそうでした。更に今回の訪問で市行政当局の説明もそうでした。実は少し違和感を感じていたのです。
山東省水産庁表敬訪問の会場に掛かっていた大きい絵にスローガン的に「開発藍色国土 振興海洋経済」と書かれています。
その言葉は、私に問い掛けます。
君は青ではない藍色の海を知っているか?
君は海を国土と捉えたことがあるか?
君は海を海洋経済の場として捉えたことがあるか?
と